イギリス人映画監督ヒッチコックのデビュー作以来のイギリス時代の作品も今回でひとまず最後になります。ひとまずというのは、ハリウッド進出後(1939年3月~)のヒッチコックもまだアメリカの市民権を持っていなかったので(1955年取得)第二次世界大戦末期の'44年にイギリス情報省の依頼で2本の戦争プロパガンダ映画の短編(「闇の逃避行」「マダガスカルの冒険」)を撮っているからですが、商業映画の長編としては今回の『バルカン超特急』と『巌窟の野獣』までの22作が現在観られる母国イギリス時代のヒッチコックの全作品になります。厳密に言えば初のトーキー作品『恐喝(ゆすり)』'29のサイレント・ヴァージョン(未映像ソフト化)、4人の監督の分担合作によるオムニバス・レビュー映画でヒッチコックは2シーンしか撮っていない『エルストリー・コーリング』'30、『殺人!』'30をドイツ人俳優で撮り直したドイツ版『メアリー』'31(未映像ソフト化)、プロデュース作品『チェンバー卿の貴婦人たち』'32(未映像ソフト化)もあり、またフィルムが残っていない幻の第2作『山鷲』'26は観ようにも観られず、助監督時代の作品の『The White Shadow』'23(グレアム・カッツ監督作品)が2011年に発見されてYouTubeで観ることができますが、きりがないので普通イギリス時代のヒッチコックの監督作品というと(散佚作品『山鷲』を除いて)これを指す22作を今回までで観てきたことになります。ハリウッド進出後のヒッチコック作品は渡米第1作『レベッカ』'40から遺作『ファミリー・プロット』'76までに30作あり、登山で言えばまだ4合目を過ぎたばかりですが年内の感想文はここまでです。年をまたいで、新年は4日からヒッチコック映画感想文の続きを再開する予定です。12月31日~1月3日はブログは一応お休み、気が向いたら不規則投稿になりますので、ヒッチコックのイギリス時代作品の締めくくりと年忘れがちょうど切りよく重なりました。では皆さま、良いお年をお迎えください。なお、今回も『ヒッチコック/トリュフォー 映画術』(晶文社刊、山田宏一・蓮實重彦訳)からの発言は例によって多少表現を変えて引用させていただきました。
●12月21日(木)
『バルカン超特急』The Lady Vanishes (英ゲインズボロー・ピクチャーズ'38)*97min, B/W; 日本公開昭和51年(1976年)12月21日、平成8年(1996年)4月
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) 列車内で貴婦人が消えた。そして謎の事件に巻きこまれるヒロインを描いたゲインズボロー・ピクチャーズのサスペンス作品。製作はエドワード・ブラック、監督は「ファミリー・プロット」のアルフレッド・ヒッチコック、原作小説はエセル・リナ・ホワイト、脚色はシドニー・ギリアットとフランク・ローンダー、撮影はジャック・コックス、音楽はルイス・レヴィが各々担当。出演はマーガレット・ロックウッド、マイケル・レッドグレイブ、ポール・ルーカス、メイ・ウィッティ、ノーントン・ウェイン、ベイジル・ラドフォードなど。
○あらすじ(同上) バルカンの避暑地の架空国バンドリカからロンドンへ帰る列車に乗ったアイリス(マーガレット・ロックウッド)は、豪雪で立往生した列車から他の客と共にホテルへ避難した。客の顔ぶれはクリケット狂のカルディコット(ノーントン・ウェイン)にチャータース(ベイジル・ラドフォード)、弁護士トッドハンター(セシル・パーカー)とその夫人と名乗る人妻(リンデン・トラヴァース)、貴婦人フロイ(メイ・ウィッティ)等。アイリスがホテルで寝ようとすると客の一人の民族音楽研究家ギルバート(マイケル・レッドグレーヴ)が大騒ぎを始め、二人はいがみ合う。と、聞えてくるギターの調べ。その歌声はミス・フロイの部屋の窓の下でやんだ。ギター弾きの背後に忍ぶ大きな影。翌朝ダイヤは回復し、出発の準備をしているアイリスの頭に植木の箱が。軽い打撲傷ですんだものの、彼女の前を横切ったのはミス・フロイだった。列車で二人は偶然にも同室となる。一眠りしたアイリスが起きた時、ミス・フロイは消えていた。探し回るがみつからない。車掌や乗客達もとりあわず、ミス・フロイがいたといい張る彼女は、同乗の医師(ポール・ルーカス)に頭の怪我の後遺症と決めつけられる。ミス・フロイの消失は事故か失踪か……。やがて消えた婦人が現れたと知らされるが、それはクマー夫人(ジョセフィン・ウィルソン)と名乗る別人だった。アイリスは数々の妨害の中、追求を始めた。味方はギルバート唯一人。途中、列車が停止し、怪看護婦(キャサリン・レイシー)を伴い、全身包帯の病人が運びこまれる。その頃アリスとギルバートは、荷物列車の奇術師一座の道具からミス・フロイのメガネを発見。確かに彼女はいる。二人は病人のからくりを見破り、ようやくミス・フロイを救出した。事件の全貌は明らかになる。何んと、乗務員から医師、奇術師一座までがバンドリカのスパイ団であり、謎の暗号のメロディを知るミス・フロイも英国のスパイだったのだ。ロンドンへ走る列車は突然切り離され、逆方向へ暴走を始めた。バンドリカのスパイ達は、ミス・フロイの英国入国を必死ではばみ、車で追う。やがて匂配のゆるやかになった所に列軍は止り、包囲するスパイ達。激しい銃撃。ミス・フロイはギルバートに暗号を教え、一人列車より逃げるが、撃たれてしまった。その機をついたギルバートは列軍を走らせる事に成功し、二人はやがてロンドンに着く。謀報部へ急ぐ二人だが、困った事にギルバートは、ミス・フロイより教わった暗号を忘れてしまった。こうして謀報部に着いた二人は、そこで意外な光景を目撃したのだった。
イギリス時代のヒッチコック作品でも『三十九夜』'35とともに1、2を争う名作、傑作、とにかく絶賛を集める本作ですが、それには異論はないとした上で今回年代順にヒッチコック映画を観直してみたら、なるほどイギリス時代の集大成と言われるのも当然と納得する一方、あまりに良くできすぎていて『暗殺者の家』以来『三十九夜』『間諜最後の日』『サボタージュ』『第3逃亡者』と続けて観てくると何だか既視感が襲ってくるような感じがしました。原因はもちろんこういう呑気な見方をしてきた側にあって、とにかく毎日映画を観たいが(映像ソフトの自宅鑑賞ですが)、毎日となると品目を考えるのも面倒なので主に監督別に手持ちのディスクや映像サイトなどで鑑賞可能なものを年代順に観直す、というのが今年は多かったのです。フリッツ・ラング、ミケランジェロ・アントニオーニ、イングマール・ベルイマン、スタンリー・キューブリックのほぼ全作品を観ましたし、ルイ・デリュックの現存4作品、ジャン・エプスタンのサイレント作品ほぼ全作、フェデリコ・フェリーニはちょうど半数、ハワード・ホークスの7割ほど、ラオール・ウォルシュから22作品、去年と今年でD・W・グリフィスの長編の8割は観直しました。ラング(44作)とアントニオーニ(14作)、ベルイマン(42作、ドキュメンタリー2作)、キューブリック(13作)はこれまで観ていなかった作品も観て全長編を踏破したので、好きにはなれないが感心したキューブリック、何度観てもじーんと胸を打たれるアントニオーニ、全作品が面白く満足感があったラング、ムラがあってつまらない作品も多いが全作品観ると何となく肩を持ちたくなるベルイマンといった具合に温度差はありましたが年代順に観ると実感の沸く作風の変遷が感じられ、特にベルイマンやキューブリックなど苦手意識で半数も観ていなかった監督でしたので思い切って全部観るのも悪くないなと思いました。一昨年にはバスター・キートン、ロベール・ブレッソン、溝口と小津、黒澤明、ゴダールを'60年代作品のみ、大島渚をほぼ全部、ジャン・ルノワールの半分とライナー・W・ファスビンダーの1/3を観直して、これも年代順になるべく全部という見方をするとそれまでとは印象がかなり変わりました。今年最後のブログ作文なので回顧的に書いているのですが、それも理由があって、ヒッチコックは上記の監督たちと較べても強い個性で知られていますが年代順に観る面白さも確かにある一方、逆に理詰めで工夫を凝らしている面も目立って、作品ごとにこれを最新作という見方をしてみると1作ずつはほぼ毎回面白いのにこれまでがこうだったから今回はこれ、と何となく手口が読めてしまうような感じがするのです。それは上記の監督たちには感じなかったことでした。
つまり全然作品傾向の異なるラングやベルイマン、寡作なアントニオーニやキューブリックでさえも製作状況から来る偶然や即興性が感じられ、そこに作者の自発性が重なって作風に意外性が生じているのに対して、ヒッチコック作品は意外性に欠けているのではないが作者のコントロールが効きすぎていて、それが何となく作品を均質的にしてはいないか、と思えるのです。フランソワ・トリュフォーの享年は52歳、長編作品は21作ですがほぼ同数のイギリス時代のヒッチコック作品と較べてはるかに多彩に見える。ヒッチコックの場合はイギリス時代は26歳~40歳の作品なので、27歳~52歳におよぶトリュフォーの監督キャリアの半分の期間だから、とも言えます。ですが手がけた題材、ジャンルでは40歳までのヒッチコックはむしろ映画会社の企画を受けて当時のイギリス映画界に求められたジャンルなら何でもやったように見えるので、作家意識の強かったトリュフォーよりももっと作風が多種多様でもいいはずです。ところが実際はそうではないのは、手当たり次第に何でも担当させられる企画に一本筋を通す方法意識はとても強かった。そこでメロドラマを振られようがコメディを回されようが演出方針はかえって頑として自己の流儀を貫いていたように思えます。また監督デビュー当時からドイツ映画の映像表現とアメリカ映画の話術の折衷という技法への関心の方が題材やジャンル、人物やテーマよりも強い傾向にあった。アメリカ映画界でも当時は映画は学歴のある人材が就く職業ではなかったのですが、ハリウッドという隔離施設の中ではすさまじい生産・消費サイクルで人が働き人生経験が凝縮されるような面があったでしょう。イギリスの映画界はそれに較べれば享楽的な風潮は少なく、二十歳そこそこで映画界入りしたヒッチコックは当時のアメリカの映画監督からすれば人生経験も社会経験も浅いうちから監督起用されたも同然だったと考えられます。本人もそれを承知していたから、イギリス風の皮肉混じりの才気で映画は人生の反映ではなく観察の反映である、という意味の発言を好んでくり返しています。しかしこれは対象の中に入りこむのを拒否して観察だけから作り上げる態度でもあって、作品には必ずしも体験を伴う必要はなく創作家や演者には十分な想像力があればいいのですが、体験を想像するのと観察を想像するのでは当然ながら創作姿勢が大きく違ってきます。
ヒッチコックはよく「眼」の人と言われますし、観察の精度が高くそれを仔細に組み立てることでは並ぶ映画監督はなく、それだけで観客のエモーションを操ることのできる手腕を持つのは本作『バルカン超特急』1作だけ観ても圧倒的なほどです。映画は視覚情報と音声だけでこれほどのことができるのか、と驚嘆すべき域に達しています。テクニカラー、ワイドスクリーンになった'50年代中期からの傑作群よりも抽象度と純度では本作の方が高いのではないかと思わせるくらいです。それにハリウッド進出後のヒッチコックはメロドラマ的要素やコメディ演出もより広い観客層を意識するようになります。ヒッチコックが影響を受けたのが明らかなドイツ出身の先輩監督、フリッツ・ラングもヒッチコック作品のポピュラリティにはかないませんでした。ラングもまた「眼」の人ですが、しかしラングには60代になっても激烈な怒りや、人生の空虚への畏れの意識があり、映画の完成度を破って突き上げてくる感情の爆発と映画という巨大な浪費との格闘がありました。そうした師のラングが生涯抱えていたジレンマをきっぱり切り捨てたのがヒッチコックです。ラングは依頼されれば西部劇だろうと戦争映画だろうとファミリー映画だろうと何でも撮りました。ヒッチコックのように器用でもなければハリウッドのプロデューサー・システムには匙を投げていましたから不本意な企画、予算、脚本、俳優、スタッフでも渋々使い、編集権すら与えられなくても撮り上げ、恐竜産業同然の映画の滅亡を現役最長老監督になる前からにじませているような風格がありました。年末に観る『バルカン超特急』はそうしたことを考えさせられるような作品でもありました。たぶんそれは、観直した回数が多すぎたからかもしれませんし、先に書いたようにヒッチコックの初期作品の予習をたっぷりした直後なので、なるほど集大成だけれど本作から先立つ20作を引いたら技術の他に何が残るだろう、と初めて疑問が湧いたからでもあります。本作だけポロッと見ればこんなに楽しく奇想天外で観る人を振り回してくれる、完璧な映画はありません。
●12月22日(金)
『巌窟の野獣』Jamaica Inn (英メイフラワー・ピクチャーズ'39)*98min, B/W; 日本公開昭和27年(1952年)7月25日
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) チャールズ・ロートンのメイフラワー・ピクチャーズ作品で、「レベッカ」の原作者でもあるダフネ・デュ・モーリアの原作からアルフレッド・ヒッチコックが渡米直前に製作したスリラー。製作はエーリッヒ・ポマーとチャールズ・ロートン。脚色は、「青の恐怖」「夜霧の都」のシドニー・ギリアットと「レベッカ」「断崖」のジョーン・ハリソンに、台詞をJ・B・プリーストリーが協力している。撮影は「世紀の女王」のハリー・ストラドリングと、後に監督に転向して「赤い百合」などを放っているバーナード・ノウルズが担当している。
○あらすじ(同上) 1819年、母を失い孤児になったメリイ(モーリン・オハラ)は、たった一人の身寄りの叔母ペェシェンス(マリー・ネイ)を頼って、彼女が経営するホテルへと行くことにした。馬車に乗って行ったが、馬車はそのホテルの前では止まらず、随分過ぎた山の中で止まった。メリイは近くに一軒だけある豪邸の門を叩いた。そこに住む立派な紳士ペンガラン(チャールズ・ロートン)に助けられ、叔母のホテルまで送ってもらった。すると、ホテル「ジャマイカ・イン」は悪党の巣窟となっており、驚くほど荒れていて叔母の夫だというジョス(レスリー・バンクス)がガラの悪い仲間とともに酒宴を開いていた。叔母もすっかり疲れ切った様子で老け込んでいた。メリイが恐る恐る酒宴を覗くと、ジョスとその仲間たちはこのところ巷を賑わせている難破船を襲う海賊だということが解った。よく見るとジェムと呼ばれる若者(ロバート・ニュートン)が裏切ったとして、縛られ吊るし上げられているところだった。メリイは隙を見てジェムを助け、一緒にホテルから逃げ出した。ジェムは難破船海賊の内情を調べるため、政府から派遣された刑事だった。二人はペンガランに助けを求めようと豪邸に行くと、実はペンガランは海賊たちの総頭目だということが解った。一度は二人とも捕まるが、何とかジェムは逃げ延びて急いで軍隊を引き連れ、メリイを助けに来た。そして、追い詰められて、どうにもならなくなったペンガランは、高らかに狂気の笑いを浮かべ、自ら死を選んだ。
これが戦後比較的早い時期に日本公開されていて『第3逃亡者』や『バルカン超特急』、ハリウッド進出直後の『海外特派員』'40、『逃走迷路』'42などの名作傑作秀作佳作が'70年代後半の日本初公開になり、『サボタージュ』に至っては未公開なのは変な感じですが、これは反対に本作『巌窟の野獣』が昭和20年代に公開されなかったら日本未公開のままで映像ソフト普及まで幻の作品になっていた可能性もある、ということでもあります。ヒッチコックがサスペンス映画の巨匠の地位を日本で確立する前だったからこそ公開されたとも言えるので、本作はヒッチコックの時代劇作品では『ウィンナー・ワルツ』'33とともにイギリス時代2作きり、あちらがヨハン・シュトラウス父子の楽聖伝記ドラマなら本作はヒッチコック唯一の海賊映画であります。ヒッチコックと海賊映画(笑)。また本作は『暗殺者の家』の主人公だったレスリー・バンクスが野卑な海賊の親分、後年ディズニーの実写映画『宝島』'50やラオール・ウォルシュの『海賊黒ひげ』'53で豪放悪辣な海賊の親玉を演じたロバート・ニュートンが二枚目の刑事役で、しかもヒッチコックの映画で刑事や警官はたいがいうっかり八兵衛なのですが、本作に限って言えば(最初はヒロインに助けられますが)けっこう活躍するのです。『暗殺者の家』以来好調が続き、『第3逃亡者』をゴーモン・ブリティッシュ社との契約満了作品に完成後ハリウッドを訪問していたヒッチコックは次の『バルカン超特急』撮影中に『風と共に去りぬ』を大ヒットさせたセルズニック・プロダクションから契約成立の連絡を受け取ります。ハリウッドでの契約開始が'39年3月だったのでもう1作イギリスでフリーの単発契約で監督依頼を受けることにした。そこでサイレント時代からのドイツ映画界出身の大プロデューサー、エーリッヒ・ポマーと大御所俳優チャールズ・ロートンが立てた企画の本作の監督を引き受けることになった、という有給休暇消化休暇中にやったアルバイトのような仕事だったようです。ヒッチコックは原作小説もこの映画化作品も糞味噌に言っています。
タイトルにかぶってドーンと"Introducing Maureen O'Hara"と出てくるように、本作はロートンが発掘してきた新人女優モーリン・オハラの初主演作でもあります。ロートンは本作の後すぐにオハラを連れてハリウッドに渡り、ロートンとオハラ主演の『ノートルダムの傴僂男』'39(ウィリアム・ディターレ監督)を作り、本作と『ノートルダム~』はともにヒット作となってオハラがジョン・フォード映画のヒロインになるきっかけになりますからロートンの企画力もなかなかのものですし、本作ではコーンウォールの大地主にして地方判事を勤める貴族の一方で海賊団の黒幕という悪代官様のような主役、『ノートルダム~』ではせむし男で両作ともラスト・シーンがよく似ていて、ロートンが太った体でよく動く動く、スタントなしでアクションもこなしてみせて目が離せません。もちろん堂々と構えた場面でも指先ひとつ、目線ひとつですごい演技ですしポーズひとつが絵になる名優ですから面白いったらない。要するにロートンの映画になってしまったのがヒッチコックには気にくわないので、「あいつはど素人だ」とまで言っています。それまでのチャールズ・ベネットに代わって『バルカン超特急』の脚本を書いたシドニー・ギリアットをヒッチコックは高く買っていて、最初脚本もギリアットに書かせた。そうしたらロートンがJ・B・プリーストリーを連れてきてロートンの意向で改稿させた。プリーストリーはイギリス文壇の大物ですからヒッチコックも文句が言えない。だいたいロートンが共同プロデューサーも兼ねている。女流作家の小説が原作なのは『第3逃亡者』『バルカン超特急』から続いて連続3作で、この後ハリウッド第1作になる『レベッカ』'40もセルズニックの意向でダフネ・デュ・モーリアのベストセラー小説が原作ですから皮肉なものです(もっと後の『鳥』'63もデュ・モーリア原作、ただしアイディアのみを借りただけの、ほとんどオリジナル脚本ですが)。
ヒッチコック本人もトリュフォーも誰も褒めないどころか汚点のように見なす評者が大半ですが、これがディターレの監督作品だったら『ノートルダム~』と合わせて人気作でしょう。出来はハリウッドのインフラ力が勝った『ノートルダム~』にはかないませんが、見劣りするほどではありません。灯台の灯りを消して商船(情報は権力者のロートンが提供する)を座礁させ、一気に襲う海賊団の企てをオハラがどうやって食い止めるかも良くできていて、『三十九夜』から『バルカン超特急』までの傑作5作を撮ってきたバーナード・ノウルズとポマーが連れてきたハリー・ストラドリングの撮影も『サボタージュ』以来のドイツ映画的な暗闇撮影が電気照明もない19世紀初頭の雰囲気をよく出しています。『ノートルダム~』を監督したディターレもドイツ映画界出身ですから、同年生まれ、ドイツ映画趣味、丸顔と太った体型、シニカルなユーモアのセンスと抜群の力量でもロートンとヒッチコックは似た者同士で、それがかえって衝突の原因になり、押し切られたヒッチコックがあれは馬鹿馬鹿しい映画だ、ロートンの映画だと言うのも負け惜しみながらもっともの観があります。ロートンは後にロバート・ミッチャム主演の傑作スリラー『狩人の夜』'55を監督しますし、ロートン出演作に凡作なしとまではいかずとも、少なくともロートンの出演場面だけは光り輝く千両役者ですから、ロートンがスケベ親父(これもヒッチコックとの共通点)丸出しで新人女優に迫る、しかもその新人女優がモーリン・オハラとくればつまらないわけはありません。名作『バルカン超特急』にケチをつけた唇の乾かないうちに誰も褒めない本作を持ち上げるのも何だか後ろめたい気分ですが、ヒッチコック作品の傑作、しかもイギリス時代のとびきり純度の高いやつを続けて観てくると本作のような監督の意に添わない作品の方が楽しく観ていられるのです。