人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2017年11月10日~12日/ラオール・ウォルシュ(Raoul Walsh, 1887-1980)の活劇映画(4)

 ラオール・ウォルシュは1941年~1945年にかけてエロール・フリン主演作品をほぼ連続6作(『壮烈第七騎兵隊』'41、『戦場を駆ける男』'42、『鉄腕ジム』'42、『北部への追撃』'43、『Uncertain Glory』'44(日本未公開、テレビ放映・映像ソフト発売なし)、『決死のビルマ戦線』'45)を撮り、飛んで『賭博の町』'47もフリン主演作ですがこれはハンフリー・ボガート用の企画がボギーの都合でフリンに回ってきたものです。『壮烈第七騎兵隊』は主にマイケル・カーティスが監督していたワーナーの名物シリーズであるフリンとオリヴィア・デ・ハヴィランド主演共演作で主に剣戟映画の『海賊ブラッド』'35、『ロビンフッドの冒険』'38、『結婚スクラム』'38、『無法者の群』'39、『女王エリザベス』'39、『カンサス騎兵隊』'40と続いた最後のコンビ作でした。'30年代後半のフリンの人気のほどがうかがえます。ウォルシュの'41年~'45年のフリン作品の間には『壮烈第七騎兵隊』の後にE・G・ロビンソン、マレーネ・デートリッヒ、ジョージ・ラフト主演の人情劇『大雷雨』'41があり、フリン主演作中日本未公開・映像ソフト未発売の『Uncertain Glory』はナチス絡みの犯罪映画のようですから広義には戦争映画なので、'41年~'45年のフリン作品はボクシング映画『鉄腕ジム』を除くと6作中5作が戦争映画になります。'30年代~'50年代のハリウッド黄金時代には映画監督は第二次世界大戦前後にキャリアがまたがっているので、戦争映画と戦時下の逃避的傾向としての西部劇、メロドラマ、フィルム・ノワールまでさまざまな企画を手がけており、こと戦争映画について言えばフォードやワイラーのように上手くプロパガンダ臭を免れることができた監督は稀で、大半の監督は露骨な反独・反日戦争映画を撮ることになります。それでも前回ご紹介した第二次世界大戦もの第1作『戦場を駆ける男』はスパイ・サスペンスに興味を徹して成功した作品でした。この時期の戦中作品は戦争が題材の場合、戦後の日本劇場公開が見送られているのでキネマ旬報のデータにも映像ソフト発売の記載しかなく、未公開作品(第1長編『リゼネレーション(更正)』'15を含む)は今回、2回ずつ観直してあらすじをまとめましたので、案外手こずってしまい、それが感想に反映している面もあるのを弁解させてください。

●11月10日(金)
『北部への追撃』Northern Pursuit (ワーナー'43)*93min, B/W; 日本未公開(テレビ放映・映像ソフト発売)

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○あらすじ Uボートから飛び立ったドイツ空軍機から密命を帯びた小隊がパラシュートでカナダ山中に降下するが、たちどころに雪崩に呑み込まれる。カナダ国立森林警備隊員のワグナー(エロール・フリン)とオースティン(ジョン・リッジリー)は雪山の奥で遭難した唯一の生き残りのケラー大佐(ヘルムート・ダンティーネ)を発見する。オースティンは大佐を捕虜に連行するため本部に連絡を取るが、ワグナーがドイツ系移民と気づいたケラー大佐はワグナーをドイツ軍の計画協力者に勧誘する。拘束されたケラー大佐は他のドイツ兵捕虜と共に捕虜収容所から脱獄、逃亡する。一方ワグナー隊員はケラー大佐発見時の状況を服務違反として起訴、投獄されるが、代理人と名乗る男ウィリス(ジーン・ロックハート)が1000ドルの保釈金を払ってワグナーを釈放させる。ウィリスはワグナーをケラー大佐率いる捜索隊の元に連れて行き、ケラー大佐はワグナーに北方の雪中の鉱山で目的地へのガイドを強制する。失踪したワグナーを追っていた婚約者のローラ(ジュリー・ビショップ)がウィリスに騙されて人質として同行させられており、ローラは実はワグナーがカナダ国立警察隊の指令でケラー大佐の動向をスパイしていることを知る。ワグナーは先住民のガイド夫婦と共にナチスの小隊を案内していくが行程は厳しく、凍傷で動けなくなった中年男のウィリスはケラー大佐に射殺され、隙を突いて警察隊へ連絡するため逃走しようとした先住民のガイドの夫も殺される。ワグナーが残していった痕跡を辿ってオースティンが追いつくが、ケラー大佐は即座にオースティンを射殺する。目的地を目前にしてワグナーはストライキを決め込み、ローラと先住民の妻の解放をガイドの条件にして女性二人を帰させるのに成功する。目的地に着いてケラー大佐は得々とワグナーに作戦の全容を語る。この目的地一帯に爆撃機1機分の全パーツが投下してあり、それを組み立ててアメリカ・カナダ間に渡る戦争物資の大西洋輸送の要となる水路を爆撃、分断するのがケラー大佐への密命だった。完成した爆撃機が離陸する直前ワグナーはハッチから忍び込みナチス隊員たちを一人ずつ倒し、または相撃ちさせ、パイロットとケラー大佐の倒れた爆撃機が墜落する最中にワグナーはパラシュートで脱出、爆撃機は墜落して大破炎上する。ローラの呼んだ警察隊に保護されたワグナーは表彰され、怪我の癒えるのを待ってローラと挙式する。

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 あらすじを飛ばしてこちらの感想文をご覧の方は、もし本作を観る機会がありましたら先入観なしに鑑賞されるのをお勧めします。なるべく結末を明かさない(いわゆるネタバレ)なしに書いていきますが、本作はカナダに密入国したナチスのドイツ軍将校がどんな秘密指令を遂行するために主人公のフリンを拉致して雪山の奥深くまで目指していくのかわからない、というミステリー仕立てのサスペンスがあり、またドイツ系移民のフリンも途中までナチス協力者に転向してしまったのか、フリンの行動にも隠れた意図があるのか観客にはわからないような描き方がされているのがサスペンスを盛り立てます。フラッシュ・バックはまったく、カット・バックすら最小限にしか使わず説明を排し、現在形でぐいぐい進めていくウォルシュの話法がここでも大きな効果を上げています。ナチス将校ケラー大佐は非常(かつ非情)に強烈なゲルマン民族至上主義的性格に描かれており、遭難を警備隊員のフリンとリッジリーに救出されて意識を取り戻し、フリン演じる主人公の姓がワグナーでドイツ訛りがあると気づくや「君の本当の祖国に忠誠心はないのかね。ポーランドやオランダを落としたニュースに誇りを感じなかったか?」とアジりにかかり、中盤以降は脱落・逃走しようとした部下や現地人ガイドを容赦なく射殺する人物です。ステロタイプな傲慢で冷血漢のナチス将校なのですが、この強烈な悪党が山頂近い深い雪山にいったいどんな指令で向かっているのかは確かな目的があるには違いないのは嫌でも伝わってきて、突然保釈され行方をくらましたフリンを追っていた婚約者まで部下に騙させて人質に取る用意周到さですが、ほとんど女っ気のない映画なのでこの婚約者のローラ(ジュリー・ビショップ)のドラマへの絡ませ方は華があり、またフリンとローラの簡潔な会話が観客への状況説明にもなる、という一石二鳥にもなっています。頼みの綱のリッジリーも殺され、ケラー大佐の密命の全貌が明らかになり、絶体絶命の状況からフリンがどういう行動を取るか最後まで目が離せない展開が続きます。戦争映画としてはいかにも地味そうなのでフリン主演のウォルシュ作品、というブランドがなければ観るきっかけもないような映画ですが、これは良くできたスパイ・スリラーの佳作です。ミニチュア合成などを使っているにしても大雪崩のシーンやスキーによる追跡など舞台を生かした映像にも工夫を凝らしており、決してB級映画とはいえない、むしろ手の込んだ作品でしょう。1時間半という上映時間の手頃さも作品を密度の濃いものにしています。

●11月11日(土)
『決死のビルマ戦線』Objective, Burma! (ワーナー'45)*145min, B/W; 日本未公開(テレビ放映・映像ソフト発売)

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○あらすじ ネルソン大佐(エロール・フリン)と副官トレイシー(ジェームズ・ブラウン)率いるアメリカ軍特殊工作部隊がビルマにパラシュート降下し、中国と連合軍との航空機を探るために隠蔽された日本軍のレーダー基地を破壊する。戦争特派員のウィリアムズ(ヘンリー・ハル)が合流し、作戦はひとまず圧倒的な成功を収め、36人の工作部隊はすぐに拠点を解体して撤退を図るが、空軍機との合流地点で日本軍の待ち伏せに気づく。ネルソン隊長は移動の指令を受けて目的地点に徒歩で行軍する決断を下す。日本兵の警備網を潜るために部隊は二つに分かれて合流地点に向かうが、ネルソン大佐の部隊が到着した時すでに先行した部隊は日本軍によって拷問され、虐殺され、生きたまま切り刻まれた死体の中に瀕死のジェイコブス中尉(ウィリアム・プリンス)が一人だけ残っているだけだった。ジェイコブス中尉は日本兵の残虐行為を言い残して息絶える。特派員ウィリアムズはその光景に、敵は文明人ですらないのだと絶句する。そこに再び日本兵の襲撃を受け遠回りして沼を渡るが、最後に受信した指令は空軍機からの救出可能な地点からもっとも離れたビルマ山頂を目的地として向かえというものだった。さらに日本兵からの追跡をかわすうちに物資の投下を拾うチャンスを逃した上に通信機が破壊され、ネルソン大佐は指令に従うか現状の判断で安全な地域を目指すか決断を迫られる。大佐は指令に隠れた意図を感じて山頂を目指し、生き残り部隊は到着するが山頂には何もなかった。物資も尽き部隊が消耗しきった頃に日本軍が山頂を包囲しているのに気づく。部隊が応戦に立ち上がろうとしている時、イギリス空軍跡地に応援軍が次々に到着する。特殊工作部隊の山頂移動は応援部隊の到着のためのおとり作戦だった。ネルソンたちは救出され日本軍が一掃されて、ビルマは連合軍の手に奪還される。

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 第二次世界大戦を背景にした戦争映画と言っても『戦場を駆ける男』のような敵地への潜入工作映画、『北部への追撃』のようなスパイ・スリラーなどヴァリエーションはいろいろあるのですが、反ナチ物がほとんどなのはイギリス軍への軍事協力から始まってドイツを敵国とした時期の方が早かったのと、太平洋戦争開戦後もアジア圏を舞台にした映画は作るのが困難だったことによるでしょう。本作はビルマ奪還作戦成功後のイギリス軍による占領期間中に現地ロケして作られた作品で、前作から2年越し、2時間半近い大作になりましたが、ビルマ・ロケの成果を観せるためにウォルシュ作品としてはやや冗漫になっている面があります。『北部への追撃』とは逆に本作ではフリンの隊長率いる部隊が意図の不明な指令に従って苦戦しながら目的地にたどり着くのですが、40年後のキューブリックヴェトナム戦争映画『フルメタル・ジャケット』'87でも踏襲されているようにアジア人である日本軍は顔の見えない集団的な敵として描かれており、特に二手に分かれた部隊の一方が生きたまま切り刻まれて拷問され惨殺された現場で「文明人ではない」と絶句させ、兵士たちも「猿は皆殺しだ」と怒りを露わにする場面などは反ナチ映画との大きな違いで、ナチス・ドイツは危険思想を抱いた民主主義の敵としてそれなりに文明人の悪を体現する存在として描かれていました。日本人となると文明人ではない、つまり野蛮人の侵略者として文明人の敵になるわけです。ハリウッドではドイツの街や田舎はセットで再現できますが、アジアを舞台にした映画はセットを組むのが困難で、野蛮人である日本人はナチス・ドイツのような思想的背景を持たないから軍人同士のドラマも生まれない、ということになります。ちなみに本作の日本兵は現地のビルマ人、または当時反日軍事協力を行っていた中国人をエキストラに使っているようで、日本語で日本兵同士が会話していますが文法や意味は日本語でもローマ字のでたらめ読みでアクセントが滅茶苦茶です。決して不出来な映画ではなく、危機また危機でジャングルをくぐり抜け訓練されたチームワークで最善の手を尽くして任務の遂行に当たるアメリカ軍特殊工作部隊の奮闘は、撮影の手間暇を考えても2時間半たっぷりと現地ロケの成果を観せたかったのがわかる重量感があり、それがフリン率いる部隊の疲労感として伝わってくる効果もわかりますが、ここに出てくる日本兵たちが文明人でないならば狩りでもするように機銃掃射で惨殺するアメリカ人部隊もまた文明人ではないのです。映画の最初には「これはイギリス軍のビルマ奪還作戦成功後にイギリス軍の協力によって半年間の占領期間中に作られた」と字幕タイトルがあり、映画の結びも字幕タイトルで「こうしてビルマは日本軍の占領から解放された。だが日本との戦争はまだ終わっていない」と徹底抗戦を呼びかけて終わります。プロパガンダ的要素を抜きに観ればこれは作戦遂行と壊滅戦、早い話問答無用の殺し合い(情報提供者として日本兵を捕虜にする、という発想すらありません)の映画として大変な力作です。また前述の通りアジア人との戦争は文明人との戦いではない、という考えがはっきりと反ナチ映画との表現の区別を露わにした映画でもあります。映画としての出来を楽しみながら、大東亜戦争~太平洋戦争の流れの中でアメリカ人は日本をどのように考えていたかを苦く噛みしめる材料にもなるでしょう。こうした映画を撮ることも映画による軍事貢献として当時の映画監督には求められ、本作がその模範回答だったのが戦時下の映画状況だったということです。また本作が徹頭徹尾男の世界を描いたウォルシュらしさの溢れる作品なのも事実です。

●11月12日(日)
『追跡』Pursued (ワーナー'47)*101min, B/W; 日本公開1949年(昭和年)3月

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(キネマ旬報近着映画紹介より、一部加筆訂正)
[ 解説 ] 「我等の生涯の最良の年」「打撃王」のテレサ・ライトと新人スタア、ロバート・ミッチャムが主演するミルトン・スパーリングの独立プロ、ユナイテッド・ステーツ・ピクチュアズの1947年作品で「白昼の決闘」「シカゴ」のナイヴン・プッシュが脚本を書きおろし、「高原児」「鉄腕ジム」のラウール・ウォルシュが監督し、「いちごブロンド」のジェームズ・ウォン・ホウが撮影した。助演者は「赤い家」のジュディス・アンダーソン、「西部魂(1941)」のディーン・ジャガー、「高原児」のアラン・ヘール。
[ あらすじ ] 1900年、ニュー・メキシコ。孤児のジェブ・ランド(ロバート・ミッチャム)はメドラ夫人(ジュディス・アンダーソン)に育てられたが、義母の愛を素直に受けることが出来なかった。育ての恩は十分感じているのであるが、彼は何かに追いかけられ狙われている気がして落ち着かないのだった。メドラの実子アダム(ジョン・ロドネイ)とソー(テレサ・ライト)と共に育って来たジェブは、同じ年のソーといつか相愛の仲となっていた。米西戦争が起こると、ジェブは自分かアダムかが従事すべきだと言い出し、ソーが銀貨投げて運命を決した。出征したのはジェブで、名誉の戦傷を負い英雄として帰って来た。そしてまたアダムと争った。銀貨投げ勝負で負けた者は、牧場の株をすべて買い取り明け渡さねばならない。負けたのはまたジェブだったので、彼はディングル(アラン・ヘイル)の賭博場へ出かける。運よく相当まとまった金をふところに牧場へ帰る途中、待ち伏せしていたアダムに闇撃ちに遭う。ジェブは相手を倒した。正当防衛で彼は無罪放免とはなったが、ソーもメドラもジェブを憎まないでいられなかった。しかしジェブのソーに対する愛は変わらず、数ヵ月後彼は結婚を申し込んだ。ソーは承諾した。彼女はジェブを殺すつもりだと母に言った通り、結婚の夜ジェブを射殺しようとしたが狙いは外れた。彼女は憎悪より愛の方が強いことを覚った。ソーが復讐をあきらめたと知ったメドラの別れた夫グラント(ディーン・ジャガー)は、親族を集めてアダムの復讐を遂げようと計ったので、ジェブはランド牧場へ逃れ、ソーも後を追って来た。グラント一族が追った時、ジェブはソーに怪我させてはならぬと思い降参した。グラントがジェブを絞り首にしようと準備している時、メドラが乗り込んで来た。ソーは母に告げた。グラントのランド一族に対する憎悪は、20年前ジェブの父がメドラと恋仲であった頃に始まり、ジェブの父はグラントに殺害されたのだと。ジェブが絞り首にされようとした瞬間、銃声がひびいてグラントは倒れた。不正の裁きをしようとする者をメドラが正しく裁いたのであった。ジェブは縄を解かれ、ソーと共に馬を駆って自由の天地へ。

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 テレサ・ライトというとまず浮かんでくるのはヒッチコックの『疑惑の影』'42の叔父のジョセフ・コットンが連続殺人犯と気づき命を狙われるヒロインで、ゲイリー・クーパーの『打撃王』'42やマーナ・ロイの方が印象に残る『我等の生涯の最良の年』'46の出演はあまり記憶に残っていない人の方が多いのではないでしょうか。『疑惑の影』の鈍くさい(そこが一面警戒心にも結びつく)アメリカの田舎の女学生の印象が強いので、ライトが魅力に欠けるというのではありませんが本作のような重い役を表現するには力不足を感じさせます。ロバート・ミッチャムがまだ新人扱いだった頃の主演作(配役ではテレサ・ライトがトップですが)というのが何と言っても見所で、若かった頃のミッチャムは陰気なジョン・ウェインのような顔をしているのですが、ミッチャムといいカーク・ダグラスといい戦後デビューの新人俳優はこと男性俳優の場合は陰気な風情がいかにも新しかったので、本作はキネマ旬報のあらすじでは時系列順に整理されていますが、そのあらすじで言うと「ジェブはランド牧場へ逃れ、ソーも後を追って来た」という所まで事件が進み、ライトが訪ねてきて孤児のミッチャムがジュディス・アンダーソンに引き取られた少年時代までさかのぼった回想から始まります。これは'40年代に主にフィルム・ノワールで多用されるようになった話法で、ミッチャムはその時ベッドの下に隠れ非常にショックな出来事に遭遇したのでアンダーソンに見つかって引き取られる以前の記憶をうしなっている、という設定までフィルム・ノワールの趣向を踏襲しています。それはどうもミッチャムの両親が殺害されたのと関係があるらしい、という所でだいたい観客には話の種が割れてしまうのですが、本作の因果応報譚は西部劇としては古いタイプの内容で、こうした西部が部隊の愛憎劇はフォードの『駅馬車』'39以前に主流だったようなものでしょう。古い内容を新しい意匠、つまりフィルム・ノワール風の話法とムードで焼き直したような作品が本作になりますが、ウォルシュはフィルム・ノワールの生みの親の一人と言っていい監督ながら持って回った構成や話法は好まず、直線的に太く映画を進めていく人で、視点人物もなるべく絞って複数視点による平行話法(カット・バック)も最小限に留め、なるべく説明を排除して現地進行形で作った映画ほど成功するタイプの監督です。本作はミッチャムの回想形式にもシナリオ由来以外には考えられない混乱があり、ミッチャム以外の視点(ジュディス・アンダーソンとディーン・ジャガーの側)からカット・バックで語られるドラマが混入しています。この混乱にウォルシュが気づいていないわけはないので、そうした部分はミッチャムの回想とは別の視点によるフラッシュ・バックと見るべきで、そうすると時系列順に映画を構成してもカット・バックを盛り込んでも大差はないことになります。本作も凝った構成など気にせず若いミッチャム、配役の珍しさでライト、何の作品で観ても『レベッカ』'40のダンヴァース夫人役がちらつくジュディス・アンダーソン、ディーン・ジャガー、アラン・ヘイルら俳優たちの芝居と中国系の名カメラマン、ジェームズ・ウォン・ホウの見事な撮影を観ているだけで十分な作品で、フィルム・ノワール風なムードもホウの撮影の美しさをいろいろなシチュエーションで観せるための工夫なのではないかと思えば納得がいくものです。本作の場面はほとんどが室内セットで、屋外シーンもオープン・セットでしょう。西部劇の本作よりもスパイ・サスペンスの『北部への追撃』や反日プロパガンダ戦争映画『決死のビルマ戦線』の方がウォルシュらしいのも皮肉ですが(本作などはむしろヘンリー・ハサウェイが得意とするような内容です)、本作と同年の次作『高原児』はウォルシュ西部劇の快作ですから本作は少し異色作にしてみたのかもしれません。