人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2017年9月18日~20日/ レオ・マッケリー(Leo McCarey, 1898-1969)のコメディ映画(2)

 ようやくレオ・マッケリーの時代がやってきた、と思わせられるのが今回ご紹介するアイリーン・ダン(1898-1990)主演の3作です。うち『邂逅(めぐりあい)』はシャルル・ボワイエとの共演したすれ違いメロドラマですが『新婚道中記』と『ママのご帰還』はケイリー・グラントと共演したスクリューボール・コメディで、当時もっとも斬新なハリウッド映画のサブジャンルでした。簡単にスクリューボール・コメディを定義すれば主演カップルが意地の張り合いをしながら繰り広げる恋愛どたばたコメディといったところで、サイレント時代のエルンスト・ルビッチ作品(『結婚哲学』'24など)やホークス、キャプラの作品にプロトタイプを見ることもできますが、最初の決定的なスクリューボール・コメディハワード・ホークスの『特急二十世紀』Twentieth Century (コロムビア'34)と言われます。ホークスのスクリューボール・コメディは『赤ちゃん教育』'38、『ヒズ・ガール・フライデー』'40と続き、ホークス以外の監督作品ではキューカーの『フィラデルフィア物語』'40やヒッチコックの『スミス夫妻』'41、プレストン・スタージェスの諸作がありますが、同時期に大流行したフィルム・ノワールや西部劇ほど多産されなかったのは企画やキャスティング、演出にシビアなセンスを問われるのと、ロマンス作品としての側面からスター俳優とゴージャスなムードが求められるためフィルム・ノワールや西部劇のような低予算作品が作れなかったからでもあります。マッケリーは自身のプロダクションを設立して製作した新作をメジャー会社に配給を委託するようになり、作品内容の自由を確保すると共にハイリスク・ハイリターンの道を選び全米長者番付第1位の映画監督という空前絶後の記録を残しました。ハワード・ホークスが影響を受けた映画にムルナウの『サンライズ』'27を上げ、また「ぼくに感銘を与えた演出家としては、ほかにジョン・フォードとルビッチとレオ・マッケリーをあげることができる。ぼくの考えでは、この人たちは最高の演出家だった人たちだ」(カイエ・デュ・シネマ編『作家主義』)と語ったのは1956年のインタヴューですが、この讃辞も『人生は四十二から』'35と『ロイドの牛乳屋』'36のヒットを受けてレオ・マッケリー・プロダクション作品が設立された1937年の『明日は来らず』『新婚道中記』2作の大ヒット以降のマッケリーにスクリューボール・コメディの元祖ホークスですら舌を巻いたということでしょう。ムルナウ、フォードとルビッチと並ぶとまでホークスに賞賛されたとは凄いことで、作風の多彩さではマッケリーはさすがにフォードやルビッチ、ホークスほど広くはありませんが、『邂逅(めぐりあい)』のようなベタなメロドラマを軽やかに仕上げる上質な大衆性も備えた強みがありました。ホークスの『赤ちゃん教育』『ヒズ・ガール・フライデー』はやりすぎの面白さに満ちていますが『新婚道中記』や『ママのご帰還』のさじ加減は絶妙で、つい数年前にマルクス兄弟最強の怪作『我輩はカモである』を撮った監督ならばこそ隅々まで計算の行き届いた作風にたどり着いた、とも思えます。アイリーン・ダンはホークス作品には出演作のない女優で、ホークスとマッケリーの好み(女優によるコメディの狙い)の違いがわかります。また、ケイリー・グラントのコメディ起用はホークスよりマッケリー(ジョージ・キューカーもいますが)の方が早かったのは意外でもあり、ホークスの賞賛はそうしたキャスティングの慧眼にもよるものでしょう。なお今回も作品紹介は「キネマ旬報」近着外国映画紹介、またはDVD解説書から引用させていただきました。

●9月18日(月)
『新婚道中記』The Awful Truth (コロムビア'37)*91min, B/W; アカデミー賞作品賞、主演女優賞アイリーン・ダン助演男優賞(ラルフ・ベラミー)、脚色賞(ヴィナ・デルマー )、編集賞(アル・クラーク)ノミネート、監督賞(レオ・マッケリー)受賞・アメリカ国立フィルム登録簿1996年新規登録作品。

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(キネマ旬報近着外国映画紹介より)
コロムビア映画(レオ・マッケリー・プロ)
日本公開昭和13年4月(キネマ旬報年間ベストテン8位)・ドラマ
[ 解説 ] 「花嫁凱旋」「たくましき男」のアイリーン・ダンと「天国漫歩」「間奏楽」のケーリー・グラントが主演する映画で、「明日は来らず」「ロイドの牛乳屋」のレオ・マッケリーが監督・製作したものである。原作はアーサー・リッチマン作の喜劇で「明日は来らず」のビニヤ・デルマーが脚色した。撮影は「失はれた地平線」「花嫁凱旋」のジョセフ・ウォーカーの担任。助演者は「結婚気象台」のラルフ・ベラミー、「スイング」のセシル・カニンガム、英仏映画界に活躍していたアレクサンダー・ダーシー、「二つの顔(1935)」のモリー・ラモント、エスター・デール、ロバート・アレン等である。
[ あらすじ ] ジェリイ・ウォリナー(ケイリー・グラント)は真面目な妻のルシイ(アイリーン・ダン)にフロリダへ行くと嘘を言って友人たちとポーカーを楽しみ、一晩家を家を空けて帰ってきた。すると妻のルシイも家にいなかった。間もなくルシイは若い美男子で声楽教師フランス人アルマン(アレクサンダー・ダーシー)と一緒に帰宅した。思わず彼が妻の不謹慎を責めると、ルシイは平気な顔で、二人の乗った自動車が故障を起こしたので止むなく安宿に泊まったのだと言う。すっかり腹を立てた彼は、かえって自分の嘘まで曝されたので、とうとう二人は口論の果てが別居ということになってしまった。夫婦の大事にしている愛犬スミスが、どちらの所有に属するかで一問題あったが、ルシイは策略を用いて所有権を獲得した。その代わりにジェリイは時々スミスに会いに来てもいいという条件がつけられる。ところがその最初の訪問日の夜、彼はルシイが田舎の若い富豪ダニエル(ラルフ・ベラミー)と交遊しているのを見た。かんしゃくを起こしたジェリイはナイトクラブの歌姫ディキシー(ジョイス・コンプトン)と熱くなり、互いに夫婦の擬似恋愛競争が始まった。ダニエルは妻を離婚してルシイと結婚したいと申し出るけれど、彼女が心から愛しているのはジェリイだけである。そこでアルマンを呼んで二人の間には何もなかったことをジェリイに話してくれと頼んでいるところへジェリイが訪れたものだから、驚いたルシイはアルマンを寝室に押し込んだ。これをジェリイに見つかったからたまらない。憤然として彼はそこを飛び出した。彼はついにルシイと離婚し社交界の花形バーバラ(モリー・ラモント)と婚約した。その披露会の夜ルシイがジェリイを訪ねているところへバーバラからかかってきた電話をルシイが取り次いだ。彼はルシイを妹だと言ってその場をごまかして老いたが、そのため彼女も披露会へつれて行かねばならなくなった。宴席でルシイは酔ったふりをして乱痴気を演じたので披露会は滅茶苦茶になりバーバラはジェリイとの婚約を解消した。ルシイはなおも酔態を装ってジェリイを車に乗せパシイ叔母さん(セシル・カニンガム)の山荘へ連れて行く。途中で彼女は故意に自動車事故を起こし、それにことよせて巧みに彼の誤解をとき、二人は改めて楽しい生活を始めることになった。

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 俳優犬スミスはホークスの『赤ちゃん教育』(ケイリー・グラントキャサリン・ヘップバーン主演)にも出演していることで有名。つまりホークスの傑作『赤ちゃん教育』は『新婚道中記』への回答だったとわかりますが、ホークス作品はあまりに狂躁的すぎて興行的失敗作になり、キャサリン・ヘップバーンの意地でジョージ・キューカー監督作品『フィラデルフィア物語』でリヴェンジが行われ今度はアカデミー賞主要6部門ノミネート、主演男優賞(ジェームズ・スチュワート。当作はスチュワートとケイリー・グラントのW主演)と脚色賞(ドナルド・オグデン・スチュワート)受賞、キャサリン・ヘップバーンもニューヨーク批評家協会女優賞受賞を成し遂げます。D・オグデン・スチュワートはマッケリーの『邂逅(めぐりあい)』の脚本家に起用されるユーモリストの名物ライターですから、この辺りの映画相関図を作ればみんなつながっていることになります。グラントは『断崖』'41以降ヒッチコックの準常連俳優にもなります。本作の筋は他愛ない事この上なく、姑息な誤解からいがみ合った夫婦が離婚騒動にまで発展するが結局は元のさやに収まるというもので、こんな話を面白おかしく展開してみせてほとんどアート作品のような純粋芸術的感動すらある快作になっています。単純なシチュエーションの設定から映画がどれだけ洗練を競えるかを追求した結果が本作で、これは魅力的な登場人物ばかりが生き生きと馬鹿らしい話を演じる、面白いことばかり起きる一種のユートピアの物語とも言えて、アメリカ映画でも1930年代~1940年代の限られた時代だからこそ成立し、そんな時代は二度と訪れないでしょうから貴重な文化遺産として長く記憶される価値があります。艶笑談なのにセックスの匂いは完璧に排除されているのもこの時代の映画ならではで、これは当時必ずしもそういう映画ばかりではないからマッケリーならではのセンスだろう、と思え、性に触れないことで結果的に映画を深刻に陥らない軽さに救っています。登場人物たちは至極真面目に振る舞っているだけに一挙一動がおかしく、キャプラやホークスとも違う独特の間の取り方にマッケリーのセンスがうかがえます。マッケリーの映画にはセックスのムードもなければ悪人も出てこない、というのも観ていてすぐ気づきますが、それが不足感でも理想主義的でもなくごく普通の良識的な市民的感覚で描かれているのが作品世界を古びさせない強みにもなっている、と思わせられます。窮地に陥りながらまったく無能なケイリー・グラントの職業がエリート・ビジネスマン(らしい)なのは風刺といえば風刺ですが、マッケリーの映画では職能と私生活は別、という苦笑混じりの共感を誘うようになっているのも上手く、本作に限らずマッケリー作品では(ジョージ・キューカー作品でもそうですが)女性の方が必ず男性より知的なのは『ロイドの牛乳屋』でも既に見られ、本作以降は必ず作品の規則となる特徴です。つまり寅さん映画や日活ロマンポルノの諸作とも同じならばアントニオーニやベルイマンと同じなのですが、ある種の映画では女性を賢く、男はバカに描く方が面白い、という法則はアメリカ喜劇の正統ですが喜劇に限らず大概の映画が踏襲すべき大原則を射抜いているのではないか(フィルム・ノワールでは早くから巧妙に、西部劇では遅れましたが)とすれば、一見他愛ないコメディの本作は以降の映画の舵を握るほどの画期性を持っていたとも言えて、だとするとやはり突然変異的な怪作『我輩はカモである』の監督のこの変貌は用意周到な計算なしには成し得なかったことでしょう。

●9月19日(火)
『邂逅 (めぐりあい)』Love Affair (RKO'39)*87min, B/W; アカデミー賞作品賞、主演女優賞 (アイリーン・ダン)、助演女優賞(マリア・オースペンスカヤ)、原案賞(ミルドレッド・クラム、レオ・マッケリー)、歌曲賞 バディ・デ・シルヴァ作詞作曲「Wishing」、室内装置賞ノミネート。

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(キネマ旬報近着外国映画紹介より)
RKO映画(レオ・マッケリー・プロ)
日本公開昭和16年6月・ラブロマンス
[ 解説 ] 主演シャルル・ボワイエアイリーン・ダンレオ・マッケリーが製作監督した恋愛ドラマで、当時原題のLove Affairが風紀上よろしくないというので、わざわざ日本版の題名をSincerityに改題した。脚本はデルマー・デイヴィスとドナルド・オグデン・スチュワート、原作はレオ・マッケリーとミルドレッド・クラム、撮影ルドルフ・マテ、音楽ロイ・ウェッブ。なおマッケリーは戦後の1957年にケイリー・グラント、デボラ・カー主演で再映画化し、「めぐり逢い(1957)」の題名で日本でも公開した。
[ あらすじ ] ニューヨーク航路の豪華船ナポリ号の美しき船客テリイ(アイリーン・ダン)は、置き忘れたシガレット・ケースが縁でミシェル(シャルル・ボワイエ)と知りあった。いつしか2人は一緒に食事をするほどの仲になったが、共に言い交した人のある身で、船内のゴシップになるのをさけて、別行動をとらねばならなかった。船がナポリに着いたとき、ニッキイはテリイを誘って彼の祖母(マリア・オースペンカヤ)の家をたずね忘れ難い旅情に1日をすごした。ここでテリイはミシェルが才能のある画家であることを知り、ミシェルもテリイが歌手であると知った。長い線路も2人には短かった。別れの曲に思い出深い1夜を、ニューヨーク港の船内ですごし、6ヵ月後の再会を約して2人は別れた。その時こそ2人の愛が真実であることを認められるのであろうと信じて……。やがて誓いの宵が来た。ナイトクラブに出演して成功したテリイは、約束の場所に急ぐ途中、走ってきた車にはねられて重傷を負ってしまった。それとは知らぬミシェルはそぼ降る雨にぬれながら、夜おそくまで待っていた。何ヵ月たったある日、ミシェルは画商から自動車事故で不具になった女性が、彼の描いたテリイの肖像画を欲しがっているが、金が無くて買えないという話をきき、今はすべてをあきらめて、その絵をその女性に贈った。その後とある劇場でミシェルはテリイにあったが、テリイがかつての婚約者連れだったため車椅子にも気づかずに別れてしまった。クリスマスの日、あの不幸な女性への贈物にと、ミシェルは祖母のショールをもって彼女をおとずれ、部屋にあの絵があるのをみて、総てを知った。ミシェルは変わり果てた、涙にうるむテリイをしっかり抱くのであった。外には真白な雪が音もなく降りつづいていた。

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 本作は日本公開の年月に注目。昭和16年(1941年)といえば歳末近い12月8日には真珠湾攻撃が行われ、アメリカとの太平洋戦争が開戦されて外国映画の上映規制が敷かれます。ホークスのケイリー・グラント主演作『コンドル』'39とフォードのジョン・ウェイン主演作『駅馬車』'39は前年日本公開から太平洋戦争開戦までロングラン・ヒットし、ジョージ・マーシャルのパロディ西部劇『砂塵』'39と本作『邂逅(めぐりあい)』は開戦半年前というぎりぎりの日本公開でした。上映本数も減少していた頃で、『砂塵』と『邂逅(めぐりあい)』は本当に少ないアメリカ映画の新作公開ということでヒットしたそうです。すれ違いメロドラマといえばマーヴィン・ルロイのヴィヴィアン・リー主演作『哀愁』'40の爆発的な影響力でその後は安物映画の代名詞になってしまいますが、マッケリーは微妙に早く時代の先を行く人で、撮影がワイラーの『孔雀夫人』'36のルドルフ・マテという人選も光ります。マテはドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』'28、『吸血鬼』'31が出世作のカメラマンでクレールの『最後の億萬長者』とラングの『リリオム』'34、ワイラー/ホークス共同監督の大自然の凱歌』'36も担当し、本作と同年にはヴィヴィアン・リー主演の『美女ありき』、後にはルビッチの『生きるべきか死すべきか』'42やボギー主演の『サハラ戦車隊』'43、リタ・ヘイワースの代表作『ギルダ』'46などの撮影監督を経て、フィルム・ノワールの『都会の牙(D.O.A)』'49やSF映画の古典『地球最後の日』'51、西部劇『ミシシッピの賭博師』'53などB級映画の監督に転身した映画人です。ヨーロッパ観光不倫映画『孔雀夫人』でマテを起用したワイラーもさすがですが、それをヒントに『リリオム』でも主演していたフランス出身の二枚目俳優シャル・ボワイエ('30年代半ばからハリウッドに進出)をアイリーン・ダンの相手役に前半イタリア、後半はニューヨークを舞台に移るにも関わらず全編をヨーロッパ映画風のムードで統一し、大甘のメロドラマでわかりやすい大衆性と玄人も唸る渋い映像で臨んだマッケリーの才気には痺れます。イタリア、ニューヨークと言ってもこれは全編ハリウッドのスタジオのセット撮影で、海上シーンも大西洋ではなくサンフランシスコ湾でしょう。当時のハリウッドのスタジオには全世界の街並みを再現したセットが基本的なインフラとして整備されており、特にニューヨークのセットはもっとも多く作られ使われていたわけですが、セットは所詮セットで本物ではありません。マッケリーの映画ではセットに本物らしさを求める様子は一切なく、『新婚道中記』にしても本作にしてもおとぎ話の中の世界で、さすがスラップスティック・コメディ出身者らしく映画のリアリティと現実のリアリティをきっぱりと区別しています。本作のラストシーンはハッピーエンドなのかビターなのか実に大人のエンディングですが、ヒロインが自分たちの夢を言葉にして、希望の実現まで描かずに終わる心憎い締めくくり方はマッケリー流の「映画は映画、現実は現実」を示した夢の中にいるままのような、それでいて覚めているような不思議なエンディングで、そこで窓越しに降る雪は当然セットの中に降る偽物の雪ですが、映画の中では偽物の雪こそ本物という当たり前の事実こそ映画のリアリティであり、現実的なリアリティよりもいっそう儚さに胸が締めつけられます。出演作ではプレイボーイ役の多かったボワイエが珍しく離婚歴のないスター俳優で、44年連れ添った夫人の病没から翌々日に後追い自殺した(享年78歳)のを思い合わせると、4回ノミネートされたアカデミー賞主演男優賞作品(『ガス燈』'44など。'42年アカデミー賞特別賞受賞)よりも代表作には本作がふさわしいとしみじみ観入ってしまう、そうした切なさではフランス時代の名作『リリオム』と匹敵する感動的な作品です。

●9月20日(水)
ガーソン・ケニン(1912-1999)『ママのご帰還』My Favorite Wife (マッケリー製作・オリジナル脚本) (RKO'40)*88min, B/W; アカデミー賞原案賞(ベラ・スピワック、サミュエル・スピワック、レオ・マッケリー)、作曲賞(ロイ・ウェッブ)、室内装置賞ノミネート。

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RKO映画(レオ・マッケリー・プロ)
日本未公開・テレビ放映
(DVD解説リーフレットより)
 スクリューボール・コメディの金字塔『新婚道中記』(37)に続いてケイリー・グラントアイリーン・ダンがコンビを組んだ結婚喜劇である。ただし、本作では、監督のレオ・マッケリーは脚本・製作に回り、『アダム氏とマダム』(49)、『ボーン・イエスタデイ』(50)などの都会派風刺喜劇の脚本で知られるガーソン・ケニンがメガホンを執っている。裁判所で弁護士ニック・アーデン(ケイリー・グラント)とビアンカ(ゲイル・パトリック)の結婚が認められた日、七年間行方不明だった妻エレーン(アイリーン・ダン)が突然、現れる。二人がかつて新婚旅行で泊まったホテルに宿泊すると知ってエレーンが赴くと、ニックは驚喜する。しかし優柔不断なニックは、彼女に別の部屋を借りる一方、ビアンカに言い出せず、ぐずぐずと二つの部屋を右往左往し、あまりの不謹慎な態度にホテルの支配人は憤然となる。主人公の名前から容易に連想されるように、物語の骨子はアルフレッド・テニスンの長編叙事詩『イノック・アーデン』を借用している。(生命保険調査員から)船が難破し、エレーンが孤島でバーケット(ランドルフ・スコット)と二人だけで七年間過ごしたと知ったニックは疑心暗鬼になる。プールで偶然、筋骨隆々のバーケットを見かけた際に、通りかかったご婦人方がニックに「あの方、ジョニー・ワイズミュラー?」と訊ねるシーンがおかしい。その直後、空中ブランコのアクロバットな妙技を示したバーケットが飛び込み台からダイブするのを目撃したニックは猛然と嫉妬にかられるのだ。『新婚道中記』と同様に主人公カップルはつまらぬ意地の張り合いから、もつれにもつれ、果てはニックは重婚罪で訴えられる羽目に陥る。(中略)ハリウッドはこのアモラルなテーマを好んで変奏しており、ドリス・デイジェームズ・ガーナー主演の『女房は生きていた』(63、マイケル・ゴードン)はそのリメイクである。

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 本作も撮影はルドルフ・マテですから豪華なものです。ガーソン・ケニン(1912-1999)は元々脚本家が本業の人ですが、タイトル画面から「Leo McCarey's "My Favorite Wife"」と堂々と謳っており、レオ・マッケリー・プロダクションのプロデューサーで脚本も書いたマッケリーが多忙から監督実務は中堅脚本家に与えて製作総指揮に回ったマッケリー作品、と見ていいでしょう。海外の各種映画データ・サイトでも本作はマッケリー作品という位置づけをされています。マッケリー作品でケイリー・グラント主演作は『新婚道中記』、本作、『恋の情報網』'42、『めぐり逢い』'57(『邂逅(めぐりあい)』のリメイク)の4作、といった具合で、またグラントとアイリーン・ダンの共演作は『新婚道中記』、本作、『愛のアルバム』'41(ジョージ・スティーヴンス、ジョージ・スティーヴンス・プロダクション作品)の3作きりのようです。スティーヴンス作品も離婚危機を迎えた夫婦の話ですが、思い出のレコードが愛を蘇らせるというロマンス映画で、スティーヴンスはマッケリーの後輩に当たる喜劇映画のハル・ローチ・プロ出身ながらワイラーに近い資質の真面目な作風の監督ですが、同じ俳優の主演カップルでもマッケリー作品とはずいぶん違うものです。もっともグラントとダンを夫婦役に映画を作ってコメディにしたらマッケリーの真似事になってしまうので、本作がガーソン・ケニン監督作なのはマッケリー自身が『新婚道中記』で監督してしまったから自分ではなく若手脚本家に監督を任せてみたかったのかもしれません。どたばたコメディ度は『新婚道中記』よりもさらに増しており、裁判所での老人裁判官とのくどいやり取りや、俳優がずっこけると音楽が合いの手を入れるなど少々首を傾げる泥臭いギャグ演出もあり、『新婚道中記』を意識してやや盛り込みすぎかな、と思うような面もあります。奥さんのアイリーン・ダンが遭難死を認められたグラントの新妻ビアンカ役の女優がほとんど活かされていない欠点もありますが、『新婚道中記』でも恋のさやあて相手で活かされていたのは田舎の御曹司ラルフ・ベラミーだけだったので脚本段階で新妻役には大した出番はなかったのでしょう。本作のグラントとダンの打々発止のおかしさは安定感抜群ですが(ちなみに『新婚道中記』も『邂逅(めぐりあい)』も本作もキャストのトップはアイリーン・ダンで、ケイリー・グラントシャルル・ボワイエは二番目です)、本作ならではの強力な助演者はランドルフ・スコット(!)のコメディ演技でしょう。スコットにはアステア&ロジャース、アイリーン・ダンとの共演作のミュージカル映画ロバータ』'35(ウィリアム・A・サイター)や本作など面芸の西部劇以外にも意外な出演作があり、洒落のわかる粋な俳優だったのが判ります。本作のスコットは健康誠実天然堂々実直を絵に描いたような頼りになる理想的男性を白い歯ぐきを見せながら嬉々として演じており、地質学者の妻が遭難した孤島での七年間アダムとイヴというニックネームで呼び合っていた、と知ってケイリー・グラントが青ざめるシーンはよくもまあこんなバカな設定をと感動すら覚えます。グラントとスコットは親友だったそうですが、アイリーン・ダンにもスコットにもまるで頭の上がらないグラントは本作の設定では弁護士が職業で、弁護士資格者はアメリカ社会ではエリート職ですし裕福な生活ぶりからも優秀な職業人であるはずですが、私生活ではまったく不器用で弁護士の職能もまるで役に立たないのも『新婚道中記』同様です。映画の後半はダンが遭難した時幼児だった一男一女(母は遭難で亡くなったと教えられている)と再会し、おばさんに懐いているうちに大人たちの様子からこの人が実は亡くなっていなかったお母さんだ、と子供たちが気づく過程になりますがカラっとして湿っぽさの微塵もなく、それでいて自然で暖かな描き方で(男児は格好つけようとするし女児は素直に甘える)、『新婚道中記』同様主役の夫婦が周囲を巻き込んで騒動を起こしていますから恨みを買ったり悪意で近づいたりする人物もいそうなものですが、そこは映画=おとぎ話のマッケリーで、悪役・悪人不在が映画の短所にはならないのが見事です。ホークスやキャプラ、ワイラーにあるような社会的関心がマッケリーの成功作にはほとんどないからこそ悪役・悪人もいない世界が成り立つのですが、これはありふれているようでいて同時代に名を残した他の映画人のほとんどにはできなかったことでもあります。それは次回ご紹介するマッケリー唯一の反ナチ映画『恋の情報網』、一世一代の代表作となった下町教会をめぐるヒューマン・ドラマ『わが道を往く』'44(アカデミー賞9部門ノミネート、作品賞・監督賞・主演男優賞・歌曲賞他主要7部門受賞)でも完徹されるのです。