松竹~東京映画と社員監督だった時代も同世代の映画監督と較べて作品は少なく、第1作『息子の青春』(松竹大船'52.6)第2作『まごころ』(松竹大船'53.1)、第3作('53年完成、公開延期)『壁あつき部屋』(新鋭プロ=松竹'56.10)、第4作『三つの愛』(松竹大船'54.8)、第5作『この広い空のどこかに』(松竹大船'54.11)、第6作『美わしき歳月』(松竹大船'55.5)、第7作『泉』(松竹大船'56.2)、第8作『あなた買います』(松竹大船'56.11)、仲代達矢の小林作品初出演となった第9作『黒い河』(にんじんくらぶ=松竹大船'57.10)、第10作『人間の條件・第一部純愛篇、第二部激怒篇』(にんじんくらぶ=歌舞伎座映画=松竹'59.1)、第11作『人間の條件・第三部望郷篇、第四部戦雲篇』(人間プロ=松竹'59.11)、第12作『人間の條件・完結篇 第五部死の脱出、第六部曠野の彷徨』(文芸プロ=にんじんくらぶ=松竹'61.1)、第13作『からみ合い』(文芸プロ=にんじんくらぶ=松竹'62.2)、第14作『切腹』(松竹京都'62.9)、第15作『怪談』(文芸プロ=にんじんくらぶ=東宝'65.1)、第16作『上意討ち 拝領妻始末』(三船プロ=東宝'67.5)、第17作『日本の青春』(東京映画=東宝'68.6)、第18作『いのちぼうにふろう』(俳優座映画放送=東宝'71.9)、第19作『化石』(俳優座映画放送=四騎の会=東宝'75.10)、第20作『燃える秋』(東宝映画=三越'78.12)、第21作『東京裁判』(講談社=東宝東和'83.6)、第22作『食卓のない家』(MARUGENビル=松竹富士'85.11)と、三部作公開された『人間の条件』を1作とすれば20作となり、監督デビュー作は45分の中編なので『まごころ』を長編第1作とすれば中編1作・長編19作とさらに少なくなる一方3時間を超える大作も『人間の条件』以外に『怪談』『化石』『東京栽培』があり、DVD化は生誕100年の2016年にようやく進むまで『人間の条件』『切腹』『怪談』などの代表的大作しかされず、『壁あつき部屋』『あなた買います』『黒い河』『からみ合い』『上意討ち 拝領妻始末』などは海外盤のDVD化の方が早かったほどです。現在も版権問題で『日本の青春』『燃える秋』『食卓のない家庭』が未DVD化で、遺作『食卓のない家』にいたっては製作会社の倒産によって版権ばかりか原盤プリントも行方不明で上映不可能になっているようです。研究・論評・資料書も生誕100年に刊行された『映画監督 小林正樹』(岩波書店刊)が唯一で、黒澤明(1910-1998)や大島渚(1932-2013)のように生前から研究書や論評書が著されることもなく、生涯作品数も寡作とされる黒澤明の30作、大島渚の23作にもおよびません。今回全DVD化作品と木下惠介のチーフ助監督時代に脚本を共作した唯一の作品を含めて新たにDVDで観直していこうと思います。
●2月1日(金)
『破れ太鼓』(監督・脚本=木下惠介、助監督・共同脚本=小林正樹、松竹京都'49)*109min, B/W・昭和24年12月7日公開
[ スタッフ ] 監督 : 木下惠介 / 脚本 : 木下惠介・小林正樹 / 製作 : 小倉浩一郎 / 撮影 : 楠田浩之 / 美術 : 小島基司・桑野春英 / 音楽 : 木下忠司 / 録音 : 高橋太朗 / 照明 : 寺田重雄
製作は「薔薇はなぜ紅い」の小倉浩一郎で木下恵介と助監督の小林正樹が協同で脚本を書き、「お嬢さん乾杯!」「四谷怪談(1949)」についで木下恵介が監督する。キャメラは「四谷怪談(1949)」の楠田浩之が担当。主演は「王将(1948)」「佐平次捕物控・紫頭巾」の阪東妻三郎、「大都会の顔」「真昼の円舞曲」の村瀬幸子(俳優座)「大都会の丑満時」「痴人の愛(1949)」の森雅之、今回日劇ダンシングチームから抜てきされた小林トシ子で、それに本作品で音楽を担当している木下忠司、「痴人の愛(1949)」の宇野重吉、「真昼の円舞曲」の滝沢修、東山千栄子(俳優座)、「足を洗った男」の桂木洋子らが出演する。
[ 配役 ] 阪東妻三郎 : 津田軍平 / 村瀬幸子 : 妻邦子 / 森雅之 : 長男太郎 / 木下忠司 : 二男平二 / 大泉滉 : 三男又三郎 / 大塚正義 : 四男四郎 / 小林トシ子 : 長女秋子 / 桂木洋子 : 次女春子 / 村上記代 : 女中つゆ / 沢村貞子 : 叔母素子 / 宇野重吉 : 野中茂樹 / 滝沢修 : 父直樹 / 東山千栄子 : 母伸子 / 永田光男 : 花田輝夫 / 小沢栄 : 経理部長木村
[ あらすじ ] 津田家の主人軍平は土建屋で、過去は腕と度胸で危い橋をわたってきた男で、無教育でごう漫で、そして暴君であった。家族に対してもおれのお蔭でみんなしあわせに暮せるんだと思っているから、妻や子供はみんな自分に感謝し尊敬していると思っている。だが――父の会社につとめている長男太郎は叔母素子と共同でオルゴール製造会社をやろうとし、音楽家志望の二男平二はオヤジをふう刺した「破れ太鼓」という歌をつくって弟妹にきかせてる。三男又三は医学生、四男四郎は中学生、長女秋子は父の会社の出資主の息子花田輝夫に嫁にいけといわれていて、相手に愛情もないのに交際していたが、ふとしたことから青年画家野中と愛し合う。次女の春子は女学生。兄妹みんな仲よく母を慕って楽しい家庭なのだが軍平が帰ってくるとその団らんはこわれ、軍平の圧力の前に屈して去勢されたようになってしまうのだ。この二つの雰囲気は到々爆発するときがきた。――太郎がオルゴール会社のことを父に説き、反対された上なぐられ、太郎は家を出て叔母素子のもとに走った。秋子は昨日までの秋子でなかった。恋に生きる強い女になっていた。輝夫との婚約のことでついに父のゲキリンにふれ決然として家を出た。秋子をなぐる軍平に、今まで絶対服従だった妻邦子まで、今や軍平の前に立ちふさがり彼女もまた良人のもとを離れて家を出るに至る。母のあとを追って子供たちもみんな一しょに出てしまった。そのころ軍平の会社は金づまりと、秋子と輝夫のことで資本主は手を引き、ついに暗礁にのりあげた。昨日に変る失意の軍平は今こそ孤独の自分を知り人生の悲哀を感じたのだ。叔母素子のもとでオルゴール製造に当って楽しい勤労を実践中の太郎や母邦子、秋子たちももともと自分たちの良人であり父である軍平を心から憎んでいるわけではなかった。みんなは心よく失意の軍平を自分たちの温い雰囲気の中へ迎え入れてやるのだった。
――本作は何と言っても阪東妻三郎にホームドラマ・コメディの主演を配するというアイディアで原案・共同脚本を書いた木下惠介の演出の冴えと見事にはまったキャスティング(しかも普段や後年の役柄からするとかなり意外な実力派俳優たちの配役)、何より阪妻の素晴らしいコメディ演技のキャラクターで木下作品でも出色の快作になっています。家長の威厳の失楽をテーマにしながら家庭崩壊劇にはせず全員が理解しあって和睦に着地するまでをぴたっと上手すぎるほど巧妙に描いており、少々話が巧すぎると思えるくらいです。この映画は昭和27年まで続くアメリカ軍による日本占領と検閲への配慮が行き届いており、敗戦による文化や家庭崩壊を木下惠介が正面から描く(描ける)ようになったのも『日本の悲劇』'53(昭和28年)からでした。同年には小林正樹が通算3作、長編第2作として戦犯問題を真っ向から題材にした『壁あつき部屋』を完成させていますから(同作は政治性を懸念した松竹上層部から昭和31年まで公開延期されますが)、木下と小林には共通した敗戦と戦後文化への認識があったでしょう。それは本作の時点でもすでに時期を待っていたはずですが、『破れ太鼓』の登場人物は対立こそすれ全員がお人好しに描かれている。阪妻の主人公は家長の体面を保って実際は妻や息子世代に家庭の実権を譲っています。木下や小林がこれは天皇制は維持させたまま民主化を推進させたアメリカの日本人の人心を見透かした政策に対応する、と気づいていないわけはなく、日本人の精神年齢は14歳だと放言したのは軍事力と政治的独裁体制を楯にした日本占領軍総帥のマッカーサーでしたが、この映画の登場人物は主人公一家を始め全員が中学校のホームルームのように振る舞います。おそらく当時の日本の世相からも本作は理想化されたホームドラマにすぎず、それを正当化するには都合良くすべてが収まるというコメディの手法をとらずには表現できなかったので、松竹最高の巨匠監督の小津安二郎の映画がそうだったように登場人物の発音・発声は日常的には不自然なほど人工化された、映画の中でしか存在しない架空の標準語で会話されています。小津の映画は同時代の日本映画とは隔絶しているほど現在でも聞き取りやすい日本語で登場人物が会話し、さらに生活様式も超時代的に様式化されていますが、その人工化は小津の独創なので木下作品でも普段はもっと時代的にも地域的にもローカルな日本語、ローカルな所作で登場人物が描かれています。本作の主人公一家は田園調布駅最寄り、長女の恋人になる画家の芸術家一家は横浜に住んでいますが、満員電車の光景すら本作では手加減が加えられていると言えて、そうした映画内の虚構の水準で本作は全面的に支えられており、小津や木下は基本的に松竹主流の現代ホームドラマの作者であり時代劇の監督ではありませんが、描かれているのは時代劇と同様の虚構世界と理想化された人物です。時代劇スターである阪東妻三郎がこうした役柄の理解と演技が不得意なわけはなく、松竹自体も歌舞伎新派の演出家たちの起用と平行して新劇運動の先駆者・小山内薫門下生の帰山教正や村田実による現代劇で日活や日活から分かれた牧野プロの時代劇映画に対抗する路線を敷いた映画会社なので、木下惠介や小林正樹の世代もまた新劇の俳優を重用した映画作りをしており、新劇も日本に出現した虚構の現代劇から離れられません。新劇系の学生演劇から出発しながら大島渚が専業俳優ではないタレントや素人新人に新劇俳優より映画の可能性を追い、映画俳優という虚構性に徹底して自覚的な吉田喜重が松竹から登場した画期性はそこにありました。『破れ太鼓』は明確に方法を備えた監督による秀作ですが、どこか輪郭のはっきりした漫画のようなところがあり、輪郭の中でしか耐えられないようなところがある。それが映画の全人性に限界を引いているような印象も受けるのです。
●2月2日(土)
『息子の青春』(松竹大船'52)*45min, B/W・昭和27年6月27日公開
[ スタッフ ] 監督 : 小林正樹 / 脚本 : 中村定郎 / 原作 : 林房雄 / 製作 : 山本武 / 撮影 : 高村倉太郎 / 美術 : 中村公彦 / 音楽 : 木下忠司
[ 配役 ] 北龍二 : 越智英夫 / 三宅邦子 : 千代子 / 石浜朗 : 春彦 / 藤原元二 : 秋彦 / 笠智衆 : 植村泰造 / 磯貝元男 : 幸一 / 野戸成光 : 山本記者 / 小園蓉子 : 森川たみ子 / 島村俊雄 : 洋服屋 / 高瀬進 : ボーイ/ 新島勉 : 署長
[ あらすじ ] 小説家越智英夫は、「息子の青春」という小説を書こうと思っている。それは、長男の春彦が十八歳になり、近頃頭の毛を伸ばしだしたりしたことによるのだった。それにどうやら仲の良い女の友達もいるらしい。そのうちに、質実剛健な無骨者になるだろうと思っていた次男の秋彦までが髪を伸ばしだして両親を驚かせた。やがて春彦の誕生日に、彼の女友達森川たみ子を招待して欲しいと彼自身から申し出るので、夫妻は快く承知してやった。誕生日の当日、春彦よりも夫妻の方がたみ子を心待ちにしていた。そしてたみ子が感じのよい娘なので、ほっと安心するのだった。誕生日の招待の返礼に、たみ子の家から春彦を歌舞伎座に招待してきた時には、初めて背広も作ってやった。そのうち、弟の秋彦があまり評判のよくない植村幸一と交際していることで、心配しなければならなくなった。そして遂に秋彦は、幸一の巻き添えで警察に保護検束された。幸一が江の島へ遊びに来た学生を脅迫して腕時計を奪ったという事件であるが、幸一の父泰三が頑強にそれを否定するので、二人とも釈放にならないのだった。植村泰三の言い分は、親爺くらい息子を信用してやらなければ、息子が本当の不良になる恐れがある、というものだった。越智はその親心にも頭を下げたが、彼が引き受けて警察へ掛け合い、幸一と秋彦を連れて帰ってきた。親たちは、その二人を温かく迎えてやるのだった。
――本作は林房雄の小説の映画化、というだけでも微妙なもので、戦前にコミュニズムから転向して保守反動に回った林房雄は左翼も右翼も中間ブルジョワも知り抜いた食えない作家で、その思想的タフさ(または徹底日和見主義)には三島由紀夫も先輩作家中最大の尊敬を抱いていたくらいです。本作は同一キャストで原作小説の続編『妻の青春』(監督=山本浩三、松竹大船'53.2)も作られているくらいで、同作は未見ですしDVD化もされていませんがやはり併映用の43分の中編で、山本浩三は小津安二郎の助監督出身でこの初監督作だけで正式な監督昇進はならず『妻の青春』1作だけしか監督作品のない人ですから、この『息子の青春』も会社企画でヴェテラン助監督に併映用中編を1本撮らせるか、程度の期待度しかなかったと想像がつきます。おそらく脚本から逸脱した演出や改稿も一切許されなかったと思われ、田園調布のブルジョワ家庭を描いた『破れ太鼓』よりはるかに後退した呑気なホームドラマです。映画の中心は鎌倉に住む作家の越智(北龍二)とその妻(三宅邦子)で、夫婦には18歳の長男(石浜朗)と16歳の次男(藤原元二)がおり、長男には最近つきあい始めたガールフレンド(小園蓉子)がいて、越智夫婦は息子の恋にわくわくし、デートの応援にスーツを作ってやり、先方の家族の勧めで歌舞伎見物と銀座デートをするというので小遣をあげ、家での長男の誕生日パーティに彼女を招くというので、どんなお嬢さんかとうきうきしています。一方、次男はあまり良い噂のない親友の植村(磯貝元男)と別の学校の生徒との喧嘩が原因(相手の生徒が喧嘩に負けて腕時計を渡したため)で恐喝強盗容疑で警察に捕まってしまう事件が起き、越智や妻はおろおろしますが、先に警察に怒鳴りこんできたという植村の父親(笠智衆)が訪ねてきて親が息子を信じてやらなくて誰が息子を信じてやれるのか、と語って越智を感激させ、越智は警察に低姿勢で息子たちを警察に貰い受けに行きます。帰ってきた次男とその親友の植村は兄の長男と相撲を始め、越智と植村の父は息子たちの相撲を見ながら、お互いに「負けるな、負けるな」と励ましす場面で映画は終わります。 もう手放しの親馬鹿家族愛賛歌が全編何のひねりもなく描かれており、マッカーサーに「日本人の精神年齢は……」と嘲られても反論の余地もないホームドラマ世界で、映画冒頭の学校への登校風景などは生徒たちの自転車が走り抜ける爽やかな始まりで期待させますが、比較的ゆったりとした長回しのカット割りに木下惠介譲りのセンスの良さが感じられる以外はどこに取り柄を見つけるかというと、初々しくてレストランに入ろうとして逃げ出してしまう長男カップルの初デートや、笠智衆の朴訥な親馬鹿ぶりに「わかりました。私が頭を下げに行きましょう」「実は私もそれをお願いに来たんですわい」と社会的地位の高いらしい主人公の作家が物わかりよく人生智に富んでいるのがますます呆れるくらい肯定的に描かれ、結末の息子たちの相撲に声援を送る父親二人の親馬鹿ぶりたるや突っこむ気持も失せるもので、ライヴァル社の日活や東宝、東映、新東宝なら新人監督の第1作は低予算プログラム・ピクチャーの娯楽映画としても時代劇や青春映画、アクション映画やサスペンス映画でしょうに、松竹ホームドラマは才人・木下惠介門下の俊英にもホームドラマのもっとも毒気のないものを撮らせてしまったというのがこの作品です。そういう歴史的興味の上で観るなら監督昇進以降のなだらかではない小林正樹監督作品の進退もすでにこの監督第1作から始まっていたのがわかります。