人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(14)日本ビクター三大GS

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

今回は前回触れられなかったオックスも入れて「日本ビクター三大GS」と題してお送りする。掲載アルバムは、
ザ・ダイナマイツ「ヤングサウンドR&Bはこれだ」1968.4(画像1)
○ザ・モップスサイケデリックサウンド・イン・ジャパン」1968.4(画像2・4)
○「オックス・ファースト・アルバム」1968.12(画像3)
*
で、ビクターのGSは他にもあるがアルバムには至らなかった。ダイナマイツ、モップスもビクターでのアルバムはこれだけ、オックスも他にはライヴ盤1枚だけ、と日本ビクターはGSをレコードでは有効に活かさなかった。68年後半からブームが衰退、GS部門が冷遇されていたことにもよる。

当時を知る人が口を揃えて語るのが67年11月に同時リリースされたゴールデン・カップスの第二弾シングル『銀色のグラス』とダイナマイツ、モップスのデヴュー曲『トンネル天国』『朝まで待てない』の衝撃で、GSでもこんなロック・バンドがいる、という驚嘆だった。大物カップスは別格として、ダイナマイツ、モップスと並ぶ実力派グループはザ・ビーバーズだろう。モップスは移籍してバンドごと74年まで、ダイナマイツとビーバーズのメンバーは村八分、FTBなど様々なバンドを経て現在も現役で活動している。

ところが68年5月に『ガール・フレンド』でデヴューしたオックスはウケることにはなりふりかまわない、ルックスと音楽は完全なタイガース・フォロワーのヴィジュアル系グループだった。タイガースを生んだ大阪のクラブ「ナンバ一番」出身でいくつかのバンドからの選抜メンバーで結成された彼らは最初から「芸能界」を目標にした。レコード会社は若手No.1作曲家・筒見京平、GS作詞の第一人者・橋本淳という鉄壁の作家陣で連続ヒットを送り出した。

上京後デヴュー前のオックスは2DKに同居、ステージでは格闘や楽器破壊、対バンとのケンカから始まり、やがてオルガンの赤松愛がオルガンに登り転落して失神、他のメンバーも次々と失神、客席の1200人の少女ファンも失神、という凄まじいことになり、マスコミの糾弾からこの失神パフォーマンスは半年間で自粛となる。「テル・ミー/オックス・オン・ステージ」1969.3がステージの熱狂を伝える。その後オックスはシングル1枚ごとに人気を下降させながら71年5月に解散した。