高柳昌行ニュー・ディレクション・フォー・ジ・アート Masayuki Takayanagi New Directions For the Art - ラ・グリマ (涙) ~ 完全版 Complete "La Grima" ("Tears") Full Album : https://youtu.be/GJV4mraNs1E - 41:46
Recorded at Genya-sai of Sanri-zuka, August 14, 1971
First appearance in 6:19 min. edit version on『幻野 - 幻の野は現出したか '71日本幻野祭 三里塚で祭れ』創世記レコード/URC GNS-1001~2 (1971.12)
Complete Version released by Doubtmusc Doubt DMH113, March 11, 2007
1. La Grima - 41:46
[ 高柳昌行ニュー・ディレクション・フォー・ジ・アート ]
高柳昌行 - guitar
森 剣治 - saxophone
山崎 弘 - percussion
高柳昌行(ギター/1932-1991)は日本のジャズ・ギター界の第一人者でビバップの研究からレニー・トリスターノ(ピアノ/1919-1978)の反ビバップ的手法に傾倒、第一人者にしてジャズ界最大の実験派ミュージシャンになり、通常のジャズ・コンボ編成から大きく逸脱した編成の「ニュー・ディレクション・ユニット」活動を経てアルバート・アイラー(テナーサックス/1937-1970)のコンセプトの研究を経て制作した1982年の「ロンリー・ウーマン」から最晩年までは主にさまざまなエフェクターを駆使したソロ・ギターの可能性を追求した。音楽的にはビバップ、クール・ジャズ(レニー・トリスターノ派)、ボサ・ノヴァからクラシック、フリー・ジャズ、完全なインプロヴィゼーション音楽まで手がけている。しかもすべて本格的で、トリスターノ・コンセプトのクール・ジャズでは世界有数のプレイヤーだった。
知らない音楽はない、という理想を追求しておりNHK-FMで放送されるクラシックのコンサート中継はバロック音楽からレコード未発売の現代音楽まで1日たりとも録音を怠らなかった(聴いていたかは不明)と言われる。音楽的姿勢が強固なあまりミュージシャンやライヴ主催者、会場側と対立することも多く、ギターの私塾の門下生に渡辺香津美、廣木光一、安藤正容、山本恭司、飯島晃、今井和雄、大友良英の各氏を輩出する一方、人間関係悪化も辞さないエゴの強さで知られた。ジム・オルークは高柳没後のファンとして知られるが、生前に知遇を得ていたとしたらどうだったか。
このライヴは成田空港建設反対闘争のための集会「71日本幻野祭」で、1971年8月14日(土)~16日(月)の初日14日に行われた野外音楽フェスティヴァルからのもので、トップのニュー・ディレクションから順にブルース・クリエイション、布谷文夫DEW、落合俊トリオ、阿部薫(テープ紛失により未収録)、頭脳警察、ロスト・アラーフ(灰野敬二)が出演して1971年12月発売の2枚組LPアルバムに収められた。もっともニュー・ディレクションの演奏は冒頭6分だけで観客の怒号にカットアウトされる、という編集のされたものだった。
長年この時の演奏は伝説化していたが、高柳昌行自身が保管していた完全版のテープが没後発見され、故人晩年の門下生によりインディー・レーベルのダウトミュージックから発売されたのは2007年のことで、冒頭の「1時間くらいの演奏」との高柳のMCは実際は45分ほどで終わったのが明らかになった。だが45分も1時間も関係なく、この演奏は素晴らしい。高柳は当然セシル・テイラー(ピアノ/1929-)のベースレス・トリオを意識していたと思われ、日本のジャズマンでも山下洋輔(ピアノ/1942-)はテイラーと同じ(アルトとテナーサックスの違いはあるが)サックス、ピアノ、ドラムスの編成でデビューしていた。
しかしエレクトリック・ギターとサックス、ドラムスのトリオでは質感がまったく違う。45分間レッド・ゾーンに振り切れた完全即興などフリー・ジャズでもめったにあることではなく、思いついても実行するにはリスクが高すぎる。この野外フェスティヴァル自体はロックとジャズの両方の精鋭たちが出演し、オムニバス・アルバムで聴くと頭脳警察の演奏では観客は最高の盛り上がりを見せているが、高柳昌行ニュー・ディレクションには演奏前の短いMCからもう野次がとんでおり、最初から観客からは歓迎されていないステージだったのがわかる。ロック出せ、ジャズ帰れという雰囲気だったのだろう。1971年夏は中津川フォーク・ジャンボリー(フォークてロック両ステージがあった)、箱根アフロディーテ(日本からはフライド・エッグら、海外からはピンク・フロイドが出演した)が行われており、期待されていたのはロック・バンドのステージだった。ではニュー・ディレクションの演奏はつまらないジャズだったか、というととんでもない。
ここで聴ける高柳の演奏がジャズであるだけでなく最高にロックだと理解されるには90年代のロック観までかかったと思われるが、もしこの完全版がLPのAB面で1曲のアルバムとして当時発売されていたら世界レヴェルの再評価がされていただろう。オムニバス・アルバムに短縮版を収めて済む演奏ではなかった。ジャズとしてもロックとしても空前絶後かもしれない名演がノーカットでアルバム化されるまで35年あまりかかったのだ。高柳昌行のアルバムは参加作を入れて100枚近いが、これは生前に出るべきアルバムだった。だが故人は常に制作中のアルバム、次のアルバムが頭にあったのだろう。アーティストというのはそういうもったいないところがあるので、これも歿後に炸裂した時限爆弾かもしれない。