[ 八木重吉(1898-1927)大正13年=1924年5月26日、長女桃子満1歳の誕生日に。重吉26歳、妻とみ子19歳 ]
八木重吉詩集『貧しき信徒』
昭和3年(1928年)2月20日・野菊社刊
この八木重吉詩集の読解はあまりに書誌面の紹介に拘泥しているように見えるかもしれません。しかし八木のように生前あまりに詩人として世にでていた期間の短かく、自作解説や詩論を残さなかった詩人は、判明している作詩年表、発表形態を調べる以外に八木自身の創作過程と詩作意識を知る手段はないのです。逝去半年前に病床で編集され、出版は歿後4か月後になった八木重吉の第2詩集『貧しき信徒』は、
・大正14年(1925年)4月~12月=62編
・大正15年(1926年)1月~3月=28編
・大正15年3月~昭和2年(1927年)の病床ノオトより=11編(3月分6編・12月分5編)
・年代不詳=2編
――となり、全103編中90編が生前に各種の詩誌・新聞雑誌に発表されていたのが判明しました。その90編は前回に初出誌単位の編年順に、初出誌での発表型に復原して掲載しました。詩集『貧しき信徒』収録詩編の制作時期は第1詩集『秋の瞳』編纂完了後に始まり、晩年2年間の八木重吉の手稿は小詩集(病床ノオト)32冊分に及び、これに1~32と番号を振ると、小詩集25、26は未整理分で、32は生前発表された詩編中小詩集に出典がないもので、総数では確認されただけでも1,215編(小詩集17は全編重複により除外)に上ります。以上を再度一覧にしてみましょう。
[ 詩集『貧しき信徒』収録詩編初出小詩集一覧 ]
1○詩稿 桐の疏林(大正14年4月19日編)詩48編、生前発表詩4編、『貧しき信徒』初稿1編初出
2○詩稿 赤つちの土手(大正14年4月21日編)詩39編、『貧しき信徒』初稿なし
3○春のみづ(大正14年4月29日編)詩8編、生前発表詩5編、『貧しき信徒』初稿なし
4○詩稿 赤いしどめ(大正14年5月7日編)詩32編、生前発表詩1編、『貧しき信徒』初稿2編初出
5○詩稿 ことば(大正14年6月7日)詩67編、生前発表詩9編、『貧しき信徒』初稿7編初出
6○詩稿 松かぜ(大正14年6月9日)詩18編、『貧しき信徒』初稿なし
7○詩稿 論理は熔ける(大正14年6月12日)詩37編、『貧しき信徒』初稿なし
8○詩稿 美しき世界(大正14年8月24日編、「此の集には愛着の詩篇多し、重吉」と記載)詩43編、生前発表詩10編、『貧しき信徒』初稿11編初出
9○詩・うたを歌わう(大正14年8月26日)詩27編、生前発表詩1編、『貧しき信徒』初稿7編初出
10○詩・ひびいてゆこう(大正14年9月3日編)詩21編、生前発表詩3編、『貧しき信徒』初稿3編初出
11○詩・花をかついで歌をうたわう(大正14年9月12日編、「愛着の詩篇よ」と記載)詩34編、生前発表詩6編、『貧しき信徒』初稿8編初出
12○詩・母の瞳(大正14年9月17日編)詩24編、生前発表詩5編、『貧しき信徒』初稿5編初出
13○詩・木と ものの音(大正14年9月21日編)詩24編、生前発表詩1編、『貧しき信徒』初稿1編初出
14○詩・よい日(大正14年9月26日)詩41編、生前発表詩2編、『貧しき信徒』初稿なし
15○詩・しづかな朝(大正14年10月8日編)詩40編、生前発表詩3編、『貧しき信徒』初稿2編初出
16○詩・日をゆびさしたい(大正14年10月18日編)詩34編、生前発表詩7編、『貧しき信徒』初稿6編初出
17○雨の日(大正14年10月編、自薦詩集、推定約20編・現存10編、既出小詩集と重複)
18○詩・赤い寝衣(大正14年11月3日)詩43編、生前発表詩5編、『貧しき信徒』初稿6編初出
19○晩秋(大正14年11月22日編)詩67編、生前発表詩3編、『貧しき信徒』初稿3編初出
20○野火(大正15年1月4日編)詩102編、生前発表詩7編、『貧しき信徒』初稿7編初出
21○麗日(大正15年1月12日編)詩32編、生前発表詩6編、『貧しき信徒』初稿4編初出
22○鬼(大正15年1月22日編)詩40編、生前発表詩2編、『貧しき信徒』初稿2編初出
23○赤い花(大正15年2月7日編)詩54編、生前発表詩5編、『貧しき信徒』初稿3編初出
24○信仰詩篇(大正15年2月27日編)115詩編、生前発表詩9編、『貧しき信徒』初稿9編初出
25○[欠題詩群](大正15年2月以後作)詩29編、生前発表詩3編、『貧しき信徒』初稿3編初出
26○[断片詩稿](推定大正14年作)詩15編、『貧しき信徒』初稿なし
27○ノオトA(大正15年3月11日)詩117編、生前発表詩6編、『貧しき信徒』初稿6編初出
28○ノオトB(大正15年5月4日)詩19編、『貧しき信徒』初稿なし
29○ノオトC(大正15年5月)詩5編、『貧しき信徒』初稿なし
30○ノオトD(大正15年6月)詩24編、『貧しき信徒』初稿なし
31○ノオトE(昭和元年12月)詩29編、生前発表詩2編、『貧しき信徒』初稿5編初出
32○歿後発表詩(原稿散佚分)詩38編、『貧しき信徒』初稿なし
●貧しき信徒(昭和3年=1928年2月20日野菊社刊)詩集初出詩編2編
――ここでまず俎上に上がるのが八木重吉が第1詩集『秋の瞳』後に生前に詩誌・雑誌類に発表した119編の詩編のうち、第2詩集『貧しき信徒』には選出しなかった29編でしょう。執筆時期を示すために初出小詩集を記載し、これらを詩集には採択収録しなかった八木の意図を汲んで、1字下げでご紹介します。
[『貧しき信徒』未収録生前発表詩29編 ]
●大正14年7月17日「読売新聞」4編
いきどほり
わたしの
いきどほりを
殺したくなつた
(小詩集「桐の疏林」初出)
かけす
かけす が
とんだ、
わりに
ちひさな もんだ
かけすは
くぬ木ばやしが すきなのか、な
(初出不詳)
路
消ゆるものの
よろしさよ
桐の 疏林に きゆるひとすぢに
ゆるぎもせぬこのみち
(初出不詳)
丘
ぬくい 丘で
かへるがなくのを きいてる
いくらかんがへても
かなしいことがない
(初出不詳)
●大正14年8月「文章倶楽部」9編
椿
つばきの花が
ぢべたへおちてる、
あんまり
おほきい木ではないが
だいぶ まだ 紅いものがのこつてる
じつにいい木だ
こんな木はすきだ
(初出不詳)
心
死のうかと おもふ
そのかんがへが
ひよいと のくと
じつに
もつたいない こころが
そこのところにすわつてた
(小詩集「春のみづ」初出)
筍
もうさう藪の
たけのこは
すこし くろくて
うんこのやうだ
ちつちやくて
生きてるやうだ
(小詩集「春のみづ」初出)
春
ふきでてきた
と いひたいな
あをいものが
あつちにも
こつちにもではじめた
なにか かう
まごまごしてゐてはならぬ
といふふうな かんがへになる
(初出不詳)
顔
悲しみを
しきものにして
しじゆう 坐つてると
かなしみのないやうな
いいかほになつてくる
わたしのかほが
(小詩集「春のみづ」初出)
絶望
絶望のうへへすわつて
うそをいつたり
憎くらしくおもうたりしてると
嘘や
にくらしさが
むくむくと うごきだして
ひかつたやうなかほをしてくる
(小詩集「春のみづ」初出)
雲
いちばんいい
わたしの かんがへと
あの 雲と
おんなじくらゐすきだ
(小詩集「桐の疏林」初出)
断章
ときたま
そんなら
なにが いいんだ
とかんがへてみな
たいていは
もつたいなくなつてくるよ
(小詩集「桐の疏林」初出)
春
あつさりと
うまく
春のけしきを描きたいな
ひよい ひよい と
ふでを
かるくながして
しまひに
きたない童(コドモ)を
まんなかへたたせるんだ
(小詩集「春のみづ」初出)
●大正14年9月「文章倶楽部」2編
原つぱ
ずゐぶん
ひろい 原つぱだ
いつぽんのみちを
むしやうに あるいてゆくと
こころが
うつくしくなつて
ひとりごとをいふのがうれしくなる
(小詩集「ことば」初出)
松林
ほそい
松が たんとはえた
ぬくい まつばやしをゆくと
きもちが
きれいになつてしまつて
よろよろとよろけてみたりして
すこし
ひとりでふざけたくなつた
(小詩集「ことば」初出)
●大正14年11月「詩之家」3編
栗
あかるい、日のなかにすわつて
栗の木をみてゐると
栗の実でももいで
もつてゐたいやうな気がしてくる
(小詩集「しづかな朝」初出)
よい日
よい日
あかるい日
こゝろをてのひらへもち
こゝろをみてゐたい
(小詩集「よい日」初出)
山
あかるい日
山をみてゐると
こゝろが かがやいてきて
なにかものをもつて
じつと立つてゐたいやうな気がしてくる
(小詩集「よい日」初出)
●大正14年12月「近代詩歌」2編
竹を切る
こどものころは
ものを切るのがおもしろい
よく ひかげにすわつて
竹をきりこまざいてゐた
(小詩集「よい日」初出)
とんぼ
ゆふぐれ
岡稲(おかぼ)はふさぶさとしげつてゐる
とんぼがひかつてる
おかぼのうへにうかんでる
(小詩集「ひびいてゆこう」初出)
●大正15年3月「詩之家」7編
冬
あすこの松林のとこに
お婆さんがねんねこ袢襦を着て
くもつて寒い寒いのに
赤い頭布の赤ん坊を負ぶつてゐるのがうすく見える
ほら 始終ゆすつてゐるだらう
あれにひき込まれそうにわくわく耐らなくなつてきた
(小詩集「鬼」初出)
朝
門松の古いのを庭隅へほつておいたら
雀がたくさんはいりこんでゐる
ひどい霜で奴等弱つてゐるな
(小詩集「赤い花」初出)
冬
真つ赤な子供が
どこかで素裸で哭いてゐる
そつと哭いてゐるがとても寄りつけない
(小詩集「赤い花」初出)
冬
外へ出てゐたが
明るいのがさびしくなり
家へはいつて来た
(小詩集「赤い花」初出)
冬
朝から昼
それから晩と
うつつてゆく冬の気持ちは
つい気づかずにしまふ位かすかではあるが
一度親しみをもつと忘れられない
(小詩集「麗日」初出)
冬
しづかな日に
ぼんやり庭先きの葉のない桜などみてゐたら
なんだかうつすらした凄い気持ちになつた
(小詩集「麗日」初出)
冬
桃子とふざけながら
たのしい気持でゐても
ときたま赤いような寂しさをみたとおもふ
(小詩集「鬼」初出)
●大正15年9月「詩之家」1編
暗い心
ものを考へると
暗いこころに
夢のようなものがとぼり
花のようなものがとぼり
かんがへのすえは輝いてしまう
(小詩集「日をゆびさしたい」初出)
●昭和2年5月「生誕」1編
無題
藪田君が今日見舞に来てくれてうれしかつた
(小詩集「ノオトE」初出)
――詩集収録型を決定稿とした場合、編年順では前回初出誌ごとに発表順に分けて掲載した詩集『貧しき信徒』収録の生前詩誌・雑誌発表作90編が次に来ますが、それは前回をご覧いただくとして、以上の詩集未収録詩編の次に位置するのが昭和2年春に編集を終えた第2詩集『貧しき信徒』(八木が昭和2年10月26日に逝去後、昭和3年2月20日刊)で初めて発表された13編です。これも出典の小詩集を記し、またこれらは八木が詩集収録によって発表の意図したものですから1字下げはせずに転載します。
●詩集『貧しき信徒』初発表13編
秋
こころがたかぶつてくる
わたしが花のそばへいつて咲けといへば
花がひらくとおもわれてくる
(小詩集「花をかついで歌をうたわう」初出)
光
ひかりとあそびたい
わらつたり
哭(な)いたり
つきとばしあつたりしてあそびたい
(小詩集「花をかついで歌をうたわう」初出)
桐(きり)の木
桐の木がすきか
わたしはすきだ
桐の木んとこへいこうか
(小詩集「うたを歌わう」初出)
ひかる人
私をぬぐらせてしまひ
そこのとこへひかるやうな人をたたせたい
(小詩集「しづかな朝」初出)
木
はつきりと
もう秋だなとおもふころは
色色なものが好きになつてくる
あかるい日なぞ
大きな木のそばへ行つてゐたいきがする
(小詩集「赤い寝衣」初出)
顔
どこかに
本当に気にいつた顔はないのか
その顔をすたすたつと通りぬければ
じつにいい世界があるような気がする
(小詩集「赤い花」初出)
夕焼
いま日が落ちて
赤い雲がちらばつてゐる
桃子と往還(おうかん)のところでながいこと見てゐた
(小詩集「鬼」初出)
冬の夜
皆が遊ぶやうな気持でつきあへたら
そいつが一番たのしからうとおもへたのが気にいつて
火鉢の灰を均(な)らしてみた
(小詩集「鬼」初出)
病床無題
人を殺すような詩はないか
(小詩集「ノオトE」初出)
無題
息吹き返させる詩はないか
(小詩集「ノオトE」初出)
無題
ナーニ 死ぬものかと
児(こ)の髪の毛をなぜてやつた
(小詩集「ノオトE」初出)
無題
赤いシドメのそばへ
によろによろつと
青大将を考へてみな
(小詩集「赤いしどめ」→「ノオトA」→「ノオトE」初出)
無題
夢の中の自分の顔と言ふものを始めて見た
発熱がいく日もつゞいた夜
私はキリストを念じてねむつた
一つの顔があらはれた
それはもちろん
現在私の顔でもなく
幼ない時の自分の顔でもなく
いつも心にゑがいてゐる
最も気高(けだか)い天使の顔でもなかつた
それよりももつとすぐれた顔であつた
その顔が自分の顔であるといふことはおのづから分つた
顔のまわりは金色をおびた暗黒であつた
翌朝眼がさめたとき
別段熱は下つてゐなかつた
しかし不思議に私の心は平らかだつた
(小詩集「ノオトE」初出)
――さて、さらにもっとも問題になるのが小詩集31までのいずれにも属さず、遺稿を保存していた未亡人の提供によらず八木によって生前に同人詩誌の知友に託されていたとおぼしく、八木の歿後に発表されるもその後原稿が散佚している歿後発表詩29編です。八木は昭和2年春に『貧しき信徒』をかろうじてまとめ上げ、爾後は筆を執ることもままならなかったのは生前最後の同人詩誌への発表詩、
藪田君が今日見舞に来てくれてうれしかつた
(「無題」昭和2年5月発表)
――にもありありと現れていますが、『八木重吉全集』で発表誌単位・推定執筆年順に並べられたと思われる歿後発表詩は後半になるほど未定稿の様相を顕してきます。連作詩には執筆年月が付されていますが、おそらく昭和2年初頭に詩集『貧しき信徒』の編集を終えた後に改めて手稿からまとめ直されたものと見るべきでしょう。全集では原稿も散佚していれば生前の発表でもないこの29編については配列の根拠を示していないので推定執筆年月を添えますが、おそらく全集でも同様の判断のもとに発表順によらず、推定執筆年月順の配列にしたと思われます。いわばこの原稿散佚歿後発表詩29編は詩集「『貧しき信徒』以後」と言うべき痛ましい補遺になっているのです。これらは未定稿と見なすべきでしょうから1字下げでご紹介します。またこれらは原文も促音(つ)は小字、多くは表音かな遣いで書かれているのを注記しておきます。連作詩はほとんど詩の体裁をなさない、八木自身の使徒信条と言うべき信仰告白に始終しています。八木の2冊の詩集『秋の瞳』『貧しき信徒』の愛読者でさえも、この歿後発表の信仰詩編から詩を読む歓びを感じるのは難しいのではないでしょうか。
[ 歿後発表詩(原稿散佚分) 29編]
●昭和3年3月「生誕」1編
不可思議
ふかしぎが
生まれたらば
ひざまづいて
おがみたい
ああ かがやいてゆく
はるのこころ
(推定大正14年4月)
●昭和3年3月「生活者」1編
愛
愛がふってくる
愛がふってくる
うたを歌わう
(推定大正14年8月)
●昭和10年11月「エクリバン」3編
梧桐
あを桐の みきを そっとなぜ
その しづけさを 分けてもらわうとする
(推定大正14年8月)
花火
はなびが
するどく うちあがった
おもしろい 風船も でず
もく もくと
けむだけが しろく あがった
死のいたみを
こっそりと うれしむ あき ひるさがり
(推定大正14年8月)
冬
おもへば
むしも死にたえし ふゆの夜である
(推定大正14年11月)
●昭和3年3月「生活者」連作19編
○
命は糧よりまさると書いてある
○
私とは何だらう
私を無くした気持は楽で清々してゐる
○
一番よいものをすぐつかめば
あとは一人手にわかって来そうだ
○
ひとりでに
楽しい気持がこみあげてくる
○
ひとに褒められて嬉しいのは
きっとあとにいやな気持がのこる
そして自分が賤しくなったようなきがする
少しでもひとにかゝわらずにでてくるうれしさは
ほんのわづかでも清々して力が入ってゐる
○
概念で云ひさへしなければ
抽象も尊い
○
神を肉体があるように感じたい
そしてそのまゝ云ひたい
○
明けても暮れても神のことをおもひ
うっとりする位好きになりたい
○
私のそばに
イエスがゐるように思へる時は
力づよい
○
室の中に
イエスがゐるようにおもへる
ときほど力づよい時は無い
○
私を忘れれば尚ほいい
イエスをおもふだけに
なってしまへばいい
○
神は愛である
神が愛の原理であるわけでは無い
神の手、足、その動き
神の顔、その瞳
すべてが愛である
神のことを愛といふのだ
神のすべてを讃称して愛といふのだ
神が人間を愛するから
神が愛であるのではない
神は元々愛である。
愛は神の外には完いものは無いのだ
愛は即ち神なのだ。
○
神を愛せぬ私
人を愛せぬ私
それは本当の私でないから
要らない
○
望が無くなってしまふ
夜歩いてゐたらば
月がうれしかった
いくども振り返へって見あげた
○
他のことが
皆駄目だとはっきり思ってしまふと
月を見てゐることがうれしい
子供たちの顔も可愛いい
机の上の桃の花にも心をうちこめる
○
桃はしぼみ初めても
上の枝には青い葉をつけながら
瓶にささってはり切った気持で咲いてゐる
○
神に帰へり
神をおもふ心
これを奪うものは無い
○
神をおもふて足りる
神を敬ふて足りる
それは大いなる技だ
○
女女しいと云へば足りる
分らないと云へば足りる
しかしなほ進まうとする
(一九二五―一九二六)
(推定大正14年~大正15年/昭和元年初稿、推定昭和2年整理)
●昭和3年4月「生活者」14編
信 仰 日 記
○
神さま
あなたの御栄えのため
悩みの焔の中に世界に散りし
さまざまの信仰者の行蹟をもいつの日にか知らしめたまへ
かくて
わが弱き信仰をむちうち
われに神の力をみさせたまへ
○
ああ俺れは駄目だ
おれは世に敗けた
人の嘲けりの的だ
こう心から寒寒とおもふたとき
そしてあなたをふり仰いだとき
あなたは前よりも近くゐたまひました
○
神さま
聖霊のはたらきをたまひ
わがたましひを砕き
あたらしき芽
あたらしきたましひをおこしたまへ
○
朝より寝るまで
寝ねて夢にも
あなたの御ひかりにおつつみください
あなたの御顔をかがやかせたまへ
○
望みを此の世に失へる日
さぶしく
心いらだたしく
されど
心の底に潔きもの見ゆ
心うすくうるわし
○
神よ
神よ
ただ心おどらせたまへ
心もえあがらせたまへ
○
神よ
頭をたれ
むなしきことを思わせたまふな
ひたむきに
神を信仰し
こころ
燃えあがらせたまへ
○
われ
日に日に
此の世の
さかえを離れ
日に日に
神の国の
ただひとつの
さかえをもとめん
○
父よ
世に捨てられし者をとり
いとたかくあぐる父はほむべきかな
ひくきをあげ
たかきをくだく
神のみこころはふかきかな
○
父よ
弱きもののみをたすけ
この世のたかき者をかならず打つ
父のみはからひの深きをたたへむ
○
父よ
われを独りにあらせ
独りにて平らかならしむる者
神のみことばの外にあらず
○
父よ
ふしぎなる
聖霊のちからよ
われにあるごとく
父にあるごとく
ふしぎなるちからよ
われを
父につれゆくめぐみよ
わが魂のうちに芽ざしたる
ただひとつ
罪なき芽よ
○
父よ
火のごとく
信ぜしめよ
もえしめよ
父よ
恵みの
鞭をもてうちたまへ
父よ
父よ
みかほをかくし給ふな
父よ
父を信ぜれば足れり
○
神よ
つかれ
また
伏し
力なく
されど
神にのみすがらんと
味気なく
人にも交らず
語らず
いつの日か
いつの日かと
あきらかなる日のみまつなり
(一九二五年十二月三日―八日)
(推定大正14年12月初稿、推定昭和2年整理)
(引用詩のかな遣いは原文に従い、用字は当用漢字に改め、明らかな誤植は訂正しました。)
(以下次回)