ミッキー・カーチスと侍 Miki Curtis & Samurai - 河童 Kappa (Philips, 1971) Full Album : https://youtu.be/3AnYukCbS-g
Recorded January 12, 18, 19, 21 & 26, 1971, at Victor Studios, Tokyo
Released by Philips/日本フォノグラム Philips FX-8511, April 15, 1971
Produced by Miki Curtis, Samurai
(Side A)
1. トラウマ Trauma (Comp.by Tetsu Yamauchi/Words by John Redfern) - 10: 17
2. セイム・オールド・リーズン Same Old Reason (Comp.and Words by Joe Dunnett) - 2: 49
3. 誰だった Daredatta (Comp.and Words by Miki Curtis) - 3: 38
4. ヴィジョン・オブ・トゥモロウ Vision Of Tomorrow (Comp.and Words by John Redfern) - 3:51
(Side B)
1. キング・リフ・アンド・スノー・フレークス King Riff And Snow Flakes (Comp.and Words by Joe Dunnett) - 22:23
[ ミッキー・カーチスと侍 ]
ミッキー・カーチス Miki Curtis - flute, vocal
ジョー・ダネット Joe Dunnett - guitar
ジョン・レッドファーン John Redfern - organ
山内テツ Tetsu Yamauchi - bass
原田裕臣 Yujin Harada - drums
前回載せた『侍』1971.8は日本ではセカンド・アルバムとしてリリースされたが、実際は1970年2月にロンドン録音され同年春に西ドイツ(当時)のフォノグラム/フィリップス・レコード傘下のメトロノーム・レーベル(イギリス盤はフィリップス・レーベル)から2枚組LPで発売されていたものを1枚ものに選曲・再編集したものだった。割愛されたのは2曲・22分(8分・14分)だが、なぜCD化されても2曲カットの1LPヴァージョン(37分だから22分を復原しても収録時間に余裕はある)のリイシューばかりなのだろうか。ミッキー・カーチスと侍の初CD化は『ハード・ロック創世記~二人の首領(ドン)』と題してフラワー・トラヴェリン・バンド(内田裕也プロデュース)の『エニウェア』全と『河童』A面という不憫なものだったのに較べればましだが、『河童』は2007年にようやく単体CD化された。『河童』はミッキー・カーチスと侍が1970年8月に帰国後に制作が決定し、1971年1月録音、4月に発売されている。日本発売ではこちらが先になる。『侍』が8月に発売された時には解散声明は発表されておらず、故・中村とうよう氏のライナーノーツにもバンドの今後については意図的にぼかされているが、4か月というペースはバンドの解散決定が背景にあったと思われる。
ドイツでは2011年にインディーズのO-Musicレーベルから2LPアナログ盤でメトロノーム盤の『SAMURAI』が復刻されており(OM-71014-1)、またブート業者によるアナログ2LP復刻もされているが、ブートの方は盤起こし・複写ジャケットだろうし、O-Music盤もマスターテープからの再発かは判然としない。フォノグラム/フィリップス・レーベルはユニヴァーサル・グループに吸収合併されているはずだが、おそらく2LP版のマスターテープは残っていないのではないか。日本では1977年に『河童』と『侍』の2作が再発されており、日本盤の1LP版『侍』のマスターテープは残っていて1992年、1998年、2007年のCD再発に使われているのだろうし、帰国後に原盤制作された『河童』のマスターテープも1989年(A面のみ)、1998年、2007年のCD再発に使われていると信用してもいいだろう。仮にメトロノーム盤2LP用マスターテープが残っていても1998年、2007年に両アルバムが同時再発される際は日本盤マスターテープで済ませて、オリジナルの『SAMURAI』マスターテープにさかのぼる作業が行われていないのは明白で、ミッキー・カーチスと侍のアルバムはたった2作しかないのだから、ロンドン録音のアルバムは2LPの『SAMURAI』ヴァージョンと1LPの『侍』ヴァージョンの2通りで復刻されてもいいだろう。
(Reissued Philips "ハード・ロック創世記~二人の首領" CD Front Cover)
バンドがヨーロッパ巡業の拠点としていたロンドンから日本に戻ってきた時(正確にはミッキー・カーチス以外のメンバーはドラムスの原田氏だけがオリジナル・メンバーで、全員ロンドンで入れ替わっていたが)、泉ヒロ(ギター、琴)とマイク・ウォーカー(ヴォーカル、ピアノ)、グレアム・スミス(元ローディ、マウスハープ)の3人はイギリスに残留した。バンドは8人編成の大所帯からイギリス人メンバー2人(ギター、オルガン)、日本人メンバー2人(ベース、ドラムス)にヴォーカルとフルートのミッキー(日本とイギリスのハーフ)、というまとまりの良い5人編成になった。『侍』ではミッキーとマイク・ウォーカーのヴォーカルが半々だったが『河童』ではミッキー単独になり、ウォーカーは自分のヴォーカル曲の作者でもあったからダネット、レッドファーン、テツ、ミッキーの作品率も増えた。泉のギターや琴がなくなった分ダネットのギターとレッドファーンのオルガンの比重も高まった。たぶん『SAMURAI』では『侍』ではカットされた14分の「Five Tone Blues」ではスミスのマウスハープがフィーチャーされていたかもしれないが、他の曲ではほとんど存在感がなかったのでなくなってすっきりした、と言ってはあんまりか。
良くも悪くも曲調が多彩だった『侍』に較べて『河童』では楽曲・アレンジともに焦点が定まってきた。A面は唯一日本語詞のA3を除きハード・ロックとプログレッシヴ・ロックの折衷スタイルだが、型にはまった感じがしないのはサイケデリックなムードに楽曲構成を巧妙に乗せているので、オリエンタルなアシッド・フォークのA3もA面の流れにうまくはまっている。同時代のイギリスのバンドで言えば大物ならファミリー、マイナー所ではセカンド・ハンドやキャタピラを連想させる手法と音楽性だが模倣的な感じはなく、それらのバンドの存在を知ってイギリス時代にライヴやアルバムを聴いていたとしても直接的な影響はなく、個性の明確で力量の確かなメンバーが残ったことで『侍』よりもギターの巧みさやオルガンのセンスの良さ、世界的クラスのベースとドラムスが音楽的に一致したことで自然に生まれてきた音楽という説得力がある。『侍』からバンドが着実に音楽の密度を高めたのがわかる。『侍』を先に聴いて保留した点も、『河童』ではすべて改善されていると言える。もっとも『侍』は2LPの『SAMURAI』からの抜粋版なので、選曲による限界からかアルバムの流れにバラバラな印象があるのも仕方ないかもしれない。
(Original Philips "Kappa" LP Liner Cover)
ミッキー・カーチスと侍は日本のニュー・ロックには必ず名前が上げられてきたが、フラワー・トラヴェリン・バンドやフライド・エッグに較べてもこのバンドならではのファン、というような支持者は少なかったのではないか。フラワーやフライド・エッグはメンバー全員がスーパー・グループだったが、後の山内テツや原田裕臣の活躍は知られていても侍時代のプレイで語られることは皆無に近い。内田裕也氏と並んでミッキーさんのタレント発掘眼と機敏なフットワークは定評があり、ガロやキャロル、外道をプロ・デビューさせている。裕也氏が英語詞ハード・ロックに固執して(頭脳警察のような例外もあったが)、はっぴいえんどらを難じたのに対し、ミッキーさんははっぴいえんども面白くて新しい、といち早く認めていた。ただしミッキーさんはスカウトした新人のデビューをプロデューサー(ディレクター)の立場から急ぐあまり、レコード会社からアーティストに不利な契約でもさっさとまとめてしまうことがたびたびあった。裕也氏は私財をはたいて若手バンドのパトロンになっていたが、ミッキーさんは前述の通りデビューさせてしまうとお役目御免な面があったので、恨まれこそはしないが裕也氏のように慕われる、ということは少なかった。またフラワーやフライド・エッグのように明快な音楽性ではなく、直接イギリスとヨーロッパの1967年~1970年のロック・シーンを体験してきた、ヴァーティゴやネオン・レーベルのバンドに通じるアンダーグラウンドなムードがあった。そうしたブリティッシュ・ロックの裏街道が日本で注目されれのは1980年代末になってからだったので、ミッキー・カーチスと侍は日本人メンバーを含む日本出身バンドだが、実態はブリティッシュ・ロックのバンドそのものだったと言ってよい。
ミッキー・カーチスと侍があまり積極的に評価されない、内容的には日本のロックの水準を抜いたアルバムを出したのに十分に賞賛を勝ち得たとはいえないのもそのあたりの事情があるのかもしれない。フラワーやフライド・エッグは注目されても侍はそれほどではないのはスター・プレイヤーの不在とミッキーさんの軽さというのがあるのかもしれないし、『侍』と『河童』が何となくセットで聴かれて印象が散漫なのもあるだろう。『侍』はヴァラエティに富んだアルバムでその分可能性は豊かだが、統一感や完成度はいまいちの観があった。見開きジャケット内の英文ライナーノーツによると芥川龍之介の「河童」からインスパイアされたという『河童』は、特にA面は統一感・完成度ともに素晴らしい。B面1曲の22分半のジャムセッションはA4のリフの変形から全員のソロ・リレーに展開していくが、アルバム全編でジャズ・ルーツの伺えるオクターヴ奏法が冴えるジョー・ダネットのギターと、控え目で空間を生かしたジョン・レッドファーンのオルガンの、ジャズ・ロックでもブルース・ロックでもない、サイケデリックなムードを残しながら冗長に流れないプレイが光る。山内テツのベースと原田裕臣のドラムスも当時の日本のロック最高水準のもので、言われなければ全員第1線のイギリス人メンバーの演奏に聴こえる。ただ22分半のインプロヴィゼーションはこの種のフリー・ロックに慣れていないリスナーにはとりとめがなく聴こえ、聴きどころがつかみづらいかもしれない。当時イギリスやヨーロッパのリスナーには受け入れられていたスタイルをそのまま日本に持ってきたら当時の日本のリスナーの求めるロックとはあまりにもかけ離れていた、ということだろう。これを時代の先を行きすぎていた、と単純にプラスに評価していいものだろうか。
Recorded January 12, 18, 19, 21 & 26, 1971, at Victor Studios, Tokyo
Released by Philips/日本フォノグラム Philips FX-8511, April 15, 1971
Produced by Miki Curtis, Samurai
(Side A)
1. トラウマ Trauma (Comp.by Tetsu Yamauchi/Words by John Redfern) - 10: 17
2. セイム・オールド・リーズン Same Old Reason (Comp.and Words by Joe Dunnett) - 2: 49
3. 誰だった Daredatta (Comp.and Words by Miki Curtis) - 3: 38
4. ヴィジョン・オブ・トゥモロウ Vision Of Tomorrow (Comp.and Words by John Redfern) - 3:51
(Side B)
1. キング・リフ・アンド・スノー・フレークス King Riff And Snow Flakes (Comp.and Words by Joe Dunnett) - 22:23
[ ミッキー・カーチスと侍 ]
ミッキー・カーチス Miki Curtis - flute, vocal
ジョー・ダネット Joe Dunnett - guitar
ジョン・レッドファーン John Redfern - organ
山内テツ Tetsu Yamauchi - bass
原田裕臣 Yujin Harada - drums
前回載せた『侍』1971.8は日本ではセカンド・アルバムとしてリリースされたが、実際は1970年2月にロンドン録音され同年春に西ドイツ(当時)のフォノグラム/フィリップス・レコード傘下のメトロノーム・レーベル(イギリス盤はフィリップス・レーベル)から2枚組LPで発売されていたものを1枚ものに選曲・再編集したものだった。割愛されたのは2曲・22分(8分・14分)だが、なぜCD化されても2曲カットの1LPヴァージョン(37分だから22分を復原しても収録時間に余裕はある)のリイシューばかりなのだろうか。ミッキー・カーチスと侍の初CD化は『ハード・ロック創世記~二人の首領(ドン)』と題してフラワー・トラヴェリン・バンド(内田裕也プロデュース)の『エニウェア』全と『河童』A面という不憫なものだったのに較べればましだが、『河童』は2007年にようやく単体CD化された。『河童』はミッキー・カーチスと侍が1970年8月に帰国後に制作が決定し、1971年1月録音、4月に発売されている。日本発売ではこちらが先になる。『侍』が8月に発売された時には解散声明は発表されておらず、故・中村とうよう氏のライナーノーツにもバンドの今後については意図的にぼかされているが、4か月というペースはバンドの解散決定が背景にあったと思われる。
ドイツでは2011年にインディーズのO-Musicレーベルから2LPアナログ盤でメトロノーム盤の『SAMURAI』が復刻されており(OM-71014-1)、またブート業者によるアナログ2LP復刻もされているが、ブートの方は盤起こし・複写ジャケットだろうし、O-Music盤もマスターテープからの再発かは判然としない。フォノグラム/フィリップス・レーベルはユニヴァーサル・グループに吸収合併されているはずだが、おそらく2LP版のマスターテープは残っていないのではないか。日本では1977年に『河童』と『侍』の2作が再発されており、日本盤の1LP版『侍』のマスターテープは残っていて1992年、1998年、2007年のCD再発に使われているのだろうし、帰国後に原盤制作された『河童』のマスターテープも1989年(A面のみ)、1998年、2007年のCD再発に使われていると信用してもいいだろう。仮にメトロノーム盤2LP用マスターテープが残っていても1998年、2007年に両アルバムが同時再発される際は日本盤マスターテープで済ませて、オリジナルの『SAMURAI』マスターテープにさかのぼる作業が行われていないのは明白で、ミッキー・カーチスと侍のアルバムはたった2作しかないのだから、ロンドン録音のアルバムは2LPの『SAMURAI』ヴァージョンと1LPの『侍』ヴァージョンの2通りで復刻されてもいいだろう。
(Reissued Philips "ハード・ロック創世記~二人の首領" CD Front Cover)
バンドがヨーロッパ巡業の拠点としていたロンドンから日本に戻ってきた時(正確にはミッキー・カーチス以外のメンバーはドラムスの原田氏だけがオリジナル・メンバーで、全員ロンドンで入れ替わっていたが)、泉ヒロ(ギター、琴)とマイク・ウォーカー(ヴォーカル、ピアノ)、グレアム・スミス(元ローディ、マウスハープ)の3人はイギリスに残留した。バンドは8人編成の大所帯からイギリス人メンバー2人(ギター、オルガン)、日本人メンバー2人(ベース、ドラムス)にヴォーカルとフルートのミッキー(日本とイギリスのハーフ)、というまとまりの良い5人編成になった。『侍』ではミッキーとマイク・ウォーカーのヴォーカルが半々だったが『河童』ではミッキー単独になり、ウォーカーは自分のヴォーカル曲の作者でもあったからダネット、レッドファーン、テツ、ミッキーの作品率も増えた。泉のギターや琴がなくなった分ダネットのギターとレッドファーンのオルガンの比重も高まった。たぶん『SAMURAI』では『侍』ではカットされた14分の「Five Tone Blues」ではスミスのマウスハープがフィーチャーされていたかもしれないが、他の曲ではほとんど存在感がなかったのでなくなってすっきりした、と言ってはあんまりか。
良くも悪くも曲調が多彩だった『侍』に較べて『河童』では楽曲・アレンジともに焦点が定まってきた。A面は唯一日本語詞のA3を除きハード・ロックとプログレッシヴ・ロックの折衷スタイルだが、型にはまった感じがしないのはサイケデリックなムードに楽曲構成を巧妙に乗せているので、オリエンタルなアシッド・フォークのA3もA面の流れにうまくはまっている。同時代のイギリスのバンドで言えば大物ならファミリー、マイナー所ではセカンド・ハンドやキャタピラを連想させる手法と音楽性だが模倣的な感じはなく、それらのバンドの存在を知ってイギリス時代にライヴやアルバムを聴いていたとしても直接的な影響はなく、個性の明確で力量の確かなメンバーが残ったことで『侍』よりもギターの巧みさやオルガンのセンスの良さ、世界的クラスのベースとドラムスが音楽的に一致したことで自然に生まれてきた音楽という説得力がある。『侍』からバンドが着実に音楽の密度を高めたのがわかる。『侍』を先に聴いて保留した点も、『河童』ではすべて改善されていると言える。もっとも『侍』は2LPの『SAMURAI』からの抜粋版なので、選曲による限界からかアルバムの流れにバラバラな印象があるのも仕方ないかもしれない。
(Original Philips "Kappa" LP Liner Cover)
ミッキー・カーチスと侍は日本のニュー・ロックには必ず名前が上げられてきたが、フラワー・トラヴェリン・バンドやフライド・エッグに較べてもこのバンドならではのファン、というような支持者は少なかったのではないか。フラワーやフライド・エッグはメンバー全員がスーパー・グループだったが、後の山内テツや原田裕臣の活躍は知られていても侍時代のプレイで語られることは皆無に近い。内田裕也氏と並んでミッキーさんのタレント発掘眼と機敏なフットワークは定評があり、ガロやキャロル、外道をプロ・デビューさせている。裕也氏が英語詞ハード・ロックに固執して(頭脳警察のような例外もあったが)、はっぴいえんどらを難じたのに対し、ミッキーさんははっぴいえんども面白くて新しい、といち早く認めていた。ただしミッキーさんはスカウトした新人のデビューをプロデューサー(ディレクター)の立場から急ぐあまり、レコード会社からアーティストに不利な契約でもさっさとまとめてしまうことがたびたびあった。裕也氏は私財をはたいて若手バンドのパトロンになっていたが、ミッキーさんは前述の通りデビューさせてしまうとお役目御免な面があったので、恨まれこそはしないが裕也氏のように慕われる、ということは少なかった。またフラワーやフライド・エッグのように明快な音楽性ではなく、直接イギリスとヨーロッパの1967年~1970年のロック・シーンを体験してきた、ヴァーティゴやネオン・レーベルのバンドに通じるアンダーグラウンドなムードがあった。そうしたブリティッシュ・ロックの裏街道が日本で注目されれのは1980年代末になってからだったので、ミッキー・カーチスと侍は日本人メンバーを含む日本出身バンドだが、実態はブリティッシュ・ロックのバンドそのものだったと言ってよい。
ミッキー・カーチスと侍があまり積極的に評価されない、内容的には日本のロックの水準を抜いたアルバムを出したのに十分に賞賛を勝ち得たとはいえないのもそのあたりの事情があるのかもしれない。フラワーやフライド・エッグは注目されても侍はそれほどではないのはスター・プレイヤーの不在とミッキーさんの軽さというのがあるのかもしれないし、『侍』と『河童』が何となくセットで聴かれて印象が散漫なのもあるだろう。『侍』はヴァラエティに富んだアルバムでその分可能性は豊かだが、統一感や完成度はいまいちの観があった。見開きジャケット内の英文ライナーノーツによると芥川龍之介の「河童」からインスパイアされたという『河童』は、特にA面は統一感・完成度ともに素晴らしい。B面1曲の22分半のジャムセッションはA4のリフの変形から全員のソロ・リレーに展開していくが、アルバム全編でジャズ・ルーツの伺えるオクターヴ奏法が冴えるジョー・ダネットのギターと、控え目で空間を生かしたジョン・レッドファーンのオルガンの、ジャズ・ロックでもブルース・ロックでもない、サイケデリックなムードを残しながら冗長に流れないプレイが光る。山内テツのベースと原田裕臣のドラムスも当時の日本のロック最高水準のもので、言われなければ全員第1線のイギリス人メンバーの演奏に聴こえる。ただ22分半のインプロヴィゼーションはこの種のフリー・ロックに慣れていないリスナーにはとりとめがなく聴こえ、聴きどころがつかみづらいかもしれない。当時イギリスやヨーロッパのリスナーには受け入れられていたスタイルをそのまま日本に持ってきたら当時の日本のリスナーの求めるロックとはあまりにもかけ離れていた、ということだろう。これを時代の先を行きすぎていた、と単純にプラスに評価していいものだろうか。