人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Amon Duul II - Yeti (Liberty, 1970)

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Amon Duul II - Yeti (Liberty, 1970) Full Album : https://youtu.be/FnVT86eQlas
Released; Liberty Records LBS 83359.60, 1970
All songs by Amon Duul II, except where noted
(Side A)
1. Soap Shop Rock - 13:47
 a. Burning Sister - 3:41
 b. Halluzination Guillotine - 3:05
 c. Gulp a Sonata - 0:45
 d. Flesh-Coloured Anti-Aircraft Alarm - 5:53
2. She Came Through the Chimney , 3:01
(Side B)
1. Archangels Thunderbird (Amon Duul II, Sigfried Loch) - 3:33
2. Cerberus - 4:21
3. The Return of Rubezahl - 1:41
4. Eye-Shaking King - 5:40
5. Pale Gallery - 2:16
(Side C)
1. Yeti (Improvisation) - 18:12
(Side D)
1. Yeti Talks to Yogi (Improvisation) - 6:18
2. Sandoz in the Rain (Improvisation) - 9:00
[ Personnel ]
Renate Knaup - vocals, tambourine
John Weinzierl - guitar, 12 string guitar, vocals
Chris Karrer - violin, guitar, 12 string guitar, vocals
Falk Rogner - organ
Dave Anderson - bass
Peter Leopold - drums
Christian "Shrat" Thierfeld - bongos, vocals
(Guests on "Sandoz in the Rain")
Rainer Bauer (from Amon Duul I) - guitar, vocals
Ulrich Leopold (from Amon Duul I) - bass
Thomas Keyserling (also recorded with Tangerine Dream) - flute

 やー、カンも前回で全アルバム紹介終わったしな、と気づいてみると、強調すべき点を指摘し忘れたことに思い当たった。カンの前にはフランスの70年代ロックの主だったところをご紹介している。カトリーヌ・リベロ+アルプ、ゴング、マグマらのデビュー作が1969年~70年でカンやタンジェリン・ドリームらと同年だが、フランス特有のスタイルのロックは1972年にデビュー作を発表したアンジュまで待たなければならないだろう。イタリアでも1970年前後にデビュー作を発表したバンドは多いが、作品的には72年~73年がピークになる。それに較べてドイツでは70年前後のデビュー作ですでにオリジナリティを確立しているバンドが多い。もっとも70年代のユーロ・ロックは1974年のオイル・ショックによる打撃が深刻で、イタリアではほとんどのバンドが解散に追い込まれ、残ったバンドもポップス化を余儀なくされた。ドイツではそれほど過酷ではなかったがやはりポップス化への変化があった。フランスは出足が遅かった分、ドイツやイタリアでは70年代前半に起こった動きが70年代後半に持ち越された感じで、ピュルサーやアトールなど英独伊なら70年代初頭スタイルの有力バンドのデビューが75年までかかっている(それも80年代には一斉に壊滅状態に陥るが)。
 ドイツのロックがフランスはもちろんイタリアのロックよりも早く独自のスタイルを築いた背景には、フランスのシャンソン、イタリアのカンツォーネのようにアーティスト性と大衆性の両立した既成のポピュラー音楽が欠けていたから、とも言えるかもしれない。イタリアやフランスのロックはカンツォーネシャンソンを取り込み、反発しながら数年がかりでオリジナリティのあるスタイルにたどり着いたが、ドイツでは自国のポピュラー音楽を土台として独自のロックを作る、という発想はほとんどなかった。もちろんドイツはイタリアやフランスと並ぶ音楽国だが、こと大衆音楽となると歴史的・地域的な分断があまりに多く繰り返されてきたため、むしろアカデミックな実験音楽の方が青年層には好まれているような状況にあり、カンやタンジェリン・ドリームクラフトワークらはアカデミズムの中から出てきた反アカデミズムの実験ロックだった。しかもポピュラー音楽として成功した例になった。グル・グルクラスター、ノイ!、クラウス・シュルツェなともそうなる。ではアモン・デュールIIはどうか。
  (Original Liberty "Yeti" LP Gatefold Inner Cover)

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 アモン・デュールIIはもともとヒッピーのコミューンでたまたま音楽をやろうということになり、プロ・ミュージシャン志向のないメンバーはアモン・デュール名義でアルバム『Psychedelic Underground』1969を制作して解散した。メンバーは一部重なるが、プロ・ミュージシャン志向のメンバーはアモン・デュールII名義で傑作デビュー作『Phallus Dei』1969(邦題『神の鞭』)を発表し、70年と71年にはどちらもLP2枚組の大作『Yeti』(邦題『地獄』)、『Tanz Der Lemminge』(邦題『野ネズミの踊り』)を発表、72年の第5作『Wolf City』(邦題『狼の町』)まではどのアルバムも良い。『Yeti』までのメンバーと以後のメンバーにも異動があり、70年代中盤以降はリーダーの交替が滅茶苦茶になって活動停止、さらに80年代は元イギリス人メンバーのデイヴ・アンダーソンだけでアモン・デュール名義でアルバムを連発し(通称Amon Duul U.K.)、90年代から現在までは『Wolf City』頃のメンバーで活動している。パンクスが敵視したよりヒッピーはもっとずっと処世にしたたかだった、と言うべきか。
 IIではないアモン・デュールの方は『Psychedelic Underground』セッションの残りテープから『Collapsing/Singv??gel R??ckw??rts & Co.』1969(邦題『崩壊』)が出た後、一部のメンバーが残って陰鬱なアシッド・フォーク作品の名作『Paradiesw??rts D????l』1970(邦題『楽園に向かうデュール』)を発表して消息を断ち、『Psychedelic Underground』セッションの残りテープからはさらにLP2枚組アルバム2組、『Disaster』 1972と『Experimente』1983が思い出したように発売日されたが、現在IIではないアモン・デュールの方の版権もアモン・デュールIIが権利を取得・管理しており、ヒッピーなのにビジネスは几帳面なのがパンクスにはとうてい真似できないところだ。もっともデュールにしても70年代中盤以降はマネジメントに搾取されたり、80年代には好き勝手に再発売されたり編集盤を出されたり、と散々な目にあってきているので、90年代に全盛期メンバーで再結成した時には過去のアルバムも含めてバンド自身が全権を握る体制を固めたらしい。
    (Original Liberty "Yeti" LP Liner Cover)

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 以前に『Psychedelic Underground』の方のデュールは全アルバム、またデュールIIの方は『Phallus Dei』をご紹介した覚えがあるが、どんなことを書いたかまでは忘れてしまったので繰り返しになっているかもしれない。私事ではあるが、初めて買ったドイツのロックのアルバムはカンの『Cannibalism』で、次に『Soundtracks』を買い、アメリカ盤の『Phallus Dei』を中古で見つけて、ドイツのバンドではカンとアモン・デュールIIを初期作品から揃えていった。『Phallus Dei』のインパクトはカンとも異なるものだった。ヒッピー・コミューンから生まれたバンドにはファウストアシュ・ラ・テンペルがいるが、ファウストは醒めた音楽でカンに近く、肉体性を排除して抽象性の高い音楽を作った分だけダイレクトな魅力に乏しい。アシュ・ラ・テンペルは一見グル・グルに似たイケイケのギター・バンドだがこちらはファウストとは逆で、グル・グルのような醒めたイケイケではなく、メンバーの若さからか音楽に溺れている分焦点がボケている。
 アモン・デュールIIはその点底なしのヘヴィ・サイケでありながら造型と構成力に長け、英米サイケデリック・ロックがやらなかったし出来なかった方向に見事に突き抜けていた。イギリスでは当時ピンク・フロイドだけがライヴではアモン・デュールIIと競合するようなヘヴィ・サイケを演奏しており、1970年にデビュー作を出したホークウィンドがピンク・フロイド影響下のサウンドを出していたが、ホークウィンドが本格的にヘヴィ・サイケ化するのは第2作『In Search of Space』1971でベースに『Yeti』を最後に脱退したデイヴ・アンダーソンを迎えてスタイルを完成し、第3作『Doremi Fasol Latido』でさらにベースが泣く子も黙る凄腕のレミーに替わって第1次黄金時代に突入してからになる。ラウドでヘヴィなギター・サイケといえばブルー・チアーにMC5、ハイ・タイドだが、何だかんだ言ってジミ・ヘンドリックスという超人がいて、音楽的にジミは越えられないとしても、本質的には健康だったジミの音楽にはない反社会性を、病的な狂気や破壊的な暴力性を通して描くことはできる。サンフランシスコ・サイケのバンドとアモン・デュールII、ホークウィンドらの違いはそこだった。
    (Original Liberty "Yeti" LP Side 1 Label)

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 アモン・デュールIIの前記作はどれも優れたアルバムだが、『Phallus Dei』『Yeti』『Tanz Der Lemminge』『Wolf City』ではヘヴィ・サイケの前2作、プログレッシヴ・ロックの後2作と2分できる(『Tanz~』と『Wolf City』の間に『Carnival in Babylon』があるが、2枚組大作2作の後だけにやや見劣りし、その分『Wolf City』で挽回する)。女性ヴォーカルのレナーテ・クラウプが一時脱退していた『Lemminge』は後回しとしても『Phallus Dei』『Yeti』『Wolf City』ならどれもいいし、この3枚はアモン・デュールIIの金字塔としと必聴といえるものだろう。だがカンのもっともヘヴィなアルバム『Tago Mago』が突出しているように、デュールでは『Yeti』の存在感が際立っている、といえるかもしれない。『Yeti』には前後の『Phallus Dei』と『Tanz Der Lemminge』の両方の要素が渾然一体となっている。
 アルバムはださい変拍子のギターのコード・カッティングの「Soap Shop Rock」から始まるが、タイトルが英語だから英語で歌っていると思われる男性ヴォーカルがヨレヨレでまったく聴きとれない。ギターも何本鳴っているのかカオスのようなサウンドで、組曲形式のパートbに移ると女性ヴォーカルが出てくるがやはり中性的な声質で、男女2人のヴォーカルがどちらも破壊的に下手、という凄まじいバンドなのがわかる。A面は短いインスト曲で終わり、B面はアモン・デュールIIといえばこの曲、「Archangel Thunderbird」(邦題「天使の雷鳥」)で、70年代クラウトロックで屈指のかっこいいヘヴィ・ロック・ナンバーだろう。これはこの後ホークウィンドに移るベースのデイヴ・アンダーソンのアイディアが大きいと思われる。ベースとドラムスが6/4拍子をキープするビートに別々のリフを刻む2本のギターが乗り、レナーテ姫がかん高いソロ・ヴォーカルでデュールの曲には珍しくメロディらしいメロディを歌うが、リズム・ブレイクから戻るところでドラムスのフィル・インにギターもベースも転けてしまうのだ。そこらへんがカンやグル・グルのように高い演奏力を持たない、ヒッピー・バンドの弱点だが、中近東調のB2、さらに短いインスト曲をイントロにした「Eye-Shaking King」(邦題「目玉のぶるぶる震える王様」)のズブズブのアシッド感は追従を許さない。
    (Original Liberty "Yeti" LP Side 3 Label)

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 デビュー作『Phallus Dei』がA面1曲の大作、B面は小曲集だった(アメリカ盤はAB面逆)のはカンも同じ構成を得意としていたが、『Yeti』では2枚組LPのディスク1を曲集、ディスク2をAB面通しのインプロヴィゼーションでまとめている。実際はディスク1もA面は「Soap Shop Rock」組曲、B面は「Archangel Thunderbird」と「Eye-Shaking King」を中心にしたトータルな構成で、『Phallus Dei』よりも格段にアイディアが多彩かつ巧妙なアルバム作りになっている。C面全面とD面前半分がアルバム・タイトル曲「Yeti」で、ヴォーカル・インプロヴィゼーションも入る、前作のタイトル曲「Phallus Dei」と比較するとタイトル曲対決では「Phallus Dei」のパワー勝ちかな、と思わせられるが、「Soap Shop Rock」同様かなり編集された形跡があり、インプロヴィゼーションの中でメディテーショナルな部分をピックアップしてD面の「Yeti Talks to Yogi」に移した、と思われる。LPで聴いていた時はレコードを裏返していたから気がつかなかったが、CDで聴くと「Yeti Talks to Yogi」は実際はC面の「Yeti」の中間部で発生した(即興演奏ですから)パートに聴こえる。LPでは片面20分前後の制約からこれでいいが、CDでは「Yeti」全体の中に「Yeti Talks to Yogi」が入る方がインプロヴィゼーションの流れが自然に聴こえる。近年のリマスターで『Phallus Dei』や『Wolf City』には未発表曲も追加されているくらいだから編集前のオリジナル録音も残っているかもしれないが、45年前のアルバムを今さら改竄するのも後出しジャンケンみたいだから仕方あるまい。
 アルバム最終曲「Sandoz in the Rain」はカン『Tago Mago』の最終曲「Bring Me Coffee or Tea」を思わせる陰鬱なアシッド・フォークで、『Psychedelic Underground』の方のアモン・デュールからR.バウアーとU.レオポルド、さらに初期タンジェリン・ドリームの準メンバーのT.キーゼルリングが加わって、ほとんどバウアーとレオポルドだけで制作された、『Yeti』と同年のアモン・デュール最終作『Paradisewarts Duul』と同じ音楽をやっている。インプロヴィゼーションというほどのものではないが、『Paradisewarts Duul』ではオリジナル・デュールのメンバーは(デュールIIとのかけ持ちメンバー以外)バウアーとレオポルドしか残っておらず、その2人もこれを最後に消息を断つことを思うと、デュールIIには狂気や暴力性はあったが虚無感はないのに気づく。「Sandoz in the Rain」はデュールIIのアルバムにオリジナル・デュールが紛れ込んだ曲だが、この曲が『Yeti』に狂気や暴力性だけではない深みを与えているのは間違いない。