人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

集成版『偽ムーミン谷のレストラン』第七章

イメージ 1



  (61)

 第七章。
 ムーミン谷にレストランができたそうだよ、とムーミンパパが新聞から顔を上げると、言いました。今朝のムーミン家の居間には、
・今ここにいる人
・ここにいない人
 のどちらもいません。いつもならムーミン谷の住民はあれやこれやの口実をたずさえて、ムーミンママのもてなしを目当てに朝から晩までひっきりなしに出入りがありますが、今のムーミン家の居間にはあのニョロニョロすら生える気配はありませんでした。
 ムーミンパパが口をつぐむと再び居間は死の沈黙に包まれました。ムーミンパパはなかなか火の通らないパイプを詰め直すと、自問自答するかのように言葉をつぎました。
 そうだ、わが家は食事のふりならずっとしてきたが、それは家庭という雰囲気の演出のためであって実際に食事をしたことはない。そうだねママ?
 そうですよ、と答えてくれるはずのムーミンママはいません。ムーミンパパは意に介さず、
 私がパイプをくゆらせ安楽椅子で新聞を読んでいるのもそうだ。魁新報ムーミン谷版は半年に一度しか出ない。半年に一度の紙面を新聞と呼べるだろうか。ムーミン谷にはタウン誌すらないのだ。
 パパ、新聞にレストランができたって載ってたの?と訊いてくるはずのムーミンもいません。その頃ムーミンは全身を拘束され、地下の穴蔵に幽閉されていました。かなり冷え込み、また拘束のストレスも強い環境ですが、不条理に拉致監禁されるのはムーミンのような童話のプリンスにはよくあることですから、それに耐え得る神経の太さはムーミンには最初から備わっていました。
 レストランに行くの?とムーミンパパはムーミンの声真似をしてみました。そこだよ問題は、とムーミンパパは自答し、それにはあらかじめいくつかの条件がある。まず正当な連れがいること、これは問題はない。ムーミン一家だからな。正当な連れとは変な組み合わせでレストランに行ったら変だということだ。たとえばママがヘムル署長たちとレストランに行ったら変態の餌食に見えるだろう?
 沈黙。……なら問題を簡単に言おう。私たちトロールは食欲はあるが食事する必要はないのだ。だがレストランでは実際に料理を食べなければならないのだぞ。
 その頃ムーミン一家は夜のレストランにいました。ムーミンパパだけが、レストランと今でも朝のままの居間の両方にいたのです。


  (62)

 それにしても、と(偽)ムーミンは思いました、いったいどのくらい時間が経ったのだろうか。それはたぶん全員共通の困惑だ。スナフキンもスニフもフローレンも、スノークもヘムレンさんもジャコウネズミ博士もヘムル署長も、スティンキーも三人の魔女も、トフスランとビフスランもミムラもミイも、たぶん全員が困惑しているはずだ。ムーミンパパとムーミンママについては、実のところよくわからない。だがそれを言えばわからない連中ばかりだともいえる。ムーミン谷には明確な時間の概念がないからだ。
 お陽さまが登りまた沈む、だから一日という単位や朝昼晩くらいの区分は一応ある。だがそれを等分して時刻を定める習慣はムーミン谷の外の世界では当り前らしい--おれも図書館の本で知っただけだし、外の世界からラジオやテレビ放送を傍受するとどうやらかなり細分化された単位で時間経過は重要な概念らしい。
 この谷にも学者はいる。外の世界の研究は乏しい材料からそれなりに進んでいるようだ。だが学者たちが時間の概念についてあえて研究の成果を示さないのは、時間について語るのは谷のタブーに抵触するからだとしか思えない。
 それは学者たちが法と権力の立場、谷の住民を管理する立場にあるからかもしれない。今までムーミン谷は夜が明ける、陽が登る、陽が沈む、おやすみなさいというだけの時間把握だけで円満にやってきた。昨日、今日、明日より長い日付も必要ない。時間の細分化と単位化をムーミン谷に導入したらどうなるか?
 まず時間把握の順応性の差が世代や種族の間で現れるだろうから、あらゆる生活環境に渡って時間概念の適用の是非をめぐって争いが生じるだろう。今ここでこれといった暴発的不満が生じないのも、具体的な時間経過を谷の住民は測れないので漠然とした不安以上には進まないからだ。
 だがおれ、こうして尻尾を捕まれまいとしてびくびくしているおれは、何のためにムーミンを演じているのか。もちろん楽しみのために。だがおれは今この状況を楽しんでいるといえるだろうか?
 その頃ムーミンはたまの拉致監禁も悪くないな、とくつろいだ気分でした。自由ではないけれど、普段ムーミンが孤独になれる機会はこんな時しかないからです。替え玉がいるのも悪くないな、とムーミンは王子様のように思いました。


  (63)

 案外手間はかからなかったな、とムーミンパパはレストランのドアをくぐり、ムーミンムーミンママを振り返りました。ムーミン、実は偽ムーミンは朝の居間の会話中、レストラン行きに危険を察してトイレに立ち、本物のムーミンと入れ替わっていたのです。
 偽ムーミンが抱いた疑惑とは主に、
・情報源があやしい
・謎のレストランというのがくさい
 その根拠は、ムーミンパパが見ていた新聞は今朝届いたとは思えないし、パパの頭はどうも不思議な電波を拾っているらしい。顧客を肥らせ食材にするレストランの話はよくある。偽ムーミンムーミン谷公立図書館に勝手に住んでおり、女性司書とも肉体関係があるので耳年増なのです。さらに、
ムーミン谷には通貨がない
 というのも偽ムーミンの抱いた疑惑の根拠でした。正確には現在は通貨がないが、過去には1ムーミン2ムーミンという単位が存在していたらしい。だがこれは貨幣経済ではなく人身売買が経済制度だった痕跡ではないか、と半ばタブーになっています。
 経済といえばスティンキーくんだろう、とジャコウネズミ博士。こうして表立ってきみと膝突き合せて話すとトゲが刺さって痛いが、プロの見解を聞ける機会は滅多にないからな。いやいや、恐縮するのはわれわれの方さ。きみの職業では、つまり窃盗と横流しだが、やはり通貨に代わる何かがあるのかね?現物交換としても等価交換では商売にはなるまい。
 そうですね、あっしも通貨には関心がありますよ。効率的ですからね。ただ、ムーミン単位制は今やムーミンは稀少種ですからね、金の先物取引と似たリスクが生じるでしょうね。
 なるほど、必要な流通量を確保できないから相場が不安定になるな。
 単位の問題もあります。先物取引としても9999ムーミンまでならいいんです。ところが一万ムーミンとなるとわからない。なぜ9999の次が1になるのか。さらに99999に1ムーミンを足すと一億ムーミンですが、たかが1頭で万とか億に相当するムーミンなど現実に存在しますかね?
 ものすごくでかいムーミン族の個体だろうな、とヘムル署長。山脈を越えて来る前に迎撃せねばならん。
 そこで、とスティンキー、本物が無理なら手頃な偽ムーミンを量産する手がありますよ。あくまで代用通貨ですがね。


  (64)

 長い窃盗生活のあいだ、スティンキーのコレクションは役にもたたないがらくたが増える一方でした。職業的窃盗とは盗品売買という目的がないと窃盗自体も目的を失いますが、もとを正せば市場経済という原理がムーミン谷には存在しない以上、スティンキーの活動は盗難ではなく損失として谷の需要を維持させるだけで、スティンキー自身には趣味以上の利益をもたらさないのは明らかでした。
 その状態は以下のように説明できるだろう、とジャコウネズミ博士。まず蓋のついた箱を用意する。箱の中には放射性物質ラジウムと、ガイガー・カウンター付き青酸ガス発生装置が仕掛けてあり、ガイガー・カウンターがアルファ粒子を感知すると青酸ガスが発生するようになっている。
 その箱へムーミンに入ってもらう。そんなに大きな箱なんですかい?うむ、ミイが入るには大きすぎるが、スナフキンが入るには窮屈だろうな。どっちみちヘムレンさんと私はムーミンを念頭に置いて箱を用意したのだ。はあ。
 というのは、この箱にはスティンキーくん自身が入っても実験にならないからなのだ。谷の住民全員にとっても、ムーミンでなければならない理由がある。
 ムーミンが箱に入る。箱の蓋を閉める。一定時間経過後、ムーミンの生死の可能性はラジウム原子核アルファ崩壊する確率次第となる。つまりわれわれは箱の中のムーミンを生きているとも死んでいるとも認識できないのだ。
 蓋を開けて見てはいけないんですか?誰が見るかね?もしムーミンが死んでいたら、見た者まで青酸ガスを吸って死ぬぞ。では誰かに開けてもらって……。それでは直接認識したことにならんよ。呼んでみては駄目ですかね、おーいムーミン生きてるかぁ……。きみももうわかっていると思うが、この実験の趣旨はそういうことではないのだ。
 われわれは普通ムーミンを生きた状態か死んだ状態でしか認識できない。だがこうした実験下ではムーミンの生死は確率的な比率で両立するのだ。これは可能性の飽和状態であり、エントロピーの臨界点でもある。気の毒なムーミン
 生殺しってやつですな、とスティンキー。
 それはきみのことだよ、とジャコウネズミ博士。きみの窃盗は次々と量産型偽ムーミンをガス実験しているようなものだ。だがそれはわれわれ全員の限界で、この場合ムーミン本人だけが死を賭けて真実を知ることができるのだ。スナフキンでもいいがね。


  (65)

 ぼくがいる場所は、本来ならぼくにとってはやや窮屈なようだ。椅子がひとつある。丈は低くて背もたれはないから、腰掛けという方がいいだろう。浴室で使うようなやつだ。床、四方に壁、そして天井。この六面の空間は、ぼくの見るかぎりでは、立方体になっている。まっ白の照明、影はない。腰掛けの影すらない。これを書いている携帯電話―基本ソフト以外にデータらしきものは何も残っていない。元々ぼくの持ち物なのか、腰掛け同様この場所にあったものなのか憶えていない。ぼくの持ち物だったなら、初期化してデータを抹消されたのかもしれない―なにしろどこからも電話はかかってこないし、メールも送られてこない。ぼくもとりあえずいくつかの携帯サイトに登録してみたのだが、基本ソフト自体がメール受信全拒否という設定になっているのかもしれない。そして電話は……電話についてはあとで詳しく書こう。きりがない。
 この場所を部屋と呼ぶのに抵抗があるのは、見たところ、またあちこち試してみたが、出入口というものが見当らないからだ。イメージとしては溶接した感じ、ならば照明や換気は一体どうなっているのか。脱いでも着衣でも体感温度はほとんど変らない。照明はずっと一定のため朝も昼も夜もなく、昼夜の推移にともなうはずの気温や湿度の変化もない。寝具はない。
 食事と呼べるなら、食べることは楽しい。積極的に食べる理由はそれしかない。他にすることも大してないのだ。一方の壁の、ぼくの胸くらいの高さからトレイが出てくる。トレイには八つに区分けされたパレットが乗っていて、八色のペーストをパレットから直接舐める。上品な食べ方ではないが、これがすこぶるうまいのだ。たぶん補助栄養素を含む飲料水がトレイの脇から管で飲めて、こちらはいつでも飲めるようになっている。トレイが出入りする開閉口は食事の時しか現れない。やがて尿意や便意を催すと、腰掛けの蓋を開ければ便器になっている。よくできたものだ。ホームレスが夢見る天国のような場所だ。
 部屋の隅には控え目な設備がある。ラジウム、ガイガー・カウンター、青酸ガス発生装置。この三つの関連性は専門外でもわかる。
 そしてぼくは装置が作動しようがしまいが、つまり生死を問わず、もういいぞスナフキン、と呼ばれるまでここから出られないだけは確かなことなのだ。


  (66)

 でもなんだか入院みたいで嫌ですねえ、とスノークが苦笑しました。いくら三食上げ膳据え膳、昼寝つきといってもねえ。
ほう、きみも入院したことがあるのかね?とヘムル署長が言外に、バカは病気はしないものだろうとほのめかしました。
 ええ、もうヒマでヒマで、トイレに隠れてはオナニーしていましたよ(実話)。
 あまりに唐突な告白に、それまでスノークの同席をうざったく感じていた悪党四人もぷっ、っと吹き出しました。いやいやスノークくんもなかなかやるな、とヘムレンさん。そんなことフローレンの前では言えんだろう?ところでフローレンはどうした?
 ああ女子トイレですよ。あいつ結構イケるくちでね、水商売上がりですから。きみは未成年の保護者として飲ませておいていいのか?それは専門家が二人もいるから訊いてみましょう。
・スティンキー(もぐり酒場経営)「バレなきゃいいでしょ?どうせ現行犯でなきゃ挙げられないし」
・ヘムル署長(警察兼検察兼裁判官)「時効だ」
 めんどくさい、またはどうでもいい場合は、ヘムル署長はすべて時効で済ませるのです。これによってムーミン谷でかつて起き、また今後起り得るすべての違法行為は時効という判例があるので、ムーミン谷の法体系自体に変化がないかぎりあらゆる訴訟は時効という判決が得られる保証がありました。もちろんスティンキーの主張もこの谷の現実でしたが、それを言いだせばまたムーミン谷ならではのエントロピー飽和理論の蒸し返しになります。
 女のトイレは長いですからね、戻ったらどこかのテーブルに混ぜてもらえ、私は博士たちのインテリ席に行く、と申し渡しておいたんですよ。
 だがきみが加わったせいで五人になってしまった、とジャコウネズミ博士。どこか問題ありますか?並んで写真を撮ると一人死ぬ。いやそれはおいといて、このテーブルだよ。♥型ですね。これまで四人は左右の両辺と両半円に座ってきた。きみが座れるのはとんがった場所しかないぞ。
 えーっ、ここですか?刺さりそうだな。両辺にお二人ずつ、♥のくぼみに私では駄目ですか?
 それではきみが司会者でわれわれはパンチDEデートみたいではないか。後から来た者が偉そうなことを言うな。ウェイターに椅子を頼むが、覚悟はいいな?
 いいですけど(渋々)。
 しぶしぶまで読まなくてもよろしい。


  (67)

 でもやっぱり入院は嫌ですねえ、とスノーク。いくら三食上げ膳据え膳、オナニーし放題でもねえ。
 ほう、きみも入院したことがあるのかね?とヘムル署長が言外に、その話ならおれにまかせろとほのめかしました。ほのめかすまでもなく、ヘムル夫人(正妻)はムーミン谷立病院の院長兼現役婦長なのです。
 病院は立派な建物で、特に立派なのは門でした。ムーミン谷議事堂も立派な建物で、やはり特に立派なのは門でしたが、設計・建築はムーミンパパの親友で発明家フレドリクソン、アーチ型の門の碑文を決めたのはムーミン谷最高の知識人ヘムレンさんとジャコウネズミ博士でした。
 だがわれわれなどまだまださ、とこの二人はあくまで謙虚でした。『プヴァールとペキュシェ』という本には及ばんよ。
 いいですね、とスノーク。入院中の読書に向いていそうなタイトルだ。きみは入院中はオナニーばかりしているんじゃないのか?いやあオナニーぼけしていても本は読めますよ。でプヴァールとペキュシェのどちらが女ですか?なぜ訊くかね?ならどちらが男です?だって主人公の名前なら男か女のどちらかですよね。
 そうとは限らん。われわれは医学的手段でしか生まれてくる赤ん坊の性別を予測できんが、この場合医学的判定なしには赤ん坊は男と女のどちらかではなく、どちらでもあり得ることになる。……説明が足りんか?
 いや、今度はガス箱に入れなくてもいいんですかい?そう毎度毎度は要らんよ。ところで名前というと入院食は知らない魚ばかり出ますね、カペリンとか。
 給食だから安価で安定した食材を使うのだ。魚類は遠い沖から漂着するのでロッドユールとソースユール夫妻の調査が頼りだ。ポリフルとかマグミットも豊富なようだ。のり弁当に乗っている白身魚のフライの類だな。デパケンリーマスというのも出ました、たぶん鮭と鱒のバッタものでしょう。ゼチールは煮魚で出てくるからサバの仲間の青背だろうな。パキシルとは飛び魚の一種かな?飛び魚はうまいからな。デパスは?深海魚だな、きっと実物見たら食欲が失せるぞ。
 ところで谷の議事堂の門の碑文は、
・この民にしてこの政府あり
 そして谷の病院の門の碑文は、
・ここをくぐりし者すべての希望を捨てよ
 でした。


  (68)

 フローレンはすぐにこの店のトイレは廊下に出ると見当をつけたので、適当に無難なカクテルを頼み、飲み干したらスノークにちょっちトイレ、と席を立つつもりでした。兄はうむフローレン、だがそのちょっちはやめろ、と言うでしょう。ですが彼女の誤算は適当なカクテルにするべきではなかった、考えるべきだったということでした。
 一回戦。私はロックでいいか、フローレンは?カルーアミルクをお願いするわ。スノークの前には岩、フローレンの前には牛乳瓶が恭しく置かれました。お前のは一応飲み物だな、私のは料理ですらないぞ。
 二回戦。スノークジンライム、フローレン=モスコミュール。スノークには割り箸の手足つきライム……送り盆か、それともバルカン300!か?人ライムってことでしょ、とカクテルを飲むフローレン。これは、と彼女は愕然としましたがおいしそうに飲み、お兄さまお気の毒に、生のライムをかじっても味気ないのではなくて?上等だ!ですがフローレンのカクテルもカクテルではなく、たぶんただの黒酢でした。
 三回戦。スノーク→ホットドッグ、フローレン→ダイキリ。お兄さまヤケになっていません?お前もだ!あら、私のは少なくともこれまでずっと飲み物よ。やがてスノークにはホットドッグとマスタードとケチャップが、フローレンには大根の輪切りが運ばれてきました。彼女はウェイターに、これを串が刺さる程度に海水で煮込んで十分大根が煮えたら大根は捨て、海水の方を容器の外から氷で冷やしてムーミンママに差し上げてちょうだい、と指示しました。これは未来の姑へのフィアンセからの宣戦布告です。
 四回戦。ペリエだ、とスノーク。お兄さま自信おありのご様子ね。お前のいんちきお上品語の方がよっぽど自信おありだ。ウェイターが来ました。フローレンはギムレットを頼みました。食前酒はここまでね、そのかわりちょっち強めにしたわ。フローレン、とスノーク、そのちょっちはどうにかならんか。
 ウェイターが来ました。もう期待せんぞ、とスノークは素早く皿の蓋を取り、これをどうしろというのだ、しかも生きているではないか、自分で絞めろというのか?お持ち帰りなさいますか?いい、下げてくれ。
ペリカン「かぁ」
 そしてフローレン・F・スノークは麦粒入りオムレツを無言で食べ終え、トイレに立ちました。これからフローレン・スノークNと交替するのです。


  (69)

 トゥーティッキさんと魔女モラン、フィリフヨンカはもともと親しいわけでもなければ、これから親しくなろうという気もなかったので、なるべくならばそれがきっかけで親しくせざるを得ないような係わりが起きないように、つとめて用心深くしていました。ひとの好いトゥーティッキさんは冷たいモランが苦手でしたし、モランは万事に神経質なフィリフヨンカが薄気味悪く、そのフィリフヨンカはトゥーティッキさんに劣等感を感じていたたまれない気持でした。
 この三人の婦人の共通点を上げる前に、肝に銘じておきたいことがあります。たとえば鳥葬されると鷲はまず肝から食いつくといわれており、ひと口味見して肝のまずい遺体は、
・けっ!
 と崖から蹴落してしまうのです。そうなると故人の尊厳はともかく、鳥葬ならば正規の葬送ですが、崖の下に遺体が転がっていたら遺棄、しかも損壊の跡もあるので、実行犯は鷲ですが鷲に責任は問えませんから結局は遺族の責任になり、もとをただせば故人の不徳のいたす所存です。そのように肝とはあなどると後が怖い臓器なのでした。
 そこで銘じておくべきは悪人であっても人には違いなく、悪習であっても習慣には違いないなら、その論法を通せば規則正しい習慣は良いことなので、悪習ですら善行になり得る、ということでした。おお。
 婉曲話法はここまでです。トゥーティッキさんと魔女モラン、フィリフヨンカの三人の共通点は三人とも元魔法少女でした。なんと!女性の年齢を話題にするのは女性の前でははしたないことで、いわゆる男便所の会話でしか普通はしないものですが、この際それは棚に上げていつまでが魔法少女かというと誰もが納得できる線引きはなかなか難しそうですが、一応の結論としては、
魔法少女←変身または魔法発動アイテムが必要
・魔女←存在しているだけですでに魔力を持つ
という違いがあるのではないか。これで年齢の問題は変身または魔法発動アイテムは少女で通用する年齢層でないと使用適性がない、と解釈すれば説明に一貫性を通せます。
 ではすべての魔女は甲羅を経た元魔法少女なのか、魔法少女はすべからず魔女へと成長するものか、というとこれにはやはり無理があり、各自の特性というものがあるでしょう。なにしろモラン以外の二人は誰にも魔女とは見えないほどなのです。その実、この三人の魔力は十分拮抗しておりました。


  (70)

 ウェイターは突然マイクを持って現れました。服装も燕尾服に着替えています。それではみなさま、とウェイターは壁に向って体を斜めにし、当店がお送りする歌姫の舞台をお楽しみください。
 しまった、音楽料金を取られる店かもしれんぞ、とムーミンパパ。食事だけなら踏み倒す自信がある、トロールが飯など食うか!で済むが歌となると聴かなかった、では済まされんぞ。
壁が左右に開くと舞台が現れ、そこに妙齢の乙女がライトを浴びて立っていました。あの人が歌姫、とミムラの胸はときめきました。そして歌姫は歌い始めました。

 サッちゃんはね
 サチコって いうんだ
 ほんとはね
 だけど ちっちゃいから
 じぶんのこと
 サッちゃんて よぶんだよ
 おかしいな サッちゃん

 聴いていたみんなの心が暖まっていく気持になりました……トスフランとビフスランを除けば。この夫婦はおたがいしか眼中にないのです。ですがはっきり逆鱗に触れられた気分になったのはミイでした。なによ、私は自分のことミイちゃんなんて呼ばないわよ。そんな思いも知らず、歌姫は続けます。

 サッちゃんはね
 バナナが だいすき
 ほんとだよ
 だけど ちっちゃいから
 バナナを半分しか
 たべられないの
 かわいそうね サッちゃん

 ああ、入院で出てきましたよ、とスノーク。変った魚でしてね、生で食べられますが皮を手で剥いて、身は均一で甘味があるんです。だったらそれは魚卵の房なのではないかね?ああ、なるほど、納得しました。
トゥーティッキさんは貧しかった少女時代を思い出していました。家族四人で缶詰め一個がごちそうでしたからバナナは皮まで焼いて食べたもので、彼女を魔女にしたのも食への怨念でした。そして歌は最終連に入りました。

 サッちゃんがね
 遠くへ いっちゃうって
 ほんとかな
 だけど ちっちゃいから
 ぼくのこと
 忘れてしまうだろ
 さびしいな サッちゃん

 上品な拍手と少々卑猥な掛け声が店内に響きました。わかんないや、と偽ムーミン、友だちでもないのに?ムーミン、サッちゃんは天国へ行ったのだ。きっと闘病生活だったのだな。
 ブラボーお嬢さん、とムーミンパパは立って拍手しました。お名前を教えてくれないかね。
 チュチュアンヌです、と魔法少女は言いました。歌い料一億万円ローンも可。
 第七章完。


(初出2013~14年、全八章・80回完結)
(お借りした画像は本文と全然関係ありません)