人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2016年12月1日~12月5日

 木下惠介黒澤明を比較鑑賞してきましたが手持ちの木下作品は前回までで観直しきってしまいましたので、黒澤明の作品をもう数本観直すことにしました。レンタルショップが近所に1軒もない(買わないと観られない=廉価版の出ているクラシック作品ばかりになる)のも不自由なものです。12月は何を観ようかな。年内にどれだけ観られるかな。


12月1日(木)木下の「母」と黒澤の「父

木下惠介『日本の悲劇』(松竹'53)*116mins, B/W
・(前回詳述)

黒澤明『生きる』(東宝'52)*143mins, B/W
・(前回詳述)


12月2日(金)黒澤明第9作・第10作2本立て

黒澤明『野良犬』(新東宝映画芸術協会'49)*122mins, B/W
・勢い任せで他の黒澤の前期作品も観直す。デビュー作『姿三四郎』が'43年だから6年しか経っていないが別人のように風格がある。初登場の第7作『醉ひどれ天使』で破滅型ヤクザ、前作『靜かなる決闘』で正義派青年医師に扮した三船敏郎、今回はピストルをすられる青年刑事。そのピストルで次々強盗殺傷事件が起き、青年刑事は老練刑事(志村喬)の指導で犯人を追い詰めていく。師弟関係テーマが『姿三四郎』以来回帰してきた。志村の方が存在感が大きいくらい。名高い犯人(木村功)逮捕シーンが今ではさほど衝撃がないのは、こうした勧善懲悪で括れない悲痛で追い詰められた犯人像が珍しくなくなったからかもしれない。

黒澤明『醜聞』(松竹=映画芸術協会'50)*105mins, B/W
・正義漢の青年画家(三船敏郎)が取材旅行先で偶然知り合った人気声楽家(山口淑子)と写真週刊誌にあらぬ噂を立てられる。病気の娘(桂木洋子)を抱えた貧乏弁護士(志村様)を立てて告訴するが、貧乏弁護士は写真週刊誌に買収され……と黒澤らしからぬ俗な題材が面白い。買収されて敗訴寸前に貧乏弁護士が翻意するきっかけまでが偶然絡みのメロドラマ的なのは弱い。普通こういうのは青年画家と美人歌手に本当の恋が芽生えて終わるのが常套的だが、さすがにそこまではやらないのが立派でもあり、ドラマとしては物足りなくもあり。


12月3日(土)黒澤明第14作

黒澤明七人の侍』(東宝'54)*207mins, B/W
・言わずと知れた大ヒット作だが、必ずしも最初から大傑作扱いされたわけではない。キネマ旬報年間日本映画ベストテンでは3位(1位・木下惠介二十四の瞳』、2位・木下惠介女の園』)だったり、同年の東宝の大ヒット作『ゴジラ』と比較されたり(『ゴジラ』の反水原爆メッセージ性には及ばない、という具合)、この年の自衛隊設立の思想的応援映画として批判されたりもした。アクション映画として観ると時代劇より西部劇の殲滅戦のプロットを借りており、ここでも師弟関係のテーマを織り込んでいる。若者の成長ドラマでもある。階級格差のテーマも入る。盛り沢山な分多面的な魅力よりもそれぞれの要素自体は機能的な役割にとどまっている観がある。プロットだけを拝借して半分の長さにしたリメイク『荒野の七人』を黒澤が嫌ったのはよく知られるが、黒澤自身がプロットだけでは押せない性格ということでもある。長さの制約があったら全然別物になっただろうことは想像に難くない。

 
12月4日(日)黒澤明第15作・16作2本立て

黒澤明『生きものの記録』(東宝'55)*113mins, B/W
・『七人の侍』の次がこれだったので観客がドン引きした怪作。正妻・妾1・妾2の3家庭を持つ大工場の初老の経営者が水爆実験のニュースに怯えて死の恐怖に苦悩し、3家庭と工場雇用者全員を安全な(と本人が考える)ブラジルへ移住させようと奮闘する話。もちろん従おうとする者はなく、追い詰められた老人は遂に……と無茶苦茶な話だが、強迫神経症を描いた映画としては筋が通っている。黒澤は老人の苦悩を本気で描いており、老人の無謀な計画にはおそらくストレスの多大な映画監督としての共感がある。そこが原水爆恐怖症でも晩年近くの『八月の狂詩曲』の老女とは違う。しかし当時の観客にこれは突拍子もなさすぎ、老人の家族が水爆妄想を荒唐無稽と思うのと同じ反応だったのは想像に難くない。理想主義者の黒澤の理想が現実に完膚なきまでに圧殺される話。特に黒澤贔屓ではないが、これは最重要作と見たい。異様なラストカットはアントニオーニを5年あまり先取りしているのではないか。

黒澤明蜘蛛巣城』(東宝'57)*110mins, B/W
シェークスピアマクベス』の翻案。能楽を参考にしたという所作といい、マクベス夫人に当たる悪女役を演じる山田五十鈴の貫禄といい、殺陣の迫力といい、壮絶なラストシーンといい(本当に矢が貫通したように見える)、美術的に見事。だが次作『どん底』もゴーリキーからの翻案ものになったように、本作から黒澤のマニエリスムの時代に入ったように思える。その意味で時代と斬り結んでいたのは『生きものの記録』までだったと思える。


12月5日(月)フランク・シナトラ二本立て

ルイス・アレン『三人の狙撃者』(アメリカ'54)*76mins, B/W
・約2週間ぶりの外国映画は前々から観たかったこれにした。初めて観るが、山田宏一氏がアメリカ映画の名作リストに上げていたもの。男性白人ジャズ・ヴォーカルNo.1でミュージカル映画のシナトラには定評があったが、イタリアン・マフィアとの関係がスキャンダルになり芸能人生命が危うい時期を乗り越えたいばかりだった。前年の『地上より永遠に』の兵士役でアカデミー賞助演男優賞を受賞、続いて大統領暗殺を請け負った殺し屋役で出演したのが本作になる。大統領の立ち寄り予定場所から狙撃に好適地な民家を占領し(老人、怪我人、女子供しかいない)、映画全編がほとんど民家の居間だけで展開する室内劇だが、シナトラの凶暴な性格造型も含めて観応えのある佳作。久しぶりにアメリカ映画観ると本当にまず銃ありきなんだなあ、と彼此の違いに唖然とする。

オットー・プレミンジャー『黄金の腕』(アメリカ'55)*119mins, B/W
・こちらは銃戟ではなく社会派映画だが、広義の犯罪映画でもある。40年代後半部~50年代初頭に問題だったジャズマンの違法薬物使用・売買を扱ったもので、実際有名無名ジャズマンの多くが検挙されている。元祖ビートニク作家ネルソン・オルグレンの原作の時点でもやや遅い題材で、'55年にはかなり遅かったがハリウッド映画ではこのテーマはタブーだった。シナトラ演じる依存症のドラマーはシナトラ自身ジャズマンだけに所作にリアリティがあり、プレミンジャーはソウル・バスにタイトルを起用、後の『悲しみよこんにちは』ではジーン・セバーグを売り出す等先取の気風に富んだ監督で、ショーティ・ロジャースのバンドの出演やシナトラのトラをシェリー・マンが叩くなどセンスも良いが、いかんせんこのテーマはハリウッド=ロサンゼルスよりもニューヨークのジャズ界で深刻で、何より黒人ジャズマンを主役にすべきだった。白人ジャズマンでもユダヤ系、イタリア系などマイノリティのジャズマンに多かったのも、シナトラを起用していながら迂回している(シナトラには触れられたくなかった側面だったとは思うが)。無い物ねだりは承知だが、ダーティーな問題をクリーンな環境に置き換えて描いて、結果真面目な力作だが緊張感に欠ける出来になった観は否めず。『地上より永遠に』同様アメリカ戦後文学の名作の原作を読み返したくなる。プレミンジャーは挑発的なセンスで面白い監督なんだけどなあ。