新年第4回でようやくヒッチコック作品感想文も昨年観た分、監督第30作目の『救命艇』とイギリス情報省依頼のフランス向け対独レジスタンスのプロパガンダ映画の短編2作にたどり着きました。『救命艇』はヒッチコックの純粋な戦争映画としては商業長編映画で唯一の作品、またプロパガンダ短編映画2作のうち「闇の逃避行」はレジスタンス映画のオムニバス・シリーズ中に採用され非商業上映されたましたが「マダガスカルの冒険」はプロパガンダの役を足さないとされてお蔵入りにされたという、家庭用映像ソフト開発からイギリス情報省の秘蔵フィルムがソフト化されるまでほとんど観る手段がなかったといういわく付き、幻の短編2作です(通常ヒッチコックの作品には数えられていません)。『救命艇』の次作『白い恐怖』の本国アメリカ公開は'45年12月28日ですので、ちょうどここまでがヒッチコックの戦前~戦中作品になるわけで、12月31日~1月4日はヒッチコック映画の連続視聴もお休みしました。1月からは『白い恐怖』に始まる(『白い恐怖』自体は戦時中の製作でしょうが)戦後のヒッチコック作品を観直していくことになります。ヒッチコックの監督作品は53作(うち監督第2作は散佚、よって第30作の『救命艇』は観ることのできるヒッチコック作品の29本目)ですからあと23作です。なお、今回も『ヒッチコック/トリュフォー 映画術』(晶文社刊、山田宏一・蓮實重彦訳)からの発言は例によって多少表現を変えて引用させていただきました。
●12月29日(金)
『救命艇』Lifeboat (米20世紀フォックス'43)*101min, B/W; 日本未公開テレビ放映、映像ソフト発売)/アカデミー賞監督賞ノミネート
○製作=ケネス・マッゴーワン/原案=ジョン・スタインベック/脚本=ジョー・スワーリング/撮影=グレン・マックウィリアムズ/美術=ジェームズ・バゼヴィ、モーリス・バンスフォード/音楽=ヒューゴー・フリードホーファー/編集=ドロシー・スペンサー
○あらすじ 第二次世界大戦中、一隻の商船がドイツの潜水艦とイギリス海軍の戦闘に巻きこまれ撃沈される。8人の生存者が小さな救命艇に乗りこむ。ファッション誌の女性記者コニー(タルーラ・バンクヘッド)、左翼的な技師コヴァック(ジョン・ホディアク)、若い従軍看護婦アリス(メアリー・アンダーソン)、無電技師スタンリー(ヒューム・クローニン)、右翼の老実業家リット(ヘンリー・ハル)、重傷の水兵ガス(ウィリアム・ベンディックス)、黒人水夫ジョー(カナダ・リー)、死んだ赤ん坊を抱いたイギリス人女性ヒギンズ夫人(ヘザー・エンジェル)、さらに商船爆破のあおりを受けてUボートも沈没し、生き残ったドイツ兵ウィリー(ウォルター・スレザック)が救命艇に泳ぎつく。ドイツ兵を救うか否かで意見は割れるが、ドイツ兵しか舵を漕げないため救命艇の一員に迎えられる。最初の晩にヒギンズ夫人は海に身を投げ、水と食糧不足のため餓えと渇きで数日のうちに皆が理性を失いつつある中、ドイツ兵だけが気力と体力を保ちながら漕ぎ続ける。実はドイツ兵はナチのヴェテラン海軍士官で、密かに栄養剤と水、コンパスを隠し持ち、救命艇をドイツの補給船に向けて漕いでいた。ドイツ兵の正体に気づいた重傷の水兵は夜中に錯乱してドイツ兵に海中に突き落とされ、星空の位置で目的のバミューダ海域方向と違うと無電技師が気づき、さらにドイツ兵が英語を話せる海軍士官で水兵殺害が露見し6人はドイツ兵をリンチして海中へ投げ捨てる。救命艇にドイツの補給船が近づくが、あやうく連合軍の船に救われる。
多少の作品(『スミス夫妻』や『逃走迷路』)を例外としつつもハリウッド進出第1作『レベッカ』からのヒッチコックには人間性への辛辣な不信感が渡米前の作品よりも現れているようで、『断崖』あたりから強まったそのニュアンス(あの作品のハッピーエンドは強いてつけ足したものとしても、実は何の解決にもなっていないのです)が『疑惑の影』ではキャプラの『毒薬と老嬢』'44より辛辣でチャップリンの『殺人狂時代』'47(オーソン・ウェルズ原案)をずばり先取りする犯人の設定に表れ、登場人物たった9人に限定された漂流する救命ボートという極限状態で展開する本作(カメラは魚釣りのシーンで海中の魚のショットが入る以外ボートの外に出ない)ではついに登場人物全員が悪意を爆発させるまでにいたり、戦時下の作品で戦争映画のヴァリエーションであることも加えてヒッチコックの人間不信も極まったかのような印象を受けます。トリュフォーも本作のテーマをそういう意味に解釈してヒッチコックに問いただしているのですが、ヒッチコックいわく全然そんなものではなくて、強い悪(本作の場合は一人のドイツ兵が体現するナチの脅威)に対して人々は団結しなくてはならない、というのがテーマだと。しかし全然そういう作品には見えないので、事実本作は公開当時あまりに非愛国的内容ではないと難じられ、特にドイツ兵が唯一意志と実行力に優れたキャラクターに描かれているのが批判の的になり「こんな映画の監督は国外追放せよ」とまで攻撃的な映画評もあったそうです。ヒッチコックは笑い飛ばしているのですが(ナチだろうが極限状態で職業軍人が強いのは当然だろう、と至極もっともです)、その批判には相当堪えたのではないでしょうか。ナチ海軍士官は軍人としての職務に忠実だったにすぎませんが(その点では模範的軍人ですらあります)、他のアメリカ民間人は協力しあうどころか憎みあい、罵りあい、最後には衝動的な集団リンチでドイツ兵を殺害します。戦中~戦後まで反ナチ(反日でもそうですが)戦争映画・スパイ映画ではナチのドイツ人や民間人も含む敵地の日本人を殺害するのはアメリカ映画では正義ですが(イタリアが直接的な敵国として描かれないのは理由があるのでしょう)本作のように錯乱した民間人によるドイツ兵殺しはアメリカ国民への侮辱と受け取られても仕方ないでしょう。公開当時の批判はそういう意味だったと思われます。
本作はジョン・スタインベック原案が謳い文句になっていますが本当に簡単な原案だけで、数人の脚本家の手を経て決定稿はヒッチコックが渡米直後から脚本の相談相手にしていたベン・ヘクトによるものだそうで、ヘクトはハワード・ホークスがジュールス・フォアマンとともに'30年代初頭からもっとも頼りにした脚本家で、ヘクトもフォアマンも元をただせばジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督作品で名を上げた脚本家ですから、スタンバーグの凋落が早かったのがホークスやヒッチコックに有利に働いたのか、ホークスやヒッチコックに持っていかれたのがスタンバーグを凋落させたのかどちらとも言えないところです。ドイツ系アメリカ人のスタンバーグはアメリカで生まれ育っているのに同年代のアメリカ人監督とはちょっと違った感覚があり、サイレント時代にすでに異彩を放っていましたがトーキー初期にはいち早くトーキーの特質を生かした作品を成功させて、先輩監督のフリッツ・ラングにも同年代のホークスやヒッチコックにも影響を与えた鬼才でした。それはさておきヒッチコックの映画的実験はこれまでもたびたびありましたが、作品全体におよぶ極端な実験では本作は屈指のもので、全編ワンシーン・ワンカット構成の『ロープ』'48を予告するようなものです。ポスターをご覧になるとおわかりいただけるでしょうか、「救命艇」というと小型船くらいのイメージですが原題『Lifeboat』の通り、手漕ぎで進むくらいですからせいぜいボートとしてはやや大型くらいです。早々自殺してしまうイギリス人夫人以外のアメリカ人7人とドイツ兵1人でなんとか定員というほどで、8人が甲板で寝るのがやっと程度の広さでしょうか。これを単調にも狭苦しくも感じさせず、説明的にならずアクションを通して登場人物のキャラクターを伝え、位置関係の混乱もなくきっちりとカットを割って各人を追って描いていくのがどれほど周到な計算が必要か思えば気が遠くなります。舞台を一室に限るような映画は戦後に法廷もので割と普通に作られるようになりますが、漂流する救命ボートの上の集団劇の難易度は室内劇的な作劇よりも各段に高いでしょう。こういうちまちました根気と工夫の要る作業にわざわざ挑戦するのがヒッチコックの面白いところで、音楽すらタイトル・バックで流れるだけという徹底ぶりです。ラングやホークスはこんな映画作りはまずやらないと考えてもヒッチコックの癖の強さには感服させられます。
この作品で比較的好意的に描かれているのは電信技師役のヒューム・クローニンと看護婦役のメアリー・アンダーソン、黒人水夫ジョー役のカナダ・リーですが、本作の評価が高まった現在ではかえって黒人水夫のステロタイプなキャラクターが問題視されているようで、ステロタイプなりに重要な役割を果たす人物(登場人物が少ないので全員重要ですが)なのでこれを黒人全般へのステロタイプと観るのは気にしすぎだと感じられますが、人種混交社会の合衆国では歴史的な偏見としてナーヴァスにならざるを得ないのでしょう。クローニンは『疑惑の影』の田舎の推理小説マニアの青年役に続く起用で、後にヒッチコックのプロダクションのライターに転身するように作家的才能があり、このタイプは主人公にはなりませんがヒッチコックの好きなキャラクターなのでしょう。本作でも寝つけずに看護婦アリスと夜空を見ながら話をしている最中に、星座の位置からドイツ兵が救命ボートをバミューダ海域と逆に漕いでいるのに気づくのはこの電信技師です。映画としては主人公はジョン・ホディアク演じる商船技師コヴァックとファッション誌のスター記者を演じるタルラ・バンクヘッドのヒロインで、主人公らしく男らしく粗野で頼りになるようであまり頼りになっていないホディアクと、高慢で見栄張りで欲深く不満たらたらでいて結構愛嬌があるバンクヘッドはいずれも好演で、本来の主人公とヒロインが受け身なばかりで何もしない映画はヒッチコックには珍しいかもしれません。それにハリウッド進出後のヒッチコックは着々としてサスペンス/スリラー映画の監督としての地位を固めるべく邁進してきましたが、題材の上では本作は犯罪スリラーでもサスペンス映画でもないわけです。これをヒッチコックの作品らしくしているのは極限状態を極端な手法で撮るという挑戦的な映画作りにあり、設定からしても集団ヒステリーに近いような登場人物たちが描かれるようになったのは当然でしょう。この内容で「団結が必要」とまでヒッチコックが反語的に訴えようとしていたとは思えず、戦時中の戦争翼賛的思潮を諷した意図まであるとは考えづらいですが、ヒッチコックの作家的勘と率直さが描いた『救命艇』の人間不信の世界にはリアリティがあり、それが本作を戦時作品の域を越えて時代を超越した作品にしています。サイレント初期の『ダウンヒル(下り坂)』'27、また60年代の『鳥』'63のように特殊な位置にあるかもしれませんが(『ロープ』はまだしも犯罪サスペンスに分類できる内容です)これも大変な傑作です。ちなみに日本語吹き替えのテレビ放映版は全編に音楽をかぶせてあるそうで(観た記憶はありますが、元々音楽なしだと知らなかったので気づきませんでした)、外国映画のテレビ放映用日本語吹き替え版は音楽の差し替えはよくあるので、テレビ放映で観たきりの方もDVDで観直す価値はあります。
●12月30日(土)
「闇の逃避行」Bon Voyage (フェニックス・フィルムス'44)*26min, B/W; 日本未公開(映像ソフト発売)
「マダガスカルの冒険」Aventure Malgache (フェニックス・フィルムス'44)*30min, B/W; 日本未公開(映像ソフト発売)
○ 「闇の逃避行」 製作=イギリス情報省(MOI )/原案=アーサー・コールダー=マーシャル/脚本=J・O・C・コールトン、アンガス・マックヘイル/撮影=ギュンター・クランプフ/美術=チャールズ・ギルバート/出演=ジョン・ブライス、モリエール座
○あらすじ(国内版DVDジャケット解説より) ドイツ占領下の1943年のフランスから単身、生還したイギリス空軍デュガル軍曹(ジョン・ブライス)。ポーランド将校ゴドフリーの手引きでレジスタンスに助けられ、無事イギリスに戻ってきた顛末を、フランス情報局に報告するのだが、そこで明かされた真相は……。
○ 「マダガスカルの冒険」 製作=イギリス情報省(MOI )/原案=クラルース/台詞=クロード・ドーファン/撮影=ギュンター・クランプフ/美術=チャールズ・ギルバート/出演=モリエール座
○あらすじ(国内版DVDジャケット解説より) ロンドンで1944年、フランス軍の召集で慰安劇団「モリエール座」が組織された。俳優の一人クラルースは仲間の役作りの為に自らの体験を語る。それはレジスタンスの自分と、仇敵で傀儡政権派の警察署長ミシェルとの仏領マダガスカル島での抗争の思い出だった……。
日本版DVD(2000年発売)ではこの2編は1枚に収録されていますが現在廃盤で中古もプレミア価格になっています。海外盤DVDでもこの2作はカップリング収録されており、どちらもフランス語映画ですので英米盤では英語字幕がついているようです。イギリスのEureka社の「Masters of Cinema」シリーズでは『救命艇』の特典映像に収録されておりお徳用で、海外版DVDの方がデジタル・リマスターされた良好なニュー・プリントです(日本盤DVDはリマスターされておらず、かなり劣化した状態のままソフト化されています)。非商業作品の短編映画で、ヒッチコックがアメリカの国籍を取得するのは1952年ですから当時はアメリカで出稼ぎしているイギリス国民であり、ヨーロッパ戦線で戦っているイギリスからの風当たりはハリウッドで安住しているヒッチコックに対して非協力的だと批判的だった。そこでイギリス情報省からのフランス向け対独レジスタンス賛美のプロパガンダ短編映画の依頼を断りきれなかった、というのが裏事情にあり、ヒッチコックはイギリスに一時帰国してドイツによる占領からイギリスに亡命していたフランス人が政府命令で結成していた劇団、モリエール座の俳優たちの起用と協力で製作したのがフランスまたはフランス領マダガスカル島が舞台(撮影はイギリスの撮影所)のこの2編です。
ヒッチコックには後にテレビ・シリーズ「ヒッチコック劇場」'55~'64、「ヒッチコック・サスペンス」'62~'65で監修とMCを勤め、これら320話のうち18話と1時間のスペシャル・ドラマ2編、合わせて20編のテレビ用中短編があり、当時のテレビ番組は生中継でなければ16mmフィルム撮影だったのでこれらも映画作品と言うことができます。テレビ用短編の経験から生まれたのが「ヒッチコック劇場」のスタッフを起用して低予算製作された『サイコ』'60ですし、テレビ・シリーズはサスペンス/スリラー映画のスター監督ヒッチコックをお茶の間に浸透させる役目も果たしました。また優秀な短編小説作家を数多くデビューさせるきっかけにもなりました。イギリス時代のレヴュー映画『エルストリー・コーリング』'30以外にヒッチコックは他の監督とのオムニバス映画はないので、プロパガンダ短編2編は「ヒッチコック劇場」以前にヒッチコックが手がけて現存している貴重な短編映画になるわけです。また、プロパガンダ映画として製作されながら2編ともスパイ・サスペンス映画の趣向を凝らされ、30分ほどの短い尺数の中で複雑な話法を試みているのが注目されます。
結果的に(実際そういう扱いになった通り)対独レジスタンスを題材としながら全然レジスタンス賛美・発揚映画になっていないのが話法に凝った代償で、「闇の逃避行」は偽のポーランド将校(実はゲシュタポ)が主人公の逃亡の協力者のふりをしながらレジスタンスのコネクションを逆スパイしていた、というのが後半で明かされる二重構造の話法でなかなか面白いのですが、劇団員がマダガスカル島でのレジスタンス経験を語る、という手法の「マダガスカルの冒険」は時制や視点をシャッフルしすぎて一見して人物関係も事件の経過も何が何だかわからず、肝心なレジスタンス発揚映画としても失敗しているのは「闇の逃避行」と共通した欠点で、スパイ・サスペンスと見ればまだしも二段階構成の「闇の逃避行」はすっきりしていますが、「マダガスカルの冒険」のシャッフル構成はやりすぎです。結局観終えると(「マダガスカル~」の方はえっ、終わり?とほとんど落とし所がないまま終わってしまいますが)「闇の~」ではゲシュタポの正体を現した偽ポーランド将校にヒロインが主人公への電話の直後に射殺されるシーン、「マダガスカル~」ではヒロインがレジスタンス仲間を電話で密告するシーンという具合に断片的な印象ばかりが強く残り、比較的話の結構が整った「闇の~」にしてもモリエール座の俳優の実話だという「マダガスカル~」にしても長編になる題材を無理矢理短編に圧縮するために構成に工夫して裏目に出た観が強く、インディー映画やドキュメンタリーでは中短編映画は主流ですが長編劇映画が本職の商業映画の監督が短編を撮ると短編に長編の内容を盛りこんでしまって試作や習作に終わることが多い。ヒッチコックのプロパガンダ短編2編もそういう作品に見えます。幻の作品の実物を観る興味はありますが、参考作品と考えて過大な期待はせずに観る以上の期待はしない方がいいでしょう。レジスタンス運動プロパガンダ短編映画なのにスパイ・サスペンスにしてしまったヒッチコックも大した度胸で、それを確認できるのが唯一の収穫と言えるでしょうか。