人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

エリック・ドルフィー Eric Dolphy & Booker Little Quintet - アット・ファイブ・スポット・Vol. 2 At the Five Spot Vol.2 (Prestige, 1964)

エリック・ドルフィー - アット・ファイブ・スポット・Vol. 2 (Prestige, 1964)

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エリック・ドルフィー Eric Dolphy & Booker Little Quintet - アット・ファイブ・スポット・Vol. 2 At the Five Spot Vol.2 (Prestige, 1964) Full Album : https://youtu.be/oMF5PTDcqPc
Recorded live at Five Spot Cafe, NYC, 16 July 1961
Released by Prestige Records PR 7294, 1964

(Side A)

A1. Aggression (Booker Little) - 17:21

(Side B)

B1. Like Someone in Love (Jimmy Van Heusen) - 19:58

[ Eric Dolphy & Booker Little Quintet ]

Eric Dolphy - bass clarinet (A1), flute (B1)
Booker Little - trumpet
Mal Waldron - piano
Richard Davis - bass
Ed Blackwell - drums

(Original Prestige "Eric Dolphy At the Five Spot Vol.2" LP Liner Cover & Side B Label)

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 1961年7月に2週間だけ活動したエリック・ドルフィーブッカー・リトルクインテットは7月16日のファイヴ・スポット・カフェのライヴ盤が唯一の録音で、現在判明しているディスコグラフィではこうなっています。

[ Eric Dolphy and Booker Little Quintet Sessiongraphy ]

Recorded live at The Five Spot Cafe, NYC, July 16, 1961
Eric Dolphy (alto saxophone, bass clarinet, flute), Booker Little (trumpet, expect 3), Mal Waldron (piano, expect 3), Richard Davis (bass, expect 3), Ed Blackwell (drums, expect 3 )
1. 3146 : warming up and tuning (Prestige rejected)
2. 3147 : Status Seeking (Prestige PR 7382)
3. 3148 : God Bless The Child (Eric Dolphy Solo bass clarinet) (same above)
4. 3149 : Aggression Prestige (PRLP 7294, P 34002)
5. 3150 : Like Someone In Love (same above)
6. 3151 : Fire Waltz (New Jazz NJLP 8260; Prestige P 34002)
7. 3152 : Bee Vamp (same above)
8. - Bee Vamp (alt. take) (Prestige PR 24046, MPP 2517; Original Jazz Classics OJCCD 133-2)
9. 3153 : The Prophet (New Jazz NJLP 8260; Prestige P 34002)
10. 3154 : Number Eight (Potsa Lotsa) (Prestige PR 7334, P 34002)
11. 3155 : Booker's Waltz (same above)
*Prestige PR 7382; Original Jazz Classics OJCCD 673-2 : Eric Dolphy - Here And There
*Prestige P 24070 : Eric Dolphy - Status
*Prestige PRLP 7294, PR 7826; Original Jazz Classics OJC 247, OJCCD 247-2 Eric Dolphy At The Five Spot, Vol. 2
*Prestige P 34002 : The Great Concert Of Eric Dolphy
*New Jazz NJLP 8260, Prestige PR 7611; Original Jazz Classics OJC 133, OJCCD 133-2 : Eric Dolphy At The Five Spot, Vol. 1
*Prestige PR 24046 : Various Artists - 25 Years Of Prestige
*Prestige MPP 2517 : Eric Dolphy - Dash One
*Prestige PR 7334, Original Jazz Classics OJC 353, OJCCD 353-2 : Eric Dolphy And Booker Little Memorial Album

 と、10曲+別テイク1曲、このうちビリー・ホリデイの「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド」はドルフィー渾身の無伴奏完全ソロ・バスクラリネット演奏なので、メンバー全員による演奏は9曲です。たった10曲なのにLP時代にはアルバム4枚(3枚半)に分けられていたのは、ほとんどの曲がアルバム片面で1曲の長さだったからでした。資料からも前記の通りにマスターテープが作成されて番号が振られていますが、紛失した(または編集された)らしい1「ウォーミングアップ・アンド・チューニング」を除くと2と3がアルバム『ヒア・アンド・ゼア』、4と5が『アット・ザ・ファイヴ・スポットVol.2』、6と7と9(8は7の別テイク)が『Vol.1』、10と11が『エリック・ドルフィーブッカー・リトル・メモリアル・アルバム』となっており、アルバム単位・曲順までアルバムと同じなのは実際の演奏順とは思えません。7「ビー・ヴァンプ」と同曲の別テイク8が連続演奏されたとは考えにくいのも根拠になります。

 また『アット・ザ・ファイヴ・スポットVol.1』は61年10月のリトルの急逝を受けて62年7月(録音から1年後!)に発売されましたが、この『Vol.2』は64年6月のドルフィーの急逝直後に追悼盤として発売されています。『メモリアル・アルバム』『ヒア・アンド・ゼア』はさらに遅れて1965年・1966年発売ですから、『Vol.2』以下は丸3年以上お蔵入りになっていたのです。インディー・レーベルのプレスティッジ・レコーズはこれが得意で、セロニアス・モンクマイルス・デイヴィスソニー・ロリンズジョン・コルトレーンジャッキー・マクリーンらに2年契約の間に多数のアルバムを作らせておいて契約期間中には数作しか発売せず、契約が切れてもっとメジャーなレーベルに移籍していくとメジャー・レーベルからの新作発売に合わせてストック録音をアルバム化していきました。有名なアルバムではマイルスの『スティーミン(Steamin')』は1956年録音ですが、発売されたのはコロンビアから大ヒット作『カインド・オブ・ブルー(Kind of Blue)』も『スケッチズ・オブ・スペイン(Sketches of Spain)』も発売された後の1961年(『いつか王子様が(Someday My Prince Will Come)』と同年)になっています。

 マイルスやマクリーンらの場合、生前の全盛期に発売されたからまだ良いようなものの、ジョン・コルトレーンの『ザ・ラスト・トレーン(The Last Trane)』(1957年・1958年録音)など発売は1965年で、コルトレーンは『至上の愛(A Love Supreme)』から『アセンション(Ascension)』へとフリージャズへのアプローチを深めていた時期で、しかも1966年後半には活動休止して1967年には急逝してしまいますから晩年作品と混じって発売されています。ドルフィーがプレスティッジ・レコーズと契約したのは1960年4月1日からで、61年9月のデンマークでの単身巡業ライヴ(ジョン・コルトレーンクインテットのメンバーとして渡欧し、ツアー後に単身居残り)で契約満了になってます。この20か月間でリーダー作11枚、ゲスト参加アルバム7枚がありますが、ドルフィーの生前にプレスティッジ(とサブ・レーベルのニュー・ジャズ)が出したのはスタジオ録音三部作『アウトワード・バウンド(Outward Bound)』『アウト・ゼア(Out There)』『ファー・クライ(Far Cry)』と『アット・ザ・ファイヴ・スポットVol. 1』の4枚しかありません。のちにプレスティッジから再発売される『イン・ヨーロッパ(Eric Dolphy in Europe, Vol. 1)』はドルフィー生前には1962年にデンマークのフォノグラム傘下のデビュー・レーベルからしか発売されませんでした。また1963年スタジオ録音の『カンヴァセーション(Conversation)』はテスト・プレスだけでお蔵入りになっていますので、合わせて5枚だけがドルフィーの生前に発売された全リーダー作になりました。

 1962年以降はオーネット・コールマンすらレコード契約を失っていた時期で、プレスティッジの後にドルフィーに契約を申し出るレーベルはどこにもありませんでした。1962年はジョン・コルトレーンクインテットチャーリー・ミンガス・ジャズワークショップ、オリヴァー・ネルソン・オーケストラのかけ持ち、1963年~64年はミンガスのバンドに在籍しながら1963年に『アイアン・マン(Iron Man)』『カンヴァセーション』をアラン・ダグラス・プロダクション(後にローリング・ストーンズジョン・レノン、没後発表のジミ・ヘンドリックス音源の版権・経理主任で悪名高いアラン・ダグラスと同一人物)に、1964年2月にブルー・ノート契約第1作『アウト・トゥ・ランチ(Out To Lunch)』を録音して、4月に1か月間のミンガス・セクステットのヨーロッパ・ツアーがあり、ドルフィーとしては夏に『アウト・トゥ・ランチ』が発売されてから帰国するつもりでミンガス・セクステットのツアー終了後もヨーロッパを単身巡業していました。帰国しても仕事の予定がなかったからですが、コルトレーンクインテットとの1961年秋のツアーは単身巡業して無事に帰国できましたが、今回は持病の糖尿病が悪化していて、ミンガスのバンドのツアー中からミンガスらメンバーからも体調を心配されていたほどでした。

 結局ドルフィーは、起死回生のアルバムになるはずだった『アウト・トゥ・ランチ』発表前の6月末に単身巡業中のベルリンで糖尿病の急性症状から急死してしまいますが(36歳の誕生日を迎えたばかりでした)、遺作『アウト・トゥ・ランチ』は皮肉にも一気にドルフィーの評価を高め、それに便乗してアラン・ダグラス・プロダクションが未発売のまま握っていた2作(うち『カンヴァセーション』はドルフィー生前の1963年にテスト・プレスのみが確認されていますが)や、やはりプレスティッジが未発売のまま握り潰していたアルバムが次々に発売されることになりました。プレスティッジもダグラス・プロも広告費をケチっていたので、ドルフィーがブルー・ノートほど注目されるレーベルから話題作を出すまで発売の機会を待っていたので、こういうやり方は零細企業の経営としては正しいかもしれませんが、アーティストとしてはたまったものではないでしょう。23歳で腎臓病の悪化で夭逝したブッカー・リトルはまだしもマックス・ローチクインテットのメンバー、およびソロ・アーティストとして急逝直前まで安定した環境にあり、ドルフィーのように握り潰されていたリーダー作といえばドルフィー&リトル・クインテットのライヴくらいでした。

 さて、『Vol. 2』はA面がリトルのオリジナルでスリリングな疾走曲、B面がスタンダードのミドル・テンポのバラードで、ドルフィーはA面ではバスクラリネット、B面ではフルートを吹いています。ブッカー・リトルのリーダー作は、ドルフィーとの共同リーダー作を除けば『ブッカー・リトル4+マックス・ローチ(Booker Little 4 + Max Roach)』『ブッカー・リトル(Booker Little)』『アウト・フロント(Out Front)』(ドルフィー参加)、そして『ブッカー・リトル&フレンズ(Booker Little & Friends)』の4枚があり、どれも評価が高いアルバムですが(ドルフィーの傑作『ファー・クライ』にも参加しています)、マックス・ローチクインテットやスタジオ録音作での端正で切れの良いプレイとは一変して、ファイヴ・スポットのライヴではミストーンやスケール・アウトを意に解さない演奏が聴けます。木管楽器の場合はピッチもフレージングにも自由度が高く、ドルフィーの場合は極端でしゃべり声や鳴き声のような演奏もおかしくありませんが、金管楽器がそれをして、しかも本来抜群のテクニシャンならどうなるかがファイブ・スポットでのライヴのリトルです。ここでのリトルの演奏はドルフィーがマイペースな分だけ際どいところで吹いているように聴こえます。また「アグレッション」も「ライク・サムワン・イン・ラヴ」もテーマ吹奏はリトルが担当していてドルフィーは許容度ぎりぎりの奔放なアンサンブルとやりたい放題のソロを担っており、マル・ウォルドロンのピアノが楽器の不調(調律が怪しく、音が割れています)ばかりではない、曲をこなしきれていない危なっかしいプレイのためリズム・セクションがドルフィーに対応しきれず、『Vol. 1』の奇蹟のような3曲の出来に較べるとリハーサル段階のような(ドルフィーの生前発表だったら短縮編集されていたような)演奏です。

 しかしそれも2週間だけの期間限定バンドだったからの限界で、9曲中3曲が空前絶後の名演だっただけでもこのライヴは伝説的な価値を誇ります。また、マル・ウォルドロンのような不器用なピアニストだったからこそ『Vol. 1』収録3曲の名演が生まれ、それ以外は危なっかしいとしても一夜のライヴならではのジャズの醍醐味を、いまいちな出来の曲からも楽しめるとも言えるので、本作以下のファイブ・スポットの残り曲は出来の悪い子ならではのような愛らしさがあります。「ライク・サムワン・イン・ラヴ」などサラ・ヴォーンのサイドマンだったベースのデイヴィスはともかく、他のメンバー(特にマル・ウォルドロン)には不向きな曲をあえて演って見事に粉砕した観があります。そうした意味でもこれはこれで、こちらが先に発売されていたとしても全録音の発表が待たれるだけの一夜の伝説の片鱗になったとも思える、ひっそりと宝物の聴きたいアルバムです。

(旧稿を改題・手直ししました)