人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2019年2月11日・12日/小林正樹(1916-1996)監督作品(6)

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 完成度や芸術性、瑕瑾を越えて圧倒的な代表作になっている作品を持つ創作家は幸運というもので、映画化された時点で累計1,000万部に迫るセールスを記録していた大ベストセラーの自伝的長編小説『人間の條件』'56-'58(昭和31~33年刊、全六部)の作者・五味川純平(1916-1995)は小林正樹と生没年までほとんど重なる同世代人でもあれば、『人間の條件』に描かれた五味川純平の従軍体験は小林正樹の従軍体験と地理的・時期的にも相当部分が重なるものでした。松竹の看板女優で発言力の強かった岸恵子有馬稲子久我美子が立てた製作プロダクションのにんじんくらぶによって同作の映画化の機会を与えられた小林正樹は、原作小説通りの構成で全六部に、二部ずつを3時間を越える大作として昭和34年~昭和36年にかけて全編9時間半におよぶ三部作に分けて完成・公開します。この映画化作品『人間の條件』は小林正樹にとっても畢生の大作かつ代表作となり、かつては名画座のオールナイト上映というと真っ先に浮かんでくる日本映画のひとつでした。今でもこの映画は観客に訴える力を失っていないのですが、本作に描かれた第2次世界大戦末期の日本の軍隊の実態は戦争経験者の世代がほぼ故人となった現在ではかえって公けに語ることがタブーとなっている侵略戦争の腐敗と失敗であり、軍事的・政治的な愚行と失策であって、義務教育教科書では言及が避けられているような日本現代史の負の側面であって、その告発性によって今日の観客からは時代の懸隔ゆえに縁遠いものになってしまっている。五味川純平は同世代の戦後文学者のように文学青年が戦争経験を経て戦後の文学の世界にデビューしたのではなく、戦争経験によって初めて小説の筆を執った人で、その点ではハワイでの従軍経験から『地上より永遠に』'52を書いてデビューしたアメリカ作家のジェームズ・ジョーンズ(1922-1977)に似ています。『人間の條件』は空前のベストセラーにはなりましたが(現在累計1,300万部)、ほとんど文学的評価の対象にはなりませんでした。しかし映画『人間の條件』は国際的に評価され、現在では海外での認知度の方が戦後日本映画の代表的作品として依然高い評価を保ち続けており、おそらく小林正樹作品の中で1作というと『人間の條件』かドキュメンタリー『東京裁判』'83のどちらかになる。それほどの重量を持った映画です。なお戦後監督である小林正樹監督作品はキネマ旬報に公開当時の新作日本映画紹介がありますので、時代相を反映した歴史的文献として、今回も感想文中に引用紹介させていただくことにします。

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●2月11日(月)・2月12日(火)
人間の條件・第一部純愛篇、第二部激怒篇』(にんじんくらぶ=歌舞伎座映画=松竹'59)*105min, B/W+96min, B/W・昭和34年1月15日公開

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 本作の力作感はたいへんなもので、小林正樹作品でこれまで十全に完成された印象を与えるのは長編4作目のホームドラマ『この広い空のどこかに』'54きりと言ってもいいくらいで他の作品はどこかしら表現と内容に瑕が目立つものでしたが、長編9作目の本作にいたってようやく小林正樹は自家籠中の対象をつかんだ観があります。全六部(6分冊)の原作を二部ずつ三部作に分けた構成も多分に製作単位の便宜上のこともあるかもしれませんし、芸術的見地からは均衡が取れているとは言えないかもしれませんが、そうした割合作品内容外の理由から生じた不均衡すら本作にはプラスに働いている。映画『地上より永遠に』'53は原作小説後半で本質的なテーマになってくる人間性を疎外する不条理な組織への一兵士の抵抗を大きく図式化して割り切ったことでまとまりの良い映画になっていましたし、あれはあれで戦争映画の型から踏み出して成功した作品でしたが、本作はあんなに都合良くまとまった作品ではありません。小林正樹昭和16年('41年)春に松竹に入社しましたが、半年ほど助監督を勤めた最中に、同年末の太平洋戦争開戦によって徴兵されました。満州ソ連国境線の警備の任務を経て昭和19年('44年)に宮古島へ移動、飛行場建設作業に従事していたので、沖縄本島の総玉砕戦からは偶然逃れましたが、宮古島終戦を迎えるも労働要員として沖縄本島嘉手納捕虜収容所に収容され、昭和21年('46年)にようやく復員して翌年から松竹での助監督生活の再スタートを切ったという人です。また五味川純平は大学の英文科卒業後、満州鞍山の昭和製鋼所に入社するも、昭和18年('43年)召集を受け、満州東部国境各地を転々とし、昭和20年('45年)8月のソ連軍の満州侵攻時には所属部隊はソ連軍部隊の攻撃を受けて全滅に近く、生存者は五味川以下数名だったといいます。日本への引き上げは昭和23年('48年)までかかり、復員後書き始められたのが原作小説『人間の条件』だったといいますから、本作の原作者と映画監督は同年生まればかりか戦争体験についても近い経験を共有していたことになります。また本作当時はレッドパージで解職されフリーで活躍していた宮島義勇(1909-1998)カメラマンはかつて松竹~東宝で「宮島天皇」と称されたアナーキスト~左翼グループ出身の巨匠でやはり満州に渡っていた時期があり、満州を舞台にした本作のロケーションは当時日中国交が回復していなかったため主要部分は北海道のサロベツ原野周辺で行われ、秋田県で追加撮影(室内場面は世田谷のスタジオです)されましたが、小林監督とも宮島カメラマンとも「満州の雲」が出るまで何日も待つばかりか、カットのOKやNGの判断を小林監督の決定を待たず宮島カメラマンがどんどん出して撮影を進めてしまう、とこれまた戦争そこのけの混乱も交えた撮影だったそうで、第二部は後半になるほど執拗なほど描写に重複や反復が見られるのはそのためもあると思われます。またにんじんくらぶが用意した製作予算を超過したため途中から歌舞伎座映画との共同製作になりました。それらも本作では充実した肉厚な内容に結びついている。三部作のかたちで公開された通り、本作は原作の六部分冊構成を意識して第一部、第二部と分けられていますし、DVDも一部ごとの全6巻に分けられていますが、実際はクレジット・タイトルは奇数部にしか出てこないように第一部・第二部の『人間の條件』、第三部・第四部の『第三部望郷篇、第四部戦雲篇』、第五部・第六部の『完結篇』という各3時間強の三部作と見た方がよく、特にこの第一部・第二部はまず単独の3時間大作として鑑賞されるように出来ていて、その段階で三部作構成の製作・公開は企画されていたものの第二弾、第三弾の封切りタイトルは未定だったのではないかとポスターからはうかがえます。本作も公開当時のキネマ旬報に紹介を引いておきますが、あらすじ中に第一部と第二部の区切りがないのもそこらへんがあいまいだったことを示しているように思えます。
[ スタッフ ] 監督 : 小林正樹 / 脚色 : 松山善三小林正樹 / 原作 : 五味川純平 / 製作 : 若槻繁 / 撮影 : 宮島義勇 / 美術 : 平高主計 / 音楽 : 木下忠司 / 録音 : 西崎英雄 / 照明 : 加藤隆二 / 助監督 : 稲垣俊 / 中国語監修 : 黎波
[ 解説 ] 空前のベストセラーとなった五味川純平の同名小説の映画化。今回はその第二部まで。「有楽町0番地」の共同執筆者・松山善三小林正樹が脚色、「黒い河」の小林正樹が久方ぶりに監督した。撮影は「裸の太陽」(東映)の宮島義勇。「裸の太陽」の仲代達矢、「鰯雲」の新珠三千代をはじめ、佐田啓二有馬稲子淡島千景・南原伸二・山村聡らの多彩なキャスト。
[ 配役 ] 仲代達矢 : 梶 / 新珠三千代 : 美千子 / 小林トシ子 : 靖子 / 山本和子 : 珠代 / 佐田啓二 : 影山 / 中村伸郎 : 本社部長 / 田島義文 : 大西 / 佐々木孝丸 : 満州浪人 / 山村聡 : 沖島 / 三島雅夫 : 所長黒木 / 三井弘次 : 古屋 / 芦田伸介 : 松田 / 小沢栄太郎 : 岡崎 / 小杉義男 : 川島 / 稲川善一 : 小池 / 玉島愛造 : 樋口 / 永田靖 : 牟田 / 磯野秋雄 : 小林 / 浜田寅彦 : 金田 / 宮口精二 : 王享立 / 南原伸二 : 高 / 増田順二 : 宋 / 殿山泰司 : 黄 / 北龍二 : 劉 / 河野秋武 : 河野憲兵大尉 / 安部徹 : 渡合憲兵軍曹 / 福田正剛 : 田中上等兵 / 石浜朗 : 陳 / 淡島千景 : 金東福 / 有馬稲子 : 楊春蘭 / 山茶花究 : 張命賛 / 東野英治郎 : 饅頭屋の親爺 / 北林谷栄 : 陳の母親 / 岸輝子 : 岡崎の妻 / 織本順吉 : 崔
[ あらすじ ] 昭和十八年の満州、梶と美千子の夫婦をのせたトラックは老虎嶺鉱山に向けて走っていた。満鉄調査部勤務の時に知合い結ばれた二人は、友人影山の勧めで労務管理の職につく梶の任地に行くのだ。戦争に疑いをもち、妻を愛する梶が、召集免除を条件に自ら選んだ職場が、そこに彼を待っているはずだった。しかし、現地人の工人達を使って苛酷な仕事を強いる鉱山の労働条件は、極度に悪かった。現場監督岡崎一味の不正に対抗し、同僚沖島や部下の現地事務員陳の助けをえて、梶の苦闘がつづく。折から上部より二割緊急増産の指令とともに、北支から六百名の捕虜が特殊工人として送りこまれてきた。半死状態の捕虜たちは電流を通じた鉄条網の中に入れられ、労働意欲をかりたてるためと称して娼婦をあてがわれた。工人の高と、娼婦楊春蘭の愛が芽ばえたのは、そんな条件の中でだった。一方、朝鮮人の張命賛は、娼婦の金東福を使って、工人を脱走させる仕事で甘い汁を吸っていた。真面目な陳を金東福の色じかけで手中に入れ、弱点を握って鉄条網の電流を一定時間とめさせるのだ。牟田や古屋が日本人側からこれに加担していた。特殊工人と話し合って、現状での最善の状態を作ろうと努力し、梶は二割増産を達成させた。しかし、楽しみにしていた美千子との休暇は、張一味による脱走事件の発生で中止となった。張一味と結んだ古屋は、梶をねたんで再度の工人脱走を企てた。だが、陳は良心の苛責から、三千三百ボルトの電流の通じる鉄条網に自ら身を投じて死んだ。現場監督岡崎の非人間的な態度は、特殊工人の反感を買い、ある時、高をはじめとする七人の抗議事件をひきおこした。憲兵軍曹渡合の手で、七人は日本刀による斬首の刑に処されることになった。一人、二人と残虐な処刑が進行するうちに、それを見る梶の心理は激しく動いた。特殊工人たちの喚声の中で、遂に梶は「やめてくれ!」と声をあげて叫んだ。処刑は中止された。しかし、そのあとには、軍部に反抗を企てた梶に対する、恐るべき憲兵隊のリンチが待っていた。そして、半死半生で釈放された彼につきつけられたのは、現職免除の命令と、臨時召集令状だった。
 ――と、映画はすでに太平洋戦争開戦から2年を経過し日本が戦局で劣勢になりつつあった昭和18年(1943年)から始まります。南満州鉄鋼会社に勤める梶(仲代達矢)は応召した親友影山(佐田啓二)の勧めに従い、迷っていた婚約者・美千子(新珠三千代)との結婚に踏み切りますが、主人公が召兵を免れていたのは辛うじて軍需上必要な民間職務に就いていたからです。直後、梶は「植民地的労務管理」に関する報告が認められ、召集免除と引き換えに老虎嶺鉱山で労務管理の実務に就くことになります。梶は同僚の沖島(山村聰)にはヒューマニストと揶揄されながらも穏健な方針を理解されますが、一般工人をこき使う現場監督の岡崎(小沢栄太郎)や古屋(三井弘次)らは梶の管理に反発します。日和見主義者の所長の黒木(三島雅夫)は、そうした反目を放置しています。岡崎が反抗した俘虜を殺害した事件に俘虜たちが怒って反抗の気運が高まり、梶が岡崎を告発しても判断を下しません。ある日憲兵の渡合(安部徹)が「中国人捕虜600名を払い下げる」と通告して衰弱した俘虜たちを搬送し、「特殊工人」として働かせろと命令します。捕虜たちは高圧電流を流した鉄条網の中に住まわされ働かされ、所長の黒木は岡崎が反抗した俘虜を殺害した事件に俘虜たちが怒って反抗の気運が高まり、梶が岡崎を告発しても判断を下しません。梶は俘虜たちのリーダー王享立(宮口精二)や強硬派の高(南原宏治)と何とか信頼関係を結ぼうとします。俘虜たちを懐柔するために中国人慰安婦たちをあてがう方策が立てられ、心ならずも梶はその管理も任命されることになります。高は慰安婦の楊春蘭(有馬稲子)と恋に落ち、梶は高と楊の結婚を認めさせようとします。一方、朝鮮人の管理者・張命賛(山茶花究)は慰安所のリーダー金東福(淡島千景)と結託して脱走計画を練り、変電所管理技師を親友に持つ梶の助手の青年・陳(石浜朗)を誘惑して鉄条網の電源を一時切り、くり返し俘虜たちを脱走させて管理体制の責任問題と俘虜たちの反抗心をエスカレートさせます。疑惑をかけられた陳が同朋たちに糾弾されて突き飛ばされる場面で第一部は終わります。第二部にいたると、梶を陥れようとする現場監督の岡崎や古屋たちは、陳に命令して脱走事件をでっちあげ、策謀と気づいた陳は梶に伝える機会も奪われ、電源を切らないまま行われた脱走で次々と俘虜たちが焼死していくのを見かねて自ら鉄条網に飛びこみ焼死します。さらに岡崎が脱走の嫌疑をかけて懲罰していた作業現場の一団に抗議の抵抗をした高ら7人が憲兵隊命令で見せしめ処刑されることになり、梶は必死で処刑の阻止に奔走するも処刑は始まり、3人目の高まで処刑されたところで梶の中心請願につれて王が上げたシュプレヒコールの高まりに処刑は中止されますが、梶は大尉(河野秋武)の出向いてきた憲兵隊に逮捕されてしまいます。拷問にかけられ、王の逮捕と処刑を知らされた梶は絶望しますが、突然釈放されます。釈放の折に大尉に渡された書状は臨時召集礼状でした。再会した同僚の沖島も転任を命じられていましたが、梶は沖島から王の無事と脱走を知って快哉を叫びます。家に向かう砂丘で迎えに出てきていた梶は妻と抱擁しあったあと召集礼状を見せ、砂丘の向こうから中国語で恋人の高を失った楊から「日本人の人殺し!日本人の鬼!」と罵られながら、絶句する妻を抱きしめるシーンで第二部は終わります。第一部・第二部は戦争映画といっても戦時下の戦局を描いた映画で、日本人の侵略戦争がどのような腐敗をたどっていたかを民間中国人俘虜の強制労働管理者の理想主義者の現実への直面を通して描き、主人公の抵抗が兵役免除の地位から臨時召集名目の徴兵を招くことになるまでの物語で、主人公が兵士に取られるまでの長い長いプロローグですが、このプロローグにすでにもはや合理性も理性的判断、人間性も圧殺して醜悪な非人間的状況に陥った戦局悪化後の日本の軍隊の状態は余すところなく描かれているので、主人公が臨時召集を受ける本作の結末までで区切っても1本の長編映画として観ることができます。4か月を置いて製作された第三部・第四部が公開されたのは本作と同年の昭和34年11月、第五部・第六部からなる完結篇の公開が昭和36年1月で、三部作はそれぞれ単独作品としてキネマ旬報ではあつかわれ、第一部・第二部はキネマ旬報ベストテン5位、第三部・第四部は同年10位、完結篇は4位に入っています。仲代達矢黒澤明作品には『七人の侍』'54にエキストラ出演していましたが、『人間の条件』で黒澤の目にとまり『人間の条件』完結までの間に黒澤作品『用心棒』'61、『椿三十郎』'62に出演、その後準レギュラー出演するようになり、『人間の条件』完結篇がキネマ旬報ベストテン4位だった年に『用心棒』が3位でしたからこの時期映画俳優としての地位を確かにすることにもなりました。『人間の条件』全編はまだ第三部・第四部、第五部・第六部の完結篇と感想を述べる機会があるので今回書ききれなかった感想はそちらに送りますが、本作は小林正樹がようやく全人的かつストレートに自己のテーマを投入し得た作品として圧倒的な重量と訴求力・説得力があり、これまでの成功作・失敗作のすべての労力が流れこんでこればかりは別格と認めないではいられない特別な映画になっており、戦後日本の映画における巨大な文化遺産と言うべき作品です。こればかりは百聞は一見にしかずと言うべきものでしょう。