9月16日(金)
アベル・ガンス『戦争と平和(戦禍の呪)』(フランス'19)
・おおむね短いサイレント作品にあって2時間46分は拷問級の大作だが当時世界的な(日本でも)大ヒット作。2008年レストア(修復)版DVDは画質抜群、劇伴も見事で見惚れる。劇場で耐える自信はないが。
溝口健二『愛怨峡』(新興シネマ'37)
・近年発見された作品で観る機会がなかった。ドロドロのメロドラマかと思いきや溝口には珍しい後味の良い傑作で、まさに逸品。
9月17日(土)
D・W・グリフィス『勇士の血』(アメリカ'19)
・1919年のグリフィスは赤字補填のため新作乱発で長編は『幸福の谷』、本作、『スージーの真心』『散り行く花』『悪魔絶滅の日』『大疑問』6本どれも小品の上に、大作『イントレランス』1916を再編集版『バビロンの没落』『母と法律』の2本に分けて再上映している。本作は原題『The Girl Who Stayed At Home』で、何で邦題が『勇士の血』かというと第1次世界大戦の銃後ものなのだった。ガンス渾身の大作の直後に観ただけに分が悪い。
成瀬巳喜男『銀座化粧』(伊藤プロ/新東宝'51)
・溝口にも小津にも出せない機微、簡素で控えめかつ軽快なのに中味の詰まった手応え。成瀬はこれでも平均点の作品なのだから憎い。
9月18日(日)
ラオール・ウォルシュ『リゼネレーション』(アメリカ'15)
・巨匠の第1長編。ニューヨークのスラム街のロケ撮影で描かれるストリート・ギャング群像。リアリズム作品としては先駆的すぎたか。
ジュルメーヌ・デュラック『微笑むブーデ夫人』(フランス'23)
・フランス1920年代のプレ・アヴァンギャルドたる印象主義一派、その代表作。有閑マダムの倦怠映画だが、ヴァージニア・ウルフあたりとの照応関係はあるのだろうか。
ディミトリ・キルサノフ『メニルモンタン』(フランス'25)
・革命直後には資産階級の亡命ロシア人はパリ名物だった。亡命ロシア人の撮ったパリ風景がこれ。フランス印象主義映画はあまりの非政治性に過渡的な印象があるし事実そうなったが、それなりに歴史的必然はあったとも見える。
ヴィンセント・ミネリ『花嫁の父』(アメリカ'50)
・ミュージカル以外のミネリも素晴らしい!タイトル通りの話だが、しみじみ胸にしみて、しかも少しも湿っぽくない。珠玉の名作。
衣笠貞之助『地獄門』(大映'53)
・カンヌ映画祭グランプリ。溝口と黒澤で高まった日本映画ブームが『地獄門』でこけたのもむべなるかな、カラー撮影以外に取り柄がない。賞と名のつくものは眉に唾つけるに越したことはない。
9月19日(月)
セルゲイ・M・エイゼンシュテイン『ストライキ』(ソヴィエト'24)
・26歳の第1長編にしてこの完成度、国家予算を湯水のように使った実物大(または実物)セットとウンカのごときエキストラ。しかも国家による民衆弾圧がテーマとあっては、到底当時の資本主義国では作れない。
ジーン・ネグレスコ『百万長者と結婚する方法』(アメリカ'53)
・マリリンの本格的ブレイク年1953年の出演作では本作が最高に面白いが、功績と真の主演がローレン・バコールなのは一目瞭然。このコメディ演技のバコールは絶品。
アンドレイ・カヴァルカンディ『時よりほか何ものもなし』(フランス'26)
・盟友キルサノフの『メニルモンタン』と区別がつかない。フランス印象主義映画は奥が深いというか、つかみ所がない。
ワシーリー・カタニャン『セルゲイ・エイゼンシュテイン -人と作品-』(ソヴィエト'58)
・スターリン批判から間もない時期の伝記映画なので突っ込みが足りない。日本版DVDで観たが、なぜか英語版なのも合点がいかない。外国向け編集版なのだろうか。
9月20日(火)
ジャン・エプスタン『まごころ』(フランス'23)
・近年再評価が盛んなだけあって『アッシャー家の末裔』1928だけの人ではない。本作は小味な田舎の港町の痴情ドラマだが映画大国アメリカでは作れない。怪奇映画的な『アッシャー家~』よりありふれた庶民ドラマの本作の方が再評価が待たれるかもしれない。
レオ・ペン『ジャッジメント・イン・ベルリン』(アメリカ'88)
・監督はショーン・ペンの父上。東ドイツ(!)からの亡命者をめぐる裁判劇で、職人的ながらなかなか観応えあるヒューマニズム劇。
カール・シュルツ『キュラソー・カリブの渇いた銃弾』(アメリカ'93)
・キャスティングでもジョージ・C・スコットがウィリアム・ピーターセンより先に出ている。ピーターセンも嫌みのない俳優だがスコットの一癖ある親爺ぶりには場をさらわれる。演出は普通だが、アメリカ映画はテレフィーチャーでもお金かけるんだなあ、と感心。
9月21日(水)
ジーン・ケリー&スタンリー・ドーネン『雨に唄えば』(アメリカ'53)
・トーキー勃興期の映画界世代交代が背景だったとようやく合点がいった。歌と踊りが必ず出てくるのはトーキー初期の映画のお約束だが、さすがジーン・ケリー映画はノスタルジーに終わっていない。最高。
ジーン・ケリー&スタンリー・ドーネン『踊る大紐育』(アメリカ'49)
・あまりに楽しいのでジーン・ケリー映画を2本連続で観る。当然『雨に歌えば』と甲乙つけ難い出来。ケリー以外もキャストの見せ場で選ぶなら本作か。バーンスタインの本気の映画音楽も素晴らしい。
ヴェルナー・シュレーター『アルギラ』(西ドイツ'68)
・シュレーターの大傑作で第1長編『アイカ・カタパ』1969直前の習作的中編。まだ文体練習の段階といったところ。
ヴェルナー・シュレーター『マリア・マリブランの死』(西ドイツ'72)
・中編『ボンバーパイロット』を挟んだ第2長編で『アイカ・カタパ』と並ぶ大傑作。構成や密度は本作、訴求力の強さは第1長編に分があるが、両方観るだけの価値は当然ある。
シャンタル・アケルマン『街をぶっ飛ばせ』(ベルギー'68)
・アケルマン18歳で自主制作した監督本人の主演作で、舞台はアパートの1室のみの18分の短編。破壊的スラップスティック映画で、さすが後年開花するだけの才能あり。
シャンタル・アケルマン『部屋/ホテル・モンタレー』(ベルギー/アメリカ'72)
・アケルマン、ニューヨーク遊学中の実験映画。サイレントの典型的なミニマリズム映画(室内撮りっぱなし、ホテル内撮りっぱなし)。この文体練習が次作からの劇映画で生きてくる。
9月22日(木)
大島渚『青春残酷物語』(松竹'60)
・大島作品には珍しく観るたびに良くなる。言いたいことがギュッと詰まっている感じ。
吉田喜重『ろくでなし』(松竹'60)
・大島渚以上に方法意識が強く、第1作にして商業映画の枠内ぎりぎりの反逆的作風。
サム・ウッド『誰が為に鐘は鳴る』(アメリカ'43)
・記録的大ヒット作らしい2時間半の大作。原作のベストセラー小説も元々映画の原作みたいなものだし、主演は人気絶頂期のクーパーとバーグマンだし、内容はあまりないがスルリと観られて何も残らない。
9月23日(金)
黒澤明『醉いどれ天使』(東宝'48)
・三船敏郎、志村喬の初顔合わせが後年の作品より図式的でなく初々しい。黒澤作品で後続の日本映画への影響力最大なのはこれになる。
小津安二郎『東京暮色』(松竹'57)
・小津作品でも珍しい露骨に陰鬱な家庭悲劇。こういうのがあってもいい。
9月24日(土)
今井正『青い山脈』(藤本プロダクション/東宝'49)
『續青い山脈』(藤本プロダクション/東宝'49)
・正続各90分で、正編は青春映画、後編は一種の裁判劇になるのが意外な展開。硬派の監督だがちゃんと筋の通った娯楽映画になっている。池部良が学生に見えない。有名な主題歌は、オリジナルはコードのヴォイシングが普及したアレンジと違っていて感心。
ジャン・コクトー『美女と野獣』(フランス'46)
・フランス人キャストを使ったハリウッド映画のような趣き。
フランク・キャプラ『オペラ・ハット』(アメリカ'36)
・大ヒット作『或る夜の出来事』1934より数段良い。吉田喜重『血は渇いてる』1960は本作への批判的オマージュか。
9月25日(日)
ヴェルナー・ヘルツォーク『アギーレ・神の怒り』(西ドイツ'72)
・単純明快な秘境探検映画と観るなら波乱万丈の娯楽大作で、成功している。
篠田正浩『乾いた花』(文芸プロダクション/にんじんくらぶ/松竹'64)
・この監督唯一の佳作と推す評者も多く、以前観た時は面白かった印象があったが……池部良、加賀まりこは好演。賭場のシーンが長い!
エドガー・G・ウルマー『恐怖のまわり道』(アメリカ'45)
・ウルマー最高傑作とアメリカ映画史上に名高い犯罪サスペンスの怪作。意外どころではない出たとこ任せのいかれた展開に乗れるかどうかで評価の分かれるところ。悪夢度は最高。
9月26日(月)
ハワード・ホークス『赤ちゃん教育』(アメリカ'38)
・ケイリー・グラントとキャサリン・ヘップバーンのどたばたラヴ・コメディ決定版その1。
ジョージ・キューカー『フィラデルフィア物語』(アメリカ'40)
・『赤ちゃん教育』の観客動員がコケたのでヘップバーン企画でリヴェンジ、アカデミー賞作品になったグラントとのラヴ・コメディ決定版その2。ヒットは水物の実例。
9月27日(火)
ジョセフ・フォン・スタンバーグ『モロッコ』(アメリカ'30)
・この頃のクーパーは口ひげがうさんくさい。外人部隊ものならジャック・フェデーの傑作には負けるし、ディートリッヒは『嘆きの天使』1930の悪女のイメージが強い。何だかんだ言って伝説的作品には違いない。
ジャン・エプスタン『蒙古の獅子』(フランス'24)
・イヴァン・モジューヒン主演の伝奇メロドラマでエプスタンとしては後退している。原作・プロデュースも兼ねたモジューヒン主導の映画だったということか。
フリッツ・ラング『死滅の谷』(ドイツ'21)
・ドライヤーの『サタンの書の数ページ』1921やキートンの『恋愛三代記』1923同様『イントレランス』の改作。ラングはトーキー時代から凄くなるので、巨匠の初期作品としての興味で気楽に楽しみたい。
セシル・B・デミル『チート』(アメリカ'15)
・公開当時フランスの映画界で熱狂的に迎えられたのはグリフィスにはない背徳性とカット割りを感じさせない(グリフィス的ではない)スムーズなモンタージュだろう。音声を入れればこのままトーキーになる。扇情的大衆娯楽映画作家デミルも隅には置けない。
9月28日(水)
サム・ウッド『打撃王』(アメリカ'42)
・前年逝去の大リーガー、ルー・ゲーリックの伝記映画をすぐさま作ってしまう商魂があざといが、アメリカ映画に求められる理想的人物像は露骨なくらいにわかる。
ヴィクター・フレミング『オズの魔法使』(アメリカ'39)
・アメリカ人にしか面白くない映画の筆頭格と思うと興味を持てないでもなく、ファミリー映画としてかろうじて楽しめる。
9月29日(木)
小津安二郎『彼岸花』(松竹'57)
・小津の初カラー作品だが、題材のマンネリ化がひどい。困ったことに卓越したカラー撮影以外は小津唯一の凡作ではないか。
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー/ミヒャエル・フェングラー『ニクラスハウゼンへの旅』(西ドイツ'70)
・パーティ場面でアモン・デュールIIのライヴ演奏が観られる。それしか見所がない、初期ファスビンダーの多作が裏目に出た失敗作。
ハワード・ホークス『三つ数えろ(1946年版)』(アメリカ'46)
・1945年のプレミア上映版と1946年の一般上映版がある。ハードボイルド探偵映画の最高峰。ヒューストン『マルタの鷹』1941と較べると横綱と関脇以上の格の差がある(『マルタの鷹』だって良いのだが)。
9月30日(金)
ジョージ・スティーヴンス『シェーン』(アメリカ'53)
・対決シーンがあっけない割にドラマとしても薄味。その筋の好みでなくても、少年役が愛嬌あるでもなく不細工なのが良くない。
スタンリー・ドーネン『シャレード』(アメリカ'63)
・ケイリー・グラントは老けてるしオードリー・ヘップバーンは首筋がそげてるしで主演二人は旬も盛りを過ぎているが(演技には華があるが)、シナリオと演出のそつなさで面白く見せる。サスペンス映画に2時間はやや長いが、30分はパリが舞台の観光映画要素だろう。