イギリス出身の映画監督アルフレッド・ヒッチコック(1899-1980)の劇場用劇映画監督作品はイギリス時代にサイレント作品8作(実際は10作ありますがこのうち第2作は散佚作品なので現存作品は9作になり、第9作はサイレント版とトーキー版の2通りが作られて通常トーキー版が優先されるので8作になります)、トーキー作品が14作(サイレント版も作られたトーキー第1作を含む。5人の共同監督による作品でヒッチコックの演出シーンが数か所しかないオムニバス・レビュー作品、1作だけあるイギリス作品のドイツ語版は含みません)、ハリウッドに招聘されてからが晩年までに30作(第二次世界大戦中にイギリス情報省の依頼で製作した短編戦争プロパガンダ映画2編は含まず)が全作品で、他にテレビシリーズ『ヒッチコック劇場』に数本ヒッチコック自身による監督作品がありますが劇場用作品とは一応別に考えていいでしょう。作品の質の高さ、一貫性、完成度、文句なしの面白さ、満足感でヒッチコックほど名高い映画監督はなく、これほど多くの批評家によって賞賛を浴び伝記から作品分析まで無数のヒッチコック文献が今なお増え続けている点ではチャップリンすらしのぐといえるほどで、ハリウッド時代からの全盛期のヒッチコック作品は現在でも後続の映画監督の教科書になっていることでも、同時代の優れた映画監督たちの中でヒッチコックは飛び抜けた存在です。前述の通りヒッチコックは52作もの長編劇映画を残していますので(実際は散佚作品1作があるので53作ですが)、年末年始を跨いでのんびり1本1本楽しんでみようと思います。なお作品のデータ、あらすじはフランソワ・トリフォーによる全作品についてのロング・インタビュー『ヒッチコック/トリュフォー 映画術』(原著'66・増補版'78、翻訳=山田宏一・蓮實重彦、晶文社'81刊)と『ブック・シネマテーク2 ヒッチコックを読む』(筈見有弘編著、フィルムアート社'80刊)を中心に、各種映画サイトを参照してなるべく簡潔に作成しました。あらすじ、感想文ともに作品の性格によってどこまで内容を明かすか注意は払いますが、場合によっては遠慮なくネタバレすることをあらかじめお断りしておきます。
●12月1日(金)
『快楽の園』The Pleasure Garden (英ゲインズボロー/独エメルカ=GBA'25)*60/74min, B/W, Silent; 日本未公開(特集上映、テレビ放映、映像ソフト発売)
○製作=マイケル・バルコン、エーリッヒ・ポマー/原作(小説)=オリヴァー・サンディズ/脚色=エリオット・スタナード/撮影=バロン・ヴェンティミグリア
○あらすじ ロンドンのナイトクラブ「快楽の園」の踊り子パッツィ(ヴァージニア・ヴァリ)は、田舎から出てきた女友だちのジル(カルメリータ・ゲラフティ)を都会の誘惑から救って、同じクラブの仕事を紹介した。ジルは踊り子として売り出し、ヒューという青年(ジョン・スチュワート)と恋仲になり、婚約する。ヒューは事業のためにアフリカの植民地に旅立ち、ジルもすぐその後を追うことになっていた。一方パッツィはヒューの友人レヴィット(マイルズ・マンダー)と結婚し、イタリアのコモ湖に新婚旅行に出かけたが、すぐ後にレヴィットもヒューのいるアフリカに旅立った。ジルは男たちにとりまかれたロンドンの夜の華やかな生活を享楽し、ヒューの待っているアフリカへの出発を遅らせていた。パッツィは夫の後を追ってアフリカに渡ったが、夫のレヴィットは現地人の娘を愛人にしていた。パッツィは熱病に倒れたヒューを熱心に看病し、ヒューも心を動かされる。パッツィが夫と別れる決心をするとレヴィットは半狂乱になり、現地人の娘を自殺に見せかけて溺死させ、パッツィを殺そうと迫るが、植民地の医者に射殺される。パッツィは失意のヒューと結ばれ、二人でイギリスに戻って新しい生活を始める誓いを立てる。
アルフレッド・ヒッチコックは1920年にサイレント作品の字幕デザインの仕事から映画界に入り、1922年から助監督に登用されます。早くも同年には自主製作の初監督作品『Number Thirteen』を手掛けてますが同作は未完成に終わって残されていません。ヒッチコックの助監督時代の作品中フィルムが残っているのはグレアム・カッツ監督作品『The White Shadow』'23で2011年に全6巻中前半の3巻が発見されましたから、『快楽の園』で監督昇進後唯一フィルムが散佚している第2長編『山鷲』The Mountain Eagle ('26、現在スチール写真6枚のみ現存)も今後発見される可能性があります。しかしサイレント時代の1925年に監督デビューし、映画がトーキーへ移行する1929年までに10本の作品を撮って散佚作品が1作だけというのも大したもので、アメリカのハワード・ホークス(1896-1977)が1926年に監督デビューしトーキー時代までに7作のサイレント作品(うち最後のサイレント作品はパート・トーキー)を作りながら第1作は散佚、第3作も中盤が欠落し、現在でも評価されているのは第5作の『港々に女あり』'28だけで同作もインディー・レーベル盤でしかDVD化されておらず、他のサイレント時代の作品はまったく顧みられないのとは対照的にサイレント時代の作品も重視されているのがヒッチコックです。これはイギリス映画界では文化遺産と見なされているのもあって2010年にはイギリス映画協会によってサイレント時代の9作(サイレント版・トーキー版の2通りが作られた『恐喝(ゆすり)』'29のサイレント版も含む)の修復が着手されて2012年から順次公開され、日本でも特集上映「Hitchcock 9」としてこの2017年3月に東京劇場で公開されたほどです。『恐喝(ゆすり)』はトーキー版しかDVD化されていませんが、輸入盤ならサイレント時代の8作すべてが廉価版で発売されており、『快楽の園』以外は日本盤でも修復以前のプリントをマスターにしたDVDがロングセラーになっているほどで、ヒッチコックの世界的に高い人気を物語っています。当時のアメリカ映画の水準を思えばホークスの未DVD化サイレント作品も面白い映画に違いなく、『港々に女あり』は傑作と言っていい作品ですが、現在ではサイレント時代の映画状況はヨーロッパ映画、またはソヴィエト映画がリードしていたとする見方が多く、ホークス作品ですらアメリカ映画ゆえに軽く見られている節があります。サイレントのアメリカ映画で例外的に長い生命を保っているのは喜劇映画のジャンルでしょう。
しかし実際はヨーロッパやソヴィエトの映画はアメリカ映画の影響から作られていたのでサイレント時代にあってもアメリカ映画の水準がもっとも高く(そのためアメリカのサイレント映画の75パーセントは散佚してしまいました)、ヒッチコックのサイレント時代の作品も例に洩れず、もしアメリカの映画だったら、またヒッチコックのその後がなかったら『下宿人』以外は水準作として忘れ去られていたかもしれないものです。サイレント時代のヒッチコック監督作のほとんどはイギリス国内ではヒット作になったものの日本公開された作品は1作もない(キネマ旬報の近着映画紹介には記録されているので、日本の配給会社で試写はされたが公開は見送られた)のもイギリスのローカル色が強く、同時代のアメリカ映画ほど明快に面白くもなければヨーロッパ映画ほどの斬新な芸術性に欠ける、と判断されたからでしょう。このヒッチコック26歳の監督デビュー作『快楽の園』は輸入盤DVDでは60分ヴァージョンと74分ヴァージョンがありますので、今回は60分ヴァージョンを観て、ヒッチコック作品連続視聴の折り返し地点あたりで74分ヴァージョン(これが完全版になるようです)を観た後に改めて感想文をしたためたいと思います。当時のキネマ旬報の紹介が面白いので(大正14年です!)今回はそれをご紹介して感想に代えることにします。ヒッチコックの名前がキネマ旬報に初登場した助監督作品の1924年(大正13年!)の記事から翌年の『快楽の園』、そして現在は散佚作品になっていて世界中の誰も観ることができない『山鷲』の紹介記事です。古色蒼然とした文体の大仰さはいたしかたないことですが、それも含めて90年前の映画記事と思うと、昔のキネマ旬報は実に貴重な記録を残してくれたものです。
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(大正13年・キネマ旬報近着映画紹介より)
『街の恋人形』The Passionate Adventure
[ 基本情報 ]
ジャンル ドラマ
製作国 イギリス
製作年 1924
公開年月日 未公開
上映時間 ----分
製作会社 リーブラドフォード
[ スタッフ ]
監督 グラハム・カッツ
脚色 アルフレッド・ヒッチコック
原作 フランク・ストレイトン
美術 アルフレッド・ヒッチコック
助監督 アルフレッド・ヒッチコック
[ 解説 ] ----
[ あらすじ ] 妻の愛を得られない富豪アドリアンは戦地で知った戦友の話により、女の愛を漁りにイースト・サイドの貧民窟に行く。そこで彼は可憐なる闇の花ウィッキーに逢い、彼女の愛に浸る。それからウィッキーを狙う前科者ハリスとアドリアンとの格闘、ウィッキーの射撃によるハリスの死、探偵の活躍等波瀾重畳。が、この事件により妻は醒め、アドリアンは妻の愛を得て幸福な身上と成る。一方、ハリスは蘇生したのでウィッキーの罪は消えた。
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(大正14年・キネマ旬報近着映画紹介より)
『快楽の園』The Pleasure Garden
[ 基本情報 ]
ジャンル ドラマ
製作国 ドイツ
製作年 1925
公開年月日 未公開
上映時間 ----分
製作会社 エメルカ
配給 エメルカ映画社
[ スタッフ ]
監督 アルフレッド・ヒッチコック
脚色 エリオット・スタナード
原作 オリヴァー・サンデイス
撮影 Ventimiglia
[ 解説 ] オリヴァー・サンデイス氏作の小説に基づきエリオット・スタナード氏が脚色しアルフレッド・ヒッチコック氏が監督したもので、主役は「細君御注意」「包囲の中に」等出演のヴァージニア・ヴァリ嬢が演じ、相手役は新進のイギリス俳優ジョン・スチュアート氏である。カーメリタ・ジェラティ嬢、マイルス・マンダー氏が共演し、フェルディナンド・マルティニ氏が助演している。無声。
[ あらすじ ] 劇場「快楽園」の踊娘パッシーは或日踊娘志願の田舎娘ジルを救って自分の下宿に伴って来た。翌日機敏なジルは首尾よく雇われることが出来た。ジルにはヒュウという婚約者があったが彼はアフリカに出稼ぎに行って結婚費を得ようと出発した。彼の友人レヴェットはパッシーを恋して結婚しイタリアへ新婚旅行に出掛けた。ジルは次第に放縦に流れバッシーの意見を耳に入れずイヴァン公爵という遊蕩児をパトロンとすると共に支配人のハミルトンを抱込んで劇場の首尾をよくしたレヴェットもヒュウの後を追ってアフリカに赴き妻のことは忘れて恋を漁った。ヒュウはジルを想っていたがジルが公爵の愛妾となってしまったことを聞いて悲嘆せずにはいられなかった。夫が蛮地に病んだとの報に接したパッシーはジルに借金を申出たが拒まれ下宿屋の主人の情けで辛くも出発した。そうして彼女は夫が原住民の娘を抱いているのを見て驚いた。折柄熱病に悩んでいたヒュウを彼女は看護した。レヴェットは乱酔して原住民の娘を殺し更にパッシーを殺そうとして却って人々に射殺された。パッシーの介抱に本復したヒュウは始めて真の愛に目醒めパッシーを伴ってロンドンに帰った。公爵に棄てられたジルの末路は哀れだったとやら。
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(大正15年・キネマ旬報近着映画紹介より)
『山鷲』The Mountain Eagle/Der Bergadler
[ 基本情報 ]
ジャンル ドラマ
製作国 ドイツ
製作年 1925
公開年月日 未公開
上映時間 57分
製作会社 エメルカ
配給 エメルカ映画社
[ スタッフ ]
監督 アルフレッド・ヒッチコック
脚本 チャールス・ラプウォース
撮影 バロン・ヴェンティミリア
[ 解説 ] チャールス・ラプウォース氏が書卸した台本により「快楽の園」と同じくアルフレッド・ヒッチコック氏が監督したもので、主役はマルコム・キーン氏、「毒蛇」「俄か海賊」等出演のニタ・ナルディ嬢、「第五階級」「ジーグフリード」等出演のベルンハルト・ゲツケ氏で、ウィリアム・ジョン・ハミルトン氏が助演している。無声。
[ あらすじ ] アルプス山間の一寒村に村人から「山鷲」と綽名されている青年がいた。彼の名はゴトフリードと言い正義を愛する豪快な気性を持ち村里から離れた山腹の侘びしい小屋に住んでいた。「山鷲」の存在を目の上の瘤として快く思わなかったのは村長のペーテルマンであった。彼は村一番の長者であり権勢家であったが生来貪欲な彼は不正な事も敢えて行ったことがあるからである。しかしペーテルマンも子の愛は持っていた。彼の息子のアマンヅスを立派な男とするため女教師ベアトリス・レーメルの許に遣した。彼はベアトリスが美人の評判が高いので息子ともしや間違いでもあってはと自ら彼女を訪れた。彼はベアトリスの美に心を奪われ無理に抱擁しようとした。所を息子が見て父には一言の別辞も述べず旅に行ってしまった。ペーテルマンは息子の誘惑者として彼女の事を村人に中傷した。村人達が彼女を追放しようとした時ゴトフリードは彼女を救って山の小屋に伴い帰った。二人はやがて許し合う仲となった。女を奪われ息子を失ったペーテルマンは村人を扇動して山鷲を獄に投じた。しかもその時ベアトリスは既に母となっていた。山鷲は子を見たさに破獄したが村人はそれを知り逃亡者を捕らえようとして、帰って来たアマンヅスを誤って狙撃した。しかし弾丸はそれて村長ペーテルマンに命中した。倒れた村長は病児を抱いて医師の許に走る山鷲夫婦の姿を見て、其の児、健康を祝福しつつ死んだ。
●12月2日(土)
『下宿人』The Lodger: A Story of the London Fog (英ゲインズボロー'26)*90min, B/W, Silent; 日本未公開(特集上映、テレビ放映、映像ソフト発売)
○製作=マイケル・バルコン/原作(小説)=マリー・ベロック=ローンズ/脚色=アルフレッド・ヒッチコック、エリオット・スタナード/撮影=バロン・ヴェンティミグリア/美術=C・ウィルフレッド・アーノルド、バートラム・エヴァンズ/編集=アイヴァ・モンタギュー/助監督=アルマ・レヴィル
○あらすじ ロンドンの街はブロンドの若い女性ばかりを惨殺する連続殺人事件で騒然としていた。事件は必ず火曜日の晩に起こり、遺体には必ず「復讐者」と記した三角の紙が添えてあった。目撃証言は背の高い黒いコートと黒い鞄の、目から下を黒い布で覆った男としかわからない。そんな折、ブロンドの娘デイジー(ジューン)の両親バンティング夫妻(マリー・オールト、アーサー・チェスニー)の経営する下宿屋でデイジーの恋人の刑事ジョー(マルコム・キーン)が訪ねて事件の話題をする最中、黒いコートと黒い鞄、顔の下半分を黒い布で覆った男(アイヴァ・ノヴェロ)が現れて貸間を申し出る。男は部屋に案内されるやデイジーの肖像画に蒼ざめて絵の取り外しを頼む。翌日も男は外出するでもなく沈んだ様子でデイジーのブロンドの髪を見つめる。刑事ジョーは事件の担当になったと報告しに来る。バンティング夫妻は下宿人への疑惑を深める。次の火曜日の夜に下宿人が静かに外出し秘かに帰宅するのにバンティング夫人は気づくが、その夜もまた殺人事件が起こっていた。下宿人はデイジーと親しくなり、デイジーがモデルを勤めたファッション・ショーの服をプレゼントするが、バンティング夫妻とジョーはますます疑惑を深める。デイジーは下宿人と打ちとけ、次の火曜の晩に下宿人と散歩に出かけてしまう。ジョーは逮捕令状を取り、帰宅したデイジーの抗議を押しのけて下宿人に手錠をかけて部屋を強制捜査する。鍵のかかった戸棚からピストルや犯行現場に印をつけたロンドン地図、さらに最初の被害者の写真が発見される。下宿人はそれは自分の妹だ、と打ち明けるが刑事たちは聞き入れない。下宿人は隙を突いて手錠のまま逃亡する。犯人逃亡中のニュースが街に広がる。デイジーは隠れている下宿人を見つけ、妹が殺されたのを始めに事件の場所が徐々に移動してこの下宿屋に向かっている、事件を防いで犯人を暴くために越してきたのだと打ち明ける。二人は寒さをしのいでパブに入り身体を暖めるため下宿人にブランデーを飲ませるが、コートの下に両手を隠しているのが怪しまれ手錠がばれて、デイジーと下宿人は逃げ出すが犯人をリンチにしようと街中から人々が押し寄せる。ついに下宿人は柵を越えようとして手錠で宙吊りになり、八つ裂きにしようとする群集に囲まれる。その頃警察署に戻ったジョーに真犯人の現行犯逮捕の知らせが届く。警官が急いで暴動場所に向かい、すんでのところで下宿人の無実が群集に知らされる。無実を証明された下宿人は柵から下ろされて手錠を外され、デイジーと抱きあう。
ヒッチコック初の完全なイギリス映画(前2作はイギリス・ドイツ合作)でありイギリス映画初のサスペンス映画と名高い本作はヒッチコック自身が「最初のヒッチコック映画」と認める作品で、'32年にもモーリス・エルヴィー監督、本作と同じアイヴァ・ノヴェロ主演でリメイクされた(イギリス、日本未公開)のをはじめ'44年にはジョン・ブラーム監督、レアード・クレガー主演(アメリカ、日本公開題『謎の下宿人』)、'55年には『The Man in the Attic』としてヒューゴー・フレゴニーズ監督、ジャック・パランス主演(アメリカ、日本未公開)、さらに2009年にもデヴィッド・オンダーチェ監督、アルフレッド・モリナ主演(アメリカ、日本未公開・DVD発売)としてリメイクされています。実は原作小説とは「切り裂きジャック」を思わせる犯人が変えてあり、さらにヒッチコックは主人公の正体を謎のままに終わらせたかったそうで(『映画術』)、スター俳優を主演にしたのでそれができなかった、と語っています。つまりリメイク作品といえどもヒッチコックの本作とは展開も犯人も結末も変えてある可能性があるので、設定自体に相当な自由度がある原作を選んだのがのびのびとしてしかも凝った演出を可能にしたとも言えるでしょう。ドイツ表現主義映画、というよりずばりフリッツ・ラングの影響は極端な照明の陰影や超クローズアップと超ロングショットの混交、タイプライターや新聞記事、ニュースの電光板や街のネオンサインの目まぐるしいモンタージュのリレーに如実に表れています。『ドクトル・マブゼ』'22の犯罪都市ベルリンのロンドン版翻案ですが、サイレント時代の『スピオーネ』'28ではまだギャング的な組織犯罪者の首領を描いていたラングがトーキー第1作『M』'31で描くことになる大都会の中の孤独な連続猟奇犯罪者をフォロワーのヒッチコック(年齢も9歳年少)の方が早く着想したのは優れた時代感覚を示していて、ラングのサイレント時代の犯罪映画は'10年代のフランスの犯罪映画シリーズ『ジゴマ』'11やルイ・フイヤードの『ファントマ』'13/'14、『ヴァンピール』'15/'16、『ジュディックス』'16/'17の系列にあるものでした。
本作が純粋なサイレント時代のヒッチコック作品8作(散佚作品『山鷲』除く。ただしヒッチコックによれば「女優(ニタ・ナルディ!)が最低(笑)で映画も最低」だそうです)でも傑出しているのは間違いなく、あまりに大胆な出来に「試写では悪評、公開されると大ヒット」だったのも1926年の観客にはさぞかし衝撃的な映画だったろうと頷けるものですが、サイレント期だけでなく1939年まで続くイギリス時代のヒッチコックが国際的な評価を獲なかったのは、ハリウッド渡米以降には明快になるブラック・ユーモア感覚がイギリス時代にはわかりにくかったのでしょう。本作は真相がわかってしまえばそれまでの謎めいたあれこれもすべて納得できるようになっています。非常に頭の良いシナリオなのですが、結末は一気にすっ飛ばしてあっけない解決が訪れ、本来の謎の方はどうでもよくなってしまう。これはヒッチコック生涯のお得意の手で、本作はあまりに陰惨な事件が表向きの主題になっているため軽々しくは言えませんが、ヒッチコックの映画では事件そのものの真相はサスペンスを生みだすためのきっかけにすぎず、後年ヒッチコックはそれを「マクガフィン」と呼ぶようになります。そして相対的に「マクガフィン」の比重を軽くしていくことで観客に肩すかしの感を抱かせないようになったのがハリウッド進出後のヒッチコックの巧さなのですが、イギリス時代のヒッチコック映画は良くも悪くも肩すかしを食らわせるような作りをしており、それを洒落っ気やブラック・ユーモアとして楽しめればいいですがそうでなければ一杯食わされたような気になる。ハリウッドの監督になってからのヒッチコック映画で慣れるとイギリス時代のヒッチコック映画にさかのぼってもその感覚が身についているので楽しめるので、大半の観客はそういう後追い組になるわけです。日本でも戦前に公開されたヒッチコック作品はイギリス時代の『暗殺者の家』'34、『三十九夜』'35、『間諜最後の日』'36だけで一部の批評家(双葉十三郎、植草甚一といった人たちです)以外には評価されず、ハリウッド進出第1作『レベッカ』'40からの数作は製作・本国公開が第二次世界大戦に重なって、日本では戦後公開になりました。
この『下宿人』が突出しているのは観客の興味をひたすら主人公に集中させるその手口で、すべての場面が主人公に対する疑惑を高めるために演出されている徹底度はヒッチコックの他のサイレント作品にはない(またはこれほど上手くいっていない、もしくは妥協がある)ものです。冒頭で悲鳴を上げる被害者のブロンド娘のクローズアップがガラスに髪を広げて逆光で撮影したものなのは有名ですし、下宿屋一家の居間の天井の電灯が揺れる、2階の部屋の下宿人が部屋をぐるぐる歩いている様子をガラス張りの天井で歩かせて下から撮影し下宿人の足が透けて見える。これは「サイレントだったからね。トーキーだったら足音と揺れる電灯くらいで済ませたよ」(『映画術』)とヒッチコックは言っていますが、結果的にヒッチコックの話法を決定することになる(この場合は下宿屋夫婦の)主観ショットと客観ショットの交錯の効果が生まれたわけです。下宿屋の娘デイジーと下宿人が楽しげに暖炉の前でチェスをする、下宿人はデイジーのブロンドの髪にしばしば目を向ける、火掻き棒を静かに手に取る。カットはアップから引いて普通に談笑しながら暖炉の火を掻く下宿人とデイジーの2ショットに移る。これだけでも疑惑の目を向ける下宿屋のおかみの主観ショットから客観ショットへの急転換が含まれます。下宿人を疑う下宿屋夫婦と下宿人に嫉妬する刑事のジョーの主観ショットと客観ショットが入り混じる中で、下宿人に疑惑を持たないデイジーからの主観ショットだけは決して描かれないのがいっそう観客の不安を掻き立てる仕組みになっています。
ヒッチコックのこの手法はトリュフォーの指摘では(山田宏一『ヒッチコック映画読本』収録のインタビュー「ヒッチコックの映画術」より)D・W・グリフィスが体系化しジョン・フォード、ハワード・ホークスらが完成させた「同軸線上の(カット)つなぎ」、簡略に言えば遠近法の統一とは異なり、自在に主観ショットと客観ショットを往復し観客の遠近感をあやつる「斜めの演出」として先立つ例にF・W・ムルナウの傑作『最後の人』'24を上げ、またオーソン・ウェルズの1カット内で被写体人物が縦横に移動する手法と並べていますが、古典的なハリウッド映画の時代が終わってからはむしろヒッチコックやウェルズのかつては破格だった演出法の方がサスペンス映画のみならず一般の映画全体の基本文法になっているともいえます。主人公が冷蔵庫を開ける→冷蔵庫内から映した主人公の顔のアップ、とか主人公がショートケーキを手に取る→ショートケーキが開けた口の中に入ってくるのを喉の奥から映したショット、というのが気を利かせたつもりのアニメ(ちなみにこれは『三月のライオン』という将棋アニメで見かけた例です)まで浸透している。ヒッチコックは推理映画・探偵映画に見せかけてサスペンス映画を作っていたので手法と効果に緊密な関係がありましたが(つまり観客を本質的ではない謎に誘導するための技法という動機から生み出した手法でしたが)、ヒッチコックやウェルズの手法は今では単調な内容にめりはりをつけるための装飾に使われている始末ですから、逆にフォードやホークスの一貫性のある(ヒッチコックは『映画術』でこの「一貫性」という評価基準を一笑に伏しています)強い映像文体の方が新鮮に見えるという現象も起きています。また『下宿人』の相対的評価の低下すら起きているのが昨今の事情で、発明者のヒッチコックの方が洗練されていない原始的な作品と見られる転倒すら映画評サイトの感想文には散見されます。そういう評者はウェルズはもとよりグリフィスやシュトロハイム、ラングやエイゼンシュテインにも親しんでいないので、映画に驚くことができなくなっている。後年のヒッチコックの数々の傑作を観ていれば『快楽の園』にさえあり、そして何より『下宿人』から流れ出した発想が豊かに実っていったのがわかり、一見習作時代のようなサイレント時代のヒッチコック作品が平均的な出来であっても旺盛で多彩な表現意欲の発露に満ちているのに気づかされます。カットのつながりや登場人物の心理の辻褄合わせなど乱暴でもいいじゃないか、という豪快な割り切りがサイレント時代にキャリアを始めた映画監督の共通した美徳で、映画の若さとはそうした無謀さと切り離せません。『下宿人』の輝きはまさにその、当時26、7歳のヒッチコックの若さから来るものです。