Recorded live at The Ostrich/Hilltop Rock Festival, New Hampshire, August 2, 1969 (1-5, complete concert), expect Track 6 recorded at the 2nd Fret, Philadelphia, Spring 1970 (but is actually the Sister Ray/MurderMystery from La Cave, January '69).
All songs written by Lou Reed expect as noted.
(Tracklist)
1. I'm Waiting For The Man - 7:20
2. Run Run Run - 10:36
3. Pale Blue Eyes - 6:04
4. What Goes On - 11:40
5. Heroin - 6:55
(Bonus Track)
6. Sister Ray (Velvet Underground) : https://youtu.be/VEM1wayCOjI - 25:55
[ The Velvet Underground ]
Lou Reed - lead vocal, guitar
Sterling Morridson - guitar, vocal
Doug Yule - bass, organ, vocal
Moe Tucker - drums
1966年10月にプロ・デビューしたヴェルヴェット・アンダーグラウンドは1968年9月上旬までの2年間はルー・リードとジョン・ケイルの双頭リーダー制でアンディ・ウォホールお抱えのポップ・アート系イヴェントご用達バンドだったのに対し、ケイルが脱退してダグ・ユールが加入した1968年9月下旬~ルー・リードが契約満了で脱退した1970年8月までの後期2年間のヴェルヴェットはドサ回りの巡業営業バンドになった次第は前回までにご紹介した通りです。さらにヴェルヴェットはリード抜きでユールが率いることになり、オリジナル・メンバーのスターリング・モリソンが1971年(英文科教職に転向・'90年代に音楽界に復帰、'95年逝去)に、モーリン・タッカーが1972年に(地方移住し5児を出産、'80年代に音楽界に復帰)に脱退した後ロンドンで現地ミュージシャンを起用したアルバム『Squeeze』'73をユール一人でヴェルヴェット名義で制作・発表し1974年までメンバーを補填してヴェルヴェット名義で活動しましたが、通常はリード脱退後のヴェルヴェットは別バンドと見なされています。本題は1968年9月~1970年8月の後期ヴェルヴェットで、リーダーのリードはソングライターであり楽曲印税があるだけまだしもメンバーはバンド活動の合間にアルバイトしても月収200ドルそこそこで生活し、モリソンやタッカーが口を揃えてバンドは搾取されていたという通り、ライヴの本数は激増したのにマネジメントがほとんどギャラを握っていたようです。
しかし皮肉なもので、後期ヴェルヴェットの新マネジメント体制がバンドにドサ回り巡業を強いたおかげで'80年代末以降20年以上を経て後期ヴェルヴェットのライヴ音源が次々と発掘され、それまでは解散後にリードの脱退当日のライヴ『Live at The Max's Kansas City』'72('70年8月、バンド関係者により客席録音)、『1969: The Velvet Underground Live』'74('69年10月・11月、ライヴ会場オーナーによりモニタリング・ミキサー卓録音)が知られたきりでした。'80年代末以降に海賊盤で発掘されたライヴ録音は10数回分に上り、公式発売でも当時バンドの熱心なファンで法科大学生(弁護士資格取得)であり後にリードのバンドのギタリストになったリチャード・クワインがバンドを追いかけ各地で客席録音した音源の集成でCD3枚組『The Quine Tapes, Vol.1』'2001が話題になり、とどめを刺したのがリード逝去(2013年)後の2015年に発売されたCD4枚組『The Complete Matrix Tapes』('69年11月録音)で、2枚組LP『1969』の一部はこの音源から採ったものでした。マトリックスはジェファーソン・エアプレインのリーダー、マーティー・ベイリンがサンフランシスコのダンスホールを買収して経営したロックのクラブハウスで、一般に欧米ではコンサート主催者や会場オーナーには公的な録音権とその音源の著作権が得られるので、特に海外(主にイギリス)からの人気バンドや西海岸公演の珍しいニューヨークのヴェルヴェットはしっかり2日・4回分の公演がマルチトラックのモニタリング・ミキサー卓からプロの音響技師によって録音されていたのです。モリソンやタッカーはかねてからヴェルヴェットがプロの機材と技術者による公式ライヴを残していなかったことを後悔する発言をしていましたが、それを一挙に挽回した驚愕のマトリックス音源については次回リンクともども改めてご紹介します。
*
(Unofficial Not on Label "Complete Ostrich/Hilltop Concert" CD Liner Cover)
なおボーナストラック6はCDの記載では1970年春のフィラデルフィアのクラブ、ザ・セカンド・フレットで収録とありますが(リンクには「Boston 15/3/69」とありますが)、聴き較べるとこれはクリーヴランド1969年1月のクラブ「ラ・ケイヴ」公演とされる演奏で、同時期は毎公演「Sister Ray」を演奏しており混乱しますが冬・春・夏のボストンでの同曲、'69年秋のサンフランシスコの同曲より激しい演奏で、ケイル在籍中のスタジオ盤第2作『White Light / White Heat』'68.1の17分ヴァージョンやケイル時代のライヴ音源の密度には適いませんが、この曲ではケイルの後任者ユールがオルガンに回りベースレス編成になるためリードとモリソンの2ギターとタッカーのラウドなドラムスがボトムのスカスカなサウンドを埋めており(ヴェルヴェットは同曲と「Heroin」がベースレスです)、20分台のさらに長尺化したヴァージョンがユール加入後のライヴでは標準的になっています。ここで聴けるヴァージョンはライヴ版「Sister Ray」でも屈指の名演ですが、何しろ海賊盤のデータなのでフィラデルフィアではなくクリーヴランドが本当なのかも確実ではありません。ボストン公演で3月15日音源は存在せず(「The Guitar Amp Tapes」は3月13日です)、どのボストン公演の音源でもないのは確かです。海賊盤によってはヒルトップ・ロック・フェスティヴァル音源のメンバーをリード、ケイル、モリソン、タッカーとしている勘違い盤もありますが、発掘ライヴまで聴くリスナーは相応の予備知識も求められる好例でしょう。幸いヴェルヴェットのバンド史はさほど複雑でもなく、熱心なコレクターによって相当詳細な内部・周辺事情まで解明されているのです。