ジャムおじさんとバタコさんがいなくなった調理室の中は、喪の明けたような安らかさが漂っていました。やりかけのまま放り出してあるパン種はじっくり時間の流れのままに醗酵してゆき、やがて酵母それ自体がみずからを分解しつくして、さらさらの灰へとたどりついていくでしょう。窓から差しこんだ光は誰の手もとも照らさず、部屋に闇が満ちても明かりを灯すひともおらず、そうして日差しと闇を交互にくり返しながら日づけのない月日が流れていくはずです。もう誰もこの部屋を訪ねてくることはなく、世界のすべての空腹を支えてきたほどのパンを焼いてきたかまどには二度と火は入らず、いつかここがパン工場だったのも忘れ去られていくでしょう。このパン工場をみなもととしてきた命のかずかずが役目を終え、小川にそよぐ水もすっかり澄みわたって、なにごともなかったかのように世界が始まる前の光景に戻っていくのをくい止められる手段はもう残されていないのかもしれません。
それは本来おれさまがやるべきことだったのだ、とばいきんまんはじたんだを踏みました、でなければ、これまでおれさまは何のために暴れまわり、お邪魔虫どもに妨害され、最後はいつも青空の彼方にバイバイキーン、とぶっ飛ばされてきたのかすら、ただの徒労にすぎなかったということになってしまうではないか。正義はいつも無責任だ、とばいきんまんは思いました。確かにばいきんまんには、そう思うだけの資格がありました。いつから自分がアンパンマンに勝ち目のない戦いを挑み続けてきたのかもばいきんまんにははっきりわからなくなっていましたが、毎週のように連敗記録を塗り替えてきたことは確実で、ばいきんまんはそのたびにアンパンマンとのきずなが深まっていき、もはや引き返せないほどの関係になっているのを感じていました。しかしそれも、もはや思い出のなかにしかありません。戦いは一方的に終わらされてしまったのです。
いまならこのいまいましいパン工場をぶち壊し、焼き払うこともできるのだ、とばいきんまんは思いました。そうすれば二度とアンパンマンは生まれ変わってこなくなる。だがジャムおじさんの野郎やバタコさんがが見捨てて行ったパン工場を今さら破壊したところで、おれさまには負け犬の遠吠えでしかないのは明らかだ。すべてはおれのひとり相撲だったとしても、おれはおれさまにしかできないことをしてきたのだ。もしそうでなければ……