人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2017年10月13日~15日/ハワード・ホークス(Howard Hawks, 1896-1977)の男の映画(5)

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 ハワード・ホークスの映画でも本国公開からすぐに大ヒット作になり同年を代表する名作と名高かったとされる作品が今回ご紹介する『ヨーク軍曹』です。さらに今回はホークス唯一の太平洋戦争映画『空軍/エア・フォース』と、製作途中でプロデューサーの実業家ハワード・ヒューズがホークスを降板させ自分の監督名義で完成させた『ならず者』という3本で、どれもすっきりした感想がまとまらず書くのに何日もかかりました。ホークスの映画は並みの出来のものでも見所はあると思いますが、並みどころではないのに好き嫌いや面白さを説明するのが難しい場合もあります。簡単に星取表で言えば『ヨーク軍曹』★★★★★、『空軍/エア・フォース』★★★、『ならず者』★★で済んでしまいますが、★評価で済むなら感想文もいらないので、今回は少しも説得力のある感想文を書けた気がしないのです。

●10月13日(金)
『ヨーク軍曹』Sergeant York (ワーナー'41)*133min, B/W; 日本公開昭和25年9月(1950/9/15)/アカデミー賞男優賞(ゲイリー・クーパー)・編集賞受賞、作品賞・監督賞・助演男優賞(ウォルター・ブレナン)・助演女優賞(マーガレット・ワイチャーリイ)・脚本賞(ハリー・チャンドリー、エイベム・フィンケル、ジョン・ヒューストン、ハワード・コッチ)・美術賞(白黒部門)・撮影賞(白黒部門)ノミネート、ニューヨーク映画批評家協会賞主演男優賞(ゲイリー・クーパー)受賞・アメリカ国立フィルム登録簿登録作品(2008年度)

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ジャンル 伝記
製作会社 ワーナー・ブラザース作品
配給 ワーナー・ブラザース映画
[ 解説 ] 実在した第一次大戦の勇士・ヨーク軍曹の伝記映画。片田舎の貧乏農家に生まれたヨークは酒飲みの無頼漢だったが、ふとしたことから信仰の道に入り改心する。出征した彼は、戦争と宗教の矛盾に悩むが…。G・クーパーのアカデミー賞主演男優賞受賞作品。脚本はエイベム・フィンケルとハリー・チャンドリー、ハワード・コッチ、ジョン・ヒューストンが共同で執筆。製作はジェシー・L・ラスキー、ハル・B・ウォリス、監督はハワード・ホークス、撮影はソル・ポリート、音楽はマックス・スタイナー、レオ・F・フォーブステイン、編集はウィリアム・ホームズが担当。出演はゲイリー・クーパーウォルター・ブレナン、ジョーン・レスリー、ワード・ボンド、マーガレット・ウィチェリーなど。
(DVDジャケット解説より)
 第一次大戦で活躍した、実在の人物を描いた伝記的映画。テネシーの田舎町に生まれたヨークは、何物にも縛られない自由人だった。しかし、ある時から信仰に目覚めた彼は、真の自由を守るためには、戦争もやむなしという結論に達する。そして彼は、戦場で幾つもの武勲を立てるのだった……。
(ウィキペディア日本語版より)
『ヨーク軍曹』(ヨークぐんそう、Sergeant York)は、1941年のアメリカ合衆国の映画。第一次世界大戦中に実在したアルヴィン・ヨーク軍曹の伝記映画。主演のゲイリー・クーパーがアカデミー主演男優賞を受賞した。
[ ストーリー ] 田舎町のテネシー州に住むヨークは、いかなる物にも縛られない自由人で、毎日悪友を引き連れて酒を飲んでは暴れる日々を送っていた。しかし、ふとした事から信仰に目覚める。従軍した折りは宗教と戦争の間で矛盾に悩むが、自由を守るためだと自分に言い聞かせ、3つの最高勲章に輝くのだった。

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 公開年度が微妙な時期(まだ日本はアメリカの占領下でした)だったからか、キネマ旬報では詳しい内容紹介をしていません。実際戦中作品の本作が早い時期にGHQ(アメリカ駐留軍総本部)の検閲を通って日本公開されたのは題材が体裁上は第1次世界大戦の英雄的軍人の伝記映画だったからで、真意は第2次世界大戦に参戦したアメリカの国威発揚と強いアメリカ、アメリカの正義のアピールだったのは明らかで、誠実なアメリカ、篤い信仰と正義のための戦いが矛盾しないアメリカの精神を描いた作品です。前3作『赤ちゃん教育』『コンドル』『ヒズ・ガール・フライデー』のいずれも賑やかな演出から一転して本作は悠然とした語り口で、主人公のアルヴィン・C・ヨーク(ゲイリー・クーパー)は従軍して新兵仲間の地下鉄職員プッシャー(ジョージ・トビアス)に教わるまで地下鉄すら知らないほどの田舎の貧農家庭の無知無学な不良息子でしたが、落雷を逃れた死と紙一重の事故に遭って敬虔な模範的キリスト教徒になり、幼なじみのグレイシー(ジョーン・レスリー)と結婚すべく勤勉に働き、やがて第1次世界大戦にアメリカが参戦するがキリスト教徒として聖書の教えに背くと考え兵役には着きたくない。パイル牧師(ウォルター・ブレナン、本作では入れ歯を入れて篤実なキャラクターを演じています)に計ってもらって信教上の理由による徴兵忌避を再三申請しますが通らない。出兵したヨークは田舎の狩りで鳴らした射撃訓練で抜群の成績を出し演習中から昇進して射撃指導官に抜擢されますが、訓練校の校長に聖書の教えに背く任務は忌避したい、と訴える。校長はアメリカ史のさわりをヨークに教え、ヨークが興味を持つと10日間の休みを与えて考えさせる。ヨークは校長に借りたアメリカ史の本から植民から独立、南北統一に至る自国の歴史を初めて学び、正義のための戦いが信仰に背くものではないと知る。ここまでで映画は半ば以上を過ぎ、後半半分弱はヨーロッパ戦線のヨークの活躍と国民的英雄になり、無事生還するまでです。第1次世界大戦もののアメリカ映画ですからやはりドイツ軍が敵なのですが、本作はヨークの人道主義を反映して戦闘こそ激しく描かれるものの、戦勝してドイツ軍を捕虜にする場面など憎悪を交えず淡々としたもので、それもGHQ検閲に引っかからなかった理由でしょう。ゲイリー・クーパー出世作というと『モロッコ』'30(スタンバーグ)かと思いますが、決定版と言えば監督フランク・キャプラ、ヒロインのジーン・アーサーともに代表作でもある『オペラ・ハット』'36の理想主義的主人公で、『ヨーク軍曹』も同年の『群集』'41(キャプラ)、翌年の『打撃王』'42(サム・ウッド)、さらに翌年の『誰が為に鐘は鳴る』'43(ウッド)同様に『オペラ・ハット』の主人公のキャラクターの延長にあります。ヒッチコックアメリカ移住作品第2作『海外特派員』'40でクーパー主演をオファーするもスリラー映画は格が落ちるという理由で出演依頼を断り、ジョエル・マクリー主演で完成された同作を観て後悔したという話は有名ですが、そのくらいクーパーは自分の俳優としてのキャラクターを大事にしていた俳優だったということです。『海外特派員』でクーパーを指名したヒッチコックも同作の主人公のキャラクターからは的確で、アメリカ移住後のヒッチコックお気に入りの主演俳優はケイリー・グラントジェームズ・スチュワートでしたが同作の主人公にはグラント、スチュワートともに向いていないでしょう。とはいえ『レベッカ』のローレンス・オリヴィエ、『疑惑の影』のジョゼフ・コットンのように翳のある役もヒッチコックがクーパーを指名することはなかったでしょうからヒッチコック作品はいつもキャスティングからして冴えているのですが、代役がマクリーでも名作になったように(マクリーは良い俳優ですが)クーパーは個性的というよりも公約数的な大味な二枚目主演俳優で、それが『ヨーク軍曹』を成功させてもいますし、普遍的なようでいて20世紀前半のアメリカ映画の理想的男性像として歴史的・文化圏的にローカルなものにとどまっているようにも見えます。作品はホークスが全力を注いだ見事な傑作で、同時代の観客から広く大衆的な共感を集めたのに成功したのも納得がいきますが、サム・ウッド作品ほどあからさまではないにしても映画の目標があまりに感動させて一丁上がりに近づいていて、形式的な完成度の高さも観客大衆の嗜好の幅を絞った結果ではないかと思われる節があります。大らかな語り口にはホークスの良さが出ていますが、例えばホークスのスクリューボール・コメディがキューカー、キャプラ、マッケリーらと違うのは悪意があったり、常識知らずの常軌を逸した人物がうようよしていたからでした。本作ではホークスは慎重に人間性の悪や悲劇的な部分を描かない映画作りに取り組んでいます。これまでもホークスは伝記映画を作っていますし(『奇傑パンチョ』)、第1次世界大戦の戦争映画も『暁の偵察』『今日限りの命』『永遠の戦場』がありました。愛も憎悪も善悪も喜劇も悲劇も人間の営みとして公平に描いた傑作『コンドル』もありました。『ヨーク軍曹』はホークスのこれまでの映画の中でもっとも柄の大きく成熟した名作ですが、そのために案外射程は短い作品になっているように見えるのです。ホークスの次作はゲイリー・クーパー主演で『群集』に続きバーバラ・スタンウィックがヒロインのスクリューボール・コメディ教授と美女』'42で、これはグラントと異なる朴訥なクーパーのキャラクターを生かした佳作になりました。また『ヨーク軍曹』のホークスらしい魅力は『教授と美女』の次作になる太平洋戦争映画『空軍/エア・フォース』により鮮明に現れているようにも思えます。

●10月14日(土)
『空軍/エア・フォース』Air Force (ワーナー'43)*124mins, B/W; 日本劇場未公開(テレビ放映・映像ソフト発売)/アカデミー賞特殊効果賞(撮影・音響)受賞、脚本賞(ダドリー・ニコルズ)・撮影賞(チャールズ・マーシャル、ジェームズ・ウォン・ハウ、エルマー・ダイヤー)・編集賞ノミネート

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ジャンル 戦争 / ドラマ
製作会社 Warner Bros.
配給 ワーナー・ホーム・ビデオ
[ 解説 ] 「真珠湾攻撃」をモチーフにし、巨匠ハワード・ホークスが描き出した壮大な戦争叙事詩。邦題は「エア・フォース」、「空軍」、「空軍/エア・フォース」と複数存在する。
[ あらすじ ] 飛行演習のため、カリフォルニアからハワイに向けて飛び立ったB17爆撃飛行小隊。その道中、「日本兵によって真珠湾が攻撃された」との知らせが入り…。1941年12月6日、アメリカ空軍のクインキャノン(ジョン・リッジリー)はB17爆撃機メリー・アン号でハワイに向かって定期飛行に飛び立ったが、途中ホノルルが爆撃を受けたと聞き、ヒックマン空港に強行着陸すると、日本軍の爆撃であたりは火の海になっていた。その後フィリピンへの出撃を命じられ、ウエーキ島を経由してマニラに行き、更にオーストラリアへ向かうが、ミンダナオに差し掛かった時に日本に軍艦を発見して司令部に連絡し、攻撃を行った……。

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 ニューヨークのインディペンデント映画作家の草分けジョナス・メカスの『メカスの映画日記』(原著'72年刊・翻訳フィルムアート社)は1959年~1971年に発表されたメカスの映画コラムを日記体で収めた名著ですが、1961年2月9日の項目は「ロッセリーニとホークスについて」と題され、「二、三の異論」とし、「ロッセリーニの映画で見る時ほどバーグマンが光っていることはない。ロッセリーニにしても、バーグマンを使った映画が、彼の映画のうちでは最もよい。一人のイングリッド・バーグマンは10人のイングマール・ベルイマンに匹敵する」と当時ほとんど無視されていたロッセリーニのバーグマン主演作品群を高く評価し(また当時もてはやされていたベルイマンに否定的な評価を表明し)、「ハワード・ホークスは、現在のアメリカの最も偉大な映画作家の数人のうちに数えられるだろう」とヒッチコックオーソン・ウェルズと並べ、「いまはただ一つだけ言っておきたい。ホークスの<空軍>一つを考えてみても、エイゼンシュテインの<アレクサンドル・ネフスキー>よりはるかに素晴らしい。<空軍>の澄みきった美しさに比べると、<ネフスキー>はオペラのように作為的で、大げさである」と、当時映画史上最高の映画監督とされていたエイゼンシュテインの歴史的戦争映画より、ホークス作品中でもほとんど評価の対象になることのなかった『空軍/エア・フォース』を賞賛しています。メカスが同書の直前のコラムではD・W・グリフィスの映画とはプロットより人間への関心によって成り立つものだ、という発言を引いて、映画とは文学でも演劇でもオペラでもなくプロットやドラマから発想されるものでもない、と指摘しているのと「ロッセリーニとホークスについて」の主張は共通するもので、ロッセリーニのバーグマン主演作はこれといった明確なプロットやドラマの欠如から不評だったものであり、また数あるホークス作品中『空軍~』を上げたのもエイゼンシュテインより優れるという例に格好だっただけではなく、本作がホークスの他のどの作品にも増して主要人物だけでも20人を越える、太平洋戦争勃発時のアメリカ空軍の軍務を追っただけで一本の映画になった、プロットありきではない、自然に人物たちの営みから生まれてきた映画として成功しているからでしょう。本作を持ち上げるのは敗戦国日本の従軍戦沒者遺族感情を思うとつらい面が多く、日本軍の戦闘機が次々撃墜され燃えさかる戦艦が沈んでいく映像をこれでもかと観せられるとこれを「澄みきった美しさ」というなら容赦のない残虐さと表裏一体とも思いますが、これは戦争映画そのものでありながら一種のボーイスカウト映画でもあります。誰もが自発的に協力しあって一つの目標をなしとげる、その行為だけを純粋に描いているので段取りを進めるための外的なプロットはほとんど意識されない。『ヨーク軍曹』も構成の上から言えば前半と後半が割れていて、後半に至る伏線が前半に敷かれているかといえばまったくない。射撃大会で優勝するエピソードも賞品目当てで腕に自信もあって挑んだというだけで、別に軍人としての素質を描いた伏線ではありません。主人公ヨークが生まれ育った時代にたまたま第1次世界大戦が起こってアメリカが参戦し、他の兵士同様ヨークも徴兵されたというだけのことです。『ヨーク軍曹』の良さは陽当たりと水はけの良い土地に植えられた樹がまっすぐな良質の大樹に育つのを見るような自然さで、曲がった樹や傷んだ樹ではないと非難するのはお門違いでしょう。『空軍~』のアメリカ空軍兵士たちは全員があちこちから集められてきたヨークのようなもので、チームワークで受ける被害は最小限で任務の範囲の日本軍を全滅させます。アメリカ合衆国国民にはこれほど胸のすく、自国の軍隊の優秀さを支える積極的な国民性を謳歌した映画はないでしょう。本作はさすがに題材面で敗戦後の日本公開は挑発的にすぎるからか劇場未公開作品になりました。伝記映画『ヨーク軍曹』を別にすれば、ホークスの戦争映画としては第1次世界大戦ものの『暁の偵察』と並び、さらにスケールの大きくドラマに依存しないドキュメンタリー的な佳作である本作ですが、それでもやはり数百人の日本人軍人が何の躊躇もなく殺戮されていく映画は観ていて気持の好いものではありません。陽当たりの良い樹の陰にはそうした無惨さと鈍感さが当たり前のように潜んでいるのも確かです。

●10月15日(日)
ハワード・ヒューズ(ホークス匿名部分監督)『ならず者』The Outlaw (ユナイト'43)*116mins, B/W; 日本公開昭和27年11月(1952/11/1)

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ジャンル 西部劇
製作会社 RKOラジオ映画
配給 RKO日本支社
[ 解説 ] 新入荷「ジェット・パイロット」のハワード・ヒューズのストーリーを「上海特急」のジュールス・ファースマンが脚色し、ヒューズ自身が製作監督した西部劇。1946年初公開の際、検閲に引っかかり3年余の法廷闘争を経て1950年ようやく陽の目を見た、という経緯がある。撮影は「魅惑」の故グレッグ・トーランド、音楽は「誰が為に鐘は鳴る」のヴィクター・ヤングの担当。主演「腰抜け二挺拳銃」のジェーン・ラッセル、「荒野の三悪人」のジャック・ビューテルは共にこの作品が初演で、他に「真昼の決闘」のトーマス・ミッチェル、「マルタの鷹(1941)」の故ウォルター・ヒューストンが助演している。
[ あらすじ ] ニュー・メキシコのある町にホリディ医師(ウォルター・ヒューストン)という綽名の無頼漢が盗まれた愛馬を探しに現われた。旧友の警吏パット(トーマス・ミッチェル)の尽力で馬は見つかったが、その新しい買い手、これも稀代の無頼漢ビリー・ザ・キッド(ジャック・ビューテル)が引き渡しに応じなかった。ホリディ医師の憤懣は、しかしビリーが警吏の卑怯なやり口に傷つくと見るや、警吏への反感に転じ、ビリーを郊外の情婦リオ(ジェーン・ラッセル)の家にかつぎ込んだまま、自らは追跡を一手に引き受けて荒野へ逃れた。リオは重傷にうめくビリーがかつて兄を殺し、昨夜は自分を犯した仇と知って刺そうとしたものの、不思議に心が鈍る。看護に全心身を捧げつくした1ヵ月を経て、立ち戻ったホリディ医師と共にさっさと出てゆくビリーのすげなさが、再び彼女の心に憎悪を捲起し、水筒に砂を詰めてやったばかりか、2人の逃走先をも警吏に告げ知らせた。烈日の砂漠で水筒の中味に気付いたビリーは激昂の余りリオの家にとって返し、彼女をさんざん討ちのめした上、木に縛りつけて立ち去った。その姿をホリディ医師が目にしたのは寝込みを抑えられて連行される途中だった。馬の件以来鬱積していた彼の憤懣は、遂に爆発した。一方、リオが気になって引き返してきたビリーも捕らえられたが、インディアン襲来のどさくさまぎれに2人は手錠を脱し、にらみ合いとなった。決闘、そして和解。彼らを再び捕らえようとするパット警吏の弾丸に、ホリディ医師はわざと射たれ、今は愛し合うビリーとリオを残して死んだ。

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 製作順からでは本作は『空軍~』の前に来る作品です。『暗黒街の顔役』'32で製作を勤めた実業家ハワード・ヒューズ(1905-1976)はルイス・マイルストンの『暴力団』'28、『犯罪都市』'31の製作でも成功を収めていましたが、自分でも監督業に乗り出し『地獄の天使』'30をヒットさせた実績がありました。『地獄の天使』は製作費が100万ドルを超えたアメリカ映画史上初の作品になり(最終的な製作費は180万ドルに上りました)、ヒットしても大赤字に終わりましたがヒューズの映画への野心は衰えず、1948年から1955年まではRKO映画社を買収してワンマン経営を振るっています。浮き名を流した女優は数知れませんが、ハワード・ホークス監督作品『ならず者』のヒロイン・オーディションに合格してデビューさせたジェーン・ラッセル(1921-2011)には入れこんだ挙げ句途中でホークスを降板させ自分が監督になり撮影期間に1年間をかけ、内容の喧伝ともどもラッセルのきわどいブロマイドを大量に配布するなど上映反対運動が起こり全米映画協会とモメるほど大プロモーションを行って公開させます。グラマー女優として売り出されたラッセルですが私生活は品行方正で、ヒューズが手を出そうとしても一喝して撥ね除けたそうですから大したものです。本作のスタッフやキャストもホークスの監督から始まったものですから一流どころが揃いましたが、主人公ビリー・ザ・キッド(1859-1891)を演じた新人ジャック・ビューテルはその後ほとんど芽が出ず、テレビ俳優に転じて1961年には俳優を辞めています。ホークスの『赤い河』'48にも一旦キャスティングされたのですがヒューズの横槍で出演を阻止され、ビューテルのやるはずだった役に起用されたのが同作が出世作になったモンゴメリー・クリフトでした。保安官パット・ギャレット役のトーマス・ミッチェル、ドク・ホリデイ役のウォルター・ヒューストンと一流の性格俳優が脇を固めるとビューテルはいかにも線が細く、また影が薄く、実在のビリー・ザ・キッドも享年21歳で子どもっぽい小男だったそうですから数あるビリー・ザ・キッド映画でも案外ビューテルあたりが本物に近いイメージなのかもしれませんが、迫力に欠けることこの上ありません。ホークスの演出部分もかなりあるという作品ですが、順撮りに近かったと思われ結末部分だけが監督交替になったと見て間違いないウィリアム・ワイラーとの正式な共同監督作品『大自然の凱歌』と較べ、本作はホークスが抜き撮りで緊迫したアクション・シーンから撮っており、つなぎとなるドラマ部分はホークスを降板させた後でヒューズが監督したのではないかと思えます。つまりビューテル=ビリーが二丁拳銃の腕前を見せるシーンはテイクがかさむからホークスが先に撮っていた。あとは全体を、と取りかかろうとするとヒューズが自分が監督すると言い出した。プロデューサー命令ですし、本作はハワード・ホークス・プロダクション作品でもないので、ノンクレジットながらも相応の監督料をもらってヒューズに渡したのでしょう。さて出来はというと、一流スタッフを引き継いだだけあって映像は、と言いたいところですが、カット割りも構図も褒めたものではありません。屋内シーンでビューテル=ビリーが拳銃さばきを見せる場面のいくつかは別人が撮ったようなので、別人すなわちホークスの監督箇所の残りを使ったとわかります。どうしてジュールス・ファースマン脚本、グレッグ・トーランド撮影なのにこんなにぐだぐだな作品になってしまったかといえば、ヒューズがシナリオと映像の取捨選択のできない監督だったから、としか言いようがないでしょう。取るべきは採り、捨てるべきは棄てないと本作のように主要人物たった4人だけの映画はかえって焦点が四散してしまう。116分という西部劇としては大作すぎる長さが問題で、本作はせいぜい90分弱に凝縮してこそ生きてくる内容です。ホークスにしても監督を降りたのは、ヒューズが本作についてはあれを撮れこれを撮れと言い出しそうな気配を感じていたのでしょう。演技指導ではそれなりに頑張ったか俳優には熱演させていますが、カメラワークは舞台中継かテレビドラマのように単調で、これも撮影のトーランドがヒューズにそのまま撮れ、と指示されたのだろうと思います。本作を観る限り、ヒューズの製作で無理にホークスが監督しなかったのは正解だったでしょう。それでも本作が当時類のない異色の内容で西部劇史上に名を残しているのは事実なので、ハワード・ヒューズという伝説的人物の功罪も一言では済まされないものです。