人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(10)GSの貴公子ザ・タイガース

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GSについてよく知らない人にもザ・タイガースの名は知られている。特に興味のない人でも『シーサイド・バウンド』『君だけに愛を』『花の首飾り』等のヒット曲は耳にしたことがあるだろう。
このシリーズで筆者が参考文献にしているうち、イギリス人ジュリアン・コープはタイガースを「合唱団」と一蹴、黒沢進「日本ロック紀GS編」では10大GS、音楽誌「レコード・コレクターズ」の「特集グループ・サウンズのすべて」(99年4月)の主要30組の個別解説では1/4ページ枠が10組、1/2ページ枠が15組、1ページ枠が5組で、ベスト5というべき1ページ枠にはブルー・コメッツ、ザ・スパイダースザ・タイガースザ・ゴールデン・カップス、ザ・テンプターズの順で選出されている。主要GSだけで30組もいたのかと思うとくらくらするが、ベスト5は動かない。

だがタイガースの音楽はタイガースが作ったものではなかった。内田祐也に大阪でスカウトされ上京、渡辺プロに所属して以来、この学生バンドはブルー・コメッツを手掛けたフジテレビの音楽プロデューサーすぎやまこういち支配下に置かれた。コメッツのように自作・編曲できるメンバーもいない。ファースト・アルバムは洋楽カヴァー中心のライヴ盤になった(「ザ・タイガース・オン・ステージ」67.11)。
67年2月のデヴュー曲『僕のマリー』から68年3月の『銀河のロマンス』までの5枚のシングル(すべてすぎやま作品)は、初主演映画のサントラ、
○「世界はボクらを待っている」1968.5(画像1)
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に収録。そして、初のスタジオ録音アルバム、
○「ヒューマン・ルネッサンス」1968.11(画像2)
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は「ポンペイ最後の日」をテーマにした壮大なトータル・アルバムになった。この頃にはトッポ(加橋かつみ)の人気が沢田を脅かすようになり、69年3月に渡辺プロはツアー中に加橋を誘拐、強制脱退させる。岸部一徳の弟シローが加入するもGSブームの凋落には勝てず、活動も半端な映画出演、半端なアルバムと迷走気味になる。後期シングルは前作から2年後の、

○「ザ・タイガース・アゲイン」1970.9(画像3)
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収録。その後スタジオ第二作「自由と憧れと友情」70.12、ライヴ2作「サウンズ・イン・コロシアム」71.2「ザ・タイガース・フィナーレ」71.7を発表して解散。アルバムは今聴いても楽しめる、と肩を持ちたい。