人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2017年10月4日~6日/ハワード・ホークス(Howard Hawks, 1896-1977)の男の映画(2)

 ハワード・ホークスはとにかく作風が多彩かつ幅の広い監督で、今回も戦争ロマンス、革命家の伝記映画、スクリューボール・コメディ(恋愛ドタバタ喜劇)と両2年にまったく異なるジャンルと趣向の映画を作っています。ホークスはフリーの映画監督としてハワード・ホークス・プロダクションを構え、配給先のメジャー映画会社からプロデューサーを迎えて共同製作する映画作りをしており、企画の大半はホークス自身の発案によるものでした。作品によって映画会社側の意向が大きい場合とホークス自身の決定権が強い場合の度合いには違いがあり、今回の3作ならば『今日限りの命』は映画会社の意向が強く、『奇傑パンチョ』は映画会社と衝突しながらもホークスの本領が発揮された作品で(しかしクレジット上は第2班助監督のジャック・コンウェイの監督作にされてしまいます)、『特急二十世紀』はホークスの発言権が100パーセント貫かれた作品でしょう。なお今回の3作もアメリカ本国公開から間もなく日本公開されており、当時の「キネマ旬報」の「近着外国映画紹介」を引用させていただきました。例によって古風で味わい深い紹介文で、それ自体興味深く面白いものです。またホークス作品は日米開戦される『コンドル』'39までの戦前作品はほとんど日米同時公開されていながら戦前の日本での評価は『暗黒街の顔役』とせいぜい『コンドル』がアメリカ映画も当分観納めになるしと大ヒットして評判になった程度のようで、ホークス戦前の充実した作品群を思うと戦前の日本の映画観客・批評家好みではなかったのかな、と不思議な気がします。昭和9年に『特急二十世紀』を観た日本の観客はどう思っていたのでしょうか。

●10月4日(水)
『今日限りの命』Today We Live (MGM'33)*113mins, B/W; 日本公開昭和8年10月(1933/10)

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ジャンル ドラマ
製作会社 M・G・M映画
配給 MGM支社
[ 解説 ] 「グランド・ホテル」「雨」のジョーン・クローフォードと「戦場よさらば」「百万円貰ったら」のゲイリー・クーパーが主演する映画で、「暴風の処女」の作者ウィリアム・フォークナーが執筆した物語をエディス・フィッツジェラルドと「女秘書の秘密」のドワイト・テイラーが共同脚色し、「暗黒街の顔役(1932)」「虎鮫」のハワード・ホークスが監督に当たり、「散り行く花」「雨」のオリヴァー・T・マーシュが撮影した。助演者は「カンターの闘牛師」「マデロンの悲劇」のロバート・ヤング、ニューヨークシアター・ギルドから迎えられたフランチョット・トーン、「紐育の仇討」「百万円貰ったら」のロスコー・カーンス、「散り行く花」のルイズ・クロッサー・ヘイル、ロロー・ロイド、ヒルダ・ヴォーン等である。
[ あらすじ ] 英国の娘ダイアナ(ジョーン・クロフォード)は父が欧州大戦に出征した後は、未曾有の困難に質素な生活を送っていたが、遂に邸宅をも人に貸すことに決心した。彼女の大邸宅を借り受けたのは米国の有閑青年で、英国留学にやってきたボガード(ゲイリー・クーパー)であった。彼が借りるつもりで家を見にきた日、ダイアナのもとには父が名誉の戦死を遂げたとの知らせがあった。彼女は屋敷内の園丁の家に居を移したが、ボガードは彼女に興味を感じて、いろいろと慰めるのだった。ダイアナも憎めない明朗なアメリカ人気質のボガードに次第に心をひかれ、いつか互いに胸の内は明かさぬながらも慕い合う仲となった。折柄、かねて兵学校在学中だった兄のロニイ(フランチョット・トーン)と幼い頃からの恋人クロード(ロバート・ヤング)が相携えて国難に赴くこととなった。ダイアナは親しい人々が祖国のためにあるいは死し、あるいは新たに戦線に向かうのに自分だけが恋愛に耽ることは出来ないと感じ、ボガードには何事も語らず、看護婦を志願してフランス戦地へ向かった。幾何もなく米国も大戦に参加し、ボガードは飛行隊に加わった。ロニイとクロードは水雷艇に乗り組み、波荒き北海に活躍した。一方ボガードは爆撃機を操縦して盛んに敵の戦地を脅かしたが、不幸、機を大破して戦死の報が伝えられた。ダイアナはボガードを愛していたが、彼亡き後はクロードの愛を納めるべきことを決心して、戦地に於いて彼と自由結婚をしてしまった。が、ボガードが思いがけなく命を全うして帰って来たとき、2人は真相を知るや互いに驚きかつ悩んだ。愛するダイアナがすでにクロードのものとなっているので、悲痛の極ボガードは決死隊に加わり、敵艦爆破の大任を引き受けることになる。一方、激戦中散弾のために不幸失明したクロードは、この上彼女に重荷を負わせるには忍びず、且つは彼女がボガードを愛していることを知り、ロニイと共に目的の敵艦を水雷艇で撃沈すべく出掛けた。ボガードはこれを知るや彼等を救うべく、直ちに爆撃機を操縦して自ら護国の鬼と消えんと志したが、時はすでに遅かった。彼等は華々しい戦死を遂げてしまった。平和克復の暁、結婚をしたダイアナとボガードは2人の英雄を厳かに弔うのであった。

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 これはドラマというより戦争ロマンス映画ですね。1932年のヒット作『雨』(マイルストン)のジョーン・クロフォード(1904?-1977)と『武器よさらば』(ボーゼージ)のゲイリー・クーパー(1901-1961)のスター映画でもあります。問題作『暗黒街の顔役』'32(製作'31)と本作の間にウォルター・ヒューストン主演の犯罪映画『光に叛く者』'31(コロムビア)、ジェームズ・キャグニー主演のオート・レース映画『群衆の歓呼』'32(ワーナー)とエドワード・G・ロビンソン主演のロマンス映画『虎鮫』'32(ワーナー傘下ファースト・ナショナル)があり、キャグニー作品はジョン・ドウメリーとの共同監督で無名時代のジャン・ギャバン主演作『La Foule Hurle』'32としてフランス版も製作されました。キャグニー、ロビンソンについては『民衆の敵』(キャグニー)、『犯罪王リコ』(ロビンソン)のギャング役者のイメージ・チェンジを図った作品と言えるでしょう。それをギャング映画中もっとも極悪非道な『暗黒街の顔役』のホークスが手がけたのが面白いのですが、今回映像ソフトが揃わず観直せなかったので『今日限りの命』に移りますと、第2次の大戦ですがワイラーの『ミニヴァー夫人』'42やクロムウェルの『君去りし後』'44、または木下恵介の『陸軍』'44のような銃後ものの部分を担うのがイギリス上流中産階級のお嬢様クロフォードとアメリカ人の下宿人クーパーで、こちらの部分の前半は戦時下のラヴ・ロマンスになっています。一方クロフォードの兄役(キネ旬あらすじで「弟」とあるのは訂正しました)のロニー(フランチョット・トーン)とクロフォードの幼なじみの恋人クロード(ロバート・ヤング)は軍事教練を受けてイギリス軍に出兵しますが、二人ともクロフォードとクーパーが出来ているとは知らないままという罪悪感もあって、クロフォードも看護兵として戦地に赴きます。クーパーは前半ではヨーロッパ情勢には関与しない中立主義アメリカ人ですが、恋人クロフォードの兄と幼なじみ(クロフォードを取ってしまった引け目もある)の出兵どころかクロフォード本人も戦地に行ってしまったのでアメリカ参戦が決まるといち早く航空部隊に志願する。後半は完全に戦争ロマンスで、クーパーの戦死が伝えられてクロフォードがクロードと結婚してすぐクーパーが生還してくる。兄ロニーとクロードにもさすがにクロフォードとクーパーの相思相愛関係はわかってしまう。さらにクロードは被弾で失明し、クロフォードをクーパーに託してロニーと魚雷艇でドイツ軍の司令艦の爆撃に向かい、それを知ったクーパーは戦闘機で駆けつけるが(駆けつけてもどうしようもないと思いますが)すでに魚雷艇はドイツ司令艦に激突大破させていた。ラストシーンは慰霊碑にロニーとクロードの名前が刻まれたのを寄り添って見るクーパーとクロフォードの姿で終わっています。おいおい、戦争は終わったのかよ。第1次世界大戦のヨーロッパ戦線にも人間魚雷があったんだな、とか、ディートリッヒもですがこの時代の女優のメイクは一周回って今に近いな(細眉、つけまつげなど)とクロフォードのメイクに感心したりしますが、クーパーの演技はまだ生硬でクロフォードもライヴァルのベティ・デイヴィスより美貌では上ですが演技はデイヴィスとは比較にならないくらい大味です。クーパーはキャプラの『オペラハット』'36の頃には名優になりましたがクロフォードの円熟した演技はカーティスの『深夜の銃声』'45までかかったのではないでしょうか。フランチョット・トーンとロバート・ヤングも悪い役者ではないのに描かれ方がおざなりで、結末の決死の突撃も頭が悪い二人組に見えます。魚雷艇への搭乗を言い出したのはクーパーなのも変ですし(空軍と海軍では管轄違いだし、クーパーは魚雷艇訓練を受けていないでしょう)、クロフォードに「おれは27歳、彼(クロード)は20歳だ。だから(魚雷艇には)おれが乗る」と言うのをロニーとクロードが聞いていて自分たちが先に魚雷艇で出撃してしまいますが、観客はそれならクロフォードは18歳くらいの役なのか、と驚いてしまいます。クロフォードは実年齢30歳前後ですが貫禄ありすぎて20歳前の役にはあまりに無理があり、てっきり実年齢通りの役だと思って観てきたからです。クライマックスはあっけなく描かれていますので悲痛な感じはしませんが、自己犠牲で終わる結末は『暁の偵察』で観ていますしバーセルメスの覚悟の殉死ほど感動的ではなく、実は本作は人物配置からストーリー、結末まで3年後の『永遠の戦場』'36と同じなので『暁の~』または『永遠の~』を観ている観客には二番煎じの印象がつきまといます。ばあや役の女優など良いムードを出していますが男女のロマンスも男同士の友情を描くにも不徹底で、これならいっそクロフォードの役は可憐な無名の新人女優を起用した方がロマンスと友情の両方にバランスが取れたと思いますが、MGM(「星の数より多いスター」が売り)らしく、まずキャスティングありきで成立した企画だったのでしょう。ホークスの場合スターをスターらしく観せる映画は不向きだったと言うしかなく、手堅い戦争ロマンス映画になってはいるもののこれならルイス・マイルストンにでも撮らせておけばいい程度の内容なのが残念です。まあ数ある作品の中にはこういう無難な作品もある、というところでしょうか。もちろん戦闘シーンはちゃんと撮れていて、チャチな感じはしません。撮影は『散り行く花』(ビリー・ビッツァーではなかったのか)、『雨』(映画の出来はともかく撮影は秀逸)のオリヴァー・T・マーシュとあって素晴らしい映像ですが、ホークスの映画には端正過ぎるような気もします。

●10月5日(木)
ジャック・コンウェイ(ホークス匿名共同監督)『奇傑パンチョ』Viva Villa! (MGM'34)*112mins, B/W; 日本公開昭和10年2月(1935/2)・ヴェネツィア国際映画祭主演男優賞(ウォーレス・ビアリー)

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ジャンル 伝記
製作会社 M・G・M映画
配給 MGM支社
[ 解説 ] 「バワリイ」「酔いどれ船」のウォーレス・ビアリーが主演する映画で、パンチョ・ヴィラの伝記小説を「生活の設計」のベン・ヘクトが脚色し「舌戦速射砲」「旅客機の怪盗」のジャック・コンウェイが監督し、ジェームズ・ウォング・ホウとチャールズ・G・クラークが共同撮影した。助演者は「バワリイ」のフェイ・レイ、「恐怖の四人」のレオ・カリーロ、「九番目の客」のドナルド・クック、「南風」のスチュアート・アーウィン、「クレオパトラ(1934)」のジョセフ・シルドクラウト、ジョージ・E・ストーン、キャサリン・デミル、ヘンリー・E・ウォルソール等である。
[ あらすじ ] 1880年代のメキシコ国民はディアス将軍の虐政の下に呻吟していた。パンチョ・ヴィラ(ウォーレス・ビアリー)はこの時代に農奴として産まれた。父は地主の鞭の下に悲惨な死をとげた。少年パンチョ(フィリップ・クーパー)の心に復讐の鬼が巣くった。チフワフワの山中に育った革命児パンチョは長ずるに及んでついに虐政に歯向かう原住民軍の恩師として雷名を響かせるに至った。パンチョは自ら義賊と称したが真面目な統率者を欺いた彼の部下の暴行はむしろ盗賊のそれに近く、官民共に彼を恐れた。そこに現れたのがメキシコの救世主と称される人傑フランシスコ・マデロ(ヘンリー・B・ウォルソール)であった。彼はパンチョをして彼の配下にさんずる事を命じ、パスカル将軍(ジョゼフ・シルドクラウト)の統率の下に規律ある軍隊の一員とならん事を求めた。パンチョはしぶしぶパスカル将軍の部下となったが決して大将の命には従わず自己流のがむしゃらな戦法で100戦100勝しついに首都メキシコ市を陥れた。大統領となったマデロは戦い終わった以上、パンチョの引退を勧めたが覇気満々のパンチョには我慢出来なかった。腹黒いパスカル将軍はマデロを退けて自分が大統領たらんとの野心を起こし、それにはマデロの腹心のパンチョが邪魔になるので些細な過失を口実についにパンチョを国外追放に処し、その間にマデロを暗殺して自ら政権を奪った。国外流浪の境遇にあって悲報を耳にしたパンチョの怒りは心頭に達した。彼は6人の部下を率いてその国に帰るや、パスカルに対する復讐の義軍はそうぜんとして彼の周囲に集まり、大軍は怒濤のごとき勢いをもって、首都メキシコにせまりついにパスカルを捕らえて復仇の目的を遂げた。国会は彼を大統領に推薦したがパンチョは自らその任に非ざる事を知り栄職を辞して帰郷の途上、彼に恨みを抱く1貴族の復讐の銃先に倒れた。1代の奇傑パンチョ・ヴィラは果てていったがその所に自由をあがなった新しいメキシコ国は生まれたのである。

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 撮影に難航し怪我人続出してエキストラの事故死まであり、MGM側のプロデューサーのセルズニックと衝突して第2班監督ジャック・コンウェイ名義の監督作になったホークスの匿名監督作品。『今日限りの命』の次がW.S.ヴァン=ダイクとの共同監督作品『世界拳闘王』The Prizefighter and the Lady('33)でホークスはクレジットされず2本続けて匿名監督作品になってしまいましたが、本作は傑作です。カイエ・デュ・シネマ誌のインタビュー(1956年)でも堂々自作として製作裏話を語っている通りホークス自身が20年経っても忘れられない会心作だったのでしょう。エイゼンシュテインの『メキシコ万歳』'34もグラウベル・ローシャの『アントニオ・ダス・モルテス』'69も南米革命事情を描いてこれほどパンチが効いていたかどうか。サイレント時代からの名優ウォーレス・ビアリーの豪快な魅力が爆発しており、スペインの圧制に苦しむ植民地時代のメキシコの貧農上がりの山賊団の首領パンチョ・ヴィラが解放軍を組んでのし上がっていく過程をアクションとユーモアと悲惨な戦い(進軍ラッパを吹いたまま死んでいく少年兵、新発明の鉄条網に身動きが取れず銃撃される新兵たち。ものすごい数のエキストラが爆発するダイナマイトの煙をくぐって現れてきて、怪我人続出・事故死まであったのもうなずけます)満載で突き進んで行く快作で、一本筋を通しているのはパンチョは無教養で無類の女好き(当時のメキシコは重婚は当たり前だったようです)ですが人心をつかむ事に長けて戦術家としては抜群に優れ、メキシコ人民の自治に理解がありスペインの不法支配を正そうとするスペイン貴族の良心マデロ(ヘンリー・B・ウォルソールの名演、'09年からグリフィス映画の常連俳優だった最古の映画俳優の一人)との友情を貫き通した男として描かれていることで、ホークスも実在のパンチョ・ヴィラの陰険な面は理解した上でキャラクターを作り替える代わり実際のエピソードを豊富に盛り込んだそうで、それがちょうど良い塩梅になっています。先にパンチョの数人目の妻になるメキシコ美女ロジータ(キャサリン・デミル、大御所監督セシル・B・デミルの養女らしいです)の鉄火肌ぶり、私怨でパンチョを暗殺することになるマデロの秘書ドン・フィリペ(ドナルド・クック)の妹テレサ(フェイ・レイ、『キング・コング』のヒロイン)との痴情のもつれの刃傷沙汰など豊富な脇筋がパンチョのキャラクターを形作っています。もう一人パンチョの友人になるのが革命騒ぎに巻き込まれ帰国できなくなったアメリカ人新聞記者ジョニー・サイクス(スチュアート・アーウィン)というどこかのロック・ギタリストみたいな名前の男ですが、新聞記者として本国に最新ニュースを送りながらパンチョと距離を置きつつおたがいを気にかけている友情がうまく描けており、『暗黒街の顔役』『今日限りの命』よりよほどホークス映画の本領発揮(なのに別人名義)の一作になっています。脚本は『暗黒街~』と同じベン・ヘクトでジャーナリスト上がりのライターですからこの手の題材はお手のものでしょうが、ホークスによると「半分はぼくが書いた」というので、おそらく混乱を極めた現場で撮影用に書き直しながら撮っていったのでしょう。ビアリーはサイレント時代から活躍、キートン映画の悪役やコメディ主演作「弥次喜多」シリーズに出演、私生活ではグロリア・スワンソンと派手で短い結婚歴まである名物男で、『チャンプ』'31(キング・ヴィダー)でアカデミー主演男優賞を受賞しており、本作でヴェネツィア国際映画祭主演男優賞も納得の快演です。ビアリーの代表作のみならずホークスの代表作に上げてもいい作品なのですが、匿名監督作品で傑作を作ってしまうのがホークスらしいと言えば言えます。ロケとセットの組合せも上乗で、メキシコの荒くれた雰囲気を作り出した撮影、あえていつもより多用された音楽も優れたものです。

●10月6日(金)
『特急二十世紀』Twentieth Century (コロムビア'34)*92min, B/W; 日本公開昭和9年11月(1934/11)/アメリカ国立フィルム登録簿登録作品(2011年度)

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ジャンル ドラマ
製作会社 コロムビア映画
[ 解説 ] 「トパーズ(1933)」「夜間飛行」のジョン・バリモアが主演する映画で「犯罪都市」「国際盗賊ホテル」を合作したチャールズ・マッカーサーベン・ヘクトとがチャールズ・ミルホランドの協力を得て書卸した戯曲に基き、マクアーサー、ヘクトが映画用に脚色したものを「暗黒街の顔役」「今日限りの命」のハワード・ホークスが監督、「青空天国」「十三日の殺人」のジョー・オーガストが撮影した。バリモアの対手役は「ボレロ」「白い肉体」のキャロル・ロムバードを始めとして「青空天国」「或る夜の出来事」のウォルター・コノリー、「ある日曜日の午後」「或る夜の出来事」のロスコー・カーンス、「ケンネル殺人事件」のエチエンヌ・ジラルドオ、ラルフ・フォーブス、デール・フラー、等である。
[ あらすじ ] オスカー・ジャフィ(ジョン・バリモア)は一種異った世間を超脱した人間で狂った天才ともいう可き劇場の演出者だった。彼は無名からリリー・ガーランド(キャロル・ロンバード)という女優を見出して、腹心のウェッブ(ウォルター・コノリー)やオマレイ(ロスコー・カーンス)の反対を無視して、これをスターに仕立てたところ、これが忽ち大当りをしめた。で以後三ケ年というものジャフィ、リリーのコンビは次々と劇壇にヒットを送っていたが、運悪いことにはジャフィともあろう大人物が女優のリリーに恋をしてしまった。それからというものはジャフィ専制と嫉妬とは事々にリリーを束縛し彼女から人間的な生活を奪ってしまったので、リリーはある日、彼には無断で映画出演を契約しハリウッドへ去ってしまう。リリーに去られると共にジャフィを去ったのは彼の霊感で、その後に彼がシカゴで興行した時には散々に失敗し小屋代すら払えなくなった。で、彼は高飛び的に同市を逃げ出し、折柄の二十世紀特急に乗ってニューヨークへと旗を巻いて引返す事になった。一敗地に塗れたジャフィがモスクワで破れたナポレオンもどきに、しかし意気と雄弁だけは益々盛んになって行くと、途中の駅でこの列車に乗り込んで来たものがある。これがリリーとその恋人のジョージ(ラルフ・フォーブス)とで、リリーはニューヨークにいる嘗てのジャフィの股肱ジェーコブス(チャールズ・レヴィソン)の招きに応じてジェーコブスの芝居に出る為めであった。ジャフィはこれを見て当時売出しのリリーに再び己れの芝居に出演して貰う事が出来れば彼も九死一生の今の窮地を切り抜ける事が出来ると考えついた。で、ウェッブとオマレイの二人を督励して先ずジョージに嫉妬を起させて彼とリリーとの仲を割く。それにウェッブが某大会社の社長でクラーク(エチエンヌ・ジラルド)という人間に出会い、彼を説いてジャフィの芝居に大金を投じさせる事に成功した。で、一同万歳々々と叫んでいる途端にこのクラークというのが実は狂人であると知れる。それと共に一度ジャフィの下で働く気になったリリーもまた、急ちジャフィの申出をハネつけた。ジャフィはもう万事休す、といって大時代的に自殺を計った。そこへクラークはまた現われてジャフィは擦り傷を負う。だがこの擦り傷を致命傷によそい、ジャフィ大芝居を打ち彼の死出の旅の贈物としてリリーに彼の芝居に出演の署名をさせた。斯くて、万事はジャフィにとって芽出度く納まり、再び彼はリリーを手足の如くに動かして舞台稽古に取りかかる様になった。

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 同年のクラーク・ゲイブルとクローデット・コルベール主演のフランク・キャプラコロムビア作品『或る夜の出来事』'34(アカデミー賞作品賞・監督賞・主演男優賞・主演女優賞・脚色賞)に隠れてほとんど目立たず興行的にも中ヒット程度でしたが現在の評価では逆転して、本作こそがスクリューボール・コメディの元祖となった傑作との評価が確定しています。ただしアカデミー賞の歴史=アメリカ映画黄金時代以降の歴史となると初の主要部門独占作品『或る夜の出来事』の知名度が高いのも仕方ないでしょう。『或る夜の出来事』は結婚式直前に家出した富豪令嬢と身分を隠した新聞記者の逃避行を描いたロマンチック・コメディで『ローマの休日』'53(ワイラー)みたいなものですが、本作『特急二十世紀』に始まるスクリューボール・コメディはむしろロイドやキートンスラップスティック・コメディの流れ(トーキーではマルクス兄弟W・C・フィールズ、ローレル&ハーディ)を汲む奇想天外なドタバタ喜劇の恋愛コメディで、以前ご紹介したレオ・マッケリーケイリー・グラント三部作『新婚道中記』'37、『ママのご帰還』'40(脚本・製作作品)、『恋の情報網』'42もスクリューボール・コメディの代表的作品です。ホークスはこのジャンルに自信と愛着があり(サイレント時代の『港々に女あり』からその萌芽はあり、『奇傑パンチョ』にもスクリューボール的要素があり、ホークスのユーモアや奔放さの生かしやすい分野でした)、『赤ちゃん教育』'38、『ヒズ・ガール・フライデー』'40、『教授と美女』'41、『僕は戦争花嫁』'49、『モンキー・ビジネス』'52、『紳士は金髪がお好き』'53、『男性の好きなスポーツ』'63など長年に渡ってこの系列を続けますが、『赤ちゃん教育』と『ヒズ・ガール・フライデー』は『特急二十世紀』の中ヒットどころではなく興行的惨敗、マリリン・モンローのブレイクに乗った『紳士は~』がヒットしたくらいで他は並み、または惨敗までいかずとも低調な興行成績に終わりました。結局スクリューボール・コメディ最大のヒット作は前述の『新婚道中記』(アカデミー賞監督賞受賞)と、『赤ちゃん教育』で主演したキャサリン・ヘップバーンが意地を賭けて同じケイリー・グラントと、さらにジェームズ・スチュワートを迎えて組んだ『フィラデルフィア物語』'40(ジョージ・キューカーアカデミー賞脚色賞・主演男優賞=ジェームズ・スチュワート受賞)になります。『ヒズ・ガール・フライデー』は史上もっとも台詞が多く早口の映画として知られ、『赤ちゃん教育』というのも「赤ちゃん」というは大富豪令嬢ヘップバーンが放し飼いにしているペットの豹(!)のことですから、ホークスのスクリューボール・コメディは荒唐無稽でセンスが狂騒的にやり過ぎているのです。『モンキー・ビジネス』はチンパンジーが偶然作った薬を飲んでみた化学者がサル化現象を起こす話で、『僕は戦争花嫁』はドイツで敗戦処理に当たるフランス人大尉とアメリカ女性中尉が退役間際に喧嘩コンビから一転して電撃結婚するも面倒な軍規から出国できなくなる話、ときりがありません。本作も下着モデルの大根女優に迫真の演技をさせる(ピンでお尻を突いて絶叫させる!)までを描く冒頭のシークエンスからいきなり大女優として大成した3年後に跳びます。ジョン・バリモアはサイレント時代のジキル博士とハイド氏映画の古典『狂へる悪魔』'20のあの名優で名門バリモア家のライオネルとエセルの弟でサイレント時代の人気女優ニタ・ナルディを発掘した人。キャロル・ロンバードも10代のサイレント時代から映画出演、本作以降はスクリューボール・コメディの女王と謳われ、クラーク・ゲイブル夫人になりホームドラマの『貴方なしでは』'39(ジョン・クロムウェル)などでは良妻賢母役を見事に演じて人気女優になりましたが1942年、戦時国債キャンペーンのボランティア活動からハリウッドに戻る途中で飛行機が墜落、33歳の若さで同行していたお母さんともども事故死しました。本作のバリモアのキャスティングは意外ですが案外ニタ・ナルディ発掘の経緯と重ね合わせているのかもしれず、天才を自称してはばからないエキセントリックで傲岸不遜な性格はバリモアの地だったそうですから(演出助手に「失敗しますよ」と言われ「失敗するから天才なのだ」と言い放つやり取りなど最高です)適役というべきか、どことなく正装して髪を乱したチャップリンにも似ています。チャップリンの王様ぶりは有名ですしサイレント時代には暴君的な監督・スター俳優がうようよいましたから、大衆的な天才演出家のイメージの典型が本作のバリモアということでしょう。脚本はまたベン・ヘクトが噛んでいますから実在のモデルがいるのかもしれません。こんな人物に3年間24時間命令され通しではロンバードでなくてもキレます。それが勝手にハリウッド映画に出演し恋人まで作ってきたとなるとバリモア演じる演出家のキャラクターなら意地でも自分の許に取り戻してやるとなるわけで、早速新作舞台の企画を立て特急二十世紀号に乗り込む。そこにロンバードも恋人連れで乗ってきて鉢合わせし、舞台の予算をどうするかと側近のウェブとオマリーが頭を抱えていると製薬会社の大富豪の老紳士クラーク(エチエンヌ・ジラルド)が気安く20万ドルの小切手を切ってくれるが、老紳士の身元は事実なものの精神病院脱走中の禁治産者で、特急列車や人の背中まで至る所に「悔い改めよ」と印刷したステッカーを貼りつけ、誰彼となく巨額の小切手を切る病人だった、というマッドなオチがつきます。バリモアもロンバードも職業病で言動がいちいち芝居がかってしまう、という設定になっており、側近のウェブとオマリーも心配性と現実家と絵に描いたような脇役で、ステッカー事件でバタバタし警察まで駆けつける騒動といい登場人物全員見事に揃っていかれた世界を作り出しています。ホークスには笑いも悲劇も一序になって大きな感動を呼ぶ傑作もあり、『奇傑パンチョ』もそうした作品で、スクリューボール・コメディ作品ではドライな笑いを追求するに留まるきらいがありますが、ホークスのスクリューボール・コメディ系列作品の突き抜けたような感覚は他には得がたい痛快な楽しみがあって映画話法の都会的洗練を究めたものです。こうした作品と戦争映画や西部劇まで作風が多彩で振幅が大きいキャリアが長く続いたのが西部劇に特化していったフォード、スリラーに早くから特化したヒッチコックとは異なるホークスの柔軟な魅力で、ジャンルや題材が多彩なのに何を撮っても似たような映画になる強烈な個性の巨匠フリッツ・ラングとは正反対ですが、どちらも映画の中の映画という気がするのは作品ごとの燃焼度の高さでしょう。ただしスクリューボール・コメディ系列作品では本作はまだ序の口だったのが後年の作品を知る観客には感じさせます。しかしまあ、それは欲張りすぎと言うものでしょう。