人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

The Andrzej Trzaskowski Sextet - Seant (Muza, 1966)

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The Andrzej Trzaskowski Sextet - Seant Featuring Ted Curson (Muza, 1966) Full Album : https://youtu.be/QCRe8OwFwk8
Recorded December 1965-1966
Released Polskie Nagrania Muza ?XL 0378, (Polish Jazz Vol.11), 1966
(Side A)
1. "Seant" (Andrzej Trzaskowski) - 9:58
2. "Wariacja na temat "Oj tam u boru" (Variation on the theme "Near The Forest") (Trzaskowski) - 6:36
3. "The Quibble" (Trzaskowski) - 7:58
(Side B)
1. "Cosinusoida" (Trzaskowski) - 24:47
[Personnel]
Andrzej Trzaskowski - piano
Ted Curson - trumpet
Wlodzimierz Nahorny - alto saxophone
Janusz Muniak - soprano saxophone
Jacek Ostaszewski - bass
Adam Jedrzejowski - drums

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 (Original Muza Polish Jazz LP Liner Cover)
 60年代ブルー・ノート・レーベルの尖鋭的な作品群は当時ブルー・ノート派、後には新主流派と呼ばれ、ウェイン・ショーターハービー・ハンコック、トニー・ウィリアムズら当時のマイルス・デイヴィスクインテット在籍者、エルヴィン・ジョーンズマッコイ・タイナーエリック・ドルフィーピート・ラロカジョン・コルトレーンのバンド出身者、ボビー・ハッチャーソンやグラシャン・モンカーIII世らジャッキー・マクリーンのバンド出身者、フレディ・ハバードジョー・ヘンダーソンらブルー・ノート所属の老舗グループ、ジャズ・メッセンジャーズホレス・シルヴァークインテットの若手メンバー、さらにブルー・ノートが新たに売り出そうとしていたアンドリュー・ヒル、サム・リヴァース、ラリー・ヤングらの1964年~1968年あたりのアルバムを指す日本のジャズ批評界独自の用語だが(ブルー・ノート派という呼称を60年代に使い始めたのはフランスのジャズ批評界だが)、このアンジェイ・トルジャスコウスキの代表作『セアント』は年代的にも作風もブルー・ノート新主流派のアルバムと言って聴かせられたら誰もが信じてしまうような仕上がりになっている。
 ブルー・ノート新主流派の代表作にはジャッキー・マクリーン『ワン・ステップ・ビヨンド』63.4(録音年月。ブルー・ノートはプロモートに慎重なので発売は録音の翌年が多い)、グラシャン・モンカーIII世『エヴォルーション』63.11、エリック・ドルフィー『アウト・トゥ・ランチ』64.2、アンドリュー・ヒル『離心点』64.3、ジョー・ヘンダーソン『イン・アンド・アウト』64.4、フレディ・ハバード『ブレイキング・ポイント』64.5、ラリー・ヤング『イントゥ・サムシン』64.10、ウェイン・ショーター『スピーク・ノー・イーヴル』64.12、ボビー・ハッチャーソン『ダイアローグ』65.4、ハービー・ハンコック『処女航海』65.5、ピート・ラロカ『バスラ』65.5、サム・リヴァース『フューシャ・スウィング・ソング』65.5、トニー・ウィリアムズ『スプリング』65.8、マッコイ・タイナー『ザ・リアル・マッコイ』67.4、エルヴィン・ジョーンズ『プッティン・イット・トゥゲザー』68.4などで、マッコイとエルヴィンの登場が遅く見えるが自己名義のアルバムが契約上出せなかっただけでショーターやヘンダーソン、ヤングのアルバムには常連メンバーだったのだ。

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 (Original Muza Polish Jazz LP Side A Label)
 中でもトルジャスコウスキ(1933~1998)はピアニストということもあって、アンドリュー・ヒル(1931~2007)に似ている。ヒルは1956年に出身地シカゴで1枚だけアルバムを出してニューヨークに進出し、ブルー・ノートに認められて新人としては異例の待遇で多作を許され、主にブルー・ノート専属だった60年代にもこれだけのアルバムを残した。*印はサイドマン参加作で、他はすべてアンドリュー・ヒル名義のアルバムになる。
*Walt Dickerson/To My Queen (New Jazz, 1962)
*Rahsaan Roland Kirk/Domino (Mercury, 1962)
*Jimmy Woods/Conflict (Contemporary, 1963)
*Hank Mobley/No Room for Squares (Blue Note, 1963)
1963: Black Fire
1963: Smokestack
*Joe Henderson/Our Thing (Blue Note, 1963)
1964: Judgment!
*Bobby Hutcherson/Dialogue (Blue Note, 1965)
1964: Point of Departure
1964: Andrew!!!
1965: Pax (issued 2006)
1965: Compulsion!!!!!
1966: Change (issued 2007)
1968: Grass Roots
1968: Dance with Death (issued 1980)
1969: Lift Every Voice
1969: Passing Ships (issued 2003)
1965-70: One for One (issued 1975)

 このうち『ブラック・ファイア』『スモークスタック』『ジャッジメント!』『離心点』『アンドリュー!!!』の初期5枚は1年半ほどで集中的に録音され、ボビー・ハッチャーソンの第1作『ダイアローグ』もほぼ全曲ヒルがオリジナル曲を提供した実質的にヒルのアルバムで、どれもがジャーナリズムでは高い評価を受けた。しかしセールスはまったく振るわず、ブルー・ノートは録音はするが発売は見送る(2007年まで未発表のアルバムすらあった)ことが多くなり、68年のソウル・ジャズ作品『グラス・ルーツ』も69年のヴォーカル・コーラス入りゴスペル・ジャズ作品『レフト・エヴリ・ヴォイス』もCD化の時に別メンバーで録音された初回ヴァージョンがレーベルの駄目出しで再録音されたものと判明した。このリスト以外に限定版ボックス・セットでのみ2000年代になって発掘発売された5枚分の未発表アルバムがある。ヒルのアルバムはまれに小部数しか再発売されず、そのたびすぐに廃盤になり、唯一ケニー・ドーハム(トランペット)、エリック・ドルフィー(アルトサックス)、ジョー・ヘンダーソン(テナーサックス)、リチャード・デイヴィス(ベース)、トニー・ウィリアムズ(ドラムス)というオールスター・セクステットによる『離心点』だけがLP~CD時代を通じて廃盤にならなかったアルバムだった。

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 (Original Muza Polish Jazz LP Side B Label)
 前年のクシシュトフ・コメダの『アスティグマティック』はトルジャスコウスキの『シノプシス』を即座に抜いた痛恨のアルバムだったろう。『セアント』が『アスティグマティック』に対抗して作られたのは間違いない。偶然ブルー・ノート新主流派と類似した作風になったのには、ブルー・ノート盤の発売時期や地勢的にも影響関係はないだろう。アンドリュー・ヒル(コメダと同年生まれ)のアルバム、特に初期の5連作をトルジャスコウスキが聴いていたら『シノプシス』も『セアント』もかえって異なるサウンド・カラーを意識しただろうと思われる。『離心点』との偶然の類似は、ヒルエリック・ドルフィーというモンスター・プレイヤーを迎えた作品なのと同様、60年代半ばから渡欧していたテッド・カーソンをトランペットに迎える機会を得たということから来るだろうと思われる。テッド・カーソン(1935~2012)は1959年にはセシル・テイラーのバンドに、1960年にはエリック・ドルフィーとともにチャールズ・ミンガス(ベース)のピアノレス・カルテットのフロントを勤めて大傑作『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス』1960でドルフィーと渡りあうプレイを残した。
 一見伝統破壊的なミンガス、ドルフィーのジャズはアメリカ本国では留保つき評価がされていたが、ヨーロッパや日本では絶大な評価を受けていた。ドルフィーはヨーロッパを単身巡業中の64年に急逝したが、カーソンもアメリカ本国では仕事がなく滞欧ジャズマン仲間と組んでヨーロッパを巡業していた。セシル・テイラーやミンガスのトランペッターだった人だ、カーソンと共演できるなら『シノプシス』も『アスティグマティック』も超えるアルバムが出来るぞ、とトルジャスコウスキらポーランド側のジャズマンたちはリハーサルを積んだに違いない。結果、『セアント』は各国語版ウィキペディアで、トルジャスコウスキアルバム中、最高傑作としてアルバム解説の単独項目が設けられている唯一の作品になった。

 前作『シノプシス』ではピアノ・トリオ曲を入れ、『レクイエム・フォー・スコッティ』はトリオならではの名曲になったが、カーソン参加の本作ではそんなもったいないことはできない。1曲目からセクステットは全力で飛ばす。カーソン参加は頼もしいとともにポーランド・ジャズ最先端の力量を見せたい気持もあっただろう。ベースとドラムスは『シノプシス』と同じメンバー、前作でアルトとソプラノ兼任奏者だったヤヌス・ムニアクはソプラノ専任になり、専任アルトサックス奏者にウドミエール・ナホルニーが加わった。『シノプシス』のトマス・スタンコ(トランペット)とムニアクの2管のコンビネーションは十分満足のいくものだったが、ムニアクより変態性の強いナホルニーのアルトの貢献度が高い。コレクティヴ・インプロヴィゼーション(集団同時即興)の手法のためのセクステット編成にはチャールズ・ミンガスからの影響もあるだろう。
 全曲が聴きどころがあるのだが、『アスティグマティック』ほど深い情感には達していないとはいえ、コメダからの影響とカーソンの資質を良いかたちで生かした抒情性が『セアント』にはあり、反メロディアスでドライだった『シノプシス』よりアルバムを親しみやすく、訴求力を強めたものにしている。B面全面24分半を使った大曲も無理に凝った構成ではなく自然な流れがあり、完全にフリー・ジャズになるパートと作曲された美しいパッセージが違和感なく同居している。5分台でトランペットとベースが音程のないコール&レスポンスのデュオを演奏するのは、『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス』の『ホワット・ラヴ』の再現だろう。また、コメダのバンドのベースとドラムスがオーソドックスで丁寧だが硬い印象を受けるのに対して、トルジャスコウスキのベースとドラムスは奔放で意欲的な演奏に好感が持てる。それもあってか『シノプシス』以上に、またコメダの『アスティグマティック』以上に『セアント』はリーダーがピアノを弾かず、メンバーたちにピアノレスのアンサンブルを任せている場面が多い。その適度な案配では、コメダやトルジャスコウスキはホーンとは不調和に弾きすぎる面もあるアンドリュー・ヒルよりも洗練されたセンスがある。そういえばアンドリュー・ヒル74年のアルバムにテッド・カーソンとリー・コニッツ(アルトサックス)を迎えた『スパイラル』というアルバムもあった。ジャズの世界はどこでつながっているかわからないから面白い。