人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Sun Ra - Jazz in Silhouette (Saturn, 1959)

(1961 Reissud El Saturn "Jazz in Silhouette" LP Front Cover)

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Le Sun Ra and His Arkestra - Jazz in Silhouette (Saturn, 1959) Full Album : http://www.youtube.com/playlist?list=PL85SP_-cNYAyLNSgbUkHeT2G3d9bnk-Lr
Recorded at El Saturn studio, Chicago, March 6, 1959
Released by El Saturn Records LP5786, May 1959
All tracks written by Sun Ra, except where noted
Side A: (originally Side B)
A1. Enlightenment (Hobart Dotson, Ra) - 5:02
A2. Saturn - 3:37
A3. Velvet - 3:18
A4. Ancient Aiethopia - 9:04
Side B: (originally Side A)
B1. Hours After (Ra, Everett Turner) - 3:41
B2. Horoscope - 3:43
B3. Images - 3:48
B4. Blues at Midnight - 11:56
[ Le Sun Ra and His Arkestra]
Sun Ra - piano, celeste, gong
Hobart Dotson - trumpet
Marshall Allen - alto saxophone, flute
James Spaulding - alto saxophone, flute, percussion
John Gilmore - tenor saxophone, percussion
Bo Bailey - trombone
Pat Patrick - baritone saxophone, flute, percussion
Charles Davis - baritone saxophone, percussion
Ronnie Boykins - bass
William Cochran - drums

(1961 Reissud El Saturn "Jazz in Silhouette" LP Liner Cover)

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 こんなアルバムもサン・ラにはあるのです。内容はちゃんとサン・ラの音楽ですが、サン・ラのパブリック・イメージとは微妙にずれています。アーティスト名を伏せられ、また他のサン・ラの代表作を聴いたこともないリスナーがブルー・ノート50年代末に未発表作になっていた幻の中規模ビッグバンドの名盤、と言われて聴かされたら信じてしまうのではないでしょうか。ブルー・ノートにはソニー・クラーク『Cool Struttin'』1958、ドナルド・バード『Fuego』1959、ウォルター・デイヴィスJr.『Davis' Cup』1959、ケニー・ドリュー『Undercurrent』1960、デューク・ジョーダン『Flight To Jordan』1960などやたらとキャッチーなハード・バップ作品の系列があり、上記アルバムおよびアーティストは日本やヨーロッパのリスナーに発表当時から熱愛されてきましたが、アメリカ本国ではビ・バップの低俗化として酷評され、セールスも振るわなかったものです。諸外国での好評から再評価が進み、現在はこれらのアルバム(とアーティスト)はアメリカ本国でも回顧的に愛好されていますが、要するにブルー・ノートのハード・バップ作品は敷居の低いわかりやすさが売りでした。編成は2ホーン+ピアノ・トリオの標準クインテット(前記アルバムもすべてクインテット作品)、楽曲もオリジナル主義でキャッチーなのがブルー・ノートの制作方針でしたが、それが当時の本国では通好みの批評家とリスナーの反感を買ったのです。ところでサン・ラは1956年~1960年までにアルバム12枚分の録音がありますが、50年代のうちに発売されたのはそのうち3枚だけでした。短命インディー・レーベルのトランジションからの『Jazz by Sun Ra (Sun Song)』1956、サン・ラのマネジメント自身の自主レーベル・サターンからの『Super-Sonic Jazz』1957、そしてこの『Jazz in Silhouette』1959で、次に発売されたサン・ラ作品はニューヨークの老舗レーベル、サヴォイに録音した『The Futuristic Sounds of Sun Ra』1961でした。50年代の未発表アルバムがサターンから次々発売されるのは1965年以降になったので、発表作品からだけだとサン・ラのオリジナリティはいまひとつ明確ではありませんでした。
 サン・ラの場合は50年代の発表作品3枚もすでにアルバム・ジャケットのセンスも相当なものでした。『Jazz in Silhouette』のオリジナル・ジャケットはCDヴァージョンでは一切採用されていないので、サターンからA面とB面を現行の通りに改訂した際に改めたジャケットが公式ジャケットとして標準になっています。この再プレス版公式ジャケットは1961年の再発売から用いられ、タイトルのレイアウトに微妙な違いのある2ヴァージョンがあり、レコード番号も同一だから再発ジャケットの発売順も判明しません。サン・ラの生前にCDジャケット(Evidence盤)に採用された'61年版再発ジャケットを決定版と見なすのが妥当でしょう。初回プレスと再発盤以降ではA面とB面が逆転して収録され、CDも改訂されたA面・B面の順に収録されています。これは相当アルバムの印象を変えるので、各面の完結感が強いため「Enlightenment」から始まり「Ancient Aiethopia」で終わるA面から聴くか、「Hours After」から始まり「Blues at Midnight」で終わるB面から聴くかでアルバム全体の構成まで変わってしまいます。簡単に言うとA面はビッグバンド・サイド、B面はブルース・サイドで、各面ラストに10分前後の大作を持ってきているためなおのこと強い完結感があります。つまり1959年の初回プレスではA面がブルース・サイド、B面がビッグバンド・サイドだったことになり、初めからプレスミスだったのかもしれません。

(Original El Saturn "Jazz in Silhouette" LP Various Color Front Cover & Original Side B Label)

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 選曲に関して留意したいことは、当時(現在もですが)ジャズのアルバム、それもインディーズとなると、初回プレスは300枚~500枚も作られれば良いほうで、売り切るまでに数年かかるから新作には以前のアルバムで好評だった曲の再録音も入れる慣習がありました。アルバム自体がよほど好評でないと旧作は初回プレスきりで廃盤になります。旧作は売れないからです。ブルー・ノートのように後年には名盤の宝庫とされるインディーズですらそうでした。「Blues at Midnight」は『Super-Sonic Jazz』初出曲の再演ですし、「Saturn」はシングル用に1956年2月に初録音され、トランジションからの未発表アルバムになった『Jazz By Sun Ra, Vol.2 (Sound of Joy)』に収録するため1956年11月にも再録音された上、同一ヴァージョンがサターンからの未発表アルバム『Visit Planet Earth』に再収録されます。また「Ancient Aiethopia」はサターンで制作された未発表アルバム『Nubians of Plutonia』では別テイクが「Aiethopia」として収録されています。録音年月日不明ですがアレンジの完成度から察するに「Aiethopia」がおそらく初演でしょう。『Jazz in Silhouette』に先立つアルバムからですらこれだけ重複・錯綜していますし、さらに『Jazz in Silhouette』録音と同日にはさらに『Jazz in Silhouette』とダブらない5曲が録音され、それらを収めた『Sound Sun Pressure !!』はミニアルバム程度の収録時間なので「Enlightenment」の同一ヴァージョンが使い回されます。また「Velvet」はニューヨーク進出直前の1960年6月に再録音され『We Travel the Space Ways』に再収録されますが、これだけ他のアルバムとダブる選曲だけあり『Jazz in Silhouette』の出来はすこぶる極上です。改訂版A面の4曲は名曲ぞろいですし、改訂版B面のブルース・サイドも好調で、冒頭で触れたとおりニューヨークのブルー・ノートやリヴァーサイドら丁寧な制作に定評あるインディーズからのアルバムとして出れば、セールスはともかくちょっと毛色の違ったハード・バップ・アルバムとして一般的な名盤ガイドにも紹介される秀作扱いされたでしょう。しかしサン・ラの場合はやはりどこかセンスのねじれたところがあり、初回プレスの汚いにもほどのあるジャケット、再発盤の良くいえばレトロ・フューチャー、一般的にはインチキくさいB級SF的センスはとても良い内容のアルバムとは思えない悪い先入観を与えます。また未発表アルバムが陸続として発売された以降は選曲のダブりが中途半端な印象を与えたのもマイナスでした。ですがトランジションへの2作『Jazz by Sun Ra (Sun Song)』『Jazz by Sun Ra, Vol.2 (Sound of Joy)』(後者は発売中止になりましたが)、サターンの10枚分のストックからの2作『Super-Sonic Jazz』『Jazz in Silhouette』の4枚は、ハード・バップ時代のジャズ風潮にサン・ラが正面から取り組んで成功したアルバムでした。
 本作『Jazz in Silhouette』は地元シカゴの地方紙では発売翌月に話題作として記事が載り、サン・ラ初のヒット・アルバムになっています。ただし地元シカゴのローカルでの話で、全国的にはサン・ラはジャズマンと一部の専門家にしか知られていない存在でした。『Jazz in Silhouette』はアルバム10枚あまりの未発表曲や既発表曲からベスト選曲の上で再録音したアルバムで、チャールズ・ミンガスでいえばやはり未発表曲や既発表曲からベスト選曲・再録音したアルバム『Mingus Ah Um』1959に当たります。偶然ですが同作は『Jazz in Silhouette』が発売された1959年5月に録音されています。ミンガス盤は名盤の誉れ高いアルバムですがサン・ラ盤も満を持した名曲揃いで、ビッグバンド・サイド4曲、ブルース・サイドのトップ曲とラスト曲「Hours After」「Blues at Midnight」など全編ハイライト・ナンバーばかりと言えます。正統的ビッグバンド曲風の「Enlightenment」「Saturn」と典型的なAA'BA'形式のハード・バップ曲「Velvet」が実験的な「Ancient Aiethopia」が並んでも違和感がないのはアーケストラのサウンドに一体感と統一感があるからでしょう。ブルース・サイド中盤2曲は「Velvet」と同じAA'BA'形式でブルースではなく、「Horoscope」はスウィンギーで「Images」はソロ・ピアノのリリカルな前奏から始まってスウィンギーなバンド・サウンドになる名曲ですが、B面全体の起承転結に上手くはまっており、やはり曲が良さが光ります。ブルースでもAA'BA'でも微妙なシンコペーションと意外な代用コードの使用による部分転調を巧みに織り込んで、セロニアス・モンクともミンガスとも似て非なる個性的作風を確立しています。もっとも少し後輩のモンクやミンガスより時期的には遅く、逆影響がないとは言えません。しかしこのレベルまで来たら影響を云々する必要もないでしょう。ただしニューヨークを本拠地にしたモンク、ミンガス、ホレス・シルヴァーらほど注目を集められなかったのは、アーケストラの活動があくまでもシカゴのジャズ・シーンに縄張りを限定していたからで、シカゴのレギュラー・バンドなら10人編成のバンドを維持できましたが激戦区ニューヨークでは10人編成の中規模ビッグバンドの運営は困難であり、それがサン・ラのニューヨーク進出を遅らせたのは間違いありませを。シカゴ在住のままでもニューヨークのレーベルからアルバム発売がされれば全国的注目を集められる可能性はありましたが、当時はニューヨークでもロサンゼルスでも一流ジャズマンが供給過剰なほど溢れていました。アーケストラのジョン・ギルモアにはクリフォード・ジョーダンとの2テナー・アルバムがブルー・ノートにあり(1957年)、やはりアーケストラのアルト奏者ジェームス・スポールディングは60年代のフレディ・ハバード(トランペット)のブルー・ノート作品の常連になります。アーケストラのメンバーは全米第3の大都市シカゴでも生え抜きの凄腕が揃っていました。12分の長丁場があっという間の「Blues at Midnight」などあまりに見事なソロの応酬に笑ってしまうほどですが、何しろトランペット、トロンボーン、5サックス(アルト、テナー、バリトン随時持ち替えでフルート、パーカッション兼任)と管だけで7人もいる上、ベースとドラムスもソロの取れる腕前で、その上サン・ラがエレクトリック・ピアノチェレスタ風の音色で弾き倒します。『Jazz in Silhouette』はすこぶる良い出来ですが、サン・ラ作品ではもっともハード・バップに近づいたアルバムだから次に他の代表作を聴くと落差に愕然とするかもしれませんし、ジャズは何よりハード・バップという人が聴くと本作は濃厚すぎてもたれます。もしブルー・ノートで制作されたとしてもやはり幻の未発表アルバムになっていたかもしれないと思うと、ここまで歩み寄ってもサン・ラのジャズはまだまだニューヨークのジャズとは相容れないものだったということになります。