人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

レニー・トリスターノ Lennie Tristano - ノート・トゥ・ノート Note To Note (Jazz Records, 1993)

レニー・トリスターノ - ノート・トゥ・ノート (Jazz Records, 1993)

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レニー・トリスターノ Lennie Tristano - ノート・トゥ・ノート Note To Note (Jazz Records, 1993) Full Album : https://youtu.be/tL4Zkks5UX8
The original tapes were recorded by Lennie Tristano at his studio on Palo Alto Street in Hollis, N.Y. during informal sessions with Sonny Dallas in 1964-5. It was Lennie's wish that this music be released witn drums added. The music was re-recorded with Carol Tristano in March 12, 1993.
Released by Jazz Records JR-10CD, 1993
All songs composed by Lennie Tristano

(Tracklist)

1. Just Prez - 7:57
2. Palo Alto Scene - 7:36
3. It's Personal - 7:40
4. Note To Note - 9:42
5. There Will Always Be You - 7:33

 レニー・トリスターノ(1919-1978)はレコードがSP(シングル)レコード時代にデビューしたアーティストでしたので、12インチLPレコード時代になって生前にみずから発表したフルアルバムは『鬼才トリスターノ(Lennie Tristano)』Atlantic,1956(rec.1954-1955)、『レニー・トリスターノの芸術 (ザ・ニュー・トリスターノ) (The New Tristano)』Atlantic, 1962(rec.1961)、それに晩年に日本の新設レーベル、イースト・ウィンドに提供した1951年~1966年の未発表テイク集『メエルストロムの渦(Descent into the Maelstrom)』East Wind, 1977(rec.1951-1966)の3枚しかありません。『メエルストロムの渦』は未発表旧録音の編集盤新ですから新作録音とし制作されたのはアトランティックからの2枚だけです。実にトリスターノは1945年に始まるプロ・ミュージシャンとしてのキャリアでこの3枚しかアルバムを出さなかった(SPレコード時代の録音は後からLPレコード、また現在はCDでアルバム化されましたが)、寡作きわまりないジャズ・ミュージシャンでした。また、トリスターノがモダン・ジャズ史上の巨匠という評価は1950年までのSPレコード時代にすでに確立しており、1946年~1949年のソロ、トリオ、カルテット、クインテットセクステット録音は白人ジャズマンで唯一当時の黒人ビ・バップに対抗しうる爆発的創造力を示し、この時期のトリスターノの業績が直接・間接的にその後の白人ジャズマン全体に切り開いた方法は、ビ・バップでチャーリー・パーカーが黒人・白人問わず圧倒的な影響力を誇った業績に匹敵するものでした。仮にトリスターノが上記3アルバムを発表しなくてもSP時代の録音だけですでに革新的な仕事は成し遂げていました。『鬼才トリスターノ』以降トリスターノはジャズ界の商業主義への反発から活動を縮小し、極端な寡作ジャズマンになり、晩年10年間(最後のライヴは1968年でした)は人前での演奏活動もせず未発表録音の整理と個人指導の音楽教室運営に専心し、最晩年まで熱心なリスナーからカムバックを期待する声にも応えず世を去りました。

 トリスターノは自分から陰棲したような晩年を送りましたし、インタビューには応じてもそれをきっかけにライヴ活動や新録音を再開することはありませんでした。ところが、トリスターノが逝去するとトリスターノ自身によって生前に編まれた未発表アルバムが次々と発見され、順次発掘発売されるようになりました。年代順に並べてみます。
Charlie Parker with Lennie Tristano Complete Recordings (rec.1947-1951, Definitive Records DRCD11289)
・Live at Birdland 1949 (Jazz Records JR1-CD)
Lennie Tristano Sextet : Wow (rec.1950, Jazz Records JR9-CD)
・Chicago April 1951 (Uptown Records UPCD27.78/27.79)
・Live in Tronto 1952 (Jazz Records JR5-CD)
・The Lennie Tristano Quartet (rec.1955, Atlantic SD2-7006)
・New York Improvisations / Manhattan Studio (rec.1955-1956, Elektra/Musician 96-0264-1, Jazz Records JR1-CD)
・Continuity (rec.1958&1964, Jazz Records JR6-CD)
・Note To Note (rec.1964-1965, Jazz Records JR10-CD)
・Concert in Copenhagen (rec.1965, Jazz Records JR12-CD)
・Betty Scott Sings With Lennie Tristano (rec.1965, 1971&1974, Jazz Records JR13-CD)

 年代に偏りがあり、集中的に録音を残している時期と空白期があるのもトリスターノの特徴かもしれません。それでは商業ベースの音楽活動はできなかったでしょう。しかもこれだけの録音を適度な間隔を置いて発表していたら寡作ながらも生前に全体像が少しずつ見えてきていたでしょうし、SPレコード時代や1950年以降のトリスターノの音楽の変遷も十分とまではいかないまでもたどることができたでしょう。上記の「Jazz Records」はトリスターノの遺族と門下生の運営しているインディー・レーベルで、アルバムを廃盤にしない代わりに再プレスが15年周期という会社でもあり、直販ならともかく通販サイトでも入手に苦労します。1945年~1949年の全SPレコード・10インチLP時代の音源はパブリック・ドメインになっているのでイギリスの復刻レーベルProper Recordsから4枚組CDボックス『Lennie Tristano Intuition』(PROPERBOX 64, 2003)にJazz Recordsから既発売の『Live at Birdland 1949』『Live in Tronto 1952』とともに集成されており、『鬼才トリスターノ』以前の音源はほぼ同ボックスで網羅されています。日本盤で入手しやすいトリスターノのアルバムは1946年~1947年のキーノート・レコーズへのSP8曲と別テイクを集成した『レニー・トリスターノ・オン・キーノート』と1949年の10インチLP録音をまとめたリー・コニッツ名義の『サブコンシャス・リー』以外では『鬼才トリスターノ』と『レニー・トリスターノの芸術(ザ・ニュー・トリスターノ)』、かろうじて『メエルストロムの渦』だけで、しかもSP時代・10インチLP時代の録音は実質的なシングル曲単位なので親しみづらく、アトランティックへの2作はトリスターノ作品でも実験性の高いアルバムなので、クール・ジャズの創始者と呼ばれる巨匠と期待して聴いたリスナーの大半は1、2枚聴いてトリスターノなどどこがいいのかと投げ出しても仕方がないでしょう。

 没後、トリスターノが筐底に秘めていた音源のうち1955年6月のリー・コニッツ入りのカルテット・ライヴは『鬼才トリスターノ』に5曲のみ選曲されたライヴの完全版21テイクで、すんなりアトランティックから発売されました。また1955年~1956年録音のピアノ・トリオによるスタンダード曲集はアトランティックと同じワーナー傘下のエレクトラが『New York Improvisations』として発売し、後にジャズ・レコーズから『Manhattan Studio』として発売されました。同作も『鬼才トリスターノ』や『トリスターノの芸術(ザ・ニュー・トリスターノ)』同様にトリスターノ自宅の音楽教室スタジオでの録音で、アトランティック・レコーズからの要望とおぼしいその平易なピアノ・トリオ作品が生前発売されていたらトリスターノ作品中もっとも親しみやすい名盤として代表作になっただろうと、おそらく発売を許可しなかったトリスターノの頑固さと狷介さを思い知らされます。

 1993年にJazz Recordsからリリースされた本作『Note To Note』はベティ・スコット(ヴォーカル)とのアルバムを除くとトリスターノが最後にアルバム単位で制作していた問題作で、1964年~1965年にかけて収録されたピアノとベースだけのデュオ録音が残されており、リリース時にはドラムスをオーヴァーダビングするようにとトリスターノ自身が指定を残していたものです。1993年にようやくトリスターノ令嬢キャロルがドラムスの追加録音を完了して発売されましたが、このアルバムはトリスターノがこれまでにないコンセプトによってスタンダードの解釈に向かった、謎めいたアルバムになりました。トリスターノのクール・ジャズは初期から異常な音響空間を達成していましたが、本作は従来の作風をさらに刷新した意欲作です。全曲がトリスターノの自作オリジナル曲とクレジットされていますが、どの曲もスタンダード曲を下敷きにしており、1「Just Prez」は「Just Friends」、2「Palo Alto Scene」は「Darn That Dream」、3「It's Personal」は「Out of Nowhere」、4「Note To Note」は「Ghost of The Chance」、5「There Will Always Be You」は「There Will Never Be Another You」の改作と一応は言えます。しかしこれまでのような、ビ・バップ的にコード進行を原曲から借りて改作する手法から一変して、テーマ・メロディーの一部を変奏しながらコード進行はアドリブに応じて自在に改変する手法に変わっており、比較的オリジナル・テーマに忠実な3「It's Personal」、5「There Will Always Be You」を除くとほとんど原曲のテーマ・メロディーも断片的にしか現れなければコード進行も原曲を踏襲せず、コーラス単位の可遡的なコード循環もないため、原曲が確定できない完全な即興演奏がコード進行にまでおよんでおり、結果的に1曲の中で複数の原曲のテーマ断片やコード進行断片が現れる、というSP時代のドラムレス録音でも行っていなかったほどフリーフォームな演奏に踏みこんでいます。比較的原曲に忠実な3「It's Personal」でも、スタンダード曲「Out of Nowhere」から、コード進行ともリズム・パターンともテーマのメロディ音形とも特定できない楽曲の構成要素を自由に出入りしながら即興演奏が行われています。トリスターノ令嬢キャロルは幼い頃から父にドラムスの薫陶を受けていたそうですが、ドラムスを先に録音してピアノがオーヴァーダビングされるならともかく後からドラムスをオーヴァーダビングするのは滅多にないばかりか困難きわまりないことで、本作のドラムスはあまり芳しくありませんがオリジナルのピアノとベースのデュオ録音自体がほとんど定型リズムの現れない演奏とあっては令嬢キャロルならずとも十分なドラムス演奏は不可能だったでしょう。本作のあとトリスターノの本格的なアルバム単位の録音はソロ・ピアノによる1965年秋のヨーロッパ・ツアーのライヴ録音しか残されておらず、本作は前述の通りSP時代のドラムレス・トリオの実験的演奏をさらに推し進めてトリスターノ自身のクール・ジャズ・スタイルにもなかった、ドラムスのオーヴァーダビングを前提とするならピアノ・トリオとしても類例のない異様な手法にたどり着いています。

 トリスターノの生前未発表アルバムを聴くのは知らずに邯鄲の夢を見るのとも似ていて、つかの間の幸福が醒めてみるとすでに過去でしかなく、執着はもはや皆無で単にやり残したことへの心残りが音楽となって響いているかのようです。音楽は夢ではなくあくまで音楽ですが、本作は初期のドラムレス・トリオ時代の録音と並んでこの全盲のピアニストの純粋に音楽だけの世界を伝え、もともとトリスターノの音楽は本人の意図ではなくても夢幻的な印象が強いものでしたが、とりわけ本作はもっとも悪夢的な純度の高いジャズ・ピアノ作品になっています。

 これが意図的な実験だったのはアルバム全曲がその手法で制作されていることからも明らかで、本作ももしトリスターノの生前に発表されていたらトリスターノ再評価の呼び水になったに違いない、完成度の高いピアノ・トリオのスタンダード曲集『ニューヨーク・インプロヴィゼーションズ(マンハッタン・スタジオ)』の対局にあって対をなす異常な、しかしその異常さによって明晰な印象を残す実験的アルバムです。『鬼才トリスターノ』『トリスターノの芸術(ザ・ニュー・トリスターノ)』の2作よりも『ニューヨーク・インプロヴィゼーションズ(マンハッタン・スタジオ)』と本作『ノート・トゥ・ノート』の方がはるかにトリスターノのジャズに近づきやすいアルバムで、むしろ『鬼才トリスターノ』『トリスターノの芸術(ザ・ニュー・トリスターノ)』の方がリスナーを寄せつけない難解さに満ちています。ですがトリスターノは本作『ノート・トゥ・ノート』もまた10年前の『ニューヨーク・インプロヴィゼーションズ(マンハッタン・スタジオ)』と同様に、生前に発表することを望まなかったのです。