人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

四人囃子 Yonnin Bayashi - '73四人囃子 (東宝レコード/TAM, 1978)

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四人囃子 Yonnin Bayashi - '73四人囃子 (東宝レコード/TAM, 1978) Full Album : https://youtu.be/fAwuLl_Dwsc
Recorded live at Haiyuza, Roppogi, Tokyo, August 21, 1973
Released by 東宝レコード TAM AX-7801
(Side A)
A1. おまつり (作詞・末松康生/作曲・森園勝敏) - 13:29
A2. 空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ (作詞・末松康生/作曲・森園勝敏) - 7:57
(Side B)
B1. 中村君の作った曲 (作詞作曲・中村真一) - 5:26
B2. 一触即発 (作詞・末松康生、森園勝敏/作曲・森園勝敏) - 15:50
[ 四人囃子 ]
岡井大二 - drums
坂下秀美 - keyboard
森園勝敏 - guitar & vocal
中村真一 - bass

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 四人囃子の『一触即発』はアナログLPしかなかった頃から愛聴していたので、同作のライヴ・ヴァージョンと言うべきこのライヴ盤がようやくCD化されて聴いた時には感動して『一触即発』より良い、とすら思ったほどだが一般に評判はあまり良くない。もともと東宝レコードとの契約のためのデモテープ、またラジオのライヴ番組用として録音され、演奏、音質ともに劣悪、バンドに許可なく東宝レコードからCBSソニーポニーキャニオンに移籍して人気バンドになってから便乗発売されたもので記録の域を出ない、と公式アルバムだがオフィシャル・ブートレッグのような扱いを受けていた。もっとも『'73四人囃子』への否定的評価は森園勝敏在籍時の四人囃子を実際にライヴで観てきた古株のリスナーからのものなので、後期四人囃子の活動しか知らない後追いリスナーにはその是非は保留するしかなかった。
四人囃子には2001年に全活動歴からの未発表音源を集めたボックスセット『From the Vaults』があり、2008年には東宝レコード時代の音源のみに絞って第1集とは重複しない未発表音源を集めた『From the Vaults 2』が発売された。この未発表音源集で『一触即発』のメイキング・セッションや『'73四人囃子』と同時期のライヴ音源を聴くと、『一触即発』がどれほどライヴ用アレンジより磨きをかけたもので素晴らしい音質のスタジオ録音に成功したものか、正規のライヴ・アルバムというには『'73四人囃子』が定評通り音質に難があり演奏もベストとは言えないものかを納得しないではいられない。『'73四人囃子』は『一触即発』の母体となってはいるがせいぜいボーナス・ディスク程度の価値しかないと思い知らされる。もちろんスタジオ盤制作にこぎつけられず『'73四人囃子』だけを残したバンドでも四人囃子は伝説的存在になっただろうが、『一触即発』ほどの決定打を残したからこそ四人囃子は70年代にスタジオ盤5枚、映画企画盤1枚、ライヴ盤1枚と、純粋なロックバンドとしては最多アルバム枚数に近い活動を記録できたのだ。
四人囃子『一触即発』(東宝レコード/TAM, 1974.6.25)

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四人囃子 - 空と雲 (作詞・末松康生/作曲・中村真一、『一触即発』1974より) : https://youtu.be/4fh6YFFwKlc - 5:24
四人囃子 - 一触即発 (『一触即発』1974より) : https://youtu.be/bUpTUvHn5eM - 12:23
四人囃子 - ピンポン玉の嘆き (『一触即発』1974より) : https://youtu.be/CAjAnQtJ89Q - 5:05
四人囃子 - 空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ (TAM, 1975) シングルA面 : https://youtu.be/MQ6sD3DHx6E - 3:55

四人囃子のオリジナル・メンバーは1953年~1954年生まれ、『一触即発』から1年10か月後に発表された『ゴールデン・ピクニックス』1976.6.21からベースは佐久間正英に変わり、森園勝敏は同作で脱退。次の『プリンテッド・ジェリー』1977.10.25から『包 (bao)』1978.7.25、ラスト・アルバム『NEO-N』1979.11.25では佐藤ミツルがギター、ヴォーカルでメンバーになり、『NEO-N』ではキーボードが坂下秀美から茂木由多加に変わっている。バンドは1970年に岡井大二森園勝敏が組んで音楽誌のメンバー募集欄で中村真一が加わり、『ザ・サンニン』名義で活動開始。その後坂下秀美が加わり四人囃子と改名している。1988年には岡井、佐久間、坂下の3人で再結成し新作『Dance』を発表、森園、佐藤の両ギタリストをゲストに迎えたコンサートを成功させ、2002年にも岡井、佐久間、坂下に本格的に森園が復帰、ライヴ盤を残している。バンドのリーダーは一貫して岡井で、森園脱退以来はサウンド面では佐久間が中心人物だった。森園時代と佐久間時代でファンが分かれる傾向があり、両者が同時に在籍した『ゴールデン・ピクニックス』や2002年の再結成四人囃子は森園より佐久間が仕切ったサウンドになっている。
バンドはデビュー作として『一触即発』収録楽曲を温めていたが、映画会社の傘下である東宝レコードはバンドに完全な自由を許すアルバムの前に、新作映画『ある青春 二十歳の原点』と連動した企画アルバム(同名、1973.10.25)のノルマを課した。収録曲は全曲スタジオ入りしてから作詞作曲したというもので、アルバムは映画サントラのスコアからの抜粋とヒロイン役の女優のモノローグが曲間に短く挟まって映画のイメージ・アルバムになっており、珍品だが四人囃子の曲と演奏は抒情的な部分をコンパクトにくり広げていて、変わった趣向のアルバムとして悪くない。そして本来のデビュー作として『一触即発』が制作されるが、アレンジや演奏の熟成度も最高の状態になっていたのだろう。もし東宝レコードと契約した第1弾アルバムとして『一触即発』の企画が通ったとしたら、予算、制作期間、プロデュース権ともバンドの満足がいくようにはならなかったろうし、『一触即発』をバンドのセルフ・プロデュースで制作してやり遂げたのも『ある青春 二十歳の原点』でのスタジオ経験が平均年齢19歳のバンドを急激に成長させたと思える。『'73四人囃子』と『一触即発』の間に起こったのも一見まわり道のようでいて、実際には必要で好ましい変化だったように思える。若いバンドだけに曲の元ネタは割とあからさまで、「空飛ぶ円盤に~」はリフにジェネシスの「Knife」と展開部にはイエスの「Close To The Edge」、「おまつり」はサンタナ的イントロからピンク・フロイド「Echoes」風の平歌パートになり、「一触即発」はオールマン・ブラザース・バンドの「Whipping Post」のイントロを流用したイエスの「Heart of the Sunrise」からさらに流用し、平歌のコード進行は(ヴォイシングまで)フロイド『The Dark Side of the Moon』の「Breath」を使っている。そうした直接的引用に近い手法は『ゴールデン・ピクニックス』からはなくなるが、『'73四人囃子』『一触即発』ではそれも魅力になっていたのだ。