人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2019年2月23日・24日/小林正樹(1916-1996)監督作品(12)

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 今回で現在DVD発売されて手軽に観ることのできる小林正樹の監督作品はひと通り観てきた(観直してきた)ことになります。小林正樹の監督作品はDVD化がなかなか進まず2000年代初頭に『人間の條件(三部作)』『切腹』『怪談』『上意討ち 拝領妻始末』『化石』『東京裁判』の6作(三部作『人間の條件』を3作と数えれば8作)が国内DVD化されたきりでしたが、海外での方が未DVD化作品のDVD化が進み、2016年の生誕100年にはそれまで日本盤未DVD化だった『息子の青春』『まごころ』『壁あつき部屋』『三つの愛』『この広い空のどこかに』『美わしき歳月』『泉』『あなた買います』『黒い河』『いのち・ぼうにふろう』の10作がようやく国内盤でDVD化されました。それでもまだ3作、未DVD化でもあれば再上映の機会にも恵まれない作品が残っており、その3本は、
『日本の青春』(東京映画=東宝'68)・昭和43年6月8日公開
『燃える秋』(東宝映画=三越'78)・昭和53年12月23日公開
『食卓のない家』(MARUGENビル=松竹富士'85)・昭和60年11月2日公開
 ――と後期に集中していますが、『日本の青春』(キネマ旬報ベストテン第7位、タシュケント映画祭作品賞、カンヌ国際映画祭グランプリ・ノミネート)はめったに上映されず、『燃える秋』は主題歌のヒットで知られるものの公開に当たって製作スポンサー内部で汚職問題に発展したため製作スポンサーの意向から特別な機会しか再上映されず、テレビ放映や映像ソフト化の許可が下りない作品になっており、結果的に最後の監督作品になった『食卓のない家』にいたっては短期間の公開ののち製作スポンサーが門外不出作品にしているばかりか版権や原盤の所在も不明になっている、という不運な作品です。30年以上、'50年代~'80年代と長きに渡って20作足らずしか監督作品のない中で3本も観られない作品があるのは残念ですし、'60年代後半から小林正樹が監督を熱望していたのが井上靖原作の『敦煌』で、原作者とともに2度も中国をロケハンし脚本まで完成させたのに製作スポンサーの意向で別の監督(脚本も不採用)が映画化に当たるのが'83年春に決定され、その失意の中で『食卓のない家』の依頼を受け監督したものの小林正樹は生涯『敦煌』映画化の挫折感を抱いていたそうですが、現在観ることのできる唯一の'80年代の小林正樹の監督作品『東京裁判』は現存資料と映像を編集したドキュメンタリー作品ながら、4時間37分もの大作であり『壁あつき部屋』『人間の條件』以来の日本の大東亜戦争~太平洋戦争の参戦問題を真正面から取り上げた記念碑的作品です。そうした意味では外部企画から依頼されて始まったドキュメンタリー作品だったとしても劇映画の監督で『東京裁判』の監督に起用されたのは小林正樹の作品歴の最後期を飾るにふさわしいものになっています。小林正樹自身は晩年のインタビューで満足する自作を『切腹』『日本の青春』『化石』としていますが、後世に残る作品としては『人間の條件』とともに『東京裁判』が上がるのではないか、と思えます。

●2月23日(土)・2月24日(日)
東京裁判』(講談社=東宝東和'83)*277min, B/W・昭和58年6月4日公開

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 このドキュメンタリー作品はもともと講談社ドキュメンタリー映画のプロデューサーを起用して講談社創業70周年記念事業として1979年に発表し、小林正樹のもとへは'78年末に持ちこまれた企画で、プロデューサーはアメリ国防省から150時間分の記録フィルムと膨大な資料とともに脚本企画を立てていました。講談社の意向では製作期間1年で1980年夏には公開を予定していたしたが、脚本も難航して'81年には別の脚本家に交替することになり、ようやく'82年3月に初号試写、9月に各界著名人を招いて試写会の上、'83年6月に一般公開になったものです。プロデューサー側では2時間半、長くても3時間以内にという意向でしたが最終的に4時間37分という小林側の意向が通りました。小林正樹は'68年の『日本の青春』のあと劇映画の企画として東京裁判を劇映画として映画化を検討し'71年に脚本段階まで進めたことがあり、今回はドキュメンタリー映画で1928年のパリ不戦条約から1945年のポツダム宣言受諾までの日本の戦争史を日露戦争までさかのぼり、さらに戦後の冷戦状況にいたるまでを描くために資料フィルムは日本のものはもちろんイギリスやドイツ、フランス、中国、台湾から集められ、小林正樹自身も渡米して公文書館や民間会社のニュース映画を買いつける、さらに新聞雑誌や写真資料の映像が挿入される、と資料映像も膨大な規模におよびました。作品は毎日映画コンクール最優秀作品賞、ブルーリボン最優秀作品賞、日本映画ペンクラブ日本映画最優秀作品賞、ベルリン国際映画祭批評家連盟賞、ハワイ国際映画祭賞、キネマ旬報ベストテン第4位と高い評価を受けました。もっとも『化石』も同じくらい国内外の映画賞を受賞していますので、映画賞などずいぶん水物という気もします。しかし本作は当初、武満徹を含む常連スタッフとともにプロデューサーから観せられたA級戦犯たちの処刑のフィルム30分を観て小林正樹始めスタッフ全員が映画化に反対したほど手にあまる素材だったそうですが、初号ラッシュ段階で5時間あまりになった本作を武満徹が強くどんなに長くても押し通すべきだと主張したのに力を得て小林正樹も4時間37分に完成した版から短縮を譲らなかったといいますからそれだけの長さに見合った、むしろよくこれだけの素材をその長さに収めたなと思うほどです。本作は中盤で休憩(Intermission)が入り、映画2本分の長さがあるためDVDも2枚組になっており、スクリーンではともかくDVD視聴では2枚に分かれている通り前後編に分けて観るのが精一杯なほど内容のぎっしり詰まった作品です。ドキュメンタリー映像による巨大な歴史映画として本作は日露戦争から朝鮮戦争にいたるまでの、ヨーロッパやアジア情勢を含む日本が直接間接に関わった20世紀半ばまでの半世紀におよぶ世界戦争史であり、それを大東亜戦争以降は同時代人として体験してきた世代である小林正樹が映画にまとめ直した歴史家の力量を見せた作品で、あつかわれた題材の巨大さを思えばこの作品の長さはコンパクトにすら思えるほどなので、映像として開示されることのまずない実際の裁判の記録フィルムがこの歴史的な国際裁判に関しては残されていて、他でもない被告人たちの所属国である日本で昭和のうちにドキュメンタリー作品化されたことの意義は一つの映画作品以上の歴史的文化価値があります。本作もキネマ旬報に公開時の紹介がありますので、引いておきます。
[ スタッフ ] 監督 : 小林正樹 / 脚本 : 小林正樹・小笠原清 / 原案 : 稲垣俊 / 総プロデューサー : 須藤博 / プロデューサー : 荒木正也・安武龍 / 資料撮影 : 奥村祐治 / 音楽 : 武満徹 / 録音 : 西崎英雄 / 音響効果 : 本間明 / 編集 : 浦岡敬一 / 監督補佐 : 小笠原清 / 助監督 : 戸井田克彦 / スーパーインポーズ : 山崎剛太郎 / 資料監修 : 細谷千博・安藤仁介
[ 解説 ] 戦後日本の進路を運命づけた極東国際軍事裁判(東京裁判)を描いた記録映画。このフィルムは、アメリカの国防総省(ペンタゴン)が、第二次世界大戦の記録として撮影・収録し秘蔵していたもの。原案は稲垣俊、脚本は小林正樹と小笠原清の共同執筆。監督は「燃える秋」の小林正樹がそれぞれ担当。
[ ナレーション ] : 佐藤慶
[ あらすじ ] 昭和23年1月22日。ポツダム宣言にもとづいて、連合軍最高司令官マッカーサー元帥が、極東国際軍事裁判所条例を発布し、戦争そのものに責任のある主要戦犯を審理することにした。満州事変から中国事変、太平洋戦争におよぶ17年8ヵ月間、日本を支配した指導者百名以上の戦犯容疑者の中から、28名が被告に指定され、法廷は市ヶ谷の旧陸軍省参謀本部、現在の自衛隊市ヶ谷駐屯地に用意された。裁判官及び検事は、降伏文書に署名した9ヵ国と、インド、フィリピンの計11ヵ国代表で構成され、裁判長にはオーストラリア連邦代表、ウイリアム・F・ウェッブ卿が、主席検察官にはアメリカ合衆国代表、ジョセフ・B・キーナン氏が選ばれた。一方弁護団は28人に対する主任弁護人が全部そろわず、キーナン検事団とはあまりにも格差がありすぎた。5月3日。開廷した裁判所では、まず起訴状の朗読が行われ、第一類・平和に対する罪、第二類・殺人、第三類・通例の戦争犯罪および人道に対する罪--に大別され、五十五項目におよぶ罪状が挙げられた。この裁判の一つの特徴は、戦争の計画や開始そのものの責任を問う「平和に対する罪」を設定したことである。弁護側は、戦争は国家の行為であり、個人責任は問えないと異議の申し立てを行ったが、個人を罰しなければ国際犯罪が実効的に阻止できないとの理由で、裁判所はこれを却下した。こうして23年4月16日まで、実に416回の公判が行われ、11月12日、判決がいいわたされるまで、2年6ヵ月の歳月と27億の巨費が費やされたのである。28名の被告のうち、大川周明は発狂入院して免訴となり、元外相松岡洋右と、元帥海軍大将永野修身は公判中死亡した。残る25名のうち、土肥原賢二大将、坂垣征四郎大将、木村兵太郎大将、松井石根大将、東条英樹大将、武藤章中将、広田弘毅元首相の7人が絞首刑を宣告され、他の被告は終身刑または有期刑であった。判決については、インド、オーストラリア、フランス、オランダ、フィリピンの5判事が少数意見を提出して、異議を記録にとどめた。なかでもインドの判事パルは、裁判の違法性と非合理性を指摘して全員無罪を主張した。処刑は昭和23年12月23日未明、巣鴨拘置所で実施された。終身刑および有期刑を宣告された被告のうち、梅津美治郎陸軍大将、小磯国昭陸軍大将、白鳥敏夫元駐伊大使、東郷茂徳元外相4人は、服役中病死し、残りの被告は、講和条約調印後に仮釈放された。そして、昭和23年4月7日、東京裁判に参加した11ヵ国政府は戦犯者の刑の免除を発表し、東京裁判は名実ともに解消された。
 ――どんな映画でも実物を観るに敷くはないのですが、キネマ旬報のあらすじは極東国際軍事裁判こと東京裁判の概略であって、実際映画もその裁判の一部始終を処刑まで捉えた記録フィルムを抜粋編集し、各種テロップや英語による尋問に日本語字幕をつけ、さまざまな編集技法で見せています。それ以上に各種の多国籍に渡るニュース映像や資料映像を交えて歴史の動乱を浮きぼりにし、当時判明していなかったり隠蔽されていた事柄を含めて膨大なナレーションで解明し、実際の裁判の裏にはどれだけ多層的な事実や思惑が潜んでいたかを映画は描き出します。本作の小林正樹の姿勢はナレーションでも語られるように20世紀日本の戦争史は「日本人が背負っていかなければならない十字架」というものであり、これは現代にあっては大東亜戦争の正当化や各種動乱(南京大虐殺など)の捏造説、日本の戦争責任についての言及を「自虐史観」とし不毛な歴史追及より前向きな国際貢献を、と自衛隊の海外派遣(事実上の派兵)を積極的に容認するような論者から否定されるような立場なのは明らかですが、そうした論者のほとんどが戦後にエリート階級に育ってきた世代以降であり、実際の戦地に一兵士として敗戦までの数年間従軍していた小林正樹の痛切な言葉には千金の重みがあるのはこれまでの小林作品にも一貫していたことです。対ソヴィエト戦が東京裁判の論件になる際にすでに冷戦構造を見せ始めていた国際関係の中でソヴィエト軍人が証人として出廷し、ソ連が太平洋戦争の最後の10日間だけ参戦した背景にアメリカとの密約があったのを東京裁判では法廷が握りつぶして審理を進行させたくだりは『人間の條件』を観た観客には肌寒くなるどころではない場面であり、ナレーションが東京裁判当時まだ66万人のソ連抑留日本人がいたことを語ります。そのどれだけが何年かかって、ようやく生還できたかと思うと戦争の災禍におぞけを感じずにはいられません。また東京裁判は民意の掌握を意図して天皇の戦争責任を免れさせるために政治家・軍人のトップの共同謀議による戦争であったと認定させるためのアメリカの占領方針による裁判だったという解釈から本作は描かれており、軍事的・政治的な重要性が極めて高いとアメリ国防省では見なしていたのも複数の優秀なカメラマンによる見事な撮影、フィルムの鮮明な画質と保存状態からも伝わってきて、東京裁判そのものが一つの意図のもとに数百人のスタッフ、キャストを揃えて演出された政治的舞台であり、なまじっかな法廷ドラマ映画よりはるかにスリルに富んで、しかもその背景に日本の昭和の戦争の全量がかかっており、この裁判は最初から政治家・軍人たちを天皇の意向とは別に戦争を遂行した戦争犯罪人として認定するための出来レースだった、裁判団にも検察側にもそれに反対する法律家がいたが不都合な意見は圧殺された、という仕組みまで本作は描いています。特にアメリカ人弁護人によって原爆投下を論拠とし原爆投下国のアメリカが戦争犯罪に問われないなら日本の政治家を戦争犯罪では裁けない、と指摘した冒頭弁論が原爆の言及部分は通訳されなかったこと、また判決に際して裁判官団の中に判決に反論する少数の裁判官がおり、インド代表の裁判官は戦争の根元は西洋による東洋侵略にあり被告を全員無罪としたこと、さらにアメリカ人裁判長自身がマッカーサーの意向と対立して天皇の戦争責任を等閑視した判決自体に最後まで反対していたのも当時は開示されなかったことも痛烈な歴史的告発になっています。現実の裁判自体がすでにフィクションだったものをのちの時代が明らかにした真相からドキュメンタリーの側に引き戻す、しかしそれもドキュメンタリー映画東京裁判』という解釈でしかないという二重三重の操作と重層性が本作を特異なメタフィクションとドキュメンタリーの並立する間を揺れる作品にしており、裁判映画として圧巻の迫力と緊張感に満ちた異例の大作になっている。そして何よりこれが現実に行われ処刑者を出した裁判であり、それがすべて現実人物によって「演じさせられて」いるという圧倒的事実が本作をドキュメンタリー映画にはとどまらない異常な裁判映画にしています。本作が戦争を主題にした政治陰謀歴史ミステリー映画、裁判映画として際立った作品になっているのはそうした錯綜した真相を解きほぐしていく構成になっているためで、この面白さが重いテーマと不可分に展開しているところに本作を十分に映画的に昇華された傑作にしています。この作品を残せただけでも監督キャリアの最終段階にあった小林正樹は『壁あつき部屋』『人間の條件』以来の課題に思いがけない決着をつけたと言えるものです。