人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

A…さんへの私信(先方了解済み)

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◎A…さんへのメールその1

 おかえりなさい、おつかれさまでした。明日からは土日休みですね。のんびりおくつろぎください。

 こちらは普段と同じような調子の療養生活で、映画観てブログ用の感想文書いて、といった具合です。ぼくのは趣味の作文で趣味の分だけ長くて詳細なだけで、格別取り柄はないですよ。ですます調の文体に統一してわかりやすさに気を配るようになってからは多少ましになった程度です。その分ですます調の文体では書けないもの……「ムーミン谷」みたいな創作半分のやつは書けなくなりました。

>そういえばネット検索で(中略)朝日新聞天声人語は、昔に比べて"劣化"しているという……

 文は人なりといいますから、天声人語を「劣化」しているという批判にはその人が現在の天声人語ほどの文章を書けるだけの人かが如実に表れていると思います。もし「劣化」という言葉で非難しているようなら、その言語感覚だけで大いに品格が疑われます。身内の会話で俗語を使うのは勝手ですが、公共の場の意見として発言するには一定の品位やマナーがあるでしょう。
 そもそも天声人語を批判などするよりその人自身が天声人語以上に立派な意見と信じる文章をサイトなりブログなりに公表すればいいので、無責任な一方的批判ほど不毛なものはありません。他人の仕事をまずい・拙いと思うなら他山の石として自分への戒めにすればいいだけです。

 ぼくがブログに昔のジャズや映画や詩やロックについて書いているのも商業誌のジャーナリストが今やあまり取り上げないようなことを書いているので、それは取り上げた対象を宣伝するつもりでもなければ、筆者である自分を宣伝するつもりもないということです。ぼくはかつては商業雑誌ライターでしたが、もう今では他人と競うプロの競争原理の世界からは下りました。

 また題材は文化的なものですが、文化現象や作品について書くにはおのずから人生経験を通した歴史や国家・政治・司法へのスタンス、宗教性や人間性への洞察といった理解と把握力が試練にかけられるのを痛感しています。そうした人間がプロモーター的なジャーナリスト的文章を書くのはそらぞらしいので、昔少年時代や学生時代に自分が知りたかったようなことを石を積むように書いています。

 A…さんとしばらくやり取りがとだえた間もブログを続けていて見つけたのはそうした心構えかな、と思います。そうした気持はブログ始めた8年前にも最初からあったはずで、ここ2、3年ではっきり自覚するようになりました。ですます調で書くようになる前はまだあいまいな面もあったので抹消してもいいのですが、一旦公表したものを下げても仕方ないので今後書く作文で改めていくつもりで、続けているのはそのためもあります。

 ……と、作文では特に脳を酷使するようなこともなく、むしろ今の方が自然体になっているはずですが、長いという一点ではガソリンが減りますね。まあ物理現象としては惰性で進むのも自然なことですし、ガソリン切れでも斜面ならそれなりに坂の下まではたどり着きますが。

 では、週末は多少なりとも天候回復して、良いお休みをくつろいでおすごしされますように。それでは、おやすみなさい。



◎A…さんへのメールその2

>先のメールで(中略)軽々しいことを書いて送ってしまったなと反省しました。"石を積むように"と書いてらした表現から、特に強く思いました。ほんとに失礼しました……

 いえ、天声人語をどうこう詰まらないことを言っている人たちより、素直に得るもの・学ぶものがあると筆写を習慣にしているA…さんの方がずっと立派です。そういう人たちに惑わされないでいいんですよ、というのが先のメールの気持です。

 A…さんからのメールも励ましになりましたし、また全然軽率とは思いませんでしたよ。

 ぼくの作文なんか小石ですが、毎日積めばそれなりに積み方も工夫すれば景観も広がってくる。最近のなんかはそれなりにぼくでなければ書けない内容にしようとしているつもりです。A…さんはそういうところを褒めてくれたと思っています。

 ぼく自身はマジョリティではなくマイノリティ、しかも障害をかかえ絶対安静療養の身で福祉制度でかろうじて生き、血縁者も友人もなく、経済的・社会的にも最底辺の自分自身の立場から発想しているので、自分のヴェクトルが天声人語的なものとは異なると考えていますが、もちろん人は役立つことなら何からだって学んでいいと思います。困ったのは批判を自己表現や所信表明と勘違いしているような人たちです。何かを批判するにはそれを包括しさらに高い次元に展開できるだけの思考力と表現力を独自に提示できなければ空論にすぎません。そしてそれだけの考え方を持っている人は軽率に批判など口にしないということです。

 ブログでも「この人は信頼できるな」という人が数人いますが、そのかたがたの文章はしっかり時間をかけて築いてきた感覚と、ご本人の頭で考え抜いた確かさに裏づけられたみずみずしい直観力が確かめられるものです。ぼくもそうしたかたがたの姿勢にはいつも学ばせていただいています。

(以下略・画像と本文とは関係ありません。)