人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Eric Dolphy and Booker Little Quintet - At The Five Spot, Vol.1 (New Jazz, 1962)

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Eric Dolphy and Booker Little Quintet - At The Five Spot, Vol.1 (New Jazz, 1962) Full Album : https://youtu.be/HlWCUN2EdNc
Recorded at Five Spot Cafe, NYC, 16 July, 1961
Released Prestige/New Jazz, 1961
(Side A)
1. "Fire Waltz" (Waldron) - 13:44
2. "Bee Vamp" (Little) - 12:30
(Side B)
1. "The Prophet" (Dolphy) - 21:22
(CD Bonus Track)
1. "Bee Vamp" (Alternate Take) - 9:27
[Personnel]
Eric Dolphy - alto saxophone(A1,B1), bass clarinet(A2,Bonus Track)
Booker Little - trumpet
Mal Waldron - piano
Richard Davis - double bass
Ed Blackwell - drums

 つい春先に取り上げたばかりのような気もするが、せっかくだからアルバム4枚に分散したエリック・ドルフィーブッカー・リトルクインテットを全曲取り上げたい。アルバム・タイトルで言えばこの『アット・ザ・ファイヴ・スポットVol.1』『Vol.2』『エリック・ドルフィーブッカー・リトル・メモリアル・アルバム』の3枚と『ヒア・アンド・ゼア』のA面(2曲)で1961年7月16日の録音はすべてになり、2週間だけファイヴ・スポット・カフェ公演のために結成されたこのバンドが残した全音源になった。ブッカー・リトル(1938~1961)は10月には腎臓病の急性症状で他界してしまう。アルバム発売はリトルの没後になり、さらにプレスティッジ/ニュー・ジャズ・レーベルも61年で契約満了したドルフィーが他のレーベルから再デビューする時に便乗発売しようと残り曲を握りつぶしていたため、エリック・ドルフィー(1928~1964)が他社で制作したアルバムが発表待機中のうちにヨーロッパ巡業中、糖尿病の急性症状で他界したため、『Vol.2』『メモリアル・アルバム』『ヒア・アンド・ゼア』はドルフィー没後の発売になった。
 マル・ウォルドロン(1925~2002)は晩年(1958年~59年)のビリー・ホリデイの専属ピアニストの他に、チャールズ・ミンガスの『アット・ボヘミア』『直立猿人』『道化師』1955~1956のピアニストでもある。エド・ブラックウェル(1929~1992)は1960年夏にロサンゼルスからオーネット・コールマンに呼ばれてきたドラマーで、リチャード・デイヴィス(1930~)はシカゴ出身で交響楽団経験もあるサラ・ヴォーンのサイドマン出身者。最年少で23歳で夭逝したリトルですら4枚の単独リーダー作を残したように、このバンドは全員がリーダーの力量を持ち、実績を残している。ドルフィーとリトルの初共演は60年12月21日録音の、ドルフィーのスタジオ録音アルバム第3作『ファー・クライ』でだった。

 ドルフィーが公式録音で共演したトランペッターはフレディ・ハバード(1938~2008・『アウトワード・バウンド』、『アウト・トゥ・ランチ』、オーネット・コールマンの『フリー・ジャズ』、ジョン・コルトレーン『オーレ!』、オリヴァー・ネルソン『ブルースの真実』)、ウディ・ショウ(1944~1989・『アイアン・マン』『カンヴァセーション』)がおり、オーネットの『フリー・ジャズ』ではドン・チェリー、アンドリュー・ヒルの『離心点』ではケニー・ドーハムとも共演しているがドルフィーとの相性というよりはセッションのコンセプト上共演することになった、と言える。チャールズ・ミンガス作品のテッド・カーソン(1935~2012)とのコンビネーションは素晴らしかったがミンガスのコンセプトであり、ドルフィー自身がミンガス・バンド以外でカーソンと組むのぬは遠慮があったのだろう。
 ハバードは初リーダー作『アウトワード・バウンド』1960と遺作『アウト・トゥ・ランチ』1964で共演したほど親しかった。また、『アウトワード・バウンド』で示したドルフィーとの相性の良さから『フリー・ジャズ』『オーレ!』『ブルースの真実』などに揃って招かれたと思われる。だがアルバム枚数ではブッカー・リトルが共同リーダー作4枚、ドルフィー作品へのリトルの参加1枚、リトル作品へのドルフィーの参加1枚、ジョン・コルトレーン作品での共演1枚と、60年末~61年夏までの半年強で集中的な共演がある。リトルはミンガスの盟友マックス・ローチのバンドのメンバーだったからカーソンへのような遠慮は要らなかった。遺作『アウト・フロント』に顕著なように、音楽的志向性も同年生まれのハバードよりさらに尖鋭的で、夭逝さえしなければ60年代ジャズを担うに足る大器だった。

 オーネット・コールマン・カルテットが異例の半年間興行を成功させ話題を呼んだことから、当時の認識ではオーネットの影武者的存在だったドルフィーにも半月ながらレギュラー公演が実現することになったのだろう。最新作『ファー・クライ』と『アウト・フロント』で組んだブッカー・リトルと共演するのは自然な流れで、ただしピアノ、ベース、ドラムスは『ファー・クライ』のジャッキー・バイヤード、ロン・カーターロイ・ヘインズはスケジュール面で2週間の拘束はできなかった。マル・ウォルドロンドルフィー自身が6月にマルの『クエスト』に参加したばかりで、エド・ブラックウェルはオーネット・コールマン・カルテットが2月のレコーディングで解散したばかりだった。リチャード・デイヴィスは60年いっぱいでニューヨーク進出以来のサラ・ヴォーンのサイドマン契約を満了し、フリーランスになっていたし、ドルフィーのニューヨーク進出後すぐに親しくなったベーシストだった。
 ドルフィーにとってはこの人選は理想的なクインテットだったろうし、70年代ならこのメンバーはホール規模のコンサートの動員力があっただろう。だがファイヴ・スポットは収容人数30席ほどの小さなジャズ・クラブだった(同年にビル・エヴァンス・トリオやジョン・コルトレーン・グループがライヴ録音したヴィレッジ・ヴァンガードも同程度の規模だったという)。仮に満席でもクインテットのメンバーは日給5000円が関の山だったのではないか。このアルバムも、日給5000円のある夜の演奏の記録になる。あまりに短期間で、また他の会場で演奏することもなかったので、この公式ライヴ録音以外にドルフィー&リトル・クインテットの演奏は残っていない。リトルの没後にVol.1が発売されるまでこのバンドが存在していたのには多くの人が気づかず、Vol.2以降の残り全曲もドルフィー没後まで発表が見送られたほど当時のアメリカでは話題にならなかった。生前からドルフィーやリトルに注目していたのはヨーロッパや日本のリスナーだった。

 アメリカでは「元ミンガス・バンドの」と肩書きをつけないと通じないらしいが、日本では肩書き不要のマル・ウォルドロンが管入りのバンドでは最高のプレイを見せる。このアルバムはウォルドロンが1曲目のテーマをちらっと試し弾きするイントロダクションから始まるが、これが実にライヴらしい雰囲気があっていい。1曲目『ファイヤー・ワルツ』は『クエスト』からのナンバーで、あちらはドルフィーブッカー・アーヴィン(テナーサックス)の2管、ベースもドラムスも中堅プレイヤーだが、デイヴィスとブラックウェルが見違えるような躍動的な演奏でスタジオ版を軽く超える。ソロはドルフィー先発で、どこからこういう音列が出てくるのか、ドルフィーには和声やリズムの動きが常人の聴き取れないレヴェルで聴こえているプレイヤーだった。リトルのソロは、マックス・ローチクインテットやリトル自身のアルバムでは聴けないことにチャレンジしている。トランペットの音色やフレーズが極端に肉声に近い。リトルにとっては、ドルフィーとのダブル・リーダー・クインテットでやってみたいことはそれだったのだろう。サックスのソロの最中にトランペットが絡む、またはその逆もバップ以降のジャズでは古くさいアンサンブル手法と忌避されたが、ドルフィー&リトル・クインテットは積極的にやっている。これはオーネット・コールマンからの感化だろう。
 2曲目『ビー・ヴァンプ』はリトルのオリジナルで、この日のうち唯一2回演奏されている曲になる。採用テイクの方が格段に良い。『ファイヤー・ワルツ』といいこの曲といい、リズム・アレンジのアイディアから発展させた曲だけに高い自由度にもかかわらずリズム的な統一さえあれば何でもありの面白さがあり、作者のリトル自身がミストーンやスケール・アウトを連発している。2曲聴くとわかってくるが、ピアノの調律が悪いばかりか鳴り方が音程によって不均等で、弦の共振によるノイズや音割れが発生している。極力調子の狂った音は打鍵しないように工夫しているのだが、『ビー・ヴァンプ』のピアノ・ソロでは調律の悪さや音割れを逆用した奏法が聴ける。

 しかしこのアルバムで最大の聴きものは、リトルの『ビー・ヴァンプ』同様にスタジオ録音が存在しないドルフィーの書き下ろし曲『ザ・プロフェット』だろう。B面21分をまるまる費やし、アルトサックスのソロだけでも12分におよぶ。形式的にはAB=16小節の単純なテーマなのだが、テンポがスローな上に長音符ばかりなのでアドリブ・ソロに入ると倍テンポ、通常テンポ、半テンポのどれをソロイストやリズム・セクションが選択することもできるようになっている。ドルフィーのソロは奔流のように始まり、すさまじいスウィング感で猛進しながらコントロールは失わず、むせび泣くように終わる。リトルも抒情的にドルフィーのソロに絡み、リトル自身のソロも哀感に満ちている。ピアノ・トリオだけになると、沈み込むようなデイヴィスとブラックウェルのベースとドラムスに、音数の極端に少ないウォルドロンのピアノが真夜中を運んでくる。
 3枚半分ある『アット・ザ・ファイヴ・スポット』でもこのVol.1は全録音から選曲できたのが有利なので圧倒的な傑作になっているのだが、Vol.2以降に発表された曲も曲単位ではVol.1収録曲に遜色はない。だが『ファイヤー・ワルツ』『ビー・ヴァンプ』『ザ・プロフェット』と、ウォルドロン、リトル、ドルフィー最高のオリジナル曲が1曲ずつアルバムの統一感も考慮してされているのがVol.1の強みで、その点ではレーベル側がドルフィーの生前にVol.2以降の選曲と発売が踏み切れなかったのも仕方ないかもしれない。