人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2019年2月19日・20日/小林正樹(1916-1996)監督作品(10)

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 前作『切腹』'62でカンヌ国際映画祭審査員賞・キネマ旬報ベストテン3位を獲得し絶頂期に入った小林正樹は、プロデューサーともども10年来の企画で小林自身が学生時代から愛読していたイギリス人の帰化文学者、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、1850-1940)の『怪談』'04の映画化に着手します。小林は松竹の監督でしたがプロダクションの都合で配給は東宝になり、3時間を超える小林初の松竹以外の作品でありカラー作品である『怪談』は当初昭和39年8月公開予定で製作が始められましたが、カラー映画としての色彩統一のため屋外シーンも含めて全編を室内セットで撮影するため飛行機の格納庫を借り受け、電気水道やトイレ各設備まで引き、背景や地面、山林まですべてセットと膨大な手間と費用をかけたために製作費は当初の予定の9,000万円強から3億2,000万円あまりに膨れ上がり、監督自身が私財を投じるばかりか恩師の木下惠介、俳優たちからも500万円~1,000万円ずつ借りて、撮影難航のために俳優のスケジュールも延期が相次ぎようやく昭和40年1月に封切られました。映画はカンヌ国際映画祭審査員賞を『切腹』につづいて受賞、キネマ旬報ベストテン2位を獲得する高い評価を受けましたが莫大な製作費を回収するほどの興行成績には届かず、製作の文芸プロ=にんじんくらぶは倒産に追いやられます。さらに小林正樹は製作費を使いすぎる監督として松竹の監督契約を解雇されてしまい(小林正樹は松竹の違法解雇を告訴し、最高裁で松竹から1,084万円の違約金の支払いを受ける勝訴を勝ち得ました)、東京映画に所属会社を替えて事実上のフリーとなり、三船敏郎三船プロダクション東宝の提携作品『上意討ち 拝領妻始末』を昭和42年5月に公開、同作は小林正樹作品としては初のキネマ旬報ベストテン第1位になり作品賞・監督賞・脚本賞も受賞し、三船敏郎は文部大臣賞を受賞し、毎日映画コンクール日本映画賞、ヴェネツィア国際映画祭批評家賞、イギリス映画批評家協会賞(英国アカデミー賞)を受賞するとともに黒澤明作品のスターだった三船敏郎の国際的知名度から広く世界的公開がされて好評を博した作品になりました。先に『怪談』をめぐる製作費事情を記しましたが、当時平均的な会社員の年収が80万円前後だったという物価指数を示せば500万円~1,000万円を貸し借りする映画人の世界がいかに庶民の経済感覚から隔絶していたか、映画全盛期のぎりぎり最後の時代ならでは映画『怪談』が作られ得たか感慨に襲われます。そうした事情も踏まえ、戦後監督である小林正樹監督作品はキネマ旬報に公開当時の新作日本映画紹介がありますから、時代相を反映した歴史的文献として、今回も感想文中に引用紹介させていただくことにします。

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●2月19日(火)
『怪談』(文芸プロ=にんじんくらぶ=東宝'65)*182min, Color・昭和40年1月6日公開

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 小泉八雲原作の4編のエピソードからなる本作ですが『怪談』'04から採られているのは映画第2話「雪女」と第3話「耳無抱一」で、第1話「黒髪」は小林八雲の著者でも『影』'00、第4話「茶碗の中」は『骨董』'02に含まれているそうで、「黒髪」は上田秋成の『雨月物語』に類似のエピソードがあり溝口健二の映画『雨月物語』'53に取り入れられてもいます。一般的に有名なのはもともと『怪談』に含まれ小学生でも知っている「雪女」と「耳無抱一」でしょう。カンヌ国際映画祭では出品条件に短縮上映が要求されたために「雪女」をカットした3話構成の版が作られ、「雪女」は短編映画としてイギリスのエジンバラ映画祭短編映画賞を受賞したそうですが、国内ロードショー終了後は製作プロダクションの倒産に伴って全編の原盤が永らく行方不明になり、ホームヴィデオ時代には国際版の短縮版のリリースしかなかったそうです。その後2003年のDVD化によってようやく初公開時の完全版のリリースが行われたそうです。しかし昔学生時代に観た時には「雪女」のエピソードもあったように思われ、民生用の16mmプリントの上映でスタンダード・サイズにトリミングされていたはずで、スチール写真や映画紹介などの印象もあったからなのか実際に「雪女」も含まれていたかはっきりしないのですが、'70年代、'80年代にご覧になった方はいかがだったでしょうか。「雪女」のエピソードの主演は岸恵子仲代達矢で二人とも他のエピソードには出演していないため、カンヌ国際映画祭での「雪女」のカットにはお二人ともがっかりしたそうで、本作は20分のカットを行おうとすれば墨流しの凝った長々しいクレジット・タイトル始め各エピソードの語り口がこれまでの小林正樹の映画にもなかったほどテンポが遅く、冒頭の「黒髪」や最長の「耳無抱一」などは前半や中盤はかなり短縮できたのではないかという感じも受けます。イギリスの映画誌「サイト・アンド・サウンド」誌は2014年の世界映画ベスト100の発表で『東京物語』や『2001年宇宙の旅』への絶大な評価の高まりを「現代映画のスロウ・ムーヴィー指向の潮流によるものではないか」と指摘していましたが、本作『怪談』も当時のアントニオーニやベルイマン作品同様'60年代のスロウ・ムーヴィーの代表的作品と言っていい映画で、各エピソードを短縮するより1エピソードを外してしまう、というのもこのテンポこそが本作のスタイルと小林正樹が意図していたからに違いありません。しかし結果的に9か月を要したという製作期間の長さも映画のテンポの意図的な遅さ・冗長さを招いた節もあり、入念さが勢いを削いでいる面があるのも本作の場合は良し悪しで、観終えると案外あっけなく観られた印象が残るものの観ている最中はもったいぶったテンポにじれったさも感じないではいられないので、いわゆる映画音楽ではなく効果音的に和楽器を使っている武満徹の音楽がそういう場面ではようやく場をつないでいるような、そうした意味では音楽への依存度も高い映画という印象も受けます。ちなみに日本初公開時の完全版を再現した現行版DVDには第2話「雪女」のあと白地に黒の明朝体で「休憩」と出て、公開時にはここで一旦映画館では5分~10分の休憩があったのが示されます。本作も公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。もっともこの紹介の、受賞歴を記した解説の後半部分はデータベース化された際の加筆と思われます。
[ スタッフ ] 監督 : 小林正樹 / 脚色 : 水木洋子 / 原作 : 小泉八雲 / 製作 : 若槻繁 / 撮影 : 宮島義勇 / 美術 : 戸田重昌 / 背景 : 西田真 / 装飾 : 荒川大 / 音楽音響 : 武満徹 / 録音 : 西崎英雄 / 音楽音響 : 秋山邦晴・奥山重之助・鈴木明 / 照明 : 青松明 / 編集 : 相良久 / 衣裳 : 加藤昌廣 / 美粧 : 高木茂 / 結髪 : 桜井文子 / 製作主任 : 高島道吉 / 助監督 : 吉田剛 / 記録 : 吉田栄子 / スチル : 吉岡康弘 / タイトルデザイン : 粟津潔 / 題字 : 勅使河原蒼風 / 製作協力 : 内山義重
[ 解説 ] 小泉八雲の"怪談"より和解(黒髪)、雪女、耳無抱一、茶碗の中の話、を「甘い汗」の水木洋子が脚色「切腹」の小林正樹が監督した文芸もの。撮影もコンビの宮島義男。第38回キネマ旬報ベスト・テン第2位、第18回カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞。1965年1月6日よりロードショー。1965年2月27日より全国公開。カンヌ出品版として161分の短縮版が存在する。
[ 出演 ] 〔黒髪〕三國連太郎 : 武士 / 新珠三千代 : 妻 / 渡辺美佐子 : 第二の妻〔雪女〕岸恵子 : 雪女 / 仲代達矢 : 巳之吉 / 岸恵子 : 妻お雪 / 望月優子 : 母〔耳無抱一の話〕中村賀津雄 : 耳無抱一 / 志村喬 : 住職 / 丹波哲郎 : 甲冑の武士 / 岸田今日子 : 上ろう〔茶碗の中〕中村翫右衛門 : 武士関内 / 宮口精二 : 老爺 / 杉村春子 : おかみさん / 中村鴈治郎 : 出版元 / 仲谷昇 : 式部平内 / 滝沢修(声) : 作者及びその声
[ あらすじ ]〔黒髪〕昔京都で生活に苦しんでいた武士が、貧乏に疲れ、仕官の道を捨てきれずに、妻を捨てて、遠い任地へ向った。第二の妻は、家柄、財産に恵まれていたが、我侭で冷酷な女であった。男は今更のように別れた妻を慕い、愛情の価値を知った。ある晩秋の夜、荒溌するわが家に帰った男は、針仕事をする静かな妻の姿を見て、今迄の自分をわび、妻をいたわり、一夜を共にした。夜が白白と明け男が眼をさますと、傍に寝ていた妻は髪は乱れ、頬はくぼみ、無惨な形相の経かたびらに包まれた屍であった。 〔雪女〕武蔵国の若い樵夫巳之吉は、茂作老人と森へ薪をとりに入り、吹雪に出会って、山小屋に閉じこめられた。その夜、若者は、老人が雪女に白い息を吹きかけられて殺されたのを目撃したが、巳之吉は「誰にも今夜のことを話さないように。話したら必ず殺す」と言われ助けられた。三十近くなった巳之吉は、森の帰路出会った、美しい娘お雪を妻に迎え、子供も出来て、仕合せな日々を過していた。正月も真近にひかえたある夜、子供の晴着に針を運ぶお雪の顔をみて、山小屋の雪女を思い出した巳之吉は、妻に思わずその話しを聞かせた。お雪は「それは私です」と言うと、うらみを残して吹雪の中に消えていった。 〔耳無抱一の話〕西海の波に沈んだ平家一門の供養のために建てられた赤間ケ原に、抱一という琵琶の名人がいた。夜になると、寺を抜け出し、朝ぐったりして帰って来る抱一を、不審に思った同輩が、秘に後をつけると抱一は、平家一門の墓前で恍惚として平家物語を弾じていた。平家の怨霊にとりつかれた抱一は、高貴な人の邸で琵琶を弾じていると思っていたのだ。寺の住職は、抱一の生命を心配すると、抱一の身体中に経文を書き、怨霊が迎えに来ても声を出さないよう告げた。住職の留守に迎えに来た怨霊の武士は、返事がないまま、抱一の琵琶と耳を切って持ち帰った。住職が耳に経文を書くのを忘れたのだ。以後抱一は耳無抱一と呼ばれ、その名声は遠く聞こえた。 〔茶碗の中〕中川佐渡守の家臣関内は、年始廻りの途中茶店で、出された茶碗の中に、若い男の不気味な笑い顔を見た。それは、茶碗を何度とりかえても、同じように現われた。豪胆な関内は、一気に飲みほして帰ったものの、不思議に思った。佐渡守の邸に帰った関内を、見知らぬ若い侍が訪ねて来た。その顔は、茶碗の底の不気味な顔であった。問答の末、関内は男を斬ったが、男は音もなく消えた。帰宅した関内は、三人の侍の来訪を受けた。今日の若い侍の家臣と称する三人は、来月十六日に主君が今日の恨みを晴らしに来ると告げると、関内の刀をかわして、影のように消えた。
 ――本作が当初公開予定だった昭和39年8月は東京オリンピックの開催(10月10日~24日)直前であり、オリンピックのテレビ中継観賞のためにテレビの家庭普及台数が年の始めから爆発的に延びた年であり、日本の映画人口が前年の昭和38年をピークに昭和39年から激減したのはテレビの普及が主原因で、この年東宝は例外的にゴジラ映画を2本公開している(4月公開『モスラ対ゴジラ』=観客動員数722万人・興行収入3億1,000万円、12月公開『三大怪獣 地球最大の決戦』=観客動員数541万人・興行収入3億9,000万円)のも映画館の観客離れに危機感があったからと思われます。また『怪談』が製作費を回収できない興行成績に終わった小林正樹が松竹から解雇されたのもこの時期ついに日本映画の好況期が終わってしまったのがはっきりしてきたからで、日本映画の全般的な低予算化と単発的な大作主義が始まったのも右下がりに低下していく映画界の配給収入を反映したものでした。極端な低予算化もアート・シアター・ギルド(ATG)の製作費1,000万円映画という具合に出現してきます。『怪談』は'64年8月公開予定だったからぎりぎり実現できた企画であり、東京オリンピック後の公開になった結果興行成績も昭和40年12月公開のゴジラ映画『怪獣大戦争』の観客動員数513万人・興行収入4億1,000万円にもおよばなかったので、日本映画黄金時代の滅びを黒澤明の昭和40年4月公開の『赤ひげ』(キネマ旬報ベストテン第1位、興行収入3億6,000万円)とともに分かつような記念碑的作品でもあると見なせます。キネマ旬報のあらすじに加えれば、「黒髪」の結末では主人公も急激に老いさばらえ死相さえ出ている自分に気づき、さらに黒髪だけが宙を浮いて主人公に絡みつこうとして主人公が必死であがくストップモーションで終わっており、他の作品(特に次作『上意討ち 拝領妻始末』)でも小林正樹ストップモーションの使い方はあまり上手くないな、とストップモーションだけが瑕になっています。また「雪女」では岸恵子が青い照明で雪女に変化するクライマックスや閉め切った戸口を透明化して外に消えて行く効果が興を削ぎ、「茶碗の中」でも多用される二重写しやジャンプ・カットなどの特殊効果は小林正樹の映画では使わない方が良かったのではないかと思われてきます。「雪女」の結末は雪女の話をしゃべってしまった主人公を雪女は幼い子供たち3人がいるので殺さず「この子たちを不幸にしたら、その時は……」と言って雪の戸外に消えて行くので、直前まで冬支度のために冬着を縫い草鞋を結っていた仲むつまじい夫婦だけに哀切なのですが、それだけに突然照明が青に切り替わるのは違和感があります。「耳無抱一の話」は平家滅亡の前半が長すぎるきらいがあり、全身に般若心経を書かれた抱一の姿は映像的に凄まじいのですが、坊主頭の地肌まで般若心経が書かれているのに両耳が素のままなのはかえって目立っているので和尚たち二人が気づかないのは話通りとしても映像的には納得し難い感じがあります。平家の亡霊の全身甲冑の武士は丹波哲郎ですが、「平成仮面ライダーシリーズ」に出てくる怪人みたいに見えるのも凄みというより怪演の観があり、全体的には確かにムードは満点で勢を凝らしてある映画ですが、壮大な見世物に始終した怪奇映画以下でも以上でもない、というあっけない印象が残るのは先に述べた通りで、娯楽大作としてはそれで十分なのですがおそらく作者はそこまで達成したかったであろう芸術的感銘はあるかとなると、そもそもそういう性格を備えた映画には最初からなり得なかった作品のように思えるのです。

●2月20日(水)
『上意討ち 拝領妻始末』(三船プロ=東宝'67)*121min, B/W・昭和42年5月27日公開

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 小林正樹黒澤明が初めて三船敏郎を起用した『醉ひどれ天使』'48を観た時こんな凄い映画が先に作られてしまったら自分が映画でやれることは何もないというほどショックを受けて、助監督として就いていた木下惠介に真剣に映画を辞めたいと打ち明けたそうですが、デビュー以来の黒澤のライヴァルで友人の木下惠介は「黒澤君の映画だって完璧じゃないよ」と『醉ひどれ天使』の短所をたちどころに10数か所指摘し、特にリアリズムの強引さを上げて『醉ひどれ天使』のような映画ばかりが映画じゃないのを小林正樹に説いたそうです。しかし監督昇進後も、特に仲代達矢を起用した『黒い河』以後には黒澤明への対抗心はずっと小林正樹にくすぶっていたので、黒澤映画の脚本家の橋本忍の脚本を得た初の時代劇『切腹』は「黒澤さんとは違うものを」と目一杯黒澤映画を意識して乗り越えようとした作品だったようで、晩年にいたっても『切腹』をいちばんの自分の代表作と自負していたのは黒澤明の時代劇とは違うものができた、という自信ゆえだったと思われます。三船敏郎は『赤ひげ』'65を最後に黒澤作品に出演しなくなり自身の三船プロダクションを設立したので、三船敏郎から指名を受けた本作『上意討ち 拝領妻始末』は『切腹』と同じ滝口康彦原作、橋本忍脚本で三船敏郎仲代達矢と共演させる、という企画になった分、主演で実質的なプロデューサーである三船敏郎を立てた上でどういう具合に自分の映画にするか、という点で『切腹』のヴァリエーションを三船敏郎の主演で見せる、黒澤映画とは違うものにする、といろいろ課題のあった作品だったと思います。小林正樹自身は本作はややサービスを取り入れた分『切腹』にはおよばない、としている気配がありますが、『切腹』の法廷ドラマ的な趣向の緊迫感はその分回想シーン(フラッシュバック)の多用という入り組んだ構成とも不可分になって流露感には乏しい(その分クライマックスで爆発しますが)息苦しさも生んでいたので、武家社会の構造と価値観の因襲悪を告発した内容の本作はもっとゆったりした直線的話法の、『切腹』よりも親しみやすい仕上がりになっています。本作も公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきます。
[ スタッフ ] 監督 : 小林正樹 / 脚色 : 橋本忍 / 原作 : 滝口康彦 / 製作 : 田中友幸 / 撮影 : 山田一夫 / 美術 : 村木与四郎 / 音楽 : 武満徹 / 録音 : 奥山重之助 / 照明 : 小西康夫 / 編集 : 相良久 / スチル : 副田正男
[ 解説 ]『城』(28号)に掲載された滝口康彦の原作『拝領妻始末』を「白い巨塔」の橋本忍が脚色し、「怪談」以来二年間の沈黙を破って小林正樹が監督した時代劇。撮影は「ゼロ・ファイター 大空戦」の山田一夫。1967年6月3日より全国公開。
[ 出演者 ] 三船敏郎 : 笹原伊三郎 / 加藤剛 : 笹原与五郎 / 江原達怡 : 笹原文蔵 / 大塚道子 : 笹原すが / 司葉子 : 笹原いち / 仲代達矢 : 浅野帯刀 / 松村達雄 : 松平正容 / 三島雅夫 : 柳瀬三左衛門 / 神山繁 : 高橋外記 / 山形勲 : 土屋庄兵衛 / 浜村純 : 塩見兵右衛門 / 山田恵美 :兵右衛門妻 / 佐々木孝丸 : 笹原監物 / 福原秀雄 : 佐平 / 川尻則子 : ぬい / 市原悦子 : きく / 小林哲子 : お玉 / 山岡久乃 : 笠井三之丞の母 / 日塔智子 : 吉野 / 青木義朗 : 小宮隆蔵
[ あらすじ ] 会津松平藩馬廻りの三百石藩士笹原伊三郎は、主君松平正容の側室お市の方を、長男与五郎の妻に拝領せよと命ぜられた。武芸一筋に生きてきた伊三郎は、笹原家に婿養子として入った身で、勝気な妻すがの前で忍耐を重ねて暮してきた。だから、与五郎には自分の轍を踏ませず、その幸福な結婚を願っていたため、なんとしても命を受けるわけにはいかなかった。伊三郎は親友で国廻り支配の浅野帯刀に相談し、時をかけてこの話を立ち消えにしようと考えた。しかし、側門人高橋外記の性急な要請と、笹原一族の安泰を考える笹原監物の談判を受け、伊三郎は藩命という力の前に屈した。間もなく与五郎といちの祝言が挙げられた。いちの花嫁姿は子を生んだ女とは思えないほど初々しく、その後も夫や姑に従順に仕えた。家督を与五郎に譲った伊三郎はそんないちが、なぜ藩主から暇を出されたのか訝った。いちは十九歳の時、許嫁がいるにもかかわらず一方的な藩命で正容の側室にされ、菊千代を生んだ。その悲惨な運命を受け入れたいちが、喜々として正容の側室になったお玉の方を見た時、正容をけだもののように感じて逆上したのであった。与五郎も伊三郎も、この一部始終をいちから聞いているうちに、いちほど立派な嫁はいないと思った。平和な日が続き、いちはとみを生んだ。そんなある日、正容の嫡子正甫が急死した。菊千代が世継ぎと決り、いちの立場は藩主の母となってしまったために、藩の重臣は与五郎にいちを返上せよと命じた。この人道にそむく理不尽な処置に伊三郎は怒った。これまで笹原家の門閥と格式を守ることにのみ生きてきた伊三郎は、与五郎と共に叛徒になる決心をした。明け方、上意討ちの一隊が笹原家を襲ったが、拉致されたいちは自ら刃の前に身を投げ出して果て、与五郎もいちに折り重って敵刃に倒れた。伊三郎は狂気のように荒れ狂い、外記らを斬りまくった。やがて、藩の非道を幕府に訴えようと、とみを連れて旅に出る伊三郎の前に領内の出入りを見張る帯刀が現われた。役目とはいえ、非痛な思いで伊三郎に対峙する帯刀は、伊三郎の豪剣の前に倒れた。しかし、その伊三郎も追手の銃弾に果てた。その場所鬼神ケ原には、とみの泣き声が藩の非道を訴えるように聞こえていた。
 ――キネマ旬報のあらすじは記載自体に間違いはないのですが、多くの細部を省略しています。実際の映画はもっと細部に富んだ、真綿で首を絞められるような大名の松平家の家臣たちと会津藩士笹原の側室下がりの嫁をめぐる駆け引きが重ねに重ねられたもので、嫁のいちがまた策謀で大奥に取られたあとに、いちの生んだ1歳になるやならずの女児とみに松平家の家臣の命で、近隣に住む武家の妻の乳児の母のきく(市原悦子)が毎日乳母に日参する、という細部もあり、松平家の笹原を罪人の條で討て、と命じられた帯刀は、召取ではなく国守だから自分にそれをさせるなら五百石の召取にせよ、と断りますが、息子と嫁が心中同様の死を遂げたあと上意討ちの一隊全員を斬った主人公は、乳母に赤子のとみに最後かもしれん、と乳を吸わせ、とみを抱いて江戸幕府へ直訴に向かいます。関所には親友の帯刀がおり、関所を通るなら国守の帯刀と決闘しなければならなくなる。まだ歯も生え揃うておらんがお食い初めじゃ、と帯刀の待つ中で主人公は握り飯を崩して赤子のとみに食べさせ、決闘に立った主人公は帯刀を斬り、帯刀は「とみと江戸へ行け」と言って息耐えます。しかし主人公を追撃してきた鉄砲隊が襲い、主人公は鉄砲隊を全員斬りますが草原に寝かせた孫のとみに向かって「江戸へは行けぬ。とみよ、育ったのちは母のような女になれ、そして父のような男を夫とせよ」と呼びかけながら息耐えます。草原から乳母のきくがとみを抱き上げて草原から足早に去り、とみを抱いたきくが城下町内に戻って建物の陰に消える姿で映画は終わります。本作は三船プロダクションが世田谷区成城に建てた三船プロダクション専用撮影スタジオで撮影された最初の作品だそうで、三船敏郎という映画スターは都会の一等地に専用撮影スタジオを建てるだけの財力を持つ大スターだったわけです。本作の撮影中に三船敏郎と小林監督はしばしば衝突して不仲でしたが、映画の好評と数々の賞の受賞で三船も気を良くして和解したというから現金なものです。小林正樹自身が当時「今回は芥川賞ではなく直木賞の線で行く」と新聞取材に語っており、『切腹』が娘夫婦と孫の仇を討つ老浪人、本作は息子夫婦と孫のために謀叛に立つ老藩士と双子のような作品ですが、『切腹』あっての本作としてもこれは甲乙つけがたい観があります。昭和42年の日本映画は『圧殺の森』『解散式』『乱れ雲』『華岡青州の妻』『愛の渇き』『日本春歌考』『人間蒸発』『クレージー黄金作戦』『殺しの烙印』とベストテン1位なら本作よりも推したい作品が数々あり、三島由紀夫が『切腹』に見て賞賛したような一種の特攻精神の美化や散華の美の讃歌に転化するような危うさもありますが、本作も『切腹』も時代劇の持つフィクション性によって紙一重の位置で両義的な解釈の余地のある作品になっています。またメロドラマ性の強さでは『切腹』より豊かな人間的情感があり、それはヒューマニズムの訴求というテーマとは別の映画的情感でもあるでしょう。それだけに『怪談』は『切腹』と本作の間にあって、どこか要を欠いていた作品のようにおもわれます。