人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

アイアン・バタフライ Iron Butterfly - Heavy (Atco, 1968)

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アイアン・バタフライ Iron Butterfly - Heavy (Atco, 1968) Full Album : https://youtu.be/1RyS751_a50
Recorded at Gold Star Studios and Nashville West, Hollywood, CA, October 1967
Released by Atco Records Atco #33-227, January 22, 1968
Produced by Charles Greene; Brian Stone
(Side one)
A1. Possession (Ingle) - 2:45
A2. Unconscious Power (Bushy, Ingle, Weis) - 2:32
A3. Get Out of My Life, Woman (Allen Toussaint) - 3:58
A4. Gentle as It May Seem (DeLoach, Weis) - 2:25
A5. You Can't Win (DeLoach, Weis) - 2:41
(Side two)
B1. So-Lo (DeLoach, Ingle) - 4:05
B2. Look for the Sun (DeLoach, Ingle, Weis) - 2:14
B3. Fields of Sun (DeLoach, Ingle) - 3:12
B4. Stamped Ideas (DeLoach, Ingle) - 2:08
B5. Iron Butterfly Theme (Ingle) - 4:34
[ Iron Butterfly ]
Doug Ingle - organ, lead vocals (A1,2,3,5,B2,3) and backing vocals
Darryl DeLoach - tambourine, lead vocals (A4,B1,2,4) and backing vocals
Danny Weis - guitar
Jerry Penrod - bass, lead vocal (B2) and backing vocals
Ron Bushy - drums

 アイアン・バタフライというと「ガダ・ダ・ヴィダ(In-A-Gadda-Da-Vida)」の一発屋'60年代サイケ・バンドというイメージが一般的と思われますし、またバンドとしては決して高い評価を受けてきたとは言えないのにその1曲、しかもセカンド・アルバムのLPではB面全面17分5秒に及ぶ同曲だけで50年ものあいだ記憶されてきたのですから、それはそれで偉とするべきでしょう。しかもバタフライはけっこうしぶとく活動してきたバンドでもあります。幸いに日本語版ウィキペディアで簡潔にまとめられた項目は(2015年から更新されていませんが)、詳細にわたる英語版ウィキペディアよりも大づかみにバンドの概略がまとめられており、アイアン・バタフライに関してはこの程度の知識から入るのがかえってすっきりしていて良いと思われます。なおメンバーの担当パートや2015年以降の事項は補って引用しました。

●アイアン・バタフライ
アイアン・バタフライ (Iron Butterfly) は、1967年に結成されたアメリカ合衆国サイケデリック・ロックグループ。
○概要・歴史
 1966年にサンディエゴでダグ・イングル(ヴォーカル、オルガン)とのちライノセロスに行くダニー・ワイズ(ギター)によって結成。ワイズはレコードデビュー前に抜け、1stアルバム「ヘヴィ」発表後ダリル・デローチ(ヴォーカル)が脱退、1969年末までイングル、リー・ドーマン(ベース)、ロン・ブッシー(ドラムス)、エリック・ブラン(Erik Brann、またはエリック・ブラウンErik Braunn、ギター)の4人で活動する。次のアルバムでタイトル曲の17分におよぶ「ガダ・ダ・ヴィダ(In-A-Gadda-Da-Vida)」がヒットして、注目された。3枚目のアルバム「ボール」発表後ブラン脱退、マイク・ピネラ(ギター)、ラリー・“ライノ”・ラインハルト(ギター)が加入し1971年にいったん解散する。ピネラはカクタスなど、ドーマン、ラインハルトはキャプテン・ビヨンドに参加した。
 1974年にロン・ブッシーとエリック・ブランにより再結成。解散前のメインのソングライターであったダグ・イングルとリー・ドーマンが不在の為、発表された二作品は、解散前とは異なる音楽性の作品となった。 一時1986年は完全休止したがライブ中心に活動。2002年から2012年までの中心メンバーはロン・ブッシー、リー・ドーマン、チャーリー・マリンコビッチ、マーティン・ガーシュウィッツ。
 2003年7月25日エリック・ブラン死去。
 2012年12月21日、リー・ドーマンが死去。70歳没。
 2015年現在、マイク・ピネラを中心とした編成で活動中(ロン・ブッシーは不参加)。
(2016年11月11日、2012年脱退のベーシスト、グレッグ・ウィリスが心臓発作で死去、67歳没。2016年11月25日、1999年~2005年在籍のキーボード奏者ラリー・ラストが死去、63歳没)
ディスコグラフィー(アルバム)
・ヘヴィ (Heavy) 1968年 - アトコ・レコード
・ガダ・ダ・ビダ/ガダ・ダ・ヴィダ (In-A-Gadda-Da-Vida) 1968年 - 累計3000万枚という記録的なセールスを挙げた。
・ボール (Ball) 1969年
・変身 (Metamorphosis) 1970年
・スコーチング・ビューティー 1975年 - MCAレコード
・サン・アンド・スクィール 1975年
(ライブ)
・アイアン・バタフライ・ライヴ (Iron Butterfly Live) 1970年 - アトコ・レコード
Fillmore East 1968 2011年
(ベスト盤)
・ベスト・オブ・アイアン・バタフライ
(ウィキペディア日本語版より、一部英語版ウィキペディアより追補)

 以上、日米文献から簡略な項目を全文引用しました。英語版ウィキペディアではさすがに現在も活動中のバンドだけに詳細なバイオグラフィーと楽曲解説、メンバーの異動の変遷が記録されており、結成された1966年~2017年現在までに少なくとも53回のメンバー・チェンジ、57人の正式メンバーが確認されています。もっともアルバムの数はそれほど多くない、どころか活動50年にもなろうというバンドとしては異例なほど少ないのですが、それでもライヴ・バンドとして息の長い活動を続けられているのは突出したサイケデリック/ヘヴィメタル・クラシック「ガダ・ダ・ヴィダ(In-A-Gadda-Da-Vida)」があるからに他なりません。また、2011年にリリースされた限定版2枚組CDの発掘ライヴ『Fillmore East 1968』は高プレミアを呼び、同作が普及版で再発売された2014年にはハードロックとサイケデリック・ロックのインディー・レーベル、Purple Pyramid(Cleopatra Records傘下)からさらに3作の発掘ライヴが同時発売されました。日本語版ウィキペディアディスコグラフィーはあまりに簡略すぎるので、英語版ウィキペディアから発売年月とチャート順位を補ってみます。

[ IRON BUTTERFLY ORIGINAL ALBUM DISCOGRAPHY ]
1968.1 Heavy (ATCO) - US#78
1968.6 In-A-Gadda-Da-Vida (ATCO) - US#4, US No.1 Album of Billboard 200 in 1969 Year End Charts*
1969.1 Ball (ATCO) - US#3
1970.4 Live (ATCO) - US#20
1970.8 Metamorphosis (ATCO) - US#16
1971.11 Evolution: The Best of Iron Butterfly (ATCO) - US#137
1975.1 Scorching Beauty (MCA) - US#138
1975.10 Sun and Steel (MCA) - US#-
(Posthumous Live Recorded Album)
2011.10 Fillmore East 1968 (Rhino Handmade, ATCO Records)
2014.5 Live in Sweden 1971 (Purple Pyramid)
2014.5 Live At The Galaxy 1967 (Purple Pyramid)
2014.5 Live In Copenhagen 1971 (Purple Pyramid)

*(Explanatory note)
Top 5 Albums of Billboard 200 in 1969 Year End Charts
1. Iron Butterfly / In-A-Gadda-Da-Vida (ATCO)
2. Original Cast / Hair (RCA)
3. Blood, Sweat And Tears / Blood, Sweat And Tears (Columbia)
4. Creedence Clearwater Revival / Bayou Country (Fantasy)
5. Led Zeppelin / Led Zeppelin (Atlantic)

(Original ATCO "Heavy" LP Liner Cover & Side 1 Label)

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 アイアン・バタフライはザ・シーズ、ザ・ドアーズ、SRC、ヴァニラ・ファッジ、ストロベリー・アラーム・クロック、カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ、ステッペンウルフらと前後してデビュしたアメリカのサイケデリック系オルガン・ロックのバンドで、オルガン・ロックはザ・ヤング・ラスカルズを起点としてもいいですが、この時期はヘヴィ・サイケのオルガン・ロックが若手アーティストの通る道でした。ビリー・ジョエルのハッスルズやアッティラブルース・スプリングスティーン&スティール・ミルなど意外なヘヴィ・サイケ作品もあり、商業的な成功ではアイアン・バタフライは頂点を極めたバンドです。ドアーズはヴォーカリストのジム・モリソン生前の全7作をゴールド・ディスク、うちスタジオ録音盤6枚すべてを全米チャート・トップ10入りさせ、シングルでもNo.1ヒットを3曲持つアイアン・バタフライ以上の存在でしたが、それでも『In-A-Gadda-Da-Vida』のような例外的な大ヒット・アルバムはありません。というより、アイアン・バタフライの成功自体が不相応で、10年後には『Rolling Stone Record Guide』などで過去の遺物と片づけられることになります。バタフライと並べて聴くと、ラスカルズ(フェリックス・キャヴァリエ)やドアーズ(レイ・マンザレク)、ヴァニラ・ファッジ(マーク・ステイン)らのセンスの良さとバンド全体の安定したテクニックは安易なオルガン・ロックとは一線を画しているのがわかります。ラスカルズ、ドアーズ、ヴァニラ・ファッジにせよ悪くいえば内容の空疎さではバタフライと大差ありませんが、音楽は確かな肉体性に裏打ちされており、ヴォーカルと演奏の表現力が本来の力量の限界以上にくり返し聴くに堪えるスケールに達しています。また、同時代のイギリスのオルガン・ロックがジミー・スミスの影響から出発しているのに対して、アメリカのオルガン・ロックはジミー・スミス的なオルガン・スタイルに距離を置くことから音楽を発想しているとも言えるでしょう。テクニカルな面でオルガン・ロックを追求していくならジミー・スミス以上の先駆者はなく、アメリカのオルガン・ロックがイギリスのオルガン・ロックより稚拙に聴こえるなら、それはむしろジミー・スミスやブッカー・T&MGズ的なジャズ・ファンクソウル・ジャズ的な下地を取り払ったからこそでした。もっともブリティッシュ・インヴェンジョン期のイギリスのビート・グループでもジ・アニマルズ、マンフレッド・マン、デイヴ・クラーク・ファイヴ、ザ・ゾンビーズらはアメリカ音楽のコピーに留まらない成果を上げており、60年代当時はアメリカとイギリスのロックのキャッチボールは70年代以降とは比較にならないほど素早く、直接的で大胆でした。アメリカのオルガン・ロックは、イギリスのオルガン・ロックがアメリカのオルガン・ジャズを消化しきれなかった部分から一気に白人オルガン・ロックのスタイルを作り上げたように見えます。
 先に上げた60年代後半アメリカのオルガン・ロックのバンドでも、バタフライのデビューは遅い部類で、1967年にはドアーズとヴァニラ・ファッジが全米年間アルバム・チャート・トップ10入りのデビュー作を発表していました。ドアーズはワーナー配給のエレクトラ、ファッジはワーナー傘下アトランティックのサブ・レーベルだったアトコのアーティストであり、1968年に米アトランティックとの直接契約でデビューしたレッド・ツェッペリンはファッジとバタフライの前座バンドとしてデビュー直後の全米ツアーをまわっています。ファッジとバタフライはジェフ・ベック・グループとのジョイント公演も多く、ファッジの実力はツェッペリンやベックからも賞賛され、ベックなどはファッジのメンバーを引き抜いて解散させてしまったほどですが、バタフライは前座のツェッペリンやベックに易々と食われてしまったといいます。また発掘ライヴ『Fillmore East 1968』に収められた'68年4月26日、27日のニューヨーク公演はジミ・ヘンドリックスの前座でした(ジミのデビュー・アルバム『Are You Experienced ?』'67は1967年の全米年間アルバム・チャート1位を獲得しています)。この'68年4月の時点ですでにバタフライは『Heavy』のメンバーのうちダグ・イングル(vo, org)とロン・ブッシー(ds)以外の3人(ダリル・デローチ/vo、ダニー・ワイス/g、ジェリー・ペンロッド/b)が脱退し、リー・ドーマン(b)と弱冠17歳のエリック・ブラン(g)が加入した、バタフライ史上黄金期と言えるメンバーになっています。ただしこの4人で制作されたアルバムは(発掘ライヴを除くと)『In-A-Gadda-Da-Vida』、『Ball』、『Live』の3作しかなく、『Live』の収録も'69年5月ですから正味1年間だけのラインナップだったことになります。本デビュー作はニューオリンズのR&Bクラシック、A3を除いてメンバーのオリジナル曲ですが、専任ヴォーカリストのデローチの単独ヴォーカル曲は3曲しかなく、ヴォーカル/オルガンのイングルとの共作も作詞だけです。セカンド・アルバム『In-A-Gadda-Da-Vida』では全曲イングル単独オリジナル曲とヴォーカルを勤めますから、デビュー作完成後にはデローチの居場所はなくなったということでしょう。ギターのワイスはアルバム発表前に独立して自分のバンド(ライノセロス)を始めただけのことはあり、ベースのペンロッドはさすがにドーマンには及ばない腕前ですが、バタフライの場合はイングルとブッシーが一旦解散するまで引っ張っていたバンドだったのがアトコ時代のアルバムを通して聴くと痛感されます。サン・ディエゴ出身のバタフライはザ・バーズ、ラヴ、マザーズ、ドアーズに次いでロサンゼルスのロック・シーンから出てきたバンドで、ジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッドらコミューン意識の強いヒッピー文化を背景としたサンフランシスコと違ってプロ意識の高い土壌からデビューしました。それだけにバンド自体の総合力があまり高くないのがそのまま結束力の低下となって表れ、短い全盛期の後はセルフ・トリビュート・バンド化した長い現役活動に至ったように思えます。