人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2017年1月21日~25日・サイレント時代のハリウッド女優

 今回はずばりサイレント時代のハリウッド悪女映画特集で、名のみ知りながら観る機会がなく、そもそも上映すらされない映画ばかりで、いつか観たいと長年思い、つい最近通販サイトで見かけて買ってあったものです。珍しく初めてDVDで観る作品ばかりでどうなるやらと思いましたが、どれもそれなりに目から鱗が落ちました。全然期待していなかっただけに持ち上げすぎの感想文になりましたが、見向きもする人も少ない映画なら褒めあげて褒めすぎということもないんじゃないでしょうか。

1月21日(土)セダ・バラ(1885-1955)
フランク・パウエル(1880's?-1930's?)『愚者ありき』(アメリカ'14)*56mins, B/W, Silent with Sound
アメリカ映画史上初のヴァンプ(毒婦)女優としてセンセーショナルなデビューを飾ったセダ・バラ主演。地位も財産もある妻子持ちを誘惑し家庭崩壊させ、湯水のように放蕩させて一文無しになればさっさと棄てるというヴァンプ(ヴァンパイアの略)の定義はここに始まった。本作は台詞字幕の「Kiss me, my fool!」というフレーズが大騒ぎになったらしい。ちなみに1910年代後期の女優はヴァンプ、1920年代にはもっと都会的で軽薄なフラッパーと呼ばれるタイプが流行になる。ハリウッド最初のセックス・シンボル、ヴァンプ女優を代表するセダ・バラには1914年(29歳)~1926年(41歳)に40本以上の出演作があり『カルメン』'15、『椿姫』『クレオパトラ』'17、『サロメ』'18等定番の悪女ものは一通り演じたがフィルム現存作品は4本しかなく(前記4作も現存せず)、奇跡的に残った本作はその最初期の代表作。1922年にエステル・テイラー(1894-1958/『紐育の丑満時』'20、『十誡』'23、『リリオム』'30、『シマロン』'31、遺作『南部の人』'45)主演で再映画化(監督エメット・J・フリン)された『或る愚者ありき』の方が良い、と淀川長治の著書で読んだことがあり、品格は明らかにテイラーの方が上だが、セダ・バラの粗野なセックス・アピール(30年代には再上映禁止になり、それもフィルム廃棄の原因になった)には扇情的で怖いもの見たさをそそるものがある。セダ・バラは経歴も面白く、戦略的に捏造した生い立ちを広めて瞬く間にスターダムにのし上がり、12年間の映画出演できっぱり芸能界から身を引いた人でもある。今や実物を観たくても公共上映ではまず無理だから500円程度の廉価版輸入DVDでたやすく買えるご時世はとてもありがたい。映画自体は見所のほとんどない出来損ないのような作品だが(結末になっていない結末には唖然とする)、これが受けたということ自体が興味をそそる。男性優位主義を完膚なきまでにぶちこわしたマゾヒズム映画としては画期的だったのかもしれない。いっそセダ・バラ主演の現存作品4作『The Stain』1914、本作、『East Lynne 』1916、『愛の試練』(原題"The Unchastened Woman")1925・短編コメディ2編が日本独自ボックス化されないだろうか?

1月22日(日)ジェラルディン・ファーラー(1882-1967)
セシル・B・デミル(1881-1959)『カルメン』(アメリカ'15)*60mins, B/W, Silent with Sound

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・オペラの名花ジェラルディン・ファーラー(ソプラノ)が映画初出演したメリメ原作の恋愛悲劇。初期デミル(24歳!)の耽美性が最良に発揮された作品で、細やかなシーン染色、初上映時から指定された伴奏音楽と行き届いたサービスで宿敵グリフィスを抑えた。映画の大勢がグリフィスではなくデミルの系譜に連なるのもここまでやられれば仕方ない気がする。カルメンビゼーによるオペラ化もあってDVDのボーナス映像にファーラーの歌唱が収録されており、オペラで得意役なのがキャスティング了承の決め手になったらしいが、デミルの演出はカメラの存在を意識させない自然なもので舞台の様式性ではない映画ならではの作りになっている。この辺もグリフィスにはないこなれ具合が小憎らしい。ただしいつもデミル映画を観ると思うが、演出にあまりに引っかかりがないのでお金のかかったテレビドラマの映像感覚のルーツのように見えてくる。グリフィスだったらカルメンは撮らないし、撮っても絶対こうはならないと思える。早い話腕前・技術は達者だがデミルにはオリジナリティはないから、フィクションを面白く観ただけの感興しかない。どっちも映画だから仕方ないのだが、デミル映画は面白くても栄養価は乏しい感じがする。ただし本作はマゾヒズムとはいわずとも男性優位主義に対して徹底して抵抗を貫くヒロイン像を描いているのが異色で、かつファーラーの主演で一見の価値はあり、本作(33歳)から1920年の映画引退作(38歳)までの全15作を追ってみたくなる魅力がある。円満なキャリアをまっとうしたファーラーさんはオペラも1922年に40歳で引退し、1967年に亡くなるまで名声に包まれて45年以上の余生を送った幸福な人だった。

1月23日(月)グロリア・スワンソン(1899-1983)
クラレンス・バジャー(1880-1964)『グロリア・スワンソン短編集・危険な女/テディの猛進/サルタンの妻』(アメリカ'16, '17)*61mins, B/W, Silent with Sound
・10年代末からはデミル映画で蠱惑的有閑マダムを演じるスワンソンも10代アイドル女優の頃は喜劇映画のキーストン・プロダクションでコメディエンヌのスタートを切っていた。監督はバジャー、相手役はボビー・ヴァーノン(1897-1939)と決まっていたから作品もアイドル映画そのもの。デミル映画の有閑マダムにしてもスワンソンの演技にはコメディのセンスがあり、いっそうビリー・ワイルダーサンセット大通り』1950のスワンソンはミスキャストか性格設定の無理を感じる。3編どれも20分の短編で「危険な女」はモテる彼氏の浮気を防ぐために近づく女の子を男装して誘惑するヒロインの話。スワンソンの男装はどう観ても美少女の男装なのが可笑しい。「テディの猛進」は線路に挟まって危機一発のヒロインをキーストン社の名物スター犬テディが救出する話。「サルタンの妻」は旅行先でサルタンの妻にされそうになる話で、以上3編ともボビー・ヴァーノンが彼氏役。アイドル映画は相手役が固定している方がお約束で安心して観られる、という図式が100年前の映画にもうあって、警官の追っかけコメディや水着美人の団体を初めて映画の題材に考案したキーストン社にはまだまだ気づかれていない先駆性がある。なにしろスワンソンが女性コメディアン(コメディエンヌ)出身だったのも実は今回初めて知った。スワンソンは世代の若さからもヴァンプではなくフラッパーに属する女優だろう。3編中では「危険な女」が製作意図を逸脱してレズビアン・ムードが漂う異色作。

1月24日(火)ニタ・ナルディ(1897-1961)
ジョン・S・ロバートソン(1878-1964)『狂へる悪魔』(アメリカ'20)*79mins, B/W, Silent with Sound
・主演はジキル博士/ハイド氏役のジョン・バリモア(1882-1942、ドリュー・バリモア祖父)。大スターのバリモアが直々にレヴュー・ダンサーから抜擢してきたのがイタリア系のニタ・ナルディで、本作がデビュー作。出番はキャバレーの踊り子からハイド氏に脅迫されて拉致され、飽きて棄てられる中盤までだが、バリモアを喰う評判を呼んだらしい。映画は完全にバリモアの芸を堪能するための映画で面白く、この原作は有名すぎるほど有名なので原作小説と違って最初から種明かしをしているが(他の『ジキル博士~』映画もすべて同様)、その分主人公視点で話は進むからテンポよく焦点も合っている。ナルディはヴァンプに分類される女優だが、本作を観るとむしろ端正な容貌と対照的な哀れさの方が当初のイメージだったのではないか。バリモアのナルディ虐めはなかなかねちっこく、絶対に裏ではセクハラしまくってたと思わせるいやらしさがある。サイレント時代の名作とされるだけの完成度はある映画だが、当時としてはサイコロジカル・ホラーであり、SM色の強い大人向け映画でもあっただろう。

1月25日(水)アラ・ナジモヴァ(1878-1945)
レイ・C・スモールウッド(1880's?-1930's?)『椿姫』(アメリカ'21)*69mins, B/W, Silent with Sound
・恋人アルマン役は夭逝のスーパースター、ルドルフ・ヴァレンティノ(1895-1926)。一代の舞台女優と謳われたアラ・ナジモヴァはサイレント期最大の100万ドル・スターだった。なにしろ2位のメアリー・ピックフォードと1桁違う契約料だったというからロシア亡命俳優の箔はすごかったのがわかる。小デュマ原作の本作は現実年齢でも16歳差のヴァレンティノとの年の差恋愛を耽美的に演じる。製作はナジモヴァ自身のナジモヴァ・プロダクションで企画・プロデュースもナジモヴァ。作品、監督、スタッフ、キャストもすべてナジモヴァに決定権があったワンマン映画であり、同時代これだけ独裁的な映画人はチャップリン(1889-1977)とエーリッヒ・フォン・シュトロハイム(1985-1957)くらいしか思いつかない。『椿姫』は男性観客・女性観客ともマゾヒズムを誘うらしく古今東西人気があり、本作も舞台仕込みの名演を見せて成功させたが、逆に通常の映画的演出ではナジモヴァの演技が寸断されてしまうから、他の俳優や一般的な映画では不自然になってしまう舞台劇的構成と演出がナジモヴァ作品に限ればベストの手段になる。『椿姫』にはすでにセットや演技、構成に舞台劇的な様式性が表れているがまだ明快なリアリズムの痕跡もあって大ヒット作になった。これが俳優兼監督の夫チャールズ・ブライアント(1879-1948)に監督指名した次作『人形の家』'22(ナジモヴァ自身の脚本)、さらにブライアント監督で様式化を徹底させた『サロメ』'23ではあまりの難解さに悪評と興行的大失敗を招き、急激に凋落してしまう。本作は現在日本盤DVDで観られる唯一のナジモヴァ作品。ジョージ・キューカーグレタ・ガルボ主演作『椿姫』'36のワーナー・ホーム・ビデオ版DVD『椿姫・特別編』(レンタルあり)のボーナス映像にジャケットにはノン・クレジットで日本語スーパー・音楽つきレストア版全編がひっそり収録されています。必見。