新年最初の映画日記は昨年観た分の続きです。12月1日から本国公開順に観始めて2作ずつ感想文を書いて載せてきましたが、年末年始休みを挟んだ結果偶然に昨年までに載せた第11回でイギリス時代のヒッチコック作品がひとまずきりがつき、この第12回からはちょうどハリウッド進出後の作品に進むことになりました。感想文は年末年始に休んだとはいえ今回の『レベッカ』『海外特派員』も前回の『バルカン超特急』『巌窟の野獣』と続けて観てきましたが、感想はというと、25歳で天才演出家と名を馳せたオーソン・ウェルズがハリウッドに招かれ映画第1作『市民ケーン』'41を撮るために到着した時に「神は神童に巨大なプレゼントを与え賜うた」とウェルズ本人が宣ったという伝説を思い起こしました。ヒッチコックは40歳のハリウッド進出ですからイギリス時代に十分なキャリアがあったのはこれまで見てきた通りで、現代の映画監督なら一生分以上の作品をすでに持っていた監督ですからウェルズの場合とは事情はずいぶん違います。ウェルズがまったく新しい世代の革新的新人だったのに対し、ヒッチコックはにはすでに15年の実績がありました。しかし巨大な何かが突然出現したかのような観が『レベッカ』(また『海外特派員』)と『市民ケーン』には共通するのです。『レベッカ』『海外特派員』は『三十九夜』『バルカン超特急』の監督からそのまま生まれてきたのではない、もちろん順当な発展に見える部分もありますが突然変異的に巨大な才能が爆発的に開花した印象が強く、デビュー作から順に観直してきて初めてヒッチコックのハリウッド進出が意味した、ただごとではない気配に驚かされた次第です。このビッグバンのような趣きはイギリス時代に数作あった画期的作品にも感じられなかった圧倒的な飛躍感で、『レベッカ』『海外特派員』に較べるとイギリス時代の傑作群ですら「イギリス映画」の枠組みの中での達成にしか見えなくなるほどです。今回の感想は、実はほとんど以上に尽きますし、観た方が早い作品にトリヴィアルな鑑賞と指摘をしても仕方がないでしょう。それにまだ正月ボケで頭が働かないので(いつものことですが)、気楽に思いつくまま書いてみたいと思います。なお、今回も『ヒッチコック/トリュフォー 映画術』(晶文社刊、山田宏一・蓮實重彦訳)からの発言は例によって多少表現を変えて引用させていただきました。
●12月23日(土)
『レベッカ』Rebecca (米セルズニック・インターナショナル・ピクチャーズ=RKO'40)*131min, B/W; 日本公開昭和26年(1951年)4月24日、昭和57年(1982年)9月・アカデミー賞監督賞ノミネート、作品賞・撮影賞受賞
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より)「情炎の海」のダフネ・デュ・モーリアの同名の原作から、「我等の生涯の最良の年」のロバート・E・シャーウッドがジョーン・シンプソンと協同脚色、英国より渡米したアルフレッド・ヒッチコック(「汚名」)が第1回監督した1940年度アカデミイ賞受賞作品。製作は「風と共に去りぬ」につづくデイヴィド・O・セルズニック。撮影は「海賊バラクーダ」のジョージ・バーンズ、音楽は「大編隊」のフランツ・ワックスマンが担当する。「嵐ケ丘」のローレンス・オリヴィエ、「純愛の誓い」のジョーン・フォンテーン、「天国の怒り」のジョージ・サンダース以下、ジュディス・アンダーソン、ナイジェル・ブルースらが助演。
○あらすじ(同上) 英国コーンウォル海岸近くにマンダレイという荘園を持ったマキシム・デ・ウインター(ロウレンス・オリヴィエ(はモンテカルロで知り合った娘(ジョーン・フォンテーン)と結婚して帰邸した。彼は美しい先妻レベッカを失って、2度目の結婚であった。家政婦のダンヴァー夫人(ジュディス・アンダーソン)は、レベッカへの熱愛から、新夫人を成上りの闖入者扱にし、レベッカの居間は生前のままに保存していた。死後も尚レベッカが家を支配しているようだった。恒例の仮装舞踏会のとき、ダンヴァー夫人のすすめで、新夫人は廊下にかけられた美しい画像の婦人と同じ衣裳をつけたが、それがひどくマキシムを驚かし心を傷つけたようであった。画像の女性はレベッカだったのであった。新夫人は、夫の心をまだレベッカが支配しているように感じて絶望し、ダンヴァー夫人の誘導にのってレベッカのへの窓から身を投げようとし、折から打ち上げられた花火の音で救われた。花火は岸辺近くに難破船のあった知らせで、救難作業の結果、海底に沈んでいたレベッカのヨットと、船中のレベッカの死体が見つけられた。レベッカは嵐の夜ヨットを出して遭難し、死体はその後漂着し、マキシムが確認の上、家の墓地へ葬られていたので、彼女の死因について新しい審議が開かれ、レベッカは自殺をしたと判定された。レベッカの従兄で彼女と長い間情を通じていたジャック・ファヴェル(ジョージ・サンダース)は、暗にマキシムの犯行を主張した。マキシムは新しい妻にレベッカが淫蕩的な女性で彼を苦しめ、死の日、レベッカにののしられた彼が遂に彼女を追いつめた結果、レベッカが倒れて頭を打って死んだこと、それを彼はヨットに運んで沈めた事実を打ち明けた。一方、レベッカが死の当日訪ねた婦人科医師はレベッカが不治の癌に犯されていたことをつげ自殺の原因を証明した。レベッカは自殺を決意して、夫のマキシムに自分を殺させようとしたのであった。しかしレベッカの深いたくらみは、マキシム夫妻が知るのみであった。愈々レベッカから解放された二人がマンダレイへ帰り着いたとき、邸宅はダンヴァー夫人と共に焼けおちてしまっていた。
子供の頃にテレビ放映で観た映画の順序を思い出すのは難しいですが、ヒッチコック作品では『レベッカ』が初めてだったと思います。放映頻度も高かったので、現在中高年の年輩には同じような記憶をお持ちの方は多いのではないでしょうか。ヒッチコック本人が「あれは<ヒッチコック映画>とは言えないな」「アカデミー賞を受賞したのは(プロデューサーの)セルズニックだ、私じゃない」と言いながら「なぜか年月に耐えられた作品なんだよ。なぜだろう」と率直に語っていますが(『映画術』)、ヒッチコック自身が原作のベストセラー小説にイギリス時代、すでに目をつけていたのも事実のようです。映画化権が高くてイギリス時代には実現できなかったが、アメリカで『風と共に去りぬ』'38を大ヒットさせたプロデューサーのデイヴィッド・O・セルズニックが映画化権を買ってヒッチコックの渡米第1作監督作品に割り当てた。当初ヒッチコックの渡米第1作はタイタニック号沈没の映画化が予定されていたといいますから、そんな映画など想像もつきませんが、もしそちらが実現していたら後の映画史も変わっていたわけで『レベッカ』も大ヒットしアカデミー賞を受賞しただけでなく非常に影響力の大きい作品で、翌年の『市民ケーン』にさっそく影響が見られるほどです。カラー作品ではないとはいえたっぷり予算をかけ、2時間10分の上映時間も当時としては相当長く(サイレント時代の『農夫の妻』'28が舞台劇の映画化で最長版が130分ありますが、上映は80分~90分台の短縮版の方が多かったようです)、しかも2時間10分が濃密でまったくダレるところがなく一気に観せてしまう。イギリス時代で絶好調だった'30年代後半に'70分~'90分台でものした傑作群よりも全編に渡る揺るぎない緊張感では勝ると感じるくらいです。事件らしい事件が描かれているのかと言えばヒロインの結婚した男の前妻で、過去に謎の死を遂げたらしいレベッカという名の女の存在そのものが生前も死後も登場人物たちを呪縛にかけている様子が描かれているだけにすぎません。
主演俳優のローレンス・オリヴィエ、ヒロインのジョーン・フォンテーンを始めキャストのほとんどがイギリス人俳優で原作と舞台もイギリスに設定されていますからヒッチコック自身は本作を「ハリウッドで撮ったイギリス映画」としていますが、イギリス劇壇の重鎮オリヴィエは前年に『嵐が丘』'39(ウィリアム・ワイラー作品)のためにセルズニックからハリウッドに招かれており、オリヴィエは『レベッカ』では夫人のヴィヴィアン・リーが起用されるのを望んでいた。プロモーションを兼ねた公開オーディションでアン・バクスターとフォンテーンが残り(フォンテインの姉で『風と共に去りぬ』の準ヒロインだったオリヴィア・デ・ハヴィランドも最有力候補だったが、フォンテーンと姉妹仲が悪く辞退したそうです)、バクスターはまだ16歳で若すぎるだろうとフォンテーンに決まったそうですが、そういう経緯ですからオリヴィエはフォンテーンに冷たく当たり、他のキャストも右に習えで、ヒッチコックを始めスタッフもフォンテーンをいびり倒したという裏話があります。ヒッチコック作品には珍しく積極的でお転婆ではなく、始終おびえているようなフォンテーンの演技は、ヒッチコックの作品系列からすればゴシック・ロマン風の異色作『レベッカ』にばっちりはまっていますが、裏には主演ヒロインいじめという映画の内容を地でいく撮影模様だったとはよくある話とはいえ結構陰険で、そういうごたごたはイギリス時代の映画には感じなかった要素です。「話は『シンデレラ』そのもの、おとぎ話というより昔話」ともヒッチコックは発言しており、『シンデレラ』では義姉たちに当たるヒロインの苛め役をダンヴァース夫人役のジュディス・アンダーソンとしています。フォンテーン、オリヴィエの主演カップルに次いでもっとも印象的なのが故人レベッカの侍女で、今なおマンダレー邸の女主人はレベッカ以外には認めないこの不気味なダンヴァース夫人で、レベッカの従兄で愛人役の嫌な奴を演じるジョージ・サンダースも期待通りの怪演ですが観た人ほとんどの感想は「ダンヴァース夫人が怖かった」に尽きるのではないでしょうか。アンダーソンはルイス・マイルストンの『マーサ・リーヴスの異常な愛』'46(ロバート・ロッセン脚本のフィルム・ノワール)、ラオール・ウォルシュの『追跡』'47(異常心理西部劇)、ウィリアム・ディターレの『情炎の女サロメ』'53(リタ・ヘイワースの独立プロ製作、ヘイワース主演、チャールズ・ロートン共演の聖書ドラマ)などでも怖い母親役でしたが、時代も舞台もバラバラなのにどの映画のどの役でもダンヴァース夫人に見える、というくらい本作では強烈です。
しかし所詮は本作はヒット狙いの通俗メロドラマ、金を積まれたとはいえ本格推理作家のフィリップ・マクドナルドが原案を起こし、硬派の劇作家ロバート・E・シャーウッドが脚本を書き、さらにオリヴィエ、フォンテーン、アンダーソン、サンダースといったキャスティングはすべてワンマン・プロデューサーのセルズニックの仕切りと言っていいでしょう。もしヒッチコックがイギリス時代になんとか映画化権を押さえてブリティッシュ・ゴーモン社またはイギリスの独立プロで映画化していたら、『ウィンナー・ワルツ』の二の舞か良くても『巌窟の野獣』程度の映画(『巌窟の野獣』は、あれはあれでいいと思いますが)になっていた可能性だって高い。イギリス時代のヒッチコック作品が『暗殺者の家』以来は傑作揃いだったとしても、純度や完成度は比類がなかったが欠けていたのはあられもない通俗的な大衆性で、そこがヒッチコック作品である以上にイギリス映画のローカルな性格を感じさせるゆえんでもあり、『巌窟の野獣』が世評より良いと思えるのは(実際ヒットしたことも納得がいくのは)主演とプロデュースを兼ねた舞台人チャールズ・ロートンの方が俗にまみれた映画の強みをヒッチコックよりわかっていたと見えるからです。セルズニックはヒッチコックをアメリカに招き専属契約しておきながら、契約満了の1946年までのハリウッドでのヒッチコック作品10作中セルズニック・プロ製作は『レベッカ』と『白い恐怖』'45、『パラダイン夫人の恋』'47(公開年)の3作だけで、他7作はRKOピクチャーズやユニヴァーサル、20世紀フォックスなどのメジャー会社に派遣してセルズニック・プロの稼ぎにしただけでした。『レベッカ』で大当たりをしておきながら監督の手柄とは大して思っていなかったはずで、セルズニックの本作への貢献も、とにかく売れそうなお膳立てをして、イギリス種の映画だからイギリス人で腕の良い監督に撮らせよう、というのがほとんどすべてだったでしょう。ヒッチコックもハリウッド第1作はプロデューサーに期待されている通りの映画にすることに腐心したはずです。企画したやつも俗なら見事に大ヒット作に作り上げた監督も俗、そこで終わればよくある話ですが、出来上がった映画はプロデューサーや監督、スタッフ、キャストの個々の力を越えた、確かにスリラー調の通俗メロドラマではあるけれど誰も予想できなかった不朽の生命力を持つ恐るべき名作になっていた。「ヒッチコック映画とは言えない」と監督自身が言いながら内実ともに成功は否定できない作品は本作が初めてで、本作以降にもないかもしれません。『レベッカ』に感じる巨大さとはそういうものです。
●12月24日(日)
『海外特派員』Foreign Correspondent (米ウォルター・ウェンジャー・プロダクション=UA'40)*120min, B/W; 日本公開昭和51年(1976年)9月11日
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) 第二次世界大戦直前のヨーロッパを舞台に、アメリカの新聞社から派遣された特派員が巻き込まれる殺人事件と不穏な社会情勢を描いたサスペンス映画で、かつてTV放映されたが劇場では初公開である。製作はウォルター・ウェンジャー、監督はアルフレッド・ヒッチコック、脚本はチャールズ・ベネットとジョーン・ハリソン、撮影はルドルフ・マテ、音楽はアルフレッド・ニューマンが担当。出演はジョエル・マクリー、ラレイン・デイ、ハーバート・マーシャル、ジョージ・サンダース、アルバート・パッサーマン、ロバート・ベンチリーなど。
○あらすじ(同上) 1938年のある日、ニューヨーク・モーニング・グローブ紙の社長は、不穏なヨーロッパ情勢を取材する特派員として、最も威勢のいい記者ジョン・ジョーンズ(ジョエル・マクリー)を指名した。社長室に呼ばれたジョーンズは、そこでヨーロッパでの平和運動の大立者フィッシャー(ハーバート・マーシャル)と知りあった。やがてジョーンズは、ロンドンへ向かった。彼を迎えた前任者ステビンス(ロバート・ベンチリー)は既に記者魂を失った男だった。間もなくフィッシャーもロンドンに到着し、戦争防止の立役者オランダの元老政治家ヴァン・メア(アルバート・パッサーマン)の歓迎パーティを開き、ジョーンズは、そこでフィッシャーの美しい娘キャロル(ラレイン・デイ)と知りあった。アムステルダムで平和会議が開かれることになり、雨が激しく降りつける中、ジョーンズも取材のために出かけたが、彼の目前でヴァン・メアがカメラマンを装った男に拳銃で撃たれた。傘の間をぬって逃げた犯人は、待たせてあった車に乗り込んだ。ジョーンズは追跡すべく通りがかりの車に無理矢理乗り込んだが、その車には新聞記者フォリオット(ジョージ・サンダース)とキャロルが乗っていた。激しい追跡の末、3人の乗る車は風車の点在する田園地帯で停まった。ジョーンズは風車の1つが奇妙な動きをしているのに気づき、単身、小屋へ忍び込むが、そこには数人の不審な男たちと、先ほど撃たれたばかりのヴァン・メアがいた。彼はナチスのスパイに誘拐されていて、先の殺人は替え玉を使ったトリックだったのだ。やっとのことで、小屋から逃げだしたジョーンズは警官を連れて戻って来るが、すでに痕跡は全て消され、キャロルにも信用を無くしてしまった。ホテルに戻ったジョーンズを2人の警察官を装った男が訪ねた。危険を感じた彼は、窓づたいにキャロルの部屋に入り、彼女に事情を話して協力を得、船でロンドンに帰った。ところが、ジョーンズがキャロルを送ってフィッシャーの家へ行くと、あの風車小屋にいた男の1人がフィッシャーと談笑していたのである。フィッシャーはジョーンズにその男は情報を集めてくれる男だと釈明し、ジョーンズが真相を知りすぎて危険だからと言って、護衛として私立探偵をつけてくれた。しかし、この男は教会塔からジョーンズを突き落とそうとして、誤って自ら墜落してしまった。この事件でジョーンズは、フィッシャーが平和主義者の仮面の裏で、キャロルにも内緒でナチに協力し、しかもヴァン・メア誘拐の張本人であることを知った。ジョーンズはフォリオットと協力してヴァン・メアの居所をつきとめ、救出に成功した。おりから、ヨーロッパでは風雲急をつげ、開戦の号外がとびかっていた。ジョーンズがアメリカへ帰国する飛行機にフィッシャー父娘も乗りあわせていた。フィッシャーは機内で、アメリカに着くと同時に逮捕されることを知り、キャロルに、ドイツ人を父に持つ自分が祖国のためと信じ、ナチスに加担していたことを告げた。その時、ドイツ軍艦の攻撃で、飛行機は洋上に不時着し、その混乱の中でフィッシャーは自殺した。やがてジョーンズ、キャロルたちはアメリカ軍に救助された。そしてジョーンズは、この事件を伏せようとするアメリカ軍を巧みにゴマカし本社へ連絡し、特ダネをものにした。やがて、ロンドンが空襲をうける頃、ラジオ局で、ジョーンズとキャロルがアメリカ向けの放送で、雄弁に呼びかける姿が見られた。
渡米第1作『レベッカ』を撮り終えるやセルズニック・プロの主宰者セルズニックはいきなりウォルター・ウェンジャーの独立プロにヒッチコックを貸し出してしまいます。セルズニック・プロの製作予定にヒッチコック向けの作品がなかったからですが、いきなりの派遣仕事にヒッチコックは気分を害したらしく、また主演俳優にゲーリー・クーパーを想定していたのにクーパーには「スリラー映画はイメージを損ねるから」と断られ、代わりに起用した新人ジョエル・マクリーには満足できないまま仕上げた。それでいまいち気に入らない作品のようですが、イギリス時代の『恐喝(ゆすり)』'29からの脚本家チャールズ・ベネットとヒッチコックの秘書ジョーン・ハリスンのオリジナル脚本、カメラマンにはルドルフ・マテ、音楽はアルフレッド・ニューマンという大物が揃い、舞台はイギリスとオランダ、キャストはマクリーとヒロインのラレイン・デイ、名物ユーモア・エッセイストで俳優もこなすロバート・ベンチリー以外はイギリス人俳優でほとんど主役格なのが『殺人!』'30で主演したハーバート・マーシャル、『スキン・ゲーム(いかさま勝負)』'32の成金実業家や『ウィンナー・ワルツ』'32のヨハン・シュトラウス1世を演っていたエドマンド・グウェンも殺し屋役で怪演と、ヒッチコックのイギリス時代の集大成は『バルカン超特急』というのがお決まりですが本作『海外特派員』の方がそれに相応しいのではないか、というくらい映画のスケールが増しています。ウェンジャーはフリッツ・ラングの『暗黒街の弾痕』'37やジョン・フォードの『駅馬車』'39を製作した硬派のプロデューサーですし、マクリーだってゲーリー・クーパーと比較するのが不当なので良い俳優です。ラレイン・デイは色気と清純さの中途半端さが弱いな、と思わせますが逆にクーパー主演だったら見る影もなかったでしょうからマクリーの引き立て役程度と見なします。本作を観てクーパーが「出ときゃ良かった」と悔やみ、後のフリッツ・ラングのスパイ・サスペンス『外套と短剣』'46には積極的だったというのは良い話です。クーパーが主演だったら女優はラレイン・デイでは済まなかったと思うと、『打撃王』'42(サム・ウッド)で共演するテレサ・ライトではまだ若すぎるし、『ヨーク軍曹』'41(ハワード・ホークス)のジョーン・レスリーはスパイ・スリラー向けではないし、『誰が為に鐘は鳴る』'43(サム・ウッド)のイングリッド・バーグマンは'40年には渡米2年目でいきなりこの役は無理かな、とそれなりにキャスティングもややこしくなったかもしれません。モーリン・オハラなら交渉できたか?いやちょっと、クーパーとオハラのコンビだと色気がありすぎてまずいでしょう。とにかく本作を観てしまうと、イギリス時代の傑作群がとたんにこぢんまりとしたコンパクトな作品に見えてしまうくらい、映画の柄が大きい。しかも120分間一分の緩みもない。『レベッカ』では何か特別な魔性のようなものが働いて規格外の別格的作品ができてしまったが、『海外特派員』はしっかりヒッチコックが手綱を握った作品になっている。『レベッカ』1作をくぐっただけでハリウッドのスタジオ・システムをどれだけ使いこなせるか自信をつけた風格が内容的にはイギリス時代のスリラー作品の延長にある本作を『レベッカ』と並べて遜色ないスパイ・スリラーの大作に仕上げている。この'40年のとびきりの2連発には参ります。
ところでヒッチコックの映画で著作権切れによってパブリック・ドメインになっている時代のもの(現在では'60年度作品まで)は海外版DVDでは全作品、日本版DVDでも一部は廉価発売もされており、パブリック・ドメイン作品の古典映画廉価盤専門のファーストトレーディング社からは「ヒッチコック劇場 作品集 全21巻」としてセット、または単品分売で、1.『恐喝 (ゆすり)』'29 / 2.『暗殺者の家』'34 / 3.『三十九夜』'35 / 4.『間諜最後の日』'35 / 5.『サボタージュ』'36 / 6.『第3逃亡者』'37 / 7.『バルカン超特急』'38 / 8.『レベッカ』'40 / 9.『海外特派員』'40 / 10.『断崖』'41/ 11.『逃走迷路』'42 / 12.『疑惑の影』'42 / 13.『救命艇』'44 / 14.『白い恐怖』'45 / 15.『汚名』'46 / 16.『パラダイン夫人の恋』'47 / 17.『ロープ』'48 / 18.『山羊座のもとに』'49 / 19.『舞台恐怖症』'50 / 20.『見知らぬ乗客』'51 / 21.『私は告白する』'53の21作が単品の場合1本400円で発売されています。また書籍扱い(書店流通)で10枚組1,500円~2,000円のボックス・セットでパブリック・ドメイン作品の古典映画のシリーズ発売をしているコスミック出版からはヒッチコック作品集は2巻出ており、『ヒッチコック サスペンス傑作集』には1.『レベッカ』/ 2.『バルカン超特急』/ 3.『海外特派員』/ 4.『逃走迷路』/ 5.『疑惑の影』/ 6.『ロープ』/ 7.『見知らぬ乗客』/ 8.『汚名』/ 9.『断崖』/ 10.『白い恐怖』 の10作収録、『ヒッチコック ミステリー劇場』には1.『私は告白する』/ 2.『山羊座のもとに』/ 3.『舞台恐怖症』/ 4.『三十九夜』/ 5.『救命艇』/ 6.『サボタージュ』/ 7.『暗殺者の家』/ 8.『間諜最後の日』/ 9.『第3逃亡者』/ 10.『恐喝 (ゆすり)』の10作収録で、『サスペンス傑作集』『ミステリー劇場』ともに2,000円の廉価盤です。『恐喝(ゆすり)』だけ早い年代ですが『暗殺者の家』'34~『私は告白する』'53までのイギリス時代後半~アメリカ時代前半の傑作はひと通り廉価盤でも観られ、通販ショップだと中古商品が半額以下で出回っているので新作映画のDVD1本以下の価格で中古ならヒッチコックの名作20本がパブリック・ドメイン版で揃います。監督単位でこれだけまとめて廉価盤発売されているのはヒッチコック以外にはないので、チャップリンやジョン・フォードが単品発売されているのを1本1本集めていけばヒッチコックに次ぐくらいで、監督の名前がものを言う点でヒッチコックの知名度は際立って高いのもサスペンス/スリラーの監督だからでしょう。パブリック・ドメイン作品ならデビュー作『快楽の園』からサイレント時代の全8作、イギリス時代のトーキー14作のうち日本版の廉価盤発売はトーキー7作、スリラー作品(なぜか『殺人!』が抜けている)しかない。海外版のヒッチコックのパブリック・ドメイン作品ボックス・セットはサイレントもトーキーも普通映画もスリラー作品も区別なく収録しているのとずいぶん待遇が違います。上記の作品群はヒッチコック初期~中期の名作ばかりですが、イギリス時代の半数以上を占めるサイレント作品と普通映画を飛ばして良い所取りのセレクションになっているのに問題があります。
本作『海外特派員』は直前に『レベッカ』があることで輝きを増しているのと同様、渡米第1、2作のこの2作もイギリス時代の諸作を踏まえてとんでもない飛躍をやってのけた驚きがあり、イギリス時代はサイレントでもトーキーでも職人監督が撮らされる企画を片っ端からこなして回る勢い任せの精力的な創作力の旺盛な、観るまで内容の想像もつかないような、意外性の溢れた多彩な作品の連続でした。『海外特派員』がそれだけ観て堪能できないかというわけではもちろんなく、傘のごった返すの雨の広場の暗殺、国際スパイ団のアジトの風車小屋のサスペンス、意外な黒幕の判明と事件解決への駆け引き、さらに駄目押しのようなクライマックスの大事故と、理屈で考えると映画を面白くするために敵味方ともしなくてもいい小細工をわざわざ仕組んでヴォリュームを増しているのは『三十九夜』『バルカン超特急』以来の手口ですが、本作ではそれがあまりにスムーズかつスピーディーに進むので手際はイギリス時代のスリラー作品よりも抜群に良くなっています。悪役の黒幕の魅力も『暗殺者の家』『三十九夜』以来のスパイ・スリラーには工夫が凝らされていますが、本作ではそれも最高でマクリーとラレイン・デイが位負けしています。オランダの元老政治家ヴァン・メアを演じるアルバート・パッサーマンはドイツ演劇界の重鎮だった人だそうですが、たった10年でずいぶん老けたエドマンド・グウェンにしても老人役者がおいしい役で点を稼ぐのは面白い映画の勘所で、90分未満のサイズから120分に拡張されたのが水増しではなくより充実した見せ場を連続させて流れを良くしているのはイギリス時代の製作規模ではできなかったことでしょう。要点に絞った無駄のない作りが映画を引き締めている替わりに計算づくの強引さや飛躍もやむを得なかったイギリス時代の諸作よりずっと滑らかで、規模の制約からではなく話術の効果から時には強引に、また飛躍を盛りこんだ構成が可能になった闊達さもキャンバスが広がったからこその観があり、実際はヒッチコックがカラー作品を撮るのは'48年の『ロープ』からで、ほぼ毎作カラーになるのも『ダイヤルMを廻せ!』'54からですが、『レベッカ』では深い森、ラストシーンの炎、本作では空の広がる牧場、飛行機、海とお膳立てが揃っているためヒッチコックのハリウッド作品は最初からカラー作品だったような錯覚まで起こります。タイトルが地味でキャスティングも渋いためわくわくするスパイ・スリラーとは思えないため何となく話題にならない本作ですが、これは『レベッカ』と表裏一体、むしろこちらがヒッチコックの表と言うべきたいへんな傑作です。ゲーリー・クーパーが主演していたら大傑作になったかもしれませんがそれを差し引いてもこんなに面白いのですから、技巧や感覚の冴えはキャストの豪華な『レベッカ』以上かもしれません。またヒッチコックが自分の映画じゃないみたいな気がするらしい『レベッカ』と違って本作は隅々までコントロールが行き届いている点でも好一対をなすでしょう。日本劇場初公開は1976年、日本版初映像ソフト化は1988年と日本での紹介が遅れたのもヒッチコック作品の中で本作の存在感がいまいちな原因かもしれません。イギリス色は当然『バルカン超特急』より薄れていますから「イギリス時代の集大成」の『バルカン超特急』という方が目立って「イギリス時代の尻尾を引きずったハリウッド進出早々」の『海外特派員』という位置づけにもなる。すると「イギリス時代」を「集大成」したところでそれがそのまま作品の上下を決めてしまうものなのでしょうか。