人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年5月18日・19日/B級西部劇の雄!バッド・ベティカー(1916-2001)監督作品(2)

イメージ 1

 1952年度アメリカ本国公開のベティカー作品は4作ですがそのうち西部劇が3作を占めるので、ユニヴァーサルでもベティカーは西部劇担当の監督とされていたのでしょうが、ノンクレジットながら監督デビュー年の'44年以前に2作の第二次世界大戦戦争映画を手がけているのも後世に判明しており(『Submarine Raider』'42と『U-Boat Prisoner』'44、ともに65分の中編で後者はルー・ランダース監督名義)、戦争映画の製作は徴兵年齢だったベティカーにとって軍務代わりだったのもあるでしょうが、正式な監督デビュー前の他人をアゴで使える度胸試しの修行には、群像劇でありそれなりの規模や明確な目的遂行の内容を要求される戦争映画はもってこいの題材だったと思われます。ユニヴァーサル社に所属して初の西部劇『シマロン・キッド』'52を撮る前の'44年(監督デビュー)~'51年の8年間に軍務の1年を挟んでベティカーは12作のB級映画(フィルム・ノワール、怪奇映画)を監督しており、唯一'51年の『美女と闘牛士』がジョン・ウェインのバトジャック・プロに招かれて撮ったメキシコ・ロケの闘牛ロマンス映画で、ベティカーの転機がやはり再度ウェインにバトジャック・プロに招かれて撮った'56年の『七人の無頼漢』になると思うと、右翼的姿勢で問題になるウェインですが映画人としては偉い人だったと(俳優としては言うまでもありませんが)改めて気づかされます。『七人の無頼漢』までのベティカーは西部劇だけでなく『海底の大金塊(City Beneath the Sea)』'53(日本劇場未公開・テレビ放映)や『East of Sumatra』'53など海洋SFアドベンチャー、『灼熱の王者』'55は西部劇というより闘牛ロマンスですし、『七人の無頼漢』のあとも『殺し屋は放たれた(The Killer Is Loose)』'56(日本劇場未公開・テレビ放映)はジョセフ・コットン主演のB級フィルム・ノワールで、テレビ界に転身する前の最後の作品はギャング映画『暗黒街の帝王レッグス・ダイヤモンド』'60ですが、ほとんど西部劇メインなので野郎ものの戦争映画『レッドボール作戦』'52や闘牛ロマンス『灼熱の王者』は西部劇マナーで作られていると言えます。それを言えば先に『美女と闘牛士』があり、また海洋SFアドベンチャー『海底の大金塊』や『East of Sumatra』はアンソニー・クイン出演と『殺し屋は放たれた』『暗黒街の帝王レッグス・ダイヤモンド』同様落とすに惜しいのですが、手持ちの映像ソフトにそろえていないのでまたの機会にしました。では今回も1作は日本劇場未公開、1作は日本劇場公開と相変わらずのB級映画あつかいだったベティカー映画ですが、楽しんでご紹介いたします。

イメージ 5

イメージ 6

●5月18日(土)
『レッドボール作戦』Red Ball Express (ユニヴァーサル'52.May.24)*80min, B/W, Standard : 日本劇場未公開(映像ソフト発売)

イメージ 2

 前回ご紹介した作品でもそうでしたが横長のカードの図版が並べてある画像がありますが、これはポスターではなくロビー・カードといってサイレント時代からあり、現在は知りませんがかつてアメリカでは日本のようにブックレット型パンフレットではなく劇場で上映映画の名場面集のハガキ大のブロマイドが束ねて宣伝も兼ねてポップコーンやコカコーラのオマケに無料配布または販売されており、観客は観た映画が気に入ったらブロマイド集をもらって映画の記憶を楽しみブロマイドを見せて口コミで評判を広げるわけです。意外にもベティカー映画の場合このロビー・カードが非常に多い。ユニヴァーサル社の方針だったのかもしれませんが、他社の場合ロビー・カードは1本の映画につき2~4枚程度しか現存が確認されておらずそれが通例だったとされるのに、ベティカー映画には並べるとポスター大になるくらいロビー・カードが確認されている。コレクターが大事に保管してトレードしたりしていた(2回以上観ればダブります)からですが、ユニヴァーサル社は本作のような、企画やプリプロダクションはともあれ撮影期間は3週間で作ったB級映画の場合メディア広告には金をかけずロビー・カードで口コミに頼ったと思われ、広いアメリカのことですから2本立ての組み合わせは地域ごとの観客の嗜好に合わせて違ったでしょう。たとえば前作『ロデオ・カントリー』は南部・西部と東部では観客の入りがはっきり分かれたと思われます。日本でロビー・カード方式が導入されずパンフレットが重視されたのは中綴じの冊子とはいえ日本人観客はブロマイドより冊子を好んだということでもありますが、もしロビー・カード方式が日本映画に普及していたら(導入されたが普及しなかったのかもしれませんが)往年の日本映画のロビー・カードなどものすごいコレクターズ・アイテムになっていたと惜しまれ、オークション・サイトなどで「『殺しの烙印』ロビー・カード8枚セット」などと考えると空恐ろしい気がします。アメリカでロビー・カードによる口コミ宣伝効果がどれだけ高かったかと想像されるのは製作費非公表ながら『シマロン・キッド』が125万ドル、本作が150万ドルのヒット作となっていることで、製作費自体に100万ドル以上かけるMGMみたいな会社と違ってユニヴァーサル社のB級映画はせいぜい製作費30万ドル未満であり、飲食物のオマケにつけるロビー・カード以外広告費もかけないなら収益率500%の大ヒットです。日本ではちっとも受けなかった、本作などは劇場公開もされなかったベティカー映画がアメリカ本国ではメディアではぜんぜん話題にならなくてもごく普通の観客に好まれていたというのはなんだか心暖まるような話で、今では'40年代~'50年代の重要監督とする再評価も定着している。では低予算ヒット作のB級戦争映画である本作がどんな映画かというと、先に資料からご紹介しておきましょう。
○(メーカー・インフォメーションより) 主演 : ジェフ・チャンドラー (あらすじ) : バット・ベティカー監督が史実に忠実に描いた戦争アクション。1944年。フランス侵攻が進む中、パリに向かって前進していたパットンの第3軍は、備品不足に陥ってしまう。そこで連合軍司令部は急遽、特別に選ばれた軍用トラックルートを切り開く。ドイツ軍の執拗な妨害をものともせず、補給部隊の決死の輸送作戦が始まった……。
○解説(英語版ウィキペディアより)『レッドボール作戦』(「急行貨物部隊(Red Ball Express)」)は、シドニー・ポワチエとヒュー・オブライエンによる初期の映画出演をフィーチャーした、ジェフ・チャンドラーとアレックス・ニコルが主演するバッド・ベティカー監督による1952年の第二次世界大戦戦争映画です。この映画は、1944年6月にノルマンディー上陸作戦のDデイのあとに行われた実際の急行貨物部隊護送船に基づいています。本作に描かれる急行貨物部隊の運転手の約75%は、屈強な兵士であるアフリカ系アメリカ人が他の任務のためにさまざまな部隊に所属していた中から選抜されたという設定です。国防総省は本作の人種関係について「前向きな角度が強調される」ように修正すべきであるとユニヴァーサル映画社に要求しました。監督のベティカーは次のようにコメントしています。「政府は兵士を消耗品と考えていたので、軍隊は映画で黒人軍隊についての真実を描かせたくないのでしょう。アメリカ政府は兵士たちがパットン将軍とパットン戦車隊を救うための神風パイロットだったと認めたくなかったのです」。
○あらすじ(同上)  1944年8月、ドイツ占領下のフランスへの侵攻を進めながらも、パットン将軍の第3軍戦車隊はパリに侵攻できないままでした。侵攻を促進するために、連合軍本部はエリート軍用運輸ルートを確立します。この急行貨物部隊の1つの(さまざまな人種混合の)小隊は、民間ゲリラ、ドイツの抵抗、地雷原を越えて、ますます危険な任務に遭遇します。小隊の長であるチック・キャンベル中尉(ジェフ・チャンドラー)はカレック軍曹(アレックス・ニコル)と、カレック軍曹の兄を含む民間人の犠牲死事件をきっかけに衝突するようになります。ハワード・ペトリーが演じるゴードン将軍は、パットン将軍をモデルにしているようですが、パットン将軍も作中で特に言及されています。戦時中実際に急行貨物部隊を担当していたフランク・ロス少将は、本作で技術顧問を務めました。
 ――英語版ウィキペディアの解説にもある通り、本作は一兵卒役のシドニー・ポワチエやヒュー・オブライエンの方が今では有名なくらい地味なキャストで、主演のジェフ・チャンドラーの著名作はデルマー・デイヴィス監督の『折れた矢』'50の副主人公役くらいでしょうし、ジェフ・チャンドラーと対立する軍曹役のアレックス・ニコルもアンソニー・マン監督の『ララミーから来た男』'55の助演が代表作、と助演クラスの俳優を主演に起用したノン・スターのB級映画の典型みたいなキャスティングです。またベティカーは先に再評価が進んでいたニコラス・レイ(1911-1979)やサミュエル・フラー(1912-1997)とベティカーを同等の大家と見なすようになったのですが、ほぼ5歳あまり年長のレイ('48年監督デビュー)やフラー('49年監督デビュー)は監督デビューは'44年監督デビューのベティカーより遅いもののレイは演劇界からエリア・カザンの助監督、ジャーナリスト出身のフラーは'30年代後半から原作者・脚本家として映画界に関わっており、レイはハンフリー・ボガート設立独立プロ専任監督の諸作以降、フラーもリチャード・ウィドマーク主演の『拾った女』'53でヴェネツィア国際映画祭受賞(アメリカ国立フィルム登録簿2008年度登録)と早くからヨーロッパの批評家に注目され、デビュー初期のトリュフォーゴダールヌーヴェル・ヴァーグの監督たちから讃辞を捧げられていた戦後監督です。またレイやフラーは必ずしもB級映画の監督ではなくスター俳優主演の大作も任されており、監督デビューが早かったベティカーへの注目がレイやフラーよりずっと遅れたのもベティカー作品の代表作がレイやフラーよりあとだった、しかも相変わらず低予算B級映画だったのもある。唯一大作と言えるのはアンソニー・クイン主演の『灼熱の王者』'55くらいです。さらにレイやフラーは名作からさかのぼって初期作品を観ても確かな風格が感じられる佳作があるのにベティカーの初期作品はまだまだの観があり、レイの第1作『夜の人々』'48はB級フィルム・ノワールながら個性の明確な名作なのにフィルム・ノワール時代のベティカー作品は特徴も乏しく出来もあんまりとか、さらにようやく本領発揮のはずの西部劇に取り組んでからも『七人の無頼漢』以前はレイやフラーの西部劇ほど冴えない、まだ作風の確立途上に見えるのが弱く、戦争映画の本作も150万ドルのヒットがへえ?というあまりパッとしない作品です。フラーの朝鮮戦争映画『鬼軍曹ザック』『折れた銃剣』はともに'51年作品ですがフラー監督作らしい厳しい個性が際立っている。較べてしまうと本作『レッドボール作戦』は呑気な実話映画で、先に引いた紹介では市民を巻きこむ戦況に際した隊長と軍曹の対立、作戦遂行の困難といかにもドラマティックな内容になっていそうなものですし、西部劇第1作『シマロン・キッド』に幾分見られる『七人の無頼漢』で確立されるアウトロー同士の対決から応用が効くはずの混沌状況の中の対立、前作『ロデオ・カントリー』の起承転結の効いたドラマ性が本来なら活かせるはずの本作ではちっとも効いていない。プロット上では英語版ウィキペディアの紹介にある通りの展開をするのですが見せ方が淡泊なのでぜんぜんドラマティックに見えず、兵士たちがフランス娘のアントワネット・デュボア(ジャクリーン・デュバル)をめぐっていちゃいちゃ恋のさやあてをしている天下太平ムードの方が強いのです。本作のヒットは従軍体験のある、または家族に従軍経験者を持つ観客に支えられたものと思われ、ヨーロッパ戦線の戦勝の決定打になったパットン戦車隊上陸作戦を讃える内容にとどまっている。戦後7年目にしてなお戦勝を景気良く喜ぶ気分で映画のムードが呑気なものになっており、現在進行形で泥仕合と化している朝鮮戦争を描いてヴェトナム戦争以降の戦争映画の先駆となっているフラーの『鬼軍曹ザック』『折れた銃剣』のジャーナリスティックな尖鋭さにはおよびもつかないのですが、国防総省に干渉されなかったらもっと黒人兵を描いた映画にしたかった、とベティカーが語っているとなると本作には偶像破壊的な要素は描きたくても描けない妥協が強いられたとも推定されるので、かえって何でもありの無法者世界が描ける西部劇より制約されることにもなったと思われ、ベティカーの西部劇指向をますます強めたのではないか、とも考えられます。本作の位置づけはそうしたものになるのではないでしょうか。

●5月19日(日)
『征服されざる西部』Horizons West (ユニヴァーサル'52.Oct.11)*78min, Technicolor, Standard : 昭和35年('60年)5月1日

イメージ 3

イメージ 4

 ベティカー'52年度最後の作品になる本作は日本では1958年製作とされて公開されたそうですが、どうもこの頃日本初公開されたベティカー作品はアメリカでの再公開に伴い製作年のサバを読んで日本公開されたようです。日本公開されたユニヴァーサル時代のベティカー作品全般がキネマ旬報の紹介記録ではそうなっているようで、のちに映像ソフト化に伴って製作年だけは訂正されたようですが劇場初公開時の製作年は訂正されていない。アメリカ側でサバを読んだのか日本の配給会社がサバを読んだのかわかりませんが、どちらにせよこれはちょっと面白い、B級西部劇ならではというかB級西部劇でもめったにないことで、'52年ならまだスタンダード・サイズで当たり前ですがシネマスコープ普及後の'58年製作でスタンダード・サイズなどそれだけでもB級感が増したと思われ、ベティカー映画は公開時日本の批評家にはB級西部劇と一蹴されたのですが製作年のサバ読みもまずかったと思われる。本作はロバート・ライアンロック・ハドソンが対立する義兄弟役で主演と、『シマロン・キッド』や『ロデオ・カントリー』も見所ある映画でしたが'52年のベティカーの4作なら本作が屈指の出来で、なかなかの秀作です。権力者にのし上がっていくロバート・ライアンが素晴らしいのはもちろんライアンに対立する肉親思いの正義漢の義弟がロック・ハドソンと、もう設定とキャスティングだけでラオール・ウォルシュの傑作かとわくわくさせるようなもので、ライアン、ハドソンとも受動型の俳優なので多数の名作に主演していても何となくスターとしては小粒で、ライアンにはロバート・ミッチャムに通じる抑圧性があるもミッチャムほど狂おしくなく、ハドソンはウォルシュの『決斗!一対三』'53のような西部劇の傑作でも受動型ならダグラス・サークのメロドラマ作品ではヒロインより女性的な繊細な柔和さがあり、つまりライアンやハドソンは親近感を持てる名優ではあってもアメリカ人の理想的男性像とはちょっとズレているのが大スターとは呼べないので、強烈な個性で極まっているというほどでもない。しかしアンソニー・マンの『怒りの河』'52ではあまりパッとしないヒロインだったジュリー・アダムス(『決斗!一対三』でも好演)が本作では見違えるようになっているのもライアンやハドソンが主演だから、と言えるので、本作も平和で牧歌的な西部→訳あり人妻との出会い→悪党一味との因縁→ドロドロの死闘、という『七人の無頼漢』'56からの7連作「ラナウン・サイクル」で円熟する殺伐ムードのベティカー西部劇の黄金パターンが、『シマロン・キッド』よりもさらにはっきり表れてきた作品です。ドラマを展開させる副人物の伏線的役割の描き方もごたごたしていた『シマロン・キッド』よりはるかに上手く、レイモンド・バーデニス・ウィーヴァーらハドソン同様'70年代にはテレビ畑でスター俳優になる顔ぶれも重要な助演という具合に、「鬼警部アイアンサイド」と「警部マクロード」と「署長マクミラン」が一堂にそろった映画で、これでピーター・フォークが出ていればさらに見ものですがフォークの映画デビューはずっと遅れてニコラス・レイの『エヴァグレイズを渡る風』'58です。またライアンはルノワールの『浜辺の女』'47やエドワード・ドミトリクの『十字砲火』'47、ジョセフ・ロージーの『緑色の髪の少年』'48からニコラス・レイの『生まれながらの悪女』'50と『危険な場所で』'51やフリッツ・ラングの『熱い夜の疼き』'52、アンソニー・マンの『裸の拍車』'53、サミュエル・フラーの『東京暗黒街・竹の家』'55、ラオール・ウォルシュの『たくましき男たち』'55、ロバート・ワイズの『拳銃の報酬』'59、レイの『キング・オブ・キングス』'61、ケン・アナキンの『史上最大の作戦』'62や『バルジ大作戦』'65、リチャード・ブルックスの『プロフェッショナル』'66にロバート・アルドリッチの『特攻大作戦』'67やジョン・スタージェスの『墓石と決闘』'67、サム・ペキンパーの『ワイルドバンチ』'69やルネ・クレマンの『狼は天使の匂い』'72、ダルトン・トランボの『ダラスの熱い日』'73ともうライアンなしではアメリカの戦後映画は骨抜きではないかというほどの陰の重要俳優で、ちなみに筆者の同級生で地元酒屋の主人のクマキリくんが中年になったらロバート・ライアンに似てきたのは本人も気づいていないと思いますが、似てると言っても「誰それ?」でしょうし似てると言われて嬉しいタイプの俳優でもないでしょう。上記重要作・ヒット作に較べると本作はライアン主演作・出演作でも知られない作品でしょうし興行収入非公表だから『シマロン・キッド』や『レッドボール作戦』ほどヒットしなかったと思われますが、典型的な南北戦争後のテキサスが舞台の下克上西部劇ながらライアンとハドソンの好演を筋の通った演出で押さえ、第二次大戦後のアメリカのムードと重ねることで戦後西部劇らしい現代性をちゃんと打ち出している。ベティカーらしい殺伐とした雰囲気も『シマロン・キッド』に萌芽が見られましたが、本作の富裕階級に反逆して無法者となっていくライアンの主人公は破滅的な生き方に向かっていくことで平和共存主義のハドソンを圧倒しているので、本作は西部劇版ギャング映画としても佳作になっています。日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) テキサスを舞台に、義兄弟の抗争を描いた西部劇。ルイス・スティーヴンスの脚本を「レッグス・ダイヤモンド」のバッド・ボーティカーが監督した。撮影はチャールズ・P・ボイル、音楽はジョセフ・ガーシェンソン。出演は「拳銃の報酬」のロバート・ライアン、「夜を楽しく」のロック・ハドソンのほか、ジュリー・アダムス、ジョン・マッキンタイアら。製作アルバート・J・コーエン。
○あらすじ(同上) 南北戦争が終り、ダン・ハモンド少佐(ロバート・ライアン)、ニール・ハモンド中尉(ロック・ハドソン)、ティニー・ギルガン(ジェームス・アーメス)の3人はテキサス州のオースティンに戻って来た。ダンは附近の牧場主イラ(ジョン・マッキンタイア)の長男で、ニールは養子。ダンは牧場経営より一獲千金を狙っていた。彼はオースティンに行き、ボスのハルディン(レイモンド・バー)の妻ローナ(ジュリー・アダムス)と恋におちた。ダンにはサーリイ(ジュディス・ブラウン)という彼を慕う女性がいた。が、ダンは彼女を嫌った。やがてニールはサーリイの美しさにひかれ、愛しあうようになった。ダンは友人の役人フランク(トム・パワーズ)と賭博場に行った。そこでハルディンに5千ドル負けた。借金を申しこんだダンはハルディンに罵倒され、夫の非情な仕打ちを見たローナはダンに好意を持った。ダンは戦友ダンディ(デニス・ウィーヴァー)と家畜泥棒の仲間に入った。盗んだ家畜はメキシコ領で売った。ハルディンはダンの勢力が強くなるのを恐れ、ニールを捕らえ彼からダンの情報を取ろうとした。ローナはダンにニールのことを知らせた。ダンはハルディンを襲い射殺した。盗賊団の首領になったダンは州内の牧場を荒しまわった。ニールは正義のために立ちあがった。保安官になって群集のリンチからダンを救い留置した。が、ダンディがダンを救い出した。ダンの父イラは牧場主の代表クラブ(ジョン・ハバード)と共にダン逮捕に向かった。しかし、イラはダンのためにニールと共に逆に一身に捕った。クラブはローナをみつけて彼女をタテにしてダンを追いつめた。ダンは誤ってローナを射ってしまった。しかし、自らもクラブの弾丸に当たって死んだ。ニールは牧場へ帰り、サーリイと結婚した。
 ――キネマ旬報の紹介は歴史的文献として興味深いもので、まず昭和35年にはまだ監督名はベティカーが定着せずボーティカーと呼ばれていたのがわかる。また役名も現行映像ソフトで原音表記に直っているのと違い、タイニーとすべき名前がティニー、アイラがイラ、ハーディンがハルディン、サリーがサーリイだったのがわかる。ライアン演じる主人公は豪農の跡取りなのですが、テキサス州はもともとスペインからの植民領なのでスペイン貴族の末裔の富裕階級が非常に威張っており、農業だけでなく実業界に進出したいというライアンはレイモンド・バー演じる富裕階級のボスに公然と侮辱されてしまう。それを見たバーの妻のジュリー・アダムスは夫にかねてからの反感をいよいよ募らせライアンに惹かれていき、ライアンも帰郷した時街で見かけたアダムスに惹かれていて婚約者のジュディス・ブラウンから心が離れてしまう。ライアンはバーへの復讐もあって脱走兵や南軍・北軍の脱落者たち無法者のキャンプを見つけて強盗団のボスとなり、バーを筆頭に富裕階級の所有牧場から夜間に大量牛泥棒をしてメキシコ国境で売りさばきます。バーはライアンに目星をつけライアンの義弟のロック・ハドソンを監禁・暴行しますが、アダムスから知らされたライアンはハドソンを救出に向かい、バーを正当防衛で射殺することになる。バーの妻のアダムスの証言もあってライアンは無罪で不起訴となりますが、これをきっかけにライアンの強盗団はますます牧場荒らしを続けて、遂には市民もライアンをリンチにかけようとする。保安官補になったハドソンは兄の身柄を守るために入獄させますが、ライアンは脱走してしまい、ここから先は破滅への一直線で、ともに服役しようという老父アイラ(ジョン・マッキンタイア)の懇願も振りきり、逃走がてらライアンを制止しようとする妻子持ちの戦友のタイニー(ジェームス・アーメス)をも射殺せざるを得なくなる。映画冒頭で敗戦により兵役を終えて帰郷したライアン、ハドソンを穏和な老父アイラが迎え、タイニーをいかにも仲むつまじい妻子が迎えるのが印象的だっただけに、ここまで来ると観客もライアンの窮地と内面的崩壊がひしひしと迫り、守るべきものも味方してくれる者も何もかもを捨ててしまった孤独な無法者になってしまった主人公が前面に押し出されてくる。ヒロインを人質におびき出されたライアンは実際には誤射とはいえアダムスとの心中覚悟で現れるので、アンチ・ヒーロー型アウトロー映画として感覚的には'60年代映画を先取りしている作品です。映像文体の面では『シマロン・キッド』や『ロデオ・カントリー』の方が躍動感に富んだ映像なのですが、本作では逆に映像の方はぐっと抑制した落ち着いたショットに抑えて破滅へと向かう主人公をじっくり描いており、小品感はぬぐえませんしギャング映画(『民衆の敵』'30など)の西部劇版の型からもっとさらにより飛躍の余地がある分名作・傑作とまではいかずまだ秀作・佳作の域にとどまる作品ですが、本作の枠ではこれは十分充実し、高い完成度の感じられる好作です。本作のハドソンは引き立て役ですが、ライアン主演作としては隠れた逸品ではないでしょうか。