人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2018年5月20日~22日/ウィリアム・A・ウェルマン (1896-1975)監督作品(4)

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 手放しで素晴らしい映画と褒め上げお勧めできる作品がこうも揃うとかえって表現に困るもので、今回のウィリアム・A・ウェルマン作品『牛泥棒』'43、『西部の王者』'44、『G・I・ジョウ』'45の3作は、前回の冒険ミステリー映画の会心作『ボー・ジェスト』'39に3年の兵役ブランクを経たカムバック作『大空の戦士 サンダーバード』'42、隠れたメロドラマの感動作『英雄を支えた女』'42に続いてウェルマンの名作連発時代を作り出した作品群で、前回同様どの作品を取ってもお勧めできる胸に沁みる作品であるばかりか20世紀半ばまでのアメリカ映画でも必見レベルの作品ばかりです。ウェルマンにはそうした作品が10本前後はあるわけで、全監督作82本、監督デビュー'20年~引退作'58年のキャリアでそれだけの功績があるのであれば十二分に一流監督の序列に入ると思いますが、その割に全体像が浮かんでこない(筆者も『つばさ』'27以前のサイレント作品を観る機会がないままなので、初期の都会派時代と言われるウェルマン作品は知りません)監督ですが、'43年~'45年と年度的にも連続している(実際には'43年、'45年にはもう1本ずつある)『牛泥棒』『西部の王者』『G・I・ジョウ』はそれぞれまったく異なる趣向の映画ながら観客の心をわしづかみにする力があり、戦時作品ながら戦後におそらくGHQの輸入映画検閲でアメリカの暗黒面を描いたものとして日本劇場未公開になり、のちのテレビ放映題名が定着したためとぼけた邦題のまま映像ソフト発売されている『牛泥棒』(原題の「Ox-Bow」は地名ですから直訳しても『オックス・ボウ事件』と地味には違いないですが)、実在した伝説的ガンマン、バッファロー・ビル(1846-1917、原題も単に『Buffalo Bill』)の数奇な半生を描いた『西部の王者』の2作は従来の西部劇に対して'40年代に変質した反西部劇的異色作として出色の出来を示した伝説的作品になり、また『G・I・ジョウ』も実在の有名従軍記者アーニー・パイルのルポルタージュを原作にした第二次世界大戦の戦場記で、原作者の存命中から製作されたしたが公開2か月前にアーニー・パイルが戦死して追悼作品になったものです。いずれもアメリカ映画ならではの題材ながら人間性の普遍的真実に届く内容を備えた作品であり、ウェルマンの資質の最上の部分が充実した映画作品に結実した最良の成果と言えるものです。そういう映画として今回の3作は映画の古典に揺るぎない地位を占める作品で、映画が醒めている時に見る夢のようなものならここにはさまざまな悪夢が甘美でもあればむき出しの無惨さでひしめいてもいます。観客個々の人生そのものの疑似体験にすらなり得る豊かな映画とはこういう作品を言うのです。必見の古典たるゆえんです。

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●5月20日(日)
牛泥棒』The Ox-Bow Incident (20世紀フォックス'43)*75min, B/W; 日本未公開(テレビ放映、映像ソフト発売)・アカデミー賞作品賞ノミネート・ナショナル・ボード・オブ・レビュー作品賞受賞・アメリカ国立フィルム登録簿新規登録作品(1998年度)

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○解説(キネマ旬報映画データベースより)『十二人の怒れる男』のヘンリー・フォンダが主演したウエスタン。地元の農民が殺害された上に牛を盗まれたという事件を知ったふたりの放浪者は、町民たちと共に自警団を結成、犯人の捜索に当たる。やがて牛を所持していた3人組が発見されるのだが…。【スタッフ&キャスト】監督:ウィリアム・A・ウェルマン 製作・脚本:ラマー・トロッティ 撮影:アーサー・ミラー 音楽:シリル・モックリッジ 出演:ヘンリー・フォンダ/ダナ・アンドリュース/メアリー・ベス・ヒューズ/アンソニー・クイン
○ストーリー(WEB MOVIE THEATERより) 1885年、ネバダ州。ある町に女を捜しに現れた青年ギル・カーター(ヘンリー・フォンダ)は、相棒のアート・クロフト(ハリー・モーガン)と酒場に向かう。その女ローズ(メアリー・ベス・ヒューズ)が旅立ったことを知り苛立つカーターは客のジェフ・ファーンリー(マーク・ローレンス)と揉め事を起こし、店主に殴られ気絶してしまう。その後、ファーンリーの友人の牧場主が殺され牛が盗まれる事件が起きる。早速犯人を追跡しようとするファーンリーを町の長老で雑貨店を営むアーサー・デイヴィス(ハリー・ダヴェンポート)が制止し、捜索隊を編成することを提案する。しかし町の男達の怒りは収まらず、デイヴィスは事態を鎮めるためにカーターに判事と保安官への連絡を頼み、彼は仕方なくそれを承知する。カーターはテイラー判事(マット・ブリッグス)を、暴徒と化す寸前のファーンリーらの元に連れて行く。判事の説得も聞かないファーンリーらを見てデイヴィスは焦るが、テトリー少佐(フランク・コンロイ)が牛を追っている犯人の情報を伝える。それを聞いたデイヴィスは止むを得ず捜索隊の出動を認め、カーターとクロフトも同行することになる。その夜通過した駅馬車を追った捜索隊だったが、その客の中にカーターが捜していた、現スワンソン夫人のローズがいた。クロフトが駅馬車の御者に腕を撃たれ、それを治療する間カーターはローズと簡単な言葉を交わし別れる。その後捜索隊は、野営していた三人組、ドナルド・マーティン(ダナ・アンドリュース)、ホアン・マルチネス(アンソニー・クイン)、ハルヴァ・ハーヴェイ(フランシス・フォード)らを見つける。三人は拘束され、テトリーがマーティンに殺人と牛泥棒のことを問い質すが、彼は無実を主張する。後を追ってきたデイヴィスが三人に公正な裁判を受けさせるべきだと意見するが、テトリーはそれを聞き入れない。カーターも犯人か分からぬまま絞首刑にするのに反対するが、クロフトに口出しを止められる。その時ハーヴェイがマルチネスが犯人だと言いだし、彼がフランシスコ・モレスというお尋ね者だということも分かる。そして三人は吊るされそうになるが、家族への手紙を書かせてくれというマーティンの頼みを聞き入れ、処刑を夜明けまで待つことにする。その後、殺された牧場主の銃を隠し持っていたモレスが逃亡しようとする。しかしモレスは足を撃たれ捕らえられ、彼は銃は拾ったものだと言い張る。やがて、三人に対して裁判か処刑かを多数決で決めることになり、デイヴィス、カーターやクロフト、そしてテトリーに反抗する息子ジェラルド(ウィリアム・アイス)など、7人が裁判を支持する。しかし絞首刑が多数となり、三人を乗せた馬を鞭打つ役にジェニー・グリア(ジェーン・ダーウェル)が志願するが、それを父テトリーに強要されたジェラルドはその役を拒む。そして三人の処刑は執行され、鞭を打てなかったジェラルドをテトリーは殴り倒す。引き上げようとする捜索隊に、被害に遭った牧場の様子を見て来たリズリー保安官(ウィラード・ ロバートソン)が合流する。保安官は牧場主が死んでいないことと、犯人が捕まったことを一行に伝える。デイヴィスに関与していないことを確認した保安官は処刑に賛成した者に神の許しを請うよう伝え、罪は問わないことを言い渡す。その後カーターは、デイヴィスが預かったマーティンの手紙を読ませてもらう。町に戻ったジェラルドは父テトリーの卑劣な行為を批判し、勇気を持って処刑を止められなかった自分を恥じるが、テトリーは書斎に入り自決する。酒場で、今回の事件を考える無言の男達の前で、マーティンに対しクロフトが心無い言葉を発する。それを聞いたカーターは、クロフトや男達にマーティンの手紙を読んで聞かせる。それには自分を処刑する者達への非難はなく、人間の良心の尊さが記されていた。そしてそれを読み終わったカーターは、クロフトと共に町を去って行く。

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 従来の人情劇('10年代後半のウィリアム・S・ハート西部劇時代からもともとその性質の方が強かった)、コメディ、勧善懲悪時代劇としての西部劇の変質は『駅馬車』'39、『砂塵』'39、『西部の男』'40辺りを起点に始まったとされますが(ちっとも西部劇らしくないホークスの賭博場ギャングスター西部劇『バーバリー・コースト』'35なども早い例ですが)、'50年代になって戦後派のアンソニー・マンの諸作(『ウィンチェスター銃'73』'50、『怒りの河』'52、『裸の拍車』'53、『遠い国』'54、『ララミーから来た男』'55、『胸に輝く星』'57)、ニコラス・レイの諸作(『死のロデオ』'52、『大砂塵』'54、『無法の王者ジェシイ・ジェイムス』'57、『エヴァグレイズを渡る風』'58)などまったく従来の発想と異なる西部劇を目指した流派とも別に、戦前、それこそサイレント時代からのヴェテラン監督による異色西部劇で(フリッツ・ラングの西部劇3作などもありますが)突出した衝撃的作品と言えば戦わないNo.1ガンマンの苦悩を描いたヘンリー・キングの『拳銃王』'50とウェルマンの本作『牛泥棒』が屈指の大傑作でしょう。65歳で『拳銃王』を作ったキングもすごいですが、監督歴20年を超えて観客大衆の好みを知りつくしてきたウェルマンが本気で西部劇にケンカを売った本作は本当にすごい映画で、異様に短い75分という尺で(『拳銃王』も84分ですが)西部劇という自警団意識で成り立った正義と秩序の意識の欺瞞性を根っこからえぐってみせる。本作の主演は視点人物である流れ者のヘンリー・フォンダですが真の主役はリンチ裁判で絞首刑にされるダナ・アンドリュースです。この配役もばっちり決まっていて配役が逆ならフォンダはマゾヒスティックなナルシシズムで絞首刑を受け入れてしまいそうですし、アンドリュースは食い下がってでも不法リンチを阻止しようとするに違いありませんから、そんなキャラクターのアンドリュースがリンチ裁判で絞首刑に遭うのは真に誠実な人間が犠牲者になる不条理を表してあまりあります。本作はアカデミー賞作品賞にノミネートされ(同年の受賞は『カサブランカ』)、他の部門に複数ノミネートされず作品賞のみに単独ノミネートされたのは本作以来例がないそうですが、原作小説(原題同題、ウォルター・ヴァン・ティルバーグ・クラーク、'40年刊)自体が大きな反響を呼んだベストセラー小説だったこともあるでしょう。同作はニューヨーク・タイムズが'50年代に選出したベスト・ミステリー100冊にもヴェラ・キャスパリの『ローラ殺人事件』とともに入選し、プレミンジャーの『ローラ殺人事件』'44同様映画が残って小説は忘れられていますが、『牛泥棒』『ローラ殺人事件』『拳銃王』のいずれもが'89年発足のアメリカ国立フィルム登録簿に文化財登録されているのは立派なもので、日本アカデミー賞も結構ですが真似をするなら日本映画の文化財登録制度の施行の方でしょう。『ローラ殺人事件』『拳銃王』は芸術的価値で測るべき作品ですが、『牛泥棒』にはもっと積極的な、開拓国家アメリカの理想主義的な自警団意識が現実にはいかに独善的で欺瞞的な、陰惨で理想や正義を踏み外したものになるかをこれ以上ないほど削ぎ落とされたシチュエーションで息詰まるような密度の75分で完璧に描き切っており、これが太平洋戦争まで拡大した第二次世界大戦まっただ中の'43年の作品であることに批判される可能性も覚悟のウェルマンの硬骨な正義感の発露を感じます。前年の『大空の戦士 サンダーバード』のような戦争映画を(多分にノルマとして)作っても決して戦争賛美映画やドイツ民族・日本民族撲滅提唱映画にはせず戦略的な平和解決の方を強調していたのは第一次大戦従軍者として戦争の悲惨を知り抜いていたウェルマンならではの視点だったでしょう。敵国ドイツや日本は民族ごと叩き潰してしまえ、とウォルシュやフォード、ホークスですら戦時ファッショに翼賛した映画を作った中でほとんどウェルマンだけが戦局的感情にも冷静中立だったのです。戦後作品になりますが、ヘンリー・キングヘンリー・ハサウェイの戦争映画にもウェルマンのような中立的姿勢が見られます。
 本作はタカ派の元南軍少佐(わざわざ軍服を着てくる)による煽動と野次馬的な南部系西部人たち20人あまりが率先して牛泥棒と牧場主の殺人犯を捜索し、捕獲即死刑と暴徒化した状態を危惧した町の長老が流れ者の主人公に判事との連絡係を頼みますが判事はおよび腰で、保安官はすでに捜査に出かけており保安官補が勝手に保安官代行にしゃしゃり出てくる。捜索隊には正当な裁判を主張するために加わった市民もおり、主人公はリンチを懸念したクレオールスパークスからスパークスの兄も少年時代に何の根拠もなくリンチに遭って処刑されたのを聞き、裁判か処刑か多数決で決めようじゃないかという時真っ先に裁判側に歩み出るのはスパークスで、次いで長老、主人公と流れ者の相棒もややためらって裁判側に加わりますし少佐の息子も裁判側につきますが30人近い中で7人しか裁判側につかない。遠方から牛の買いつけに来て帰り道に夜になったので野宿していたダナ・アンドリュースとメキシコ人役のアンソニー・クインたち3人がほとんどリンチ処刑前提に捕まってからの展開は先入観から悪意と憎悪、リンチ処刑こそ正義と思いこみ、むしろ処刑を喜ぶ暴徒が描かれて容赦もありません。俳優たちもこうした本当に嫌な悪役、無知蒙昧でリンチに加担して恥じない西部人たちを見事に演じており、犯罪者の役そのものではなく犯罪被疑者を自警団意識でリンチ処刑する庶民という微妙なニュアンスを成功させたのは普段から西部劇慣れしている俳優たちだからこそと言えるでしょう。本作がこれだけ鋭い作品になったのは製作・脚本のラーマ・トロッティ(1900-1952)の采配抜きにはあり得ず、トロッティは大卒後フォックス社から映画界入りし脚本作品にはジョン・フォードの『プリースト判事』'34,『周遊する蒸気船』'35, 『若き日のリンカン』'39(アカデミー賞脚本賞ノミネート)、『モホークの太鼓』'39、ヘンリー・キングの『シカゴ』'37, 『世紀の楽団』'38, 『ウィルソン』'44(アカデミー賞脚本賞), 『征服への道』'47、 エドマンド・グールディングの『剃刀の刃』'46などがあり、ウェルマンの本作 『牛泥棒』'43, 『廃墟の群盗』'48やウォルター・ラングの 『一ダースなら安くなる』'50, 『わが心に歌えば』'52では脚本と製作を兼ね、遺稿となった原案からウォルター・ラングの『ショウほど素敵な商売はない』'54年が製作されアカデミー賞原案賞に没後ノミネートされました。本作の企画とフォンダ起用はトロッティにより、『若き日のリンカン』『モホークの太鼓』の縁かと思いきや、原作小説に惚れこんだウェルマンが『大空の戦士 サンダーバード』に続いて20世紀フォックス社長のダリル・F・ザナックに映画用アダプテーションを持ちこんでザナックが快諾したもので、フォックス社のスタッフからトロッティに製作と脚本が任されたというのが経緯だそうで、当初ゲイリー・クーパーがキャスティングされましたが都合がつかず、フォックス社の気風を好かずに『怒りの葡萄』'40以来距離を置いていたヘンリー・フォンダが出演しましたがフォンダにとっても会心作になりました。本作は地域によっては公開禁止になりはしないかと心配になるような作品ですが批評は好評で、本作の成功からウェルマンの次作『西部の王者』も20世紀フォックス社で製作されることになります。また本作酒場の四辻のセットはそのまま残され、20世紀フォックスヘンリー・キング監督のグレゴリー・ペック主演作『拳銃王』'50に使われることになったと言いますから、本作と『拳銃王』に共通するムードを感じるのもあながち附会牽強ではないのです。近年では20世紀西部劇の最重要作品とも目され、クリント・イーストウッドも最愛の映画に上げて知られるようになった本作を単純に「アメリカ映画の良心」と言うと立派だけれどあんまり面白くないんじゃないかと思われてしまいそうですが、これほどシンプルで心を揺さぶられる映画はありません。エンドマークの後に戦時国債キャンペーンの広告が出てくるのは、それは映画の内容とは別の事情としておきましょう。

●5月21日(月)
西部の王者』Buffalo Bill (20世紀フォックス'44)*90min, Technicolor; 日本公開昭和25年(1950年)12月28日

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○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より)「硝煙のカンサス」のハリー・シャーマンが製作、「戦場」のウィリアム・ウエルマンが監督した1944年度作品。フランク・ウィンチの原作より「海賊バラクーダ」のイーニアス・マッケンジーがクレメンツ・リプリー、セシル・クレーマーと脚色した西部開拓史上の実祭人物バッファロ・ビルの半生を描いたもので、撮影は「狐の王子」のレオン・シャムロイ、音楽は「西部魂」のデイヴィッド・バトルフの担当。主演は「死の谷」のジョエル・マクリー、「バクダッド」のモーリン・オハラ、「私も貴方も」のリンダ・ダーネル、「賭博の町」のトーマス・ミッチェルで、「カリフォルニア」のアンソニー・クイン、「秘境」のエドガー・ブキャナン、「失われた心」のモローニ・オルセン、フランク・フェントン、マット・ブリッグス、ジョージ・レッシー等が助演している。
○あらすじ(同上) フレデリシ上院議員父娘とヴァンダーヴア(ジョージ・レッシー)を乗せてクラーク砦に向かう駅場車がシャイアン族インディアンの襲撃をうけ、通り合せたバッファロ・ビル・コーデイ(ジョエル・マクリー)の射撃で救われた。ヴァンダーヴアとフレデリシ(モローニ・オルセン)は鉄道路線の延長計画のためにこの地に来て、コーデイは新聞記者バントライン(トーマス・ミッチェル)にシャイアン族が反対するに違いないと忠告するが、ヴァンダーヴアは軍の力を借りても強行する肚であった。果してシャイアン族は指導者イエロー・ハンド(アンソニー・クイン)の命令の下に蜂起し、フレデリシ議員は人質になってしまう。コーデイはその救出に単身出かけたが彼もまた捕えられ、処刑されようとした。コーデイに命を助けられたことのあるイエロー・ハンドは彼と議員を放免し、シャイアン族は合衆国政府と講和を結んだ。フレデリシの娘ルイザ(モーリーン・オハラ)は命を救われて以来コーデイに愛情を抱き、彼と結婚した。集落で学校教師をしていたイエロー・ハンドの妹ドウン・スターライト(リンダ・ダーネル)は、秘かに恋していたコーデイを諦めねばならなかった。平和になった西部はヴァンダーヴアの発案による野牛狩りの観光会社によって賑い、コーデイは支社長として多忙であった。彼はルイザとの間に男子を儲け幸福な生活が続いたが、インディアンの生活の糧である野牛は狩りのため激減し、シャイアン族は血のつながるスウ族と共に、西部から白人を追わんとして戦を挑んだ。地理に明るいコーデイは軍に懇望され、妻を東部に帰し戦に参加した。かれはイエロー・ハンドとドウン・スターライトの指揮するシャイアン族を破り、バントラインの報道によりその勇名は全米に轟き、叙勲のため首都に呼ばれた。彼は英雄として歓呼をあびるが、息子の急死の報に深い悲嘆を感ずる。その上彼はニューヨークの歓迎宴の席上でインディアン保護の演説をしてヴァンダーヴアと対立したため、一朝に人気を失い無一文になった末、見世物に出演して糊口をつないでいたが、ルイザの激励でインディアンのためにロデオ・ショウの公開を思いたった。ショウは大成功であった。インディアンは東部人と和解し、西部の英雄バッファロ・ビル・コーデイの名は全世界にまで轟いたのである。

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 実在の近代アメリカの人物、ウィリアム・フレデリック・"バッファロー・ビル"・コーディ(1846-1917)の生涯を描いた映画には、セシル・B・デミル監督、ジェームズ・エリスン主演の『平原児』'36、次にウィリアム・A・ウェルマン監督、ジョエル・マクリー主演の'44年の本作、ジョージ・シドニー(チャールズ・ウォルタース共同)監督、ルイス・カルハーン主演の『アニーよ銃をとれ』'50、ジェリー・ホッパー監督、チャールトン・ヘストン主演『ミズーリ大平原』'53、ロバート・アルトマン監督、ポール・ニューマン主演『ビッグ・アメリカン』'76がありますが、カウボーイを出身にインディアン(当時の呼称で現在では妥当ではありませんが、あえて用います)との交渉係、対インディアン軍事顧問(事実上の軍人)を経て実業家、政治家、開拓者となり(ワイオミング州コーディはビル・コーディが開拓した町です)、1869年に実録小説の主人公として全米に名を馳せ、実業・政治活動のかたわら1880年頃~1913年の引退興行まで西部のガンファイト、駅馬車襲撃などの再現実演を実際の経験者(無法者、インディアン含む)とともに見世物とした興行『ワイルド・ウェスト・ショー』を全米各地やヨーロッパ巡業で行い実業・政治活動資金を捻出していたアメリカ史の偉人です。デミルの『平原児』はまだ時代的に早く、バッファロー・ビルのパブリック・イメージに沿った(生前の実録小説を踏襲した)ものでしたが、実は"バッファロー"・ビル・コーディは非常に屈曲に富んだ、進歩的な思想と高い理想を持ちながら挫折をくり返しつつ現実と折り合いをつけ、理想の一端なりとも実現すべくアメリカ近代史の歪みを巧みに生き抜いてきた、複雑な生涯を送ってきた人だというのは誰もが知りながらうまく語ることができなかったのです。そうしたバッファロー・ビルの苦渋に満ちつつも栄光に包まれた充実した半生の全体像を初めて映画化してみせたのが本作『西部の王者』で、本作なしにバッファロー・ビルの半生をアイロニーの連続として描いたアルトマンの『ビッグ・アメリカン』は生まれなかったでしょう。アルトマン作品まで行きつけばバッファロー・ビル伝は語りつくされたと言えるので、以降はテレビ作品で時おり題材になるにとどまります。ビル・コーディはインディアン社会の男女平等思想を知っていたので近代アメリカでは先駆的な女権拡張論者でもありましたし、先住民の生活権・居住権を白人の侵略から最小限の被害に食い止めるためには軍事顧問としてアメリカ軍側につかなければならなかったので、リスクの大きい革命家ともなり得る立場より確実な軍事政治家の道を選択せざるを得なかった人でもあります。本作がいちばん近い作品はカスター将軍(1839-1876)をモデルにしたラオール・ウォルシュ(1887-1980)監督、エロール・フリン主演の『壮烈第七騎兵隊』They Died with Their Boots On (ワーナー'41)でしょうが、同作は実際にはアメリカ近代(1776年建国のアメリカでは19世紀はまだ中世と変わりない動乱期が続いていました)の暗黒面を体現した人物とも言える軍人カスターの境遇を誠実で悲劇的な楽観的理想主義者に描いて完全なフィクションを仕立て上げる離れ業的大傑作で、その点では一種の思考実験ですから明快な娯楽大作でありながら高度な鑑賞力も要求される大変な作品で、ウォルシュの同作が軍人カスター像に施した映画的虚構化に較べれば本作のビル・コーディ像は素直に観ることも一応はできます。
 ウォルシュの『壮烈第七騎兵隊』は19世紀にニカラグアの独裁者となったアメリカ人侵略者の半生を英雄伝として描いたアレックス・コックスブラック・ユーモア作品『ウォーカー』'87の先駆をなすような壮大な意図の映画でした。それだけ大胆な操作を行えたのはカスターが相当な歴史的人物になっていたからですが、『西部の王者』の製作時点ではバッファロー・ビルはまだつい最近まで存命していた人物です。『ビッグ・アメリカン』のようなアプローチにはまだ30年あまりもの時間を要したということです。本作のウェルマンは、作為的な手心というよりもなるべく暖かにビル・コーディの人間像を描き出そう、インディアン討伐の英雄の門切り型のバッファロー・ビル像を人間ビル・コーディに取り戻すとともにやはりビルは数奇な半生をたどった非凡な人物であり、歴史に選ばれた少数の特別な人間だったことを表彰しています。敗戦後5年目にアメリ進駐軍の映画検閲が日本公開を許可したのも敗戦直後ならともかく、戦後5年も経ればインディアン討伐史に日本人への侵略意図を重ねて観る観客はいないと判断されたのでしょう。進駐軍アメリカの暗黒面を描いた映画は検閲を通しませんでしたからジョン・フォードの『怒りの葡萄』'40もウェルマンの『牛泥棒』も、また戦後の近作のアカデミー賞作品賞受賞作『紳士協定』'47や『オール・ザ・キングスメン』'49も検閲を通さず、『怒りの葡萄』は'63年日本公開、『紳士協定』『オール・ザ・キングスメン』は'70年代にやっと幻の名作として公開がかない、地味な『牛泥棒』はテレビ普及以後にテレビ放映されるにとどまりました。ビル・コーディが直面した先住民に対する侵略国家アメリカの姿は本作でもきちんと押さえるべき箇所は押さえてありますが、より鋭い筆鋒で迫れば昭和20年代の日本公開はかなわず、ホークスの傑作『ヒズ・ガール・フライデー』His Girl Friday (コロムビア'40、これは'80年代日本公開)のように再評価が進むまで日本公開のタイミングを逃した旧作として見過ごされてきてしまうか、『牛泥棒』同様にテレビ放映を経てようやく映像ソフトで完全な原語版が初発売されるにとどまったかもしれません。『英雄を支えた女』'42でも好演していたジョエル・マクリーが本作のひげ面のバッファロー・ビルはさらに良く、トーマス・ミッチェルもバッファロー・ビル伝を書くこざかしい記者として適役で、シャイアン族酋長の息子と妹役のアンソニー・クイン(『壮烈第七騎兵隊』でもインディアンの若頭でした)とリンダ・ダーネルもこうした役では本作が代表作と言える出演で、モーリン・オハラは役柄が好感を持てる女性像ではないのでちょっと微妙です。残念なのは現行日本版パブリック・ドメインDVDが『スター誕生』'37並みに劣化したマスターのものしかないことで、テクニカラー作品でも『翼の人々』'38や『大空の戦士 サンダーバード』'43はマスター自体が鮮明で美しい発色と解像度の高い画質が堪能できるだけに、また本作はテクニカラー映像自体にも魅力がある作品なだけに、本国での丁寧なレストア・デジタルリマスターが望まれます。新たにウェルマン作品からアメリカ国立フィルム登録簿に新規登録されるとしたら『人生の乞食』と並んで筆頭に上がる作品と思われる名作で、厳しく倫理的な『牛泥棒』とは違った意味で観直すほど良くなる作品ですし、ウェルマンの本領、本流は暖かな視線の感じられる本作の方にあるでしょう。また戦闘シーンを含む本作でも直接的な殺傷描写が描かないのはウェルマンらしい節度を感じられ、そこも西部人の獣性を告発した『牛泥棒』とは異なる品格があります。

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●5月22日(火)
『G・I・ジョウ』The Story of G.I. Joe (ユナイテッド・アーティスツ'45)*108min, B/W; 日本公開昭和28年(1953年)9月3日・アカデミー賞助演男優賞/脚色賞/劇喜劇映画音楽賞/歌曲賞ノミネート・アメリカ国立フィルム登録簿新規登録作品(2009年度)

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○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) 第2次大戦中、沖縄伊江島で戦死した従軍記者アーニー・パイルのルポルタージュ「ここに君達の戦いがある」に基づき、レスター・コーワン「ヴィナスの接吻」が1945年に製作した戦記映画である。レオポルド・アトラス、「その男を逃すな」のガイ・エンドア、フィリップ・スティヴンスンが共同で脚色し、「ミズーリ横断」のウィリアム・A・ウェルマンが監督した。撮影は「すべての旗に背いて」のラッセル・メティ、作曲はアン・ロネルとルイス・アプルボームの2人で、「銃弾都市」のルイス・フォーブス音楽監督にあたった。出演者は「零号作戦」のロバート・ミッチャム、「廿日鼠と人間」のバージェス・メレディス、フレディ・スティール、ウォリー・キャッセル「戦う雷鳥師団」、ジミー・ロイドら。
○あらすじ(同上) 北アフリカ戦線。従軍記者アーニー・パイル(バージェス・メレディス)は、ウォーカー(ロバート・ミッチャム)の指揮する中隊と行動をともにする。夜がふけて、露営のテントには誰かがスイッチを入れたドイツ放送が猥らな声で兵隊たちの心を乱すのであった。中隊は次第に戦場へ近づくが敵機襲来で中隊も最初の犠牲者を出した。彼らの参加したカッセリネ峠の激戦は米軍の撤退で一区切りついた。それからしばらくたったイタリア戦線。ウォーカーの中隊は転属してサン・ヴィットリオの攻撃に参加している。アーニー・パイルもまたやって来た。頑強なドイツ軍の抵抗を彼らは粉砕して占領した。故国から子供の声のレコードを送られたワーニッキー(フレディ・スティール)はなんとか蓄音機を見つけてきたがこわれていて聞くことができなかった。婦人兵と結婚する兵士マーフィー(ジャック・ライリー)もあり、パイルも付添いをさせられた。しかし、こうした憩いも束の間で、彼らG・Iたちはまた次の戦場へと向かっていく。修道院に隠れた敵はG・Iを悩ませ、ワーニッキーは過労から精神に異常をきたして後送された。アイゼンハウアーの命令で修道院爆撃の断が下され、さしもの敵も撃滅した。負傷者も多く、戦死者はロバに乗せられ運ばれてくる。ウォーカー中尉もロバに乗った1人になっていた。部下たちは中隊長に別れを惜しみながらまた次の戦場へ進んで行かねばならぬ。アーニー・パイルも暮色濃いイタリア戦線に、G・Iと行動をともにする。

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 終戦直前の'45年4月18日に沖縄伊江島で戦死した従軍記者アーニー・パイル(1900-1945)の北アフリカ(チュニジア)戦線~イタリア戦線従事('43~'44年)の活動を描いた本作のアメリカ本国公開は'45年6月18日ですから、企画・製作開始時にはまだパイルは存命で、撮影終了間近か編集段階でパイルの訃報が届いたと思われます。一般的にアメリカ映画史上では、マーク・ヘリンジャーのプロデュースによるロバート・シオドマク『殺人者』'46、ジュールス・ダッシンの『真昼の暴動』'47と『裸の町』'48に続いていく、セミドキュメンタリー映画の第1作とされる20世紀フォックス社(ヘリンジャー製作ではありませんが)のヘンリー・ハサウェイ監督作『Gメン対間諜 (The House on 92nd Street)』は'45年9月15日公開で、原爆開発情報をめぐるFBIとナチ・スパイの攻防をロケーションとFBI協力による実写映像の多用で描いた作品でした。ヘンリー・ハサウェイ(1898-1985)という監督も西部劇から始めて冒険活劇映画、コメディ、メロドラマ、フィルム・ノワールと普段は安定感のある器用な才人のイメージが強いのですが、時おり目を見張るような異色作、時代を先取りした尖鋭的な会心作を作ってきた監督で、ポリティカル・フィルムノワールでもある『Gメン対間諜』はまだアメリカ映画がイタリアのネオ・レアリズモを知らない時期に作られた、戦時中の戦況ドキュメンタリー映画をスパイ・サスペンス系フィルム・ノワールに結びつけた点で、他でもない『Gメン対間諜』とネオ・レアリズモ作品の影響下に作られたヘリンジャー製作の諸作とは一線を画した先駆性があります。今回公開時期を調べてみるまでやはりジャーナリストのジョン・ハーシー(1914-1993)原作による20世紀フォックスヘンリー・キング監督の『アダノの鐘』(アメリカ公開'45年6月21日)ともどもてっきり本作『G・I・ジョウ』も名作『アダノの鐘』も『Gメン対間諜』以後(影響下)の作品と思っていたのはハサウェイ作品の画期性が名高いからですが、順序は逆で『G・I・ジョウ』『アダノの鐘』ともに『Gメン対間諜』より3か月前に公開されており、'45年6月~9月というと当然8月15日のポツダム宣言受諾を挟んでいますから(9月公開なら8月には撮影・編集も完了していたでしょうが)、ハサウェイ作品のみがセミ・ドキュメンタリーの文脈で強調されるのも戦後第1弾公開の意義が大きいのではないかと思います。もっとも『G・I・ジョウ』『アダノの鐘』とも実録をベースにしたフィクションの戦争劇映画ですが、ロケの多用と素人エキストラの多数起用、何より従来型の劇映画とは異なる映像文体とテンポでは、フィルム・ノワール的な緊密性を基本にしている『Gメン対間諜』よりも大胆なドキュメンタリー的構成に踏みこんでいると言え、こうした革新がキング、ウェルマン、ハサウェイらの一見地味な作品の中で行われたのは(その地味さの中に革新があったのは)アメリカ映画の厚みを感じます。本作は独立プロデューサーのレスター・コーワンがワーナーのハワード・ホークス監督作品『空軍』'43に匹敵するものをと'43年9月から企画に着手し、同年11月に発表され始めたパイルの連載従軍紀行コラム「Here Is Your War」に目をつけたところから具体化し、'44年6月までの連載分から脚本が仕上がったのは'44年8月でしたが、当初予定していたジョン・ヒューストンの監督がヒューストンの軍務召集で不可能になったため戦争映画に実績のあったウェルマンに監督依頼が回ってきたものでした。『The Story of G.I. Joe』とはアメリカ兵一般を指す俗語「G.I. Joe」を用いた映画のためのタイトルですが、戦死する2か月前の従軍記事コラムでパイル自身が「良いタイトルとは思えず好きになれない。代案を出すのも面倒だが、どなたか良いタイトルのアイディアはないか」とこぼしていたそうです。まさか本作がパイル戦死の追悼作品になるとは誰も予想はしていなかったでしょうし、パイル没後の企画であればまるで違った、パイルのジャーナリストの業績を追った伝記映画に仕立てられたのは想像に難くありません。休憩中に兵士のひとりが「たった数か月で何年も年を取った気分だな」、年齢を訊かれたパイルは「43歳だよ」すると若い兵士が「俺は26歳ですけど、43歳まで生きれば満足です」パイルは「私も44歳になれるか不安さ」といういい場面があり、パイルの従軍記事に基づいていると思われる会話ですが、実際はパイルは45歳を迎えて間もなく戦死したのですから急逝2か月後の公開時にはこの場面はより痛切だったでしょう。
 本作は北アフリカ(チュニジア)戦線~イタリア戦線の戦いを通して戦争の悲惨を描いた映画ですし、『アダノの鐘』はイタリアで敗戦処理に従事するアメリカ占領軍の苦心を描いた映画ですが、どちらもヒューマニズムを声高に謳い上げないところに戦争の核心を見つけようとした大人の映画であることに感動がある、冷静で暖かな視線が光る作品です。北アフリカチュニジア戦線はほとんど寒冷地の砂漠地帯の戦争ですがイタリア戦線は市街戦であり、イタリアは早く敗戦していましたから本作や『アダノの鐘』(こちらは敗戦後のローマ自体がドラマの舞台背景)はイタリア・ロケが行われていてイタリア人エキストラが大勢登場します。アメリカの第二次世界大戦戦争映画を観るとアメリカ映画のドイツや日本への敵対感情は軍部のみならずドイツ民族、日本民族まるごとへの憎悪なのには背筋の凍る思いがし、映画は民衆感情を反映しているでしょうから、アメリカ軍が国際法を違犯してもドイツや日本の軍事施設以外の市民居住区を爆撃し大量の民間人殺傷を行ったのはそうしたアメリカ人の民族まるごとへの反独・反日感情であり、原爆投下の対象に日本が選ばれたのは島国で周辺諸国への二次被害がない、ということだったでしょう。ところがアメリカの第二次世界大戦映画を観てもぞっとする反独・反日感情こそあれイタリアへの敵国感情はほとんどなく、攻撃対象はムッソリーニ政権のみで当然イタリア民族への憎悪などまったくなく、むしろ悪代官の城下町市民への同情のような共感と協力的な友好感情すらあります。しかし本作はそうした第二次大戦映画特有のドイツ人や日本人への民族的侮蔑感を感じさせない作品で(イタリア市民への親愛感はありますが)、市街戦場面ではアクションも多く、安易に死を描かないウェルマン作品としてはナチス兵士との銃撃戦での死者を描きますし、映画の終盤までにはそれまでアーニー・パイルが見守ってきた兵士のほとんどが戦死していますが、ナチス兵士の死は戦闘中の死が描かれるのに、アメリカ陸軍兵の死は戦闘後に遺体が発見される(または報告が届く)といった具合に直接的に死亡場面そのものが描かれないのはいかにもウェルマンらしい一歩引いたリアリズム感覚があります。これを戦傷・戦死者ごとに振り分けて描いていたらアーニー・パイルの視点から見たものとはかえって離れたものになってしまう。本作がジョン・ヒューストン監督作になる予定だったというのは、'43年の企画時にはまだヒューストンは『マルタの鷹』'41,『追憶の女』'42,『パナマの死角』'42の3作しか撮っておらず、兵役を経た次作のドキュメンタリー映画が'46年ですから戦争末期だけに兵役が長引いたのが'48年の『黄金』『キー・ラーゴ』以降の飛躍につながったと改めて知らされますが、実際の第二次大戦経験者をキャストに起用して南北戦争の混乱を兵士視点で描いた秀作『勇者の赤いバッヂ』'51にはヒューストン自身が監督予定だった本作『G・I・ジョウ』が反映しているかもしれないと今さらながら気づかされます。年少(1906年生まれ)のヒューストンは当然ウェルマン作品を注意深く観たでしょう。『勇者の赤いバッヂ』も視点を主人公に徹頭徹尾限定することで戦場のわけのわからなさ、戦闘中断が訪れないと戦局を理解できないもどかしい臨場感を強調して、戦争全体が万能な視点から分析的に描かれる従来の戦争映画の話法の虚構性を廃したものでした。ヒューストンほど明確な方法意識によるものではなさそうですが、『G・I・ジョウ』のウェルマンがシナリオ自体の構成に従ったとしても実現してみせたのは兵士(と同じ目線の従軍記者)から見た等身大の戦争であり、兵士たちにとっての戦闘は何らヒロイックなものではなく労働に次ぐ労働、しかも生産的とはまるで言えない危険な労役の連続として描かれ、多くが徒労でしかなく、次々と命を落としていくものでしかない終わりの見えない戦いとして描かれます。映画の展開を逐次的に追っていくかたちで感想文を書こうとすれば本作は断片的でしばしば完結しないエピソードの羅列になり、ただし伏線はきっちり回収されますから構成の断片性は計算されたものですが、主要な10人ばかりの兵士のエピソードがパイルの視点から断片的に同時進行でとらえられるので継起順に映画の場面を記してもとりとめがなく、観終えた時にようやく全体像を現してくるような映画ですからちっとも具体的な感想文になっていないのをお詫びしますが、兵士と同じ制服を着用してもはっきりと兵士ではなく従軍記者とわかるアーニー・パイル役のバージェス・メレディスの黒子のような存在感の好演、口ひげを生やしてやたらひょろ長い体型で他の映画で見慣れたミッチャムとはまるで別人のような中尉役のミッチャムなど俳優の演技の質が通常の劇映画とはまったく異なるのは監督ウェルマンの手柄でしょう。今回の『牛泥棒』『西部の王者』『G・I・ジョウ』をアメリカ映画の良心と呼びたくなるゆえんです。

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