ラオール・ウォルシュ(Raoul Walsh, 1887-1980)はアメリカ映画のハリウッド創設以前、1910年にエディスン映画社から独立した映画創始期の名門、バイオグラフ社に入社して映画界入りした人で、バイオグラフの看板監督D・W・グリフィス(1875-1948)の下で助監督・俳優として修業時代を過ごしました。グリフィスが独立制作してアメリカ映画史上画期的な長編映画になった『国民の創生』'15、『イントレランス』'16でも助監督・俳優を勤めましたが、『国民の創生』と同年末には初の長編映画『リゼネレーション(更生)』を世に送っています(短編映画の監督作品は1913年からあり)。同時期にグリフィス門下生だったエーリヒ・フォン・シュトロハイム(1885-1957)の監督デビューが1919年ですからウォルシュの方が先輩になります。シュトロハイムが1919年~1929年に8本の監督作品を残したきり映画監督としてのキャリアを断たれ俳優専業に転向せざるを得なかったのに較べ、ウォルシュは1913年の監督デビューから引退作品になった1964年の『遠い喇叭』までの50年間で、生涯の監督作品が138本に及ぶ多作家になりました。同時代でウォルシュと並ぶほど映画創始期からの長いキャリアと監督作品数を誇る監督はセシル・B・デミル、ヘンリー・キング、ジョン・フォード、キング・ヴィダーくらいしか見当たらず、またアラン・ドワンという人もいますが、ウォルシュの場合はサイレント初期から引退作品に至るまで映画の青春時代を生きていたような、若々しさを保ち続けた映画監督でした。その一面、娯楽映画の監督で一貫していたため一流であり巨匠であっても職人監督以外の視点からは評価されない時代が長かった人でもあります。早くからウォルシュの作風と個性に着目し、ウォルシュ作品の素晴らしさを賞賛していたのが淀川長治氏であり、ハワード・ホークスと並んで評価が進んだのはようやく'70年代になってからのことでしたがまだ市販映像ソフトの時代ではなく、VHSヴィデオ~DVDの普及によってやっと数多くのウォルシュ作品が観られるようになったと言っていいでしょう。つい30年前まではラオール・ウォルシュの映画が観られるのはたまにあるテレビ放映か、スクリーン上映では国立フィルムセンターのアメリカ古典映画特集、アテネ・フランセのような語学学校しかなかったのです。ウォルシュの映画は2017年現在『バグダッドの盗賊』'24(1996年度登録)、『リゼネレーション』'15(2000年度登録)、『白熱』'48(2003年度登録)、『ビッグ・トレイル』'30(2006年度登録)の4作がアメリカ国立フィルム登録簿登録作品になっており、ジョン・フォードやハワード・ホークスに較べれば少ないですが4作登録でも大したものですし、ウォルシュ作品からは今後も『栄光』'26、『港の女』'28、『藪睨みの世界』'29、『金髪乱れて』'32、『バワリー』'33、『アメリカの恐怖』'36、『画家とモデル』'37、『セント・ルイス・ブルース』'39、『彼奴は顔役だ!』'39、『ハイ・シェラ』'41、『壮烈第七騎兵隊』'41、『いちごブロンド』'41、『大雷雨』'41、『決死のビルマ戦線』'45、『傷だらけの勝利』'45、『追跡』'47、『高原児』'47、『死の谷』'49、『遠い太鼓』'51、『艦長ホレーショ』'51、『海賊黒ひげ』'52、『決斗!一対三』'53、『裸者と死者』'58辺りから3、4作は入るのではないかと思います。『栄光』'26、『彼奴は顔役だ!』'39、『ハイ・シェラ』'41、『壮烈第七騎兵隊』'41、『いちごブロンド』'41、『大雷雨』'41、『死の谷』'49あたりに絞られるでしょうか。すごいぞ'41年のウォルシュ。しかし上記の作品は同等の水準で優れておりフォードやホークスの傑作群に劣らず、『リゼネレーション』『バグダッドの盗賊』『ビッグ・トレイル』はメルクマール的な価値から国定保存作品に指定されたという感じもします。無数の作品の中から『白熱』が選ばれたのはウォルシュ作品中もっともエキセントリックな映画だからでしょう。ウォルシュの映画は長編作品だけでも120本あまりに及びますから今回観る24作など1/6強という程度で、これまで観たウォルシュ作品も50本弱しかありませんが、先月ホークス作品27作観て満腹な状態ではウォルシュの映画は案外さらりと観られるのではないかと思います。映像ソフトを持っていないので今回は観直せなかった作品にも名作佳作がぞろぞろあるので、老後に入った今では少しずつ集めて観るのが楽しみです。
●11月1日(水)
『リゼネレーション(更生)』(The) Regeneration (フォックス'15)*72min, B/W with Color Tinted, Silent; 日本未公開/アメリカ国立フィルム登録簿登録作品(2000年度)
○あらすじ ニューヨークの下町バワリー、10歳で母を亡くしたオーウェン(ジョン・マッキャン)は粗野な隣人コンウェイ夫婦の小僧に引き取られ横暴なコンウェイ夫人(マギー・ウェストン)、飲んだくれのコンウェイ(ジェームズ・A・マーカス)に虐待されこき使われる。ついにコンウェイ家を飛び出したオーウェン(ハリー・マッコイ)は17歳の時日雇いの工事現場で売られた喧嘩を買い一瞬で叩きのめし、ギャングの子分にスカウトされる。25歳のオーウェン(ロックリッフェ・フェローズ)はギャングの中でも一目置かれる存在になっていた。一方、バワリーでギャングと地域住民の折衝役を勤める地区担当弁護士エイムス(カール・ハーバウ)は病弱な娘マリー・「マミー・ローズ」ディーリング(アンナ・Q・ニルソン)を気にかけて事務員にしていたが、マミー・ローズの病状は思わしくなかった。オーウェンや仲間のスキニー(ウィリアム・シアー)たちギャングは週末に市民が集うフェリーの船上パーティー場にくり出すが老朽客船はパーティー中に全焼する。エイムスはオーウェンと知己を得てオーウェン自身は正義感を持つ真面目な青年であると気づき、ギャングの末端たちが市民を恐喝しようとする事件の仲裁を顔の利くオーウェンに頼むようになる。マミー・ローズは喜び、オーウェンも満足を感じて自分がギャングであることになじめなくなり、エイムスの事務所に職を請いマミー・ローズと席を並べることになる。だが親友のスキニーたちが路上で警官の不審尋問にあって傷害を負わせ、エイムスとマミー・ローズの留守中に頼ってきたスキニーたちをオーウェンは事務所に匿わざるを得なくなる。立ち寄った警官が去るや否や事務所の戸棚から出て行ったスキニーたちにちょうど帰ってきたエイムスは激怒し、君は最後のチャンスをふいにした、私とマミー・ローズの信頼を踏みにじった、とオーウェンをクビにする。一方、街のギャングは二手に分かれて勢力争いを始め、オーウェンを心配してアパートに立ち寄ったマミー・ローズも襲われる。警官隊の出動で大規模逮捕の大乱闘があり、オーウェンもマミー・ローズの危機一髪に駆けつける。マミー・ローズを襲った敵派閥のギャングを退けてオーウェンはマミー・ローズを事務所に運ぶが、マミー・ローズは力尽きて死亡する。オーウェンはギャングのアジトに向かうがそこでエイムスが荷物をまとめ逃亡しようとしているのに出くわしエイムスが裏ではギャングと通じていたことに気づき、窓から電線づたいに逃げるエイムスを射撃し、エイムスは転落死する。オーウェンは更正を誓ってマミー・ローズの墓に花束を捧げる。
ウォルシュがサイレント時代からの監督とは知っていましたが、初長編作品が1915年とは恐れ入りました。ジョージ・ローン・タッカーの初長編『暗黒街の大掃蕩』が1913年、セシル・B・デミルの初長編『スコウ・マン』が1914年、グリフィスの初長編『アッシリアの遠征(ベッスリアの女王)』が1914年で、二部構成の大作長編『国民の創生』でグリフィスがアメリカ映画の長編時代を決定づけたのが1915年。ちなみに助監督だけでなく、『国民の創生』で劇場でリンカーンを暗殺しオペラ劇場の二階桟敷から舞台に飛び降りて逃走する実在の暗殺犯ジョン・ウィルクス・ブースを演じたのもラオール・ウォルシュです。本作は2001年になって初の映像ソフト化(DVD発売)されてからやっと観た、というか実は存在も知らなかったので、アメリカ本国でも散佚作品と思われていたのが'70年代後半に突如プリントが発見された幻の作品だったため評価されたのもごく近年のことですが、映画創始期の記念碑的な作品として2000年にアメリカ国立フィルム登録簿に登録されました。本作は意外にも原作もので、ジャーナリスト出身の今日では忘れられた作家オーウェン・フローリー・キルデア(1864-1911)の自伝的小説『My Mamie Rose』'03の舞台化戯曲の映画化になるそうで、スタンバーグの『暗黒街』'27に10年以上先立つアメリカの長編映画初のストリート・ギャング映画とされています。この題材はグリフィスのストリート・ギャングを描いた短編の傑作でやはりバワリーが舞台の『ピッグ・アレイの銃士たち』'12が初の映画とされますので、ウォルシュも当然師の作品を参考にしているでしょう。また早逝の監督G・L・タッカー(1880-1921)は現存する唯一の作品が『暗黒街の大掃蕩』で、マフィアによる移民の人身売買を描いてセンセーショナルなヒット作になったそうですが、『ピッグ・アレイの銃士たち』も『暗黒街の大掃蕩』もハリウッドのスタジオ・システムが創設途上の作品なので実際にニューヨーク・ロケで製作されており、'10年代末にはハリウッドの撮影所でニューヨークを再現した完璧なセット撮影が可能になりますから、かえって初期サイレント作品の方がドキュメンタリーに近いロケーション撮影されているのです。本作も徹底したニューヨーク・ロケに特色と歴史的に重要な価値があり、歌舞伎町どころではないやばいスラム街バワリーで街頭撮影し(室内シーンはセットでしょうが)、本物のバワリーの住民や界隈のホームレスをエキストラに雇って撮影したといいますから超大作『国民の創生』の壮絶な修羅場で助監督してきただけの経験は生かされています。船上パーティーの場面では本当に海上でフェリーを一艘燃やして沈めていますし、阿鼻叫喚するエキストラが次々ロープにぶら下がっては落ち、または船から直に海にダイヴしていますが当時のことですから怪我人続出もギャラの内で当然保険もかけていなかったでしょう。警官隊と2組のストリート・ギャングの乱闘も引きで撮って寄りでは撮れないほど本気で殴りあっており、エキストラの大半は現実か映画撮影かの区別がついていなかったのではないかと思われます。ヒロインのアンナ・Q・ニルソンは当時の人気女優だったそうでリリアン・ギッシュ系の薄倖清純派、ただし芝居らしい芝居をするほど他の人物との絡みはなく、主人公はウォルシュ好みがよくわかる喰えない面相で好演ですがとても改悛(更生)など誓いそうにないキャラクターに見えるのが難といえば難でしょうか。エドワード・G・ロビンソンやジェームズ・キャグニーはトーキー時代だから愛嬌のある極悪人が演じられたので、声で演技できないサイレント映画では本作の主演俳優はなかなか微妙なニュアンスまでは難しかったのも仕方ありません。10歳と17歳を別の役者に演らせている(こちらも好演)のはともかく、17歳と25歳なら大概の映画は同じ役者に演らせるものですが、ウォルシュとしては25歳役のR・フェローズを主役に買ったので確かにフェローズが17歳も演じるのは無理があります。本物のストリート・ギャングっぽさを取って物語の方はお約束で済ませた観があり、映画としては(サイレント映画としても)完成品とは言えませんが、それでもヒット作になったのは当時特異な題材とリアリティ、また舞台劇ではできないスケールのスペクタクル性(その最たるものが遊覧フェリーの炎上・沈没のシークエンス、クライマックスの大乱闘です)が盛りこまれているからで、原作から借りた物語はバワリーで生活する人々の活写、ニューヨークの下町市民たちの争乱を映画化するためのダシのようなものだとでも言えます。この強烈なリアリズムは本作前後の創始期のアメリカ長編映画でも際立っており、その流れをグリフィスの『エルダーブッシュ渓谷の戦い』'13.11、タッカーの『暗黒街の大掃蕩』'13.11、デミルの『スコウ・マン』'14.2、グリフィスの『アッシリアの遠征(ベッスリアの女王)』'14.3、マック・セネット(チャップリン出演)の『醜女の深情け』'14.11、ジェームズ・カークウッド(メアリー・ピックフォード主演)の『メアリーのシンデレラ』'14.12、フランク・ポウエル(セダ・バラ主演)の『愚者ありき』'15.1、トーマス・H・インス&レジナルド・バーカーの『イタリア人』'15.1、グリフィスの『国民の創生』'15.2、デミルの『カルメン』『チート』(15.11)ときてグリフィスの『イントレランス』とインス『シヴィリゼーション』が1916年作品と見てくると、『リジェネレーション』が1915年9月公開なのは突き抜けた新しさがあります。ウォルシュがやってのけたのは物語を伝えるよりも次々起きる場面を観客に突きつけることで、これはリアリズムの追求でもあれば文学的・演劇的また絵画的な発想ではなく映像自体によって語らしめる純粋に映画的な手法でした。師であるグリフィスですらこれほど徹底はできなかったので、後年の熟達した腕前からは習作程度かもしれませんが第1長編からウォルシュは佳い資質を持ちあわせていたのがわかります。サイレント時代のウォルシュ作品の大半は散佚してしまっているのは残念ですが、本作が残っている価値は大きく、国定保存作品になっているのも当然でしょう。日本で言えば大正4年、外国映画の輸入上映はされていましたが、『国民の創生』や『シヴィリゼーション』は公開されても本作が輸入されなかったのはわかる気がします。ちなみに本作のリアリズム指向に近い作品には前述の『イタリア人』(これも日本未公開で国定保存作品)がありますが、もっと移民労働者の悲哀に焦点を当てたドラマ性の高い映画なのが本作とは決定的に異なります。
●11月2日(木)
『バグダッドの盗賊』The Thief of Bagdad (ユナイテッド・アーティスツ'24)*140min, B/W, Silent; 日本公開1925年(大正14年)1月/アメリカ国立フィルム登録簿登録作品(1996年度)
(キネマ旬報近着映画紹介より)
[ 解説 ] ダグラス・フェアーバンクス氏が「フォビン・フッド」の次に製作した大作で、アラビアン・ナイトの物語に基づいてエルトン・トーマス氏が原作を書き、ロッタ・ウッズ氏が脚色し「世界を敵として」「女は誓いぬ」等監督したラウール・ウォルシュ氏が招かれて監督の任にあたった。相手役は新進のジュランヌ・ジョンストン嬢、我が国の上山草人、南部邦彦両氏、コマント嬢(ペルシャ王子に扮す)、その他日独人のハーフで詩人のハートマン定吉氏、獰猛なノーブル・ジョンソン氏、中国人の女優アンナ・メイ・ウォン嬢等である。お伽噺式のファンタジーで、リアリズム全盛の米国映画界に大きな波紋を投げた大作品である。
[ あらすじ ] バグダッドの都の国王には美しい姫君(ジュランヌ・ジョンストン)があった。姫の婿君を選ぼうとした時、ペルシャ(ミス・コマント)、印度(ノーブル・ジョンソン)、蒙古(上山草人)の三王子が美々しい行列をもって乗り込んで来たが、はたして王宮に忍び入って、姫の美しさに魂を奪われたバグダッドの盗賊(ダグラス・フェアバンクス)も7つの島の王子と名乗って僅か一人の供を連れて入場する。砂占いから我が婿となる王子は初めに王庭のばらに触れるであろうと心をときめかせながら見ていると、バグダッドの盗賊の乗馬が蜂に刺されて狂い、彼はまっさかさまにばらの植え込みに投げ込まれ、かくて彼は姫と結婚すべき運命を与えられた。姫は彼の姿を一目見て、その雄々しい姿に深く心を動かされた。しかし彼の正体は見破られて姫の婿になる企みは失敗に帰した。姫は3人の王子達に一番珍しい宝物を7ヶ月目に持ってきた人を婿にすると一時逃れを言うので、3人の王子はそれぞれ宝物を捜しに出発する。バグダッドの盗賊も長老(チャールズ・ベッチャー)から教えられて宝物を捜す旅に出かけた。彼はあるいは死の谷で毒蛇を殺し、あるいは深海を捜り、あらゆる困難を経て身を隠す衣と魔法の小箱を手に入れる。ペルシャ王子は未来を見る水晶の珠を、印度王子は飛行のカーペットを、蒙古王子は軍隊をバグダッド城内に忍び込ませて一気に攻め落とし、王姫を我がものにしようとする。白馬に跨ってバグダッドに取って返した盗賊は小箱のうちより雲霞の如き大軍を出して蒙古王に攻め取られた王城の危急を救い、遂に姫君を妻とする幸福な身となった。
アメリカ本国では現在でも田舎の映画館ではしょっちゅうリヴァイヴァル上映されて国民的映画と言える作品になっているそうです。本作の企画がサイレント時代の大スター、ダグラス・フェアバンクスによるものなのはプロダクションがグリフィス、チャップリン、フェアバンクス、やはりサイレント時代のトップ女優メアリー・ピックフォードの4人で設立したユナイテッド・アーティスツであることからも明らかで、またフェアバンクスは本作の構想を'21年頃には暖めており、アラビアのエピソードで空飛ぶ絨毯が登場するドイツ映画の『死滅の谷』'21(フリッツ・ラング)を試写で観て即座にアメリカでの上映権を買い、本作『バグダッドの盗賊』完成・公開後までアメリカ上映を遅らせたそうですから、本作はウォルシュ作品である以上に主演俳優でプロデューサーを兼ねるフェアバンクスの作品、と言っていいでしょう。キネマ旬報の「近着映画紹介」もためになる知識を与えてくれ、大正14年1月封切りの時点で「お伽噺式のファンタジーで、リアリズム全盛の米国映画界に」というのは示唆的です。ここで言われるリアリズムはジェームズ・クルーズの西部開拓移住映画『幌馬車』'23の記録的大ヒットに始まるものと思われ、グリフィスも『ホワイト・ローズ』'23、『アメリカ』『素晴らしい哉人生』'24とリアリズム色を強めており、1925年にはキング・ヴィダーの第1次世界大戦映画『ビッグ・パレード』が『幌馬車』に匹敵する大ヒットになり、ジョセフ・フォン・スタンバーグがニューヨークの下町の貧しい生活を描いた自主製作映画『救ひを求むる人々』をユナイテッド・アーティスツに売り込み、チャップリンに認められてデビューします。こうしたリアリズムの流行はリアリズム演劇の定着に刺激されたものとも見られ、ウォルシュも『ビッグ・パレード』へのアンサー・ムーヴィーとしてマックスウェル・アンダーソンの戯曲『栄光何するものぞ』'24を原作に名作『栄光』'27を作り、またサマーセット・モームの短編小説「雨」の初映画化('32年にルイス・マイルストンが再映画化)『港の女』'28を久しぶりのウォルシュ自身の助演出演(ヒロインに肩入れする船員役)で監督します。ウォルシュの本流は『栄光』『港の女』の方にあると思えますし、本作を観ると能天気な(サイレント時代の)フリッツ・ラングという感じですが、こういう娯楽超大作を撮るのは現場の仕切りだけでもヴェテランの腕前が要ることです。ウォルシュは監督キャリアはラングより5年早い10年選手のヴェテランですし、グリフィス門下生ながら変態映画の天才で独裁者的性格の(それが災いして監督キャリア10年で映画監督の座を追われた)シュトロハイムとは違いますから、無難といえば無難ですが職人的な腕を買われた起用だったでしょうし、本作はファンタジー作品ですが豪快な男が活躍する映画でもあってその点ではウォルシュも凝りに凝って楽しい映画に仕上げ甲斐があったと思います。巨大セットのスケールならばイタリア史劇の『カビリア』'14やグリフィスの『イントレランス』にも匹敵するのではないでしょうか。引きの構図になると人物が豆粒ほどしかなく天辺まで10階建てのビルほどもある宮殿や屋外セットがばんばん出てくるのです。ドラゴンとの闘いなどはラングの『ジークフリート』'24のドラゴンよりもよくできていて、よくもまあ手間暇かけてこんな馬鹿馬鹿しいものを、と資本金さえあれば誰でもできるかもしれませんが、結果的に100年経っても残る映画ができたわけで、現在作られている映画が22世紀初頭でも観られているかを考えればフェアバンクスといいウォルシュといい大変な偉業を成し遂げたわけです。上山草人演じる蒙古(モンゴル)王子はペルシャ王子(なんと女優が演じていたとは)、インド王子の3王子でも準主演級の悪漢で、腹心が南部邦彦、専属宮廷魔術師が定吉ハートマン、女奴隷が中国人女優のスターのアンナ・メイ・ウォンとひときわ怪しいチームを組んで登場し、目的も王女との結婚ではなくむしろ王女を暗殺しアラビアをモンゴルの支配下に置こうという陰険なものでモンゴルにも日本にも失礼きわまりない設定ですが、一応紀元10世紀のアラビアンナイトの世界なので現実のモンゴルでもアラビアでもなく、それを言えば肥満体のペルシャ王子、鈍くさいインド王子と、この調子で是非ともオリンピック映画(ただし現代ものでないやつ)を作っていただきたかったものです。再びキネマ旬報、「リアリズム全盛の米国映画界に大きな波紋を投げた大作品である」それってどういう波紋だよ、波紋というのは違うだろと突っ込みたいのは山々ですし、大作品て何?と言葉の定義を質したくなりますが、案外ここで描かれたアラビア世界はあくまで想像力の産物ながらキリスト教的倫理観から自由であるだけでも珍しく、大軍勢の上空を飛び回るフェアバンクスを乗せた絨毯の影まで律儀に描きこまれたアナログ特撮の粋の結晶もそれゆえか、冗談と悪夢を掛け合わせると本作ほど愉快で無意味なファンタジーができ上がるなら確かにこれは一線を越えた大作品です。ラングの『死滅の谷』と似た着想からアラビアンナイトを改作して、仕上がりはやはりラングの本作と同年の『ニーベルンゲン』二部作に近いですが、第1部『ジークフリート』のファンタジー性はともかくラングは陰惨な第2部『クリムヒルデの復讐』を仕込まないではいられないくどさがあり、明朗なファンタジーで一貫した本作とは異なります。また登場人物が固有名詞を持たず役職名でしか登場しないのはサイレント時代の映画にはままありますが(例えばつい先に取り上げたルイ・デリュックの作品など)本作ほどの大作で登場人物が全員名無しとなると、それだけでも何かを暗示しているようです。
●11月3日(金)
『ビッグ・トレイル』The Big Trail (フォックス'30)*122min, B/W, Widescreen (107min, Standard); 日本公開1931年(昭和6年)3月/アメリカ国立フィルム登録簿登録作品(2006年度)
(キネマ旬報近着映画紹介より)
[ 解説 ] 「藪睨みの世界」「巴里よいとこ」に次いでラウール・ウォルシュが監督したフォックス超特作映画で、脚本はウォルシュ自身がハル・エヴァーツと協同で書き卸ろし「ハッピイ・デイス」「老番人」のルシエン・アンドリオが撮影した。主役は無名の新人ジョン・ウェインと「巴里見るべし」のマーゲリット・チャーチルが抜擢され、「巴里よいとこ」「ハッピイ・デイス」のエル・ブレンデルを始め「泥人形」「快走王」のタリー・マーシャル、「足音」のタイロン・パワー、「浮気発散」「空中サーカス」のデイヴィッド・ローリンスのほか「恋の大分水嶺」のアイアン・キース、「トム・ソーヤーの冒険」のチャールズ・スティーヴンス、ウィリアム・モング、フレデリック・バートン等が出演している。
[ あらすじ ] 西部開拓の雄図を抱いて大幌馬車隊がミズリー河畔から出発の途に上ろうとする時だった。ルース・キャメロン(マーゲリット・チャーチル)は、弟のデーヴ(デイヴィッド・ローリンス)と幼い妹を連れてこの一行に加わることになった。南部の上流社会に育った彼女達は父に死別して寄辺ない身の、運命開拓を西部の地に志したのである。幼い時から西部の野にインディアンや野獣を友として育ったブレック・コールマン(ジョン・ウェイン)もまた親友の仇敵を探すべく一行に加わった。ルースは最初粗暴な野人としてのブレックに反感を抱いたが、次第にその男らしさにひきつけられて行った。ブレックの仇敵はレッド・フラック(タイロン・パワー)という一行中名うての乱暴者だったが、ブレックが自分を付け狙っていることを知り、いくどか彼を殺さんと企んで、時にはブレックの友ジーク(タリー・マーシャル)の助けにより、時にはブレックの勇気により事々に失敗した。一行が前進するに従って、あらゆる困難が、前途に待ち受けていた。インディアンの襲撃、大河の激流、絶壁、暴風、吹雪。けれど一行はあらゆるものを征服し、希望の土地オレゴンへ進んで行った。ある者は死し、ある者は産まれ、最後の難関スネーク河も遂に征服された。凶悪なフラックも悪運尽きて、ブレックの刃に倒された。かくて春に甦ったオレゴンにルースとブレックは相抱いた。新しい世界はここに開拓されたのである。
まず1930年の作品にしてワイドスクリーン(70mm)、しかも最新作のような鮮明な画質に驚きます。実は本作にはスタンダード・サイズ(35mm)・107分版もあり、これまで観たことがあるのは毎回107分版でした。70mmワイドスクリーン、122分版は映写できる映画館も当時は少なくオリジナル・ネガまたはほとんど未使用のオリジナル・プリントが残っていたのでしょう。映画の本質はプリント状態由来の画質には左右されない、と思いたいものですが(劣化したプリントしか残っていない名作も星の数ほどありますから)、この70mm版の階調も細やかな画質のプリントを観ると言葉を失います。本作と同時代の映画で、これほど最上級のプリントが残っている作品はめったにないのです。幌馬車隊の移民団(ワゴン・トレイル)が出発するのが映画の30分目、これが初主演作品になるジョン・ウェイン(当時22歳)が変声期前のような声で、日本人が聞いても棒読みの下手な台詞回しだなあと感心してしまうほどの初々しさで、ブレイク後のウェインを思うとウォルシュの主演起用は先見の明があったわけですが、本作を観る限りではその後ジョン・フォードの『駅馬車』'39に起用するまでB級西部劇専門俳優に甘んじたのも無理はない、といえるほどニュアンスに乏しい役者で、ボギーやウォルター・ブレナンのように30歳過ぎて映画俳優になり大成した役者もいるのですがウェインの場合は微妙で、作品に恵まれて偶然に偶然を重ねているうちに気づくとワン&オンリーの大俳優になっていた、という感じがします。ジョン・フォードなどはいつまで経ってもウェインを撮影中に苛めていたそうですから――誰か一人を集中的に苛めて現場を結束させるタイプのリーダーはどの世界にもいるものです――、おそらくウォルシュは本作でウェインを苛め足りなかったのでしょう。本作が1000人のエキストラを使った西部開拓映画クルーズの『幌馬車』'23(キネマ旬報年間1位)を下敷きに作られていることは題材からも明らかで、『幌馬車』へのいち早いフォロワー作だったフォードの『アイアン・ホース』'24が西部開拓に加えアメリカ横断鉄道敷設を採り入れて史実性を補強しているのにもヒントを得ているでしょう。『幌馬車』に較べ、トーキー作品の利点を生かしているのはもちろんですが(本作は1930年のトーキー作品とは思えないくらいサイレント色を引きずらず、これみよがしな音声の強調もない、トーキー技術の導入に抜きん出た洗練が見られる作品です)、『アイアン・ホース』よりも直球で『幌馬車』をリメイクしている一方、有象無象の開拓団の喧騒をトーキーで簡潔かつ印象的に表現している利点があって、35mmスタンダード・107分版でもおお、っとなる傑作ですがさらにプリント状態の良い70mmワイドスクリーン・122分版を観てしまうと圧巻です。東部からカリフォルニアまでの道程ですから大小の河を幌馬車ごと越え、渓谷があって回り道もできなければ人馬幌馬車まとめて引っ張り上げる、または吊り下ろします。『幌馬車』でも同じ困難が描かれますがもともと音声のないサイレント映画と、トーキーなのに自然音だけでみんな黙りこんで修羅場をくぐるのでは緊迫感が段違いに違う。直接死亡事故や遺体は描かれませんが河を渡れば馬ごと流されていく幌馬車、渓谷で吊れば落下して大破する幌馬車と脱落者も次々と出てくるので、描かれているのは東部の白人の西部移住開拓ですから人種に偏りはありますがカリフォルニアなど無人の荒野だった頃の話、南部黒人がテキサス、またはシカゴ経由でカリフォルニアに移住するのは白人による西部開拓後の話です。日本では徳川幕府の江戸時代ですからアメリカとは本当に歴史の浅い国だったんだな、とも思いますし、国家の成立がごく近代である分だけ本作は建国神話として輝いています。あらすじは移民団の中の不満分子と主人公の対立以外は触れていませんが本作は群像劇であり、移民団の人々全員が主要人物として描かれています。怨恨から主人公をつけ狙う男を演じるタイロン・パワーは『血と砂』'41や『ローマの休日』'53、『白鯨』'56のタイロン・パワーではなくタイロン・パワー・シニア、つまりスター俳優の方はタイロン・パワー・ジュニアになります。ウェインの棒立ち・棒読み演技は移民団の十数人の主要キャラクターたちの達者な演技で釣りがくるでしょう。フォードほど多数の人物を絡ませてドラマを作り出していくような発想はウォルシュにはなく、ウェインとタイロン・パワー(シニア)の対立も「映画らしくしとくか」という程度の脇筋でいっそ無い方がすっきりしたのではないかと思いますが、パラマウント作品『幌馬車』に対抗した『アイアン・ホース』で成功したフォックス社はトーキー版『幌馬車』である本作には自信があり、映写上映館に限りがあったアメリカ映画最初期の70mmワイドスクリーン版まで作ったのでしょう(35mmスタンダード版は70mm版をトリミングした普及版だと思います)。幌馬車の河渡り、渓谷越えなどではとんでもない構図も続出しますがばっちり決まって驚くべき完成度に達しています。『幌馬車』同様エキストラは1000名、馬は数百頭を越えるでしょう。縦隊進行だと手前から遥か背後の地平線まで幌馬車が続いています。アメリカ人なら「出エジプト記」を重ねあわせずに観ることはできないでしょう。暴走するバッファローの大群を狩るシーンなど明らかに本当のバッファロー狩りです。ところが本作は興行的に大失敗してしまいます。アメリカは1929年の大恐慌直後で、この時期のヒット作は現実逃避的な『シンギング・フール』や『ブロードウェイ・メロディー』のようなソング&ダンス映画か『モロッコ』のようなエキゾチックな大メロドラマで、アメリカ建国史などお呼びではなかったのです。しかし歴史は本作をアメリカ映画史に輝く名作と再評価し、国定保存作品に持ち上げました。またウォルシュのキャリアは本作を境にどんどん娯楽映画の職人監督専業に押しやられます。ただしウォルシュの真の傑作はそれらの娯楽作品から生まれるのです。