人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2019年2月1日・2日/小林正樹(1916-1996)監督作品(1)

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 小林正樹(1916-1996)という映画監督は晩年極端に存在感を失い、没後も再評価らしい再評価もなく全盛期の名声を知る人(または知った人)に地味に観続けられているだけで、ひょっとしたら日本映画ベスト100などの投票からも洩れてしまうかもしれません。松竹への映画界入りは昭和16年('41年)と早い人でしたがすぐ徴兵されて満州宮古島~沖縄と任地を転々としたため復帰は戦後まで遅れ、松竹の映画監督・木下惠介(1912-1998)のチーフ助監督を『破戒』'48から『日本の悲劇』'53年まで11作品勤め、初監督作品を昭和27年に担当したのち翌年ようやく監督昇進し(4歳だけ年長の木下惠介の監督昇進とデビューは昭和18年で、敗戦までにも長編4作がありました)、キネマ旬報ベストテン入りするようになったのはプロ野球のスカウト合戦を描いた昭和31年('56年)の『あなた買います』からで、二部ずつ三編に分けて公開された全六部・9時間半の超大作『人間の条件』'59~'61(昭和34年~36年)を経て'60年代には初の時代劇『切腹』'62(昭和37年)、ラフカディオ・ハーン原作の『怪談』'65(昭和40年)で2作連続カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞、『上意討ち 拝領妻始末』'67(昭和42年)で初のキネマ旬報ベストテン1位を獲得し『日本の青春』'68(昭和43年)でカンヌ国際映画祭グランプリにノミネートされ、フリーになった昭和44年('69年)には黒澤明木下惠介市川崑とともに「四騎の会」を結成、昭和46年('71年)にはカンヌ国際映画祭25周年記念として世界10大監督に選ばれ功労賞を受賞しますが、この頃から監督の機会に恵まれなくなり'70年代には3作、'80年代には2作と寡作になり、興行的失敗に終わった昭和60年('85年)の『食卓のない家』が遺作になりました。晩年10年間は依頼企画はまったく受けず「麻雀で食っていましたね」と小林作品最多主演俳優で、小林監督と自分の関係を黒澤明三船敏郎の関係になぞらえるほどの仲代達矢(1932-)氏が証言しています。
 松竹~東京映画と社員監督だった時代も同世代の映画監督と較べて作品は少なく、第1作『息子の青春』(松竹大船'52.6)第2作『まごころ』(松竹大船'53.1)、第3作('53年完成、公開延期)『壁あつき部屋』(新鋭プロ=松竹'56.10)、第4作『三つの愛』(松竹大船'54.8)、第5作『この広い空のどこかに』(松竹大船'54.11)、第6作『美わしき歳月』(松竹大船'55.5)、第7作『泉』(松竹大船'56.2)、第8作『あなた買います』(松竹大船'56.11)、仲代達矢の小林作品初出演となった第9作『黒い河』(にんじんくらぶ=松竹大船'57.10)、第10作『人間の條件・第一部純愛篇、第二部激怒篇』(にんじんくらぶ=歌舞伎座映画=松竹'59.1)、第11作『人間の條件・第三部望郷篇、第四部戦雲篇』(人間プロ=松竹'59.11)、第12作『人間の條件・完結篇 第五部死の脱出、第六部曠野の彷徨』(文芸プロ=にんじんくらぶ=松竹'61.1)、第13作『からみ合い』(文芸プロ=にんじんくらぶ=松竹'62.2)、第14作『切腹』(松竹京都'62.9)、第15作『怪談』(文芸プロ=にんじんくらぶ=東宝'65.1)、第16作『上意討ち 拝領妻始末』(三船プロ=東宝'67.5)、第17作『日本の青春』(東京映画=東宝'68.6)、第18作『いのちぼうにふろう』(俳優座映画放送=東宝'71.9)、第19作『化石』(俳優座映画放送=四騎の会=東宝'75.10)、第20作『燃える秋』(東宝映画=三越'78.12)、第21作『東京裁判』(講談社=東宝東和'83.6)、第22作『食卓のない家』(MARUGENビル=松竹富士'85.11)と、三部作公開された『人間の条件』を1作とすれば20作となり、監督デビュー作は45分の中編なので『まごころ』を長編第1作とすれば中編1作・長編19作とさらに少なくなる一方3時間を超える大作も『人間の条件』以外に『怪談』『化石』『東京栽培』があり、DVD化は生誕100年の2016年にようやく進むまで『人間の条件』『切腹』『怪談』などの代表的大作しかされず、『壁あつき部屋』『あなた買います』『黒い河』『からみ合い』『上意討ち 拝領妻始末』などは海外盤のDVD化の方が早かったほどです。現在も版権問題で『日本の青春』『燃える秋』『食卓のない家庭』が未DVD化で、遺作『食卓のない家』にいたっては製作会社の倒産によって版権ばかりか原盤プリントも行方不明で上映不可能になっているようです。研究・論評・資料書も生誕100年に刊行された『映画監督 小林正樹』(岩波書店刊)が唯一で、黒澤明(1910-1998)や大島渚(1932-2013)のように生前から研究書や論評書が著されることもなく、生涯作品数も寡作とされる黒澤明の30作、大島渚の23作にもおよびません。今回全DVD化作品と木下惠介のチーフ助監督時代に脚本を共作した唯一の作品を含めて新たにDVDで観直していこうと思います。

●2月1日(金)
『破れ太鼓』(監督・脚本=木下惠介、助監督・共同脚本=小林正樹、松竹京都'49)*109min, B/W・昭和24年12月7日公開

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 小林正樹木下惠介のチーフ助監督に就いたのは前年の『破戒』'48(キネマ旬報ベストテン第6位)からですが、翌年まで4作の木下作品中初めて(そして唯一)共同脚本も勤めたのが本作になります。『破戒』と同年のキネマ旬報ベストテン第1位は黒澤明の『醉ひどれ天使』でしたが、戦後初のキネマ旬報日本映画ベストテン第1位が木下の『大曾根家の朝』'46、同年2位が黒澤明の『わが青春に悔いなし』で、昭和18年にともに新人監督賞として創設された山中貞雄賞を『花咲く港』『姿三四郎』で分けあって以来、木下惠介黒澤明は長い間、日本映画界でライヴァル視される存在になりました。ちなみに『破れ太鼓』が4位を獲得した年のキネマ旬報ベストテン第1位~3位は1位・小津安二郎『晩春』、2位・今井正青い山脈』、3位・黒澤明『野良犬』で(外国映画ベストテン1位~3位は1位・ロッセリーニ『戦火のかなた』、2位・ルノワール大いなる幻影』、3位・スティーヴンス『ママの想い出』)で、木下作品は6位に『お嬢さん乾杯』、黒澤作品は7位に『静かなる決闘』とベストテン内2作ずつ入選しています。以降年間1~2作の黒澤作品はほとんどがベストテン内になり、多い時には年4作と多作だった木下作品もそのうち1~2作はベストテン入りするのがほぼ'60年代いっぱいまで続きます。小林正樹は長く続いた木下惠介の人気絶頂期の最盛期前半と言える時期にチーフ助監督だったので、監督デビューが36歳、正式昇進が37歳と戦時中のブランクから遅れた分、日本映画界のもっとも注目され華やかな現場で助監督時代を過ごした、と言えます。木下惠介は非常に多彩な作風を誇った点で黒澤明とは対照的ですが、戦後第1作の『大曾根家の朝』から早くも戦後10作目の『破れ太鼓』は木下のオリジナル原案ということからも企画が立て易かったのかテレビドラマで昭和33年('58年)、昭和37年('62年)、昭和39年('64年)、昭和40年('65年)と4度リメイクされ、特に昭和40作版は阪東妻三郎(1901-1953)の十三回忌記念作として製作・放映され、妻三郎の息子の田村高廣田村正和田村亮の通称「阪妻の息子こと田村三兄弟」が息子役で出演し、田村亮はこれがテレビデビュー作になりました。阪東妻三郎は'20年の映画デビューから51歳の享年まで146本の出演作を持ち、サイレント時代から戦後映画まで長い人気を誇った大俳優で、サイレント時代の『小雀峠』'23、『逆流』'24、『影法師』'25、『雄呂血』'25から戦時中の『無法松の一生』'43、戦後の『狐の呉れた赤ん坊』'45、『王将』'53までスター俳優であり続けました。『雄呂血』のニヒルな剣戟スターから人情劇、さらに本作はアメリカ映画的とすら言えるホームドラマのコメディで年配に見合った主演作品にも恵まれた名優で、20世紀の日本映画、特に20世紀前半に限れば大河内傳次郎とともに男性俳優中のトップクラスの地位にあった人で、テレビドラマのリメイク回数が多いのは本作の原案と脚本も良いですが阪東妻三郎のコメディ演技とともに本作が愛され、まだ映画のテレビ放映に組合規定上の制限があった時代に家庭でも『破れ太鼓』のリメイクが求められた、ということでしょう。関連策である本作含め小林正樹監督作品はキネマ旬報に公開当時の新作日本映画紹介がありますから、時代相を反映した歴史的文献として引用紹介させていただきます。以下がそのキネマ旬報による紹介です。
[ スタッフ ] 監督 : 木下惠介 / 脚本 : 木下惠介小林正樹 / 製作 : 小倉浩一郎 / 撮影 : 楠田浩之 / 美術 : 小島基司・桑野春英 / 音楽 : 木下忠司 / 録音 : 高橋太朗 / 照明 : 寺田重雄
製作は「薔薇はなぜ紅い」の小倉浩一郎で木下恵介と助監督の小林正樹が協同で脚本を書き、「お嬢さん乾杯!」「四谷怪談(1949)」についで木下恵介が監督する。キャメラは「四谷怪談(1949)」の楠田浩之が担当。主演は「王将(1948)」「佐平次捕物控・紫頭巾」の阪東妻三郎、「大都会の顔」「真昼の円舞曲」の村瀬幸子(俳優座)「大都会の丑満時」「痴人の愛(1949)」の森雅之、今回日劇ダンシングチームから抜てきされた小林トシ子で、それに本作品で音楽を担当している木下忠司、「痴人の愛(1949)」の宇野重吉、「真昼の円舞曲」の滝沢修東山千栄子俳優座)、「足を洗った男」の桂木洋子らが出演する。
[ 配役 ] 阪東妻三郎 : 津田軍平 / 村瀬幸子 : 妻邦子 / 森雅之 : 長男太郎 / 木下忠司 : 二男平二 / 大泉滉 : 三男又三郎 / 大塚正義 : 四男四郎 / 小林トシ子 : 長女秋子 / 桂木洋子 : 次女春子 / 村上記代 : 女中つゆ / 沢村貞子 : 叔母素子 / 宇野重吉 : 野中茂樹 / 滝沢修 : 父直樹 / 東山千栄子 : 母伸子 / 永田光男 : 花田輝夫 / 小沢栄 : 経理部長木村
[ あらすじ ] 津田家の主人軍平は土建屋で、過去は腕と度胸で危い橋をわたってきた男で、無教育でごう漫で、そして暴君であった。家族に対してもおれのお蔭でみんなしあわせに暮せるんだと思っているから、妻や子供はみんな自分に感謝し尊敬していると思っている。だが――父の会社につとめている長男太郎は叔母素子と共同でオルゴール製造会社をやろうとし、音楽家志望の二男平二はオヤジをふう刺した「破れ太鼓」という歌をつくって弟妹にきかせてる。三男又三は医学生、四男四郎は中学生、長女秋子は父の会社の出資主の息子花田輝夫に嫁にいけといわれていて、相手に愛情もないのに交際していたが、ふとしたことから青年画家野中と愛し合う。次女の春子は女学生。兄妹みんな仲よく母を慕って楽しい家庭なのだが軍平が帰ってくるとその団らんはこわれ、軍平の圧力の前に屈して去勢されたようになってしまうのだ。この二つの雰囲気は到々爆発するときがきた。――太郎がオルゴール会社のことを父に説き、反対された上なぐられ、太郎は家を出て叔母素子のもとに走った。秋子は昨日までの秋子でなかった。恋に生きる強い女になっていた。輝夫との婚約のことでついに父のゲキリンにふれ決然として家を出た。秋子をなぐる軍平に、今まで絶対服従だった妻邦子まで、今や軍平の前に立ちふさがり彼女もまた良人のもとを離れて家を出るに至る。母のあとを追って子供たちもみんな一しょに出てしまった。そのころ軍平の会社は金づまりと、秋子と輝夫のことで資本主は手を引き、ついに暗礁にのりあげた。昨日に変る失意の軍平は今こそ孤独の自分を知り人生の悲哀を感じたのだ。叔母素子のもとでオルゴール製造に当って楽しい勤労を実践中の太郎や母邦子、秋子たちももともと自分たちの良人であり父である軍平を心から憎んでいるわけではなかった。みんなは心よく失意の軍平を自分たちの温い雰囲気の中へ迎え入れてやるのだった。
 ――本作は何と言っても阪東妻三郎ホームドラマ・コメディの主演を配するというアイディアで原案・共同脚本を書いた木下惠介の演出の冴えと見事にはまったキャスティング(しかも普段や後年の役柄からするとかなり意外な実力派俳優たちの配役)、何より阪妻の素晴らしいコメディ演技のキャラクターで木下作品でも出色の快作になっています。家長の威厳の失楽をテーマにしながら家庭崩壊劇にはせず全員が理解しあって和睦に着地するまでをぴたっと上手すぎるほど巧妙に描いており、少々話が巧すぎると思えるくらいです。この映画は昭和27年まで続くアメリカ軍による日本占領と検閲への配慮が行き届いており、敗戦による文化や家庭崩壊を木下惠介が正面から描く(描ける)ようになったのも『日本の悲劇』'53(昭和28年)からでした。同年には小林正樹が通算3作、長編第2作として戦犯問題を真っ向から題材にした『壁あつき部屋』を完成させていますから(同作は政治性を懸念した松竹上層部から昭和31年まで公開延期されますが)、木下と小林には共通した敗戦と戦後文化への認識があったでしょう。それは本作の時点でもすでに時期を待っていたはずですが、『破れ太鼓』の登場人物は対立こそすれ全員がお人好しに描かれている。阪妻の主人公は家長の体面を保って実際は妻や息子世代に家庭の実権を譲っています。木下や小林がこれは天皇制は維持させたまま民主化を推進させたアメリカの日本人の人心を見透かした政策に対応する、と気づいていないわけはなく、日本人の精神年齢は14歳だと放言したのは軍事力と政治的独裁体制を楯にした日本占領軍総帥のマッカーサーでしたが、この映画の登場人物は主人公一家を始め全員が中学校のホームルームのように振る舞います。おそらく当時の日本の世相からも本作は理想化されたホームドラマにすぎず、それを正当化するには都合良くすべてが収まるというコメディの手法をとらずには表現できなかったので、松竹最高の巨匠監督の小津安二郎の映画がそうだったように登場人物の発音・発声は日常的には不自然なほど人工化された、映画の中でしか存在しない架空の標準語で会話されています。小津の映画は同時代の日本映画とは隔絶しているほど現在でも聞き取りやすい日本語で登場人物が会話し、さらに生活様式も超時代的に様式化されていますが、その人工化は小津の独創なので木下作品でも普段はもっと時代的にも地域的にもローカルな日本語、ローカルな所作で登場人物が描かれています。本作の主人公一家は田園調布駅最寄り、長女の恋人になる画家の芸術家一家は横浜に住んでいますが、満員電車の光景すら本作では手加減が加えられていると言えて、そうした映画内の虚構の水準で本作は全面的に支えられており、小津や木下は基本的に松竹主流の現代ホームドラマの作者であり時代劇の監督ではありませんが、描かれているのは時代劇と同様の虚構世界と理想化された人物です。時代劇スターである阪東妻三郎がこうした役柄の理解と演技が不得意なわけはなく、松竹自体も歌舞伎新派の演出家たちの起用と平行して新劇運動の先駆者・小山内薫門下生の帰山教正や村田実による現代劇で日活や日活から分かれた牧野プロの時代劇映画に対抗する路線を敷いた映画会社なので、木下惠介小林正樹の世代もまた新劇の俳優を重用した映画作りをしており、新劇も日本に出現した虚構の現代劇から離れられません。新劇系の学生演劇から出発しながら大島渚が専業俳優ではないタレントや素人新人に新劇俳優より映画の可能性を追い、映画俳優という虚構性に徹底して自覚的な吉田喜重が松竹から登場した画期性はそこにありました。『破れ太鼓』は明確に方法を備えた監督による秀作ですが、どこか輪郭のはっきりした漫画のようなところがあり、輪郭の中でしか耐えられないようなところがある。それが映画の全人性に限界を引いているような印象も受けるのです。

●2月2日(土)
『息子の青春』(松竹大船'52)*45min, B/W・昭和27年6月27日公開

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 長編映画としてはぎりぎりの長さ(40分未満は中短編)の小品の監督デビュー作である本作はまだ木下惠介のチーフ助監督時代に製作されたもので、川島雄三監督、紙京子・井川邦子主演作『娘はかく抗議する』併映作品(SP=シスター・ピクチャー)として公開されました。当時使われたSPことシスター・ピクチャー(姉妹作)というのは和製英語でしょうが、まだ正式な監督昇前の進助監督時代に併映用の短い長編を監督デビュー作に撮らせるのは松竹ではのちの大島渚の第1作『愛と希望の街』(松竹大船'59年=昭和34年11月公開、62分)でも続いており、大島の27歳の監督デビューは若手監督を起用しようとした日活や東映東宝らライヴァル社を意識した松竹の実験的試みで、正式な監督昇進後の『青春残酷物語』(松竹大船'60年=昭和35年6月公開)、『太陽の墓場』(松竹大船'60年=昭和35年8月公開)と話題性に富むヒット作を連発した大島は極端な実験的政治映画の第4作『日本の夜と霧』(松竹大船'60年=昭和35年10月公開)を発表するも松竹は同作を公開4日で打ち切り以後数年間貸し出し再上映を封印し、これに抗議した大島は松竹社員としては4作で退社しフリーになります。黒澤明の第1作は木下惠介のデビュー作と同じ昭和18年('43年)のPCL映画社『姿三四郎』で、戦後PCLは東宝と改名し黒澤は昭和34年('59年)まで社員監督でしたが同年からは黒澤プロダクションとして東宝と専属契約のプロダクションにセクションを分けられ、昭和40年('65年)の第23作『赤ひげ』を最後に製作期間延長と予算超過のため東宝との専属契約は解除されました。大島渚が'60年代前半寡作を強いられたあと'60年代後半~'70年初頭まで爆発的な多作の時期を経て'70年代中盤からは海外プロダクションとの共同製作で再び寡作家になり、黒澤がフリーになってからは遺作『まあだたよ』'93(平成5年)まで7作と寡作家になったにしても、専属会社時代が長かった小林正樹に多作と言える時代がほとんどなく、生涯の監督作品数も少ないのは映画監督として幸運だったのか不運だったのかわかりません。勢い任せでどんどん作品を送り出す機会があるのはそれだけの成果ももたらすので、溝口健二小津安二郎がサイレント時代にどれだけ多作でそれがのちの作品の徹底した熟成の下地になっていたのを思えば、小林正樹の監督デビュー当時の松竹の手堅い製作姿勢はライヴァル社の数々の多作主義より慎重だった分制約も多かったと思われ、その反動が小林をのちの大作主義に向かわせたようにも見られるだけに、大作主義に行き詰まった時極端な寡作に陥ることにもなったように感じられます。創作家には処女作にすべてがあると言われますがそれは処女作にすべての可能性をぶつけた時だけで、その点では戦時中に『姿三四郎』を監督デビュー作とした黒澤明、『花咲く港』をデビュー作とした木下惠介は困難な時勢にあって処女作らしい処女作を残すことができた監督たちでしたが、数歳年少だっただけで戦後まで兵役によるブランクからデビューがずっと遅れた小林正樹の場合は映画会社が新人監督に自社のカラーに合ったものしか許さなくなっていた背景がうかがわれ、監督デビュー作らしい面は遠慮がちにしか現れていないように思えます。本作は併映用の実質的に中編作品だからかキネマ旬報の新作日本映画紹介でも解説は省略され、データとあらすじだけの紹介がされています。これも公開当時の紹介だけあって宣伝資料を基にしたあらすじと思われるので、その点でも歴史的文献としてご紹介しておきましょう。
[ スタッフ ] 監督 : 小林正樹 / 脚本 : 中村定郎 / 原作 : 林房雄 / 製作 : 山本武 / 撮影 : 高村倉太郎 / 美術 : 中村公彦 / 音楽 : 木下忠司
[ 配役 ] 北龍二 : 越智英夫 / 三宅邦子 : 千代子 / 石浜朗 : 春彦 / 藤原元二 : 秋彦 / 笠智衆 : 植村泰造 / 磯貝元男 : 幸一 / 野戸成光 : 山本記者 / 小園蓉子 : 森川たみ子 / 島村俊雄 : 洋服屋 / 高瀬進 : ボーイ/ 新島勉 : 署長
[ あらすじ ] 小説家越智英夫は、「息子の青春」という小説を書こうと思っている。それは、長男の春彦が十八歳になり、近頃頭の毛を伸ばしだしたりしたことによるのだった。それにどうやら仲の良い女の友達もいるらしい。そのうちに、質実剛健な無骨者になるだろうと思っていた次男の秋彦までが髪を伸ばしだして両親を驚かせた。やがて春彦の誕生日に、彼の女友達森川たみ子を招待して欲しいと彼自身から申し出るので、夫妻は快く承知してやった。誕生日の当日、春彦よりも夫妻の方がたみ子を心待ちにしていた。そしてたみ子が感じのよい娘なので、ほっと安心するのだった。誕生日の招待の返礼に、たみ子の家から春彦を歌舞伎座に招待してきた時には、初めて背広も作ってやった。そのうち、弟の秋彦があまり評判のよくない植村幸一と交際していることで、心配しなければならなくなった。そして遂に秋彦は、幸一の巻き添えで警察に保護検束された。幸一が江の島へ遊びに来た学生を脅迫して腕時計を奪ったという事件であるが、幸一の父泰三が頑強にそれを否定するので、二人とも釈放にならないのだった。植村泰三の言い分は、親爺くらい息子を信用してやらなければ、息子が本当の不良になる恐れがある、というものだった。越智はその親心にも頭を下げたが、彼が引き受けて警察へ掛け合い、幸一と秋彦を連れて帰ってきた。親たちは、その二人を温かく迎えてやるのだった。
 ――本作は林房雄の小説の映画化、というだけでも微妙なもので、戦前にコミュニズムから転向して保守反動に回った林房雄は左翼も右翼も中間ブルジョワも知り抜いた食えない作家で、その思想的タフさ(または徹底日和見主義)には三島由紀夫も先輩作家中最大の尊敬を抱いていたくらいです。本作は同一キャストで原作小説の続編『妻の青春』(監督=山本浩三、松竹大船'53.2)も作られているくらいで、同作は未見ですしDVD化もされていませんがやはり併映用の43分の中編で、山本浩三は小津安二郎の助監督出身でこの初監督作だけで正式な監督昇進はならず『妻の青春』1作だけしか監督作品のない人ですから、この『息子の青春』も会社企画でヴェテラン助監督に併映用中編を1本撮らせるか、程度の期待度しかなかったと想像がつきます。おそらく脚本から逸脱した演出や改稿も一切許されなかったと思われ、田園調布のブルジョワ家庭を描いた『破れ太鼓』よりはるかに後退した呑気なホームドラマです。映画の中心は鎌倉に住む作家の越智(北龍二)とその妻(三宅邦子)で、夫婦には18歳の長男(石浜朗)と16歳の次男(藤原元二)がおり、長男には最近つきあい始めたガールフレンド(小園蓉子)がいて、越智夫婦は息子の恋にわくわくし、デートの応援にスーツを作ってやり、先方の家族の勧めで歌舞伎見物と銀座デートをするというので小遣をあげ、家での長男の誕生日パーティに彼女を招くというので、どんなお嬢さんかとうきうきしています。一方、次男はあまり良い噂のない親友の植村(磯貝元男)と別の学校の生徒との喧嘩が原因(相手の生徒が喧嘩に負けて腕時計を渡したため)で恐喝強盗容疑で警察に捕まってしまう事件が起き、越智や妻はおろおろしますが、先に警察に怒鳴りこんできたという植村の父親(笠智衆)が訪ねてきて親が息子を信じてやらなくて誰が息子を信じてやれるのか、と語って越智を感激させ、越智は警察に低姿勢で息子たちを警察に貰い受けに行きます。帰ってきた次男とその親友の植村は兄の長男と相撲を始め、越智と植村の父は息子たちの相撲を見ながら、お互いに「負けるな、負けるな」と励ましす場面で映画は終わります。 もう手放しの親馬鹿家族愛賛歌が全編何のひねりもなく描かれており、マッカーサーに「日本人の精神年齢は……」と嘲られても反論の余地もないホームドラマ世界で、映画冒頭の学校への登校風景などは生徒たちの自転車が走り抜ける爽やかな始まりで期待させますが、比較的ゆったりとした長回しのカット割りに木下惠介譲りのセンスの良さが感じられる以外はどこに取り柄を見つけるかというと、初々しくてレストランに入ろうとして逃げ出してしまう長男カップルの初デートや、笠智衆の朴訥な親馬鹿ぶりに「わかりました。私が頭を下げに行きましょう」「実は私もそれをお願いに来たんですわい」と社会的地位の高いらしい主人公の作家が物わかりよく人生智に富んでいるのがますます呆れるくらい肯定的に描かれ、結末の息子たちの相撲に声援を送る父親二人の親馬鹿ぶりたるや突っこむ気持も失せるもので、ライヴァル社の日活や東宝東映、新東宝なら新人監督の第1作は低予算プログラム・ピクチャーの娯楽映画としても時代劇や青春映画、アクション映画やサスペンス映画でしょうに、松竹ホームドラマは才人・木下惠介門下の俊英にもホームドラマのもっとも毒気のないものを撮らせてしまったというのがこの作品です。そういう歴史的興味の上で観るなら監督昇進以降のなだらかではない小林正樹監督作品の進退もすでにこの監督第1作から始まっていたのがわかります。