われわれのことですよ、と
スナフキンは慎重に言葉を選ばなくてはな、と意識しながら答えました。ここにいる連中はみんな猜疑心が強い。一見とぼけたふりをしているが油断させておいて内心では言葉尻をとらえるのに虎視眈々としているのだ。味方など誰もいない。彼ら自身もおそらくお互いを監視しているので、つけ入る隙を伺っていてはきりがないだろう。まず最初に近づいてくるやつからは役に立つ情報を聞き出せない。
スナフキンは学生時代に
文化人類学の授業で習ったことを思い出しました。
スナフキンの学んだのは技師の専門校でしたが、一般教養の必須科目に
文化人類学概論があったのです。異なる文化圏に
接触した時に、向こうからまず親しく接してくるのはそのコミュニ
ティーでは決して重視されていないか、極端には疎まれてすらいる立場の者である場合が多く、そのコミュニ
ティーの仕組みを知るサンプルとしては適切ではない、というのが異文化との
接触の際の注意点として上げられていました。学校に転校生がやってくると、まず近づくのは友だちのいないやつなのと同じなのだな、と学生の
スナフキンは思いましたが、測量専攻の学生の自分に学校が
文化人類学概論を必須科目としていた意味はこういうことだったのだ、と
スナフキンは改めて感じ入りました。
だが今の段階では不利な状況から精一杯頭を働かせるしかない。学んだ通り
スナフキンはまだこのコミュニ
ティーにとってのはぐれ者としか接していないとしたら、ネガティヴな情報を反転させて未知の事態の実態を推測するしかない。そこで
スナフキンはさぐりを入れてみたのでした。忘れられてはいませんか、というのはそれ自体は奇妙な問いてまはありません。事実前回の「新・偽
ムーミン谷のレストラン」(61)が4月1日掲載ですから作者もどこまで何を書いていたかすっかり忘れていました。というより、忘れるまで放っておいたのです。ホームレスとなり、嫌疑をかけられ、何の説明もなく逮捕され収監されたのは作者自身の体験で、それは作者の場合は執行猶予保釈をえらんで起訴容疑を全面的に認める結末になりました。もし
スナフキンに同じ運命をもたらし、同じ選択をさせたらこのフィクションは現実と同じものになってしまいます。フィクションは現実的合理主義や現実原則に従う必要はなく、フィクション自体の自律性を持たないでは現実の模倣、置き換えでしかなくなってしまうでしょう。