人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

冬になればウドン!

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 冬といえばそばももちろん美味しいが、やっぱりうどんを食べる頻度が増すように思える。栄養価的なバランスはそばの優位は圧倒的なのだが、うどんのああ食ったなあ、という素朴な満足感には及ばない。うどんは煮込んでよし、しかも延びにくい利点もある。鍋焼きそばだってできないことはなかろうが、すぐ食べないとポロポロになってしまうだろう。汁そば、汁うどんにきつねやたぬき、わかめの具を乗せてもそれなりだが、鍋焼きとなると立派な一品料理のような気がする。

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 うどんというと、日本の現代詩(とはいえ90年前だが)にこんな鮮烈な詩がある。作者は萩原朔太郎(1886~1942)と同郷(群馬県)・同姓で交流が深かったが、血液関係はない。朔太郎がもっとも高く評価した後進詩人のひとりだったが、第一詩集刊行後から常に司直に監視される詩人となり、不遇な詩歴を送った。

萩原恭次郎(1899~1938)
 長い髪によごれたリボン
      結んであそぶ彼の女
  (詩集『死刑宣告』1925所収)

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長い髪によごれたリボンを結んであそんだ彼の女は/夜になると部屋にくらく坐つたま、、動かない/疲れた心臟の尖端をヂョキヂョキ鋏で切りはぢめる/----ウドンを買つて來て食べよう/----また心をはさみ切つてはいけない
昨日はアルコールにふくれた蛙が死んだよ/今日は僞瞞にみちた小さな腦膸の蛙が死んだよ/どつちもざまの惡い骸骨となつた/何もない胃をがりがり食ひ破る鼠も死んだ/----絶海には/  白いペンギン鳥が糞だらけになつて死んでゐる
飢餓は齒をくろくよごしてゐる/私は葱を噛んで晩飯にしても寢られる/煙突のやうに無愛想につつ立つたま、、でも平氣だ/私はすでに私のためには苦しまないが/ヂョキ ヂョキ ヂョキ……………………/そんな顏をしないで/疲勞の頂點できり、、、、まはつてゐる心臟をねむらせろ/----ウドンを買つて來て食べよう/----夏ミカンを買つて來て食べよう

 この詩を読んで以来、うどんというとこの、
----ウドンを買つて來て食べよう」というのが心から離れない。現行のDTP文字に慣れているとなおさらだろうし、最初読んだ時は文学全集の現代詩の巻で写植印刷だったと思うが、オフセット製版の初版本復刻で入手すると、オフセットの復刻本にすぎないとはいえ、大正14年活版印刷の迫力はすごい。この詩集は高橋新吉(1901~1987)の『ダダイスト新吉の詩』1923と並ぶ日本現代詩のアヴァンギャルドの記念碑で、タイポグラフィの実験でも知られる。ゴシック体や罫線の効果に注目。
 町田町蔵氏が町田康氏に改名し、音楽より文筆で注目され始めた頃、町田氏の対談の原稿作成ライターでご一緒したことがある。町田氏の著作は(雑誌への執筆は増えていたが)まだ詩集1冊だった。その中に「うどん妻」という題の1編があり、詩集は高橋新吉萩原恭次郎の流れをくんだもので、図書館通いが趣味というのもエッセイで読んでいた。町田氏のデビュー作、INUの『メシ食うな』が発表されてよく聴いていたのは高校生の頃だった。対談の仕事では今回の仕事の手順を打ち合わせる以外の雑談は一切しなかったが、実は町田さんの音楽はそんな具合に聴いていて、『ダダイスト新吉の詩』と『死刑宣告』の復刻本をお礼に差し上げたいとかばんに忍ばせていたのだ。だが仕事の段取りからしてビジネスライクに進める雰囲気を出ず、私事で町田さんにプレゼントをお渡しするのは明らかに場違いだった。
 町田さんは穏やかな紳士だったが(しかし礼儀正しいだけに、無礼な相手には容赦ないという評判もうなずけた)プロのライターは取材相手には保つべき距離があり、喜んで受け取ってくださったとは思うが『ダダイスト新吉の詩』や『死刑宣告』の復刻本を差し上げるのは過剰な行為で、持っていったものの持ち帰っただけ、町田さんの詩集『供花(くうげ)』を持参してサインをいただく、なんてことも当然しなかった。1990年頃のことで、現在では町田氏は小説家として現代日本文学の巨匠の盛名も揺るぎないのはご存知の通りになる。
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 つまらないライター時代(もう25年も前の話だ)はここまでで、焼きうどんも手軽でおいしい。3食100円の袋麺ひと玉、キャベツ1葉、ウィンナー2本で一応料理らしいものができる。上に載せたのは中濃ウースター・ソースで仕上げたもので、では具材は同じでしょうゆと塩・胡椒で調理してみるとどうなるか。

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 ソース焼きうどんに較べて麺に粘りがなく、皿に広がっているのがおわかりいただけると思う。ソースは麺の表面に絡むが、しょうゆは浸透するまで炒めなければならないので、炒めるのと煮込むのの中間くらいになってしまう。麺を蒸らしてほぐすのに20~30c.c.ほどの水は注ぐし、そうするとひたひたの水量で煮るのと変わらないのだ。これでもちゃんと味は沁みているのだが、色あいからしてソース焼きうどんとは全然薄い。まあ味の方もしょうゆと塩・胡椒なのであっさりしているのがしょうゆ焼きうどんの良さで、炒め時間も倍かけている分だけ麺の芯まで火が通ってやわらかい。
 あとはトッピングだが、練りからしと酢くらいは常備しているが、青のりやかつおぶし、紅しょうがはひとり暮らしの男は買っても賞味期限内に食べ切れないから諦めている。これに青のり、かつおぶしをまぶし、紅しょうがを添えられたら、と無駄に欲張りはしないことにする。あ、でも練りからしにマヨネーズを合わせる手はあるな。焼きそばには合うのは試してみたが、焼きうどんでも似たようなものか。ただしやっぱりマヨネーズを和えるならソース焼きうどんだろうな。とにかく、食材コストが1食50円程度でこれほど嬉しい自炊食はない。なにより簡単だし、まずしくじらないし。