人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

The Jimmy Giuffre 3 - Hollywood & Newport 1957-1958 (Fresh Sound, 1992)

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The Jimmy Giuffre 3 - Hollywood & Newport 1957-1958 (Fresh Sound, 1992) Full Album : https://youtu.be/d60QUwAPSBI
Recorded Various Occasions.
Released Fresh Sound Records FSCD-1026, Spain, 1992
All tunes written by Jimmy Giuffre, except "Waltz" by Bob Brookmeyer.
(Hollywood, January 7, 1957)
1. Gotta Dance - 2:15
2. Four Brothers - 2:36
3. Two Kinds Of Blues - 4:40
(Hollywood, October 27, 1958)
4. Pony Express (Western Suite) - 5:25
5. Down Home - 5:30
(Newport, July 4, 1958)
6. The Lonely Time - 3:16
7. That's The Way It Is - 5:28
8. Waltz - 3:42
9. Pony Express (Western Suite) - 3:16
10. The Train And The River - 4:36
(Notes)
Tracks 1-5 recorded live at Stars of Jazz KABC TV show.
Tracks 6-10 recorded live at the Newport Jazz Festival.
[ Personnel ]
Jimmy Giuffre - clarinet, tenor & baritone saxophone (all tunes)
Jim Hall - guitar (all tunes)
Ralph Pena - bass (1-3)
Bob Brookmeyer - valve trombone (all tunes), piano (8 only)

 1958年のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルの記録映画『真夏の夜のジャズ』(監督=バート・スターン)は1時間半の尺数に物足りなさはあるが、フェスティヴァルのハイライト部分を鋭い感覚で美しく切り取っており、音楽ドキュメンタリーの古典であるばかりか、映像からジャズを知りたいリスナーには格好の作品でもある。簡潔さも美点になっているから良しとすれば、唯一難があるのは黒人ジャズの比率の少なさになるだろう。だが当時黒人ジャズの主流だったハード・バップ、ファンキー・ジャズは特にマニア対象ではない白人観客向けのジャズ・フェスティヴァルではお呼びでなかったということでもある(逆にヨーロッパ諸国では最新の黒人ジャズが歓迎されていた)。
 この映画の冒頭のタイトルバックに使われたのがジミー・ジュフリー3のステージで、曲は『ザ・トレイン・アンド・ザ・リヴァー』。この曲の初出は1957年のアルバム『ジミー・ジュフリー3』で録音は56年、ジミー・ジュフリー(1921~2008)がチコ・ハミルトン・トリオやハンプトン・ホウズ・カルテットで名を上げたギタリスト、ジム・ホール(1930~2013)をロサンゼルスから呼び寄せて結成したトリオの第1作だが、たちまちこの曲はトリオの代表曲になった。『ジミー・ジュフリー3』ではボブ・ブルックマイヤー(ヴァルヴ・トロンボーン、1929~2011)の参加が間に合わずラルフ・ペーナ(ベース)を入れたトリオだったが、当初からジュフリーの構想はクラリネット&テナー/バリトンサックス、ヴァルヴ・トロンボーン、ギターという草始期(1920年代以前)にわずかな先例がある程度の、この編成でいったい何ができるのか予想もつかないものだった。

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 (Original Fresh Sound "Hollywood and Newport 1957-1959" CD Liner Cover)
 そして1964年8月、20歳になったばかりのレイ・デイヴィス率いるキンクスは3枚目のシングル『ユー・リアリー・ガット・ミー』で初チャート・インばかりか全英1位、全米7位の大ヒットを飛ばす。この曲はレイ・デイヴィスがフランス旅行中に観た『真夏の夜のジャズ』の、他でもない『ザ・トレイン・アンド・ザ・リヴァー』のリフから思いついたオリジナル曲だった。『ユー・リアリー・ガット・ミー』はハード・ロック・クラシックとなり、ロック史上初のヘヴィ・メタル曲として絶大な影響力を誇る曲になる。ジミー・ジュフリーの意図しないところでジミー・ジュフリー3の音楽は意外な影響源になったのだが、ジュフリー自身はジャズ史上レギュラー・トリオとしては他に例を見ないジミー・ジュフリー3に、どういうコンセプトを持っていたのだろうか。
 アルトサックス、トロンボーン、ギターという編成はジョン・ゾーンがアルバム『ニュース・フォー・ルル』1988で再現し(ジョージ・ルイス=トロンボーンビル・フリゼール=ギター)、大きな反響を呼んだことがある。この変則編成で『ニュース・フォー・ルル』がやったのは、ケニー・ドーハムソニー・クラークアメリカ本国では忘れられているがヨーロッパ諸国や日本では根強い人気のある、ハード・バップのジャズマンのオリジナル曲の再解釈だった。ビル・フリゼールの変幻自在のギターはジム・ホールの奏法を正統に受け継いだもので、素晴らしい出来のアルバムだが、ジミー・ジュフリー3と共通する音楽性はない。

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 (Original Atlantic "Jimmy Giuffre 3" LP Front Cover)
 ジミー・ジュフリーは白人ビッグバンドの雄、ウッディ・ハーマン・オーケストラ出身で、ハーマン・オーケストラはいち早くビ・バップを取り入れ団員の個人活動にも寛容であり、多くの優れたソロイストを送り出した。ジュフリーはサックス・セクションのメンバー以外にもオリジナル曲の作曲や編曲を任され、ハーマン・オーケストラのテーマ『フォー・ブラザース』はサックス・セクション団員のスタン・ゲッツズート・シムズ、サージ・チャロフ、アル・コーンのために書かれ、ハーマン・オーケストラはフォー・ブラザース・サウンドで名を高めることにもなった。
 フリーランスになってからはロサンゼルスのウェスト・サウンドの立役者となり、1955年に初リーダー作『ジミー・ジュフリー』をキャピトルから発表する。続く『タンジェント・イン・ジャズ』1955は実験的アルバムで、1956年アトランティック・レーベル移籍第1作は『ザ・ジミー・ジュフリー・クラリネット』とタイトル通りにクラリネットに徹したアルバムだったが、アトランティック第2作からジミー・ジュフリー3をレギュラー・トリオに、特別企画アルバムを挟みながら、レーベル移籍して、1962年の一時引退作(復帰は1973年になる)まで活動した。初リーダー作から1962年までの、後年の発掘アルバムを除いたアルバム・リストを上げる。ジミー・ジュフリー3としてのアルバムは*とアンダーラインをつけた。

[ Jimmy Giuffre Discography 1955-1962 ]
01) 1955: Jimmy Giuffre (Capitol) Various quartet to octet featuring Giuffre (clarinet, tenor and baritone saxophone)
02) 1955: Tangents in Jazz (Capitol) Giuffre, Jack Sheldon (trumpet), Ralph Pena (bass) and Artie Anton (drums)
03) 1956: The Jimmy Giuffre Clarinet (Atlantic) large ensemble featuring Giuffre (clarinet only)
04) 1956: Modern Jazz Quartet - The Modern Jazz Quartet at Music Inn with Jimmy Giuffre (Atlantic) Giuffre (clarinet) arrenged and appeard 3 tunes only.
05) 1956: *The Jimmy Giuffre 3 (Atlantic) Giuffre (clarinet, tenor & baritone saxes), Hall (guitar) and Pena (bass)
06) 1958: The Music Man (Atlantic) Tentet playing musical songs.
07) 1958: *Trav'lin' Light (Atlantic) Giuffre, Brookmeyer (valve trombone, occasional piano) and Hall
08) 1958: *The Four Brothers Sound (Atlantic) same as above
09) 1958: *Western Suite (Atlantic) same as above
10) 1959: Ad Lib (Verve) Quartet with Jimmy Rowles (piano), Red Mitchell (bass) and Lawrence Marable (drums)
11) 1959: *7 Pieces (Verve) Giuffre, Hall and Mitchell (bass)
12) 1959: Herb Ellis Meets Jimmy Giuffre (Verve) with Herb Ellis (Nonet featuring Ellis, guitar)
13) 1959: Lee Konitz Meets Jimmy Giuffre (Verve) with Lee Konitz (Octet featuring Konitz, alto saxophone)
14) 1959: *The Easy Way (Verve) Giuffre, Hall and Ray Brown (bass)
15) 1959: Piece for Clarinet and String Orchestra/Mobiles (Verve) with the Sudwestfunk Orchestra of Baden Baden (Strings Orchestra featuring Giuffre, clarinet only)
16) 1960: The Jimmy Giuffre Quartet in Person (Verve) Giuffre, Hall, Buell Neidlinger (bass) and Billy Osborne (drums)
17) 1961: *Fusion (Verve) Giuffre (clarinet only), Paul Bley (piano) and Steve Swallow (bass)
18) 1961: *Thesis (Verve) same as above
19) 1962: *Free Fall (Columbia) same as above

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 (Original Atlantic "Travelin' Light" LP Front Cover)
 1973年にジュフリーは復帰作『Music for People, Birds, Butterflies and Mosquitoes』を発表したが、70年代の作品はニュー・サイエンス思想に影響されたエキゾチックな瞑想音楽風のもので、80年代の『Quasar』などでは宇宙神秘主義のようなものに広がり、ポール・ブレイ、スティーヴ・スワロウとの再会セッションの連作『Fly Away Little Bird』1992、『Conversations with a Goose』1996(遺作)では大自然の摂理に再び想いを馳せている。ブレイ、スワロウとの三部作『フュージョン』『テーゼ』『フリー・フォール』1961~62は、50年代ジャズをMJQやチャールズ・ミンガスとともに、しかも白人ジャズマンとしてリードしてきたジュフリーの、フリージャズへの回答だった。故・相倉久人氏(2015年7月逝去)の『モダン・ジャズ鑑賞』1964は50年代後半から雑誌発表された時評を集めたものだが、ジミー・ジュフリーのアメリカ本国でのジャズ界での地位は50年代後半~60年前後には不動の権威と見なされていたことが記述されている。
 実際初リーダー作発表の1955年から一時引退する1962年までの満8年、アレンジャーだけでも毎年数枚の依頼をこなしながら、自己名義のアルバムをキャピトル~アトランティック~ヴァーヴ~コロンビアと、一貫して一流レーベルとの契約を保ちながら20枚近く制作している。19枚中ジミー・ジュフリー3のアルバムが9枚、ジム・ホールとの最後の共演になった1960年のライヴもベースとドラムスを入れたカルテットとはいえ、コンセプトはホールとのトリオを継承していただろう。リストにしてみたら本当にトリオ作品と企画アルバムが半々だったのには感心した。ジュフリー自身がバランス良く、トリオ作品と交互に多彩な作品を発表するようにしていたのだろう。

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 (Original Atlantic "Western Suite" LP Front Cover)
 ただしブレイ、スワロウとのトリオによる三部作は脇目もふらずに打ち込んだ連作だったと思われる。まず楽器をクラリネット1本に絞ったばかりか、サブトーン混じりの肉声的な伝統的なジャズならではの奏法は封じて、純粋にクラシック由来の奏法に徹した。オリジナル曲は無調を基本とし、現代室内楽的な、具体的にはチェロかヴァイオリンでも入れればオリヴィエ・メシアンの『世の終わりのための四重奏曲』になってしまうような種類のシリアス寄りの音楽になった。フリージャズがインプロヴィゼーションで行っていることを作曲によって行っている。聴いていて楽しくもないし、メシアンのように抽象性から美しさや情感が生まれてくる域には達していない。
 パット・メセニーのジャズはジャズの伝統からは偽物のジャズだが、メロディや和声のセンスにトラディショナルな雰囲気があるのは、現実には存在しなかった虚構のフォークロアのようなものが感覚の下地にあるのが一貫しているからで、キース・ジャレットの偽物性もメセニーと共通している。キース・ジャレットパット・メセニーの先駆的ジャズマンだったのがジム・ホールとのトリオ時代のジミー・ジュフリー3の音楽だったのではないか。ジミー・ジュフリー3のジャズは素朴な民謡性を感じさせるが、本当にそんな民謡が存在していたかというと音楽が感じさせる錯覚にすぎない。

 サン・ラが土星の音楽をやっている、とうそぶくようにはジュフリーは自分の音楽にレッテルは貼らなかったが、『ニュース・フォー・ルル』がジュフリー3とハード・バップへのオマージュを同時にやったのは、そのどちらもが実は不安定な虚構のリアリティに立脚するものという指摘だったのではないか。『フュージョン』『テーゼ』『フリー・フォール』の三部作が性急に現代音楽とフリージャズを接近させる試みだったのは、ジム・ホールとのトリオでやってきたフォーク・ジャズの成果にジュフリー自身は限界を自覚していて、フリージャズへの回答も現代音楽との融合という発想以外なく、長期的に熟成させるよりも早急にアイディアを完結させたかったからではないか。
 ジュフリー自身による『フリー・フォール』のライナー・ノーツは、チャーリー・パーカーセロニアス・モンクへの賛美、ジャズへの献身の誓い、オーネット・コールマンへの賛美、とほとんど狂信的祈祷文が綴られており、このアルバムを最後に10年あまりの一時引退時期があり、復帰後はジャズによる各種神秘主義の表現へと向かってしまうことを思うと、ジュフリーほどの輝かしい才能を数々のアルバムで聴かせてくれたジャズマンが、晩年の10年間はパーキンソン病で復帰不可能だったことも併せて痛ましい思いがする。だがジミー・ジュフリー3全盛期のアルバム『ジミー・ジュフリー3』『トラヴェリン・ライト』『ウェスタ組曲』などは発表後60年経った現在も聴かれているし、1955年~1962年のジュフリーのアルバムはほぼ全作品がCD再発されている(かえって復帰後のアルバムはインディーズのため廃盤のままが多い)。キース・ジャレットパット・メセニーほど器用ではなかったかもしれないが、白人ジャズの偽物性に最初に徹底した人として、ジュフリーはジャズの方法論の歴史的開拓者たる資格があるだろう。