人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

集成版『NAGISAの国のアリス』第五章

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 第五章。
 10歳のアリスはお姉さんのロリーナ(13歳)と妹のエディス(8歳)と一緒に川のほとりに座り、ドジソン先生のお話を聞くのが好きでした。ドジソン先生は当年とって30歳、男ざかりの数学の先生で、年ごろの男性にはよくあることですが同年輩の男も苦手なら女ざかりの女性はなお苦手で、くつろげるのは第2次性徴期前の少女を相手にしている時だけというタイプでしたが、そんなことはアリスたちにはわかりません。ドジソン先生にとってこの三姉妹は、13歳のロリーナはぎりぎり相手にできる年ごろで、8歳のエディスは姉たちと並ぶと幼なすぎる。ですからちょうど真ん中の歳の、10歳のアリスが先生にはいちばんのお気に入りでした。さすがにそれは少女たちにも感づかれていて、アリスは靴の中に画鋲を入れられたり、砒素を盛られて髪がごっそり抜けたりしましたが、ドジソン先生が姉妹どうしの嫉妬に気づいていたかどうかはわかりません。
 「学生時代最後の夏休みに」と先生は話し始めました、「大ノッポ、中ノッポ、チビの3人は田舎の海に遊びに行きました。暖い陽気に誘われて3人は泳ぎましたが、その隙に服を盗まれ、かわりに軍服がありました。3人はそのため先々で密入国者扱いされ、パトカーに追われる破目になったのです」
 そして、たまたまセクシーなおねいさんから温泉で服を盗んだらいいわ、とアドヴァイスされましたが、謎の追跡者に拳銃を突きつけられ、元の服に戻されてしまいます。彼らには何か事情があるらしいものの、3人には何が何だかさっぱりわかりません。ただただパトカーと追跡者を逃れて走り回らねばなりませんでした。追われているうちに3人は次第に逃げ方も隠れ方も上手になりましたが、今は都会が平和で天国のようなところに思えるのでした。三人の逃走に協力してくれたおねいさんは毒グモのような悪者の情婦でしたが、3人には天使のように親切でした。そんなうちに中ノッポがおねいさんに恋してしまいました。ですが3人はパトカーと、消えてはまた現われる謎の青年たちの拳銃におびえながら首都に向って逃亡を続けていかなければならなかったのです。
 先生、とロリーナは首をかしげました。そのお話にはどういう教訓があるのですか?
 いや、これは正確にはお話ではなく、と先生、動物ならば骨に相当する、プロットと言うものです。そして骨はそれだけでは動物にはならず、教訓もありません。


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 アリスはすっかり退屈していました。アリスは川の土手で姉の隣に座っていましたが、何もすることがありません。いち、に度お姉さんの読んでいる本に目をやりましたが、さし絵もなければせりふのフキダシもありません。つまんない、とアリスは思いました、さし絵もなくて、フキダシもない本なんて。
 そこでアリスは考えごとをすることにしました。暑い日でしたからとても眠いし、頭もぼんやりしていましたが、それでもがんばって考えたのです。ひな菊の花輪を作るのは楽しいけれど、ひな菊を集めに行くのは面倒くさい。どっちにするのがいいだろう、と思っていると、突然ピンク色の目の白ウサギがアリスのそばを駆けていったのです。
 だからと言って仰天するほどでもありません。その上、ウサギが大変、たいへん!遅れてしまう!とひとり言のように言っているのを聞いてもアリスは不思議とは思いませんでした。後で考えればそれは驚くべきことで、じっさいウサギが燕尾服のそでをまくって、腕時計を見てまた急いで歩きだすのを見ると、アリスも思わず立ち上がってしまいました。アリスはウサギなら見なれていましたが、燕尾服を着てそでをまくるのは見たことがないし、さらに腕時計までしていたのです。アリスは急いでウサギを追うと、ウサギは生け垣の下のウサギ穴に飛び込みました。
 ウサギが素早く生け垣の下のウサギ穴に飛び込むのをぎりぎり見とどけたアリスは、ためらいもなく自分も穴に飛び込んだのでした。もちろん後先も考えず、出る時はどうするのかも考えずにです。
 ウサギ穴はしばらくのうちはトンネルのように真横にのびていましたが、突然真下になりました。本当に突然だったのでアリスは迷う暇もなく、ものすごく深い井戸のような穴に落ちていたのです。
 井戸がとほうもなく深いのか、落ちる速度がよほど遅いのか、そのどちらかのようでした。というのは、アリスは落ちながら周りを見渡したり、これから私どうなるのと考える余裕があったからで、落ちていく先を見てみましたがまっ暗で何も見えません。それではと周りの壁をじっくり見ると食器棚や本棚が並んでいるのが見えました。アリスは壺をひとつ手に取ってみましたが、オレンジ・マーマレードとラベルにあるのに中身は空っぽでがっかりしました。ですが壺を落として穴の底にいる人の頭に当たって死んでしまったら大変なので、落ちながら別の棚にちゃんと戻しておきました。


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 鈍い衝撃とともにアリスはどしん、と尻もちをつき、尻もちで済んでよかったわと思う間もなく長い長い距離を落ちてきた勢いであお向けに大の字になりました。仕方ないわねえ、とアリスは思いました、たしかこれ、慣性の法則って言うんだわ。さっきまでは先に飛び込んだウサギとともに地球の裏側に飛び出してもおかしくない、そしたらきっとその国の人とは服装だって違うから何とかしなくちゃいけないわ、とアリスは考えていたのです。
 そのまま地面の中でじっとして、通りかかった人の服を奪う方法はないかしら。きっとそういうことは、しょっちゅう穴から出たり入ったりしているウサギの方が詳しいに違いないから、ウサギの首を締めつけてどうすればいいか聞き出して、そのまま共犯者にすればいい。そんな腹黒いことを考えるほどアリスは深い深い穴に落ちてきたのです。
 すると、おお新入りかあ、とかん高い声でざわざわと数人が近づいてくる気配がしました。アリスはギクッとしましたが、あお向けの大の字はすぐ起き上がるにはいちばん不向きな姿勢です。くらやみに空気がざわめくと、アリスは両腕と両脚ががっしり地面に押さえつけられているのを感じました。
 シュッと音がして100円ライターに火を灯ったのが、ライターを握った手もとの明かりでわかりました。それはたしかに100円ライターでしたが、握る手は不釣り合いに小さく見えました。アリスは頭を上げようとしましたが、どうやら100円ライターの持ち主がもう一方の手で髪を引っ張っているようでした。
 何するのよ、とアリスはキッとして言いました、いったいあんたたちは何者?私を押さえつけてどうする気?
 元気のいいお嬢ちゃんだ、と誰かが言うと、アリスを押さえつけている連中がいっせいに嘲りの笑い声を上げました。
 そしてライターの明かりがアリスの顔に近づきました。アリスはよっぽど吹き消してやろうと思いましたが、持つ手が熱くなったのかライターは一旦消えました。
 その時アリスは火の消える一瞬に映った影で、自分を捕まえている連中の姿をとらえたのです。それは醜い小人たちでした。あんまりじゃない、とアリスはうんざりしました。私みたいな美少女が地底に落っこちたら、たちまち醜い小人が寄ってくるなんて。
 どうやら取り引きしなくちゃならなそうだな、と小人のひとりが含み笑いしました。
 取り引きって何のこと?と、アリスはしらを切りました。


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 不吉な予感がするわ、とアリスは思いました。ふだんのアリスなら縁起などかつぐことはめったにありませんが、こんなに変なような、予想通りによくあるようなことの連続ではついついよけいに用心深くなってしまうのです。だっていつの間にか(44)になっているんだもの。カッコの中がどれだけ続けば先の見透しがつくのかしら。4が3つ続いて444になる日まで?とアリスは思い、444を日にちとすれば約15か月だわ、と暗算しました。では4444日だったら?約12年、と計算したのはアリスではなく、アリスの本の著者の、数学教師のドジソン先生でした。4444の日と夜、それは干支が一周し、戦火で焼け野原になった国が復興するのに要するだけの歳月です。
 もう離してよ、とアリスは身動きしようとしましたが、四肢と髪はまだがっしりと押さえられていました。さっきライターをかざした小人が髪を押さえているのだとしたら、両手両足と合わせて少なくとも5人の小人に捕まっていることになります。そうよね、とアリスは思いました、7人じゃ白雪姫の小人だし6人じゃおそ松さんだわ、それに小人って奇数じゃないとそれっぽくないじゃない?アリスは自分の明察にうっとりするところでしたが、それどころじゃないと腹が立ってきました。怒れば怒るだけ無駄なのですが、暗くて深いあなぐらの中で小人に押さえつけられているのはさすがに楽しいどころではありません。
 あんたたちの中でリーダーは誰よ、とアリスは誰何しました。さっきのライターの小人だろうか。ですが文化人類学の常識では、対象となるコミュニティと接触する際、最初に近づいてくるのはコミュニティの中では除け者扱いされている場合が多いからサンプルとしては不適格とされています。5人きりの集団をコミュニティと言えれば、まあブライアンの例もあるし、とアリスは有名ロックバンドを連想しましたが、そもそも小人に文化人類学の常識が通用するかが疑問ですし、しかまただの小人ならまだしも地底人の小人です。
 お前は差別主義者だな、と小人のひとりが言いました、この穴が続いている国の奴らはみんなそうなんだ、文明は自分たちの国にしかないと思ってやがる。
 はっはー笑わせるわね、とアリスは状況も忘れてせせら笑いました、私は小人に説教されに来たんじゃないわよ。
 それじゃ一体何しに来たんだ、と小人。アリスは返答に窮しました。
 あざ笑う小人たち。


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 それではこれからちょっと痛いことにとりかかるかな、と小人のひとりが言いました。痛いってどういうこと?とアリスは反抗的な調子を隠しもせずに問い返しました。そりゃもう痛いっていうくらいだから説明なんて要らないだろう、と小人。わからないわね、とアリス。わからないかね、と小人たちはざわざわと笑い声を上げました。
 つまりいててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててってことをするのさ、と小人。
 それってどんないてててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててってことなのよ?とアリス。
 それはもう、いてててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててててっ、ということさ。
 そう小人たちは言うと、いそいそと痛いことをする仕度を始めました。


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 小人のひとりがランタンに火を灯すと、辺りは影が差す程度には明るくなりました。がらがらとキャリーバッグらしいものを引きずってくる音がしました。何を持ってきたのよ、とアリスは思いついた疑問をそのまま声に出してしまいました。深い深い穴を長い長い時間をかけて落ちてきたので、アリスはひとり言を言う癖がついてしまったのです。
 工具箱だよ、と小人のひとりが答えました。工具箱?とアリス。そうだよ、と小人、工具箱を知らないのかね?アリスは言い返そうとしましたが、少し考えて言葉に詰まりました。アリスは自分の家のお父さまの工具箱は知っていますが、小人の工具箱は見たことがないし、そもそもこんな地底人の小人が使う工具箱がアリスの知っている工具箱の概念と合致するかも怪しいものです。
 金物ががちゃがちゃ音を立てました。ちゃんとそろっているだろうな、と小人のうちのリーダー格らしいひとりが訊きました。さっきまでリーダーのように振る舞っていた小人とは別の小人のようなので、きっと得意分野ごとにリーダー交代制を採っているのに違いありません。つまり工具担当リーダーっていうわけ、とアリスは将来自分が書く地底体験記のためにタグ添付しました。
 まず使うのは摘まむ工具だな、と別の小人が言いました。つまり、
・やっとこ
・ペンチ
・ラジオペンチ
・プライヤ(コンビネーションプライヤ・ウォーターポンププライヤ・スナップリングプライヤ・ロッキングプライヤ)
・ピンセット
 ……などなど。摘まんだら次にどうする?そりゃあやっぱり回すだろう。道具は?
・レンチ(スパナ)
・六角棒スパナ
・めがねレンチ
・ソケットレンチ
・ラチェットレンチ
・ボックスレンチ
・パイプレンチ
・チェーンレンチ
・モンキーレンチ
・モーターレンチ
・ドライバー
 ……回す工具は数が多いな。次は?削る、つまり研磨する。
・リーマ
・やすり
・紙やすり
・ダイヤモンドやすり
・スクレーパー
・ワイヤーブラシ
 ……次は?叩く。叩くといったらハンマーだな。次は?切る。
・ニッパー
・ボルトカッタ
・ケーブルカッター
・ワイヤカッタ
・塩ビカッタ
・鉄筋カッタ
・金切り鋏
・ハンデイカッタ
ハンドニブラ
・パイプカッタ
・カッターナイフ
 ……いったい何のこと?犬小屋でも作って住むつもり?アリスは小人たちを皮肉ろうとしましたが、皮肉は通じないようでした。
 さて始めるか、と小人たちのひとりが言いました。これがカーニバルさ。


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 そんな具合にアリスはちょっとこれはやばいんじゃないの、と焦ってもいい状況になりましたが、小人の数は多く見積もって7人、そのうち両手両足を押さえている小人がいて、髪をつかんで頭を押さえている小人がいて、その小人がさっきまでアリスの顔を照らしていたランタンを手渡し、今それを掲げている小人がいてということは、手が空いている小人は1人いるかいないかになります。その1人はたぶんさっき道具箱を引きずってきた小人でしょうが、手足を押さえていた小人と交替しているかもしれず、その小人はスカートの中を覗きながら休憩しているかもしれません。
 それにアリスが暴れようものなら、押さえつけるだけでも小人たちには手一杯になるはずで、アリスとしては何も警戒する必要はなさそうでした。本当に危険が迫ってきたら勝ち目はたぶんアリスにあります。大したことないわ、とアリスはまた口に出しそうになって、今はおとなしく様子をうかがうことにしました。なにしろ深い深い穴の中を長い長い時間をかけて落ちてきましたから、落ちるがままに落ちてきただけですけれど、長い長い川を流されてきたように体はだるく、それに退屈でやる気もなくなって、早い話が自分から何かするのはおっくうな気分でしたから、どうせその気になれば払いのけられる小人たちなど放っておいて、行きがかりは行きがかりで楽しんでみよう、と余裕の態度でした。そこらへんはさすがにアリスも階級制度にあぐらをかいた19世紀のイギリス人令嬢だけありました。動物の前で肌をさらしても人は羞恥心を感じませんが、アリスの属する白人中産階級にとっては有色人種ですら家畜動物と同等かそれ以下ですから、こんな地底人の小人など畜類以下の爬虫類や両棲類、昆虫並みですらあるでしょう。
 ですがアリスがあなどっていたのはアリスにとって小人が畜類以下なら小人にとってはアリスはでっかい獲物なわけで、おたがい話してわかりあえる可能性はまったくないわけです。頭の悪いアリスでも何だか嫌な予感がしたのは、コツンコツンとハンマーの音がし始めたからでした。アリスはハッと気がつきました。この音は地面に杭を打っている音だわ!アリスが油断して放心状態になっていた隙に、小人たちはてきぱきとアリスの手足を地面に張りつけにしていました。
 しまった、とアリスはガリバーのお話を思い出しました。小人は見つけた人間を張りつけにするものなのです。


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 はひふへほー、と小人のひとりが笑いました、どうせおれたち小人なんか力まかせではねのけられる、と油断してたに違いまい。それが慢心てやつさ、とハンマーを打ち合わせる音が聞こえ、だけど地面に張りつけにされたら、さすがにちょっとやそっとの力じゃ、身動きひとつとれないぜ。
 さあお嬢さんはどうするのかな、と別の小人が嬉しそうに言いました、かなりにっちもさっちもいかない事態だね、おれたちにとっては形勢逆転というべきか、別に最初から勝ち目は決まっていたようなものだがね。アリスは頭に血が上り、この人でなし、ゲス野郎、人間の屑と反射的にわめき出すところでしたが、どう言われても小人たちにはまるでこたえないのはわかりきっています。そんなことは私のような未来のレディが口にすることじゃないわ。アリスが品性をかなぐり捨てたら、それこそ小人たちの思うつぼです。
 それでおれたちはどうする?と別の小人が言いました。ざわ、と小人たちの間に当惑した雰囲気が走るのが、あお向けに張りつけになったアリスにも感じとれました。どうやら小人たちは、アリスを身動きとれなくした目的までは決めていなかったようでした。
 きっとこいつらばかなんだわ、とアリスは勘ぐりました、張りつけにしたのは小人がでかい獲物を見つけた時の本能で、いわばそれ自体が目的で、張りつけにしたその後のことまで考えてはいないのにちがいない。だったらなるべく無傷で助かる方法もあるかもしれないわ、とアリスはすばやく狡知をめぐらせました。狡知とはずるがしこい手段を考えることで、立派なレディのたしなみのひとつとして大人になるまでに身につけなければなりません。
 そりゃあさ、と別の小人が困った様子で言いました、おれたちゃ小人なんだから、小人らしいことをしなきゃあなあ。
 やっぱそうきたか、とアリスは内心ほくそ笑んで、あんたたち小人らしいことって何だか知ってるの?小人たちはてんでんばらばらな声を上げました。アリスは面白くなってきました。わけがわからずぐちゃぐちゃになっている集団ほど誘導しやすいものはないからです。ほら全然わかっていないじゃない、とアリスは挑発しました。またもや混乱してキーキー仲間割れする小人たち。
 小人らしいってことは、人間の嫌がることをすることよ。
 あーそうかっ!とばかな小人は素直に引っかかりました。で、何すりゃいいんだ?
 女体盛りとかどう?とアリス。


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 アリスは思いつきで口にしただけでしたが、小人たちは一斉にたじろいだようでした。ある者は持っていた道具を落とし、または絶句して喉を詰まらせ、ある者は膝を落とし、または倒れかかりそうになって仲間にやっと支えてもらい、ある者は息を荒くし、またはしゃっくりをこらえ、ある者は音をたてて後ずさりし、または小声で悪態をつき、またはぶつぶつ祈りを捧げ始めたようでした。これだと何だか数が合いませんが、たぶんひとりで何役もこなしているか、同じ反応を数人がタイミングをずらして起こしていたのでしょう。いかにも小人ならありそうなことです。
 ところでアリスはなぜそんなことを言い出したかというと、守るより攻めろの精神といいますか、どうせ小人にひどい目にあわされるならなるべく無痛・無傷でどうでもよく済ませたい、との一心からでした。か弱い少女が手足の自由を奪われて、悪知恵より他にどういう抵抗ができるでしょう?(反語)できません、というよりは、アリスの思いつきはどちらかといえば猿知恵の部類でしたが、相手は猿と同等かそれ以下の種族でした。つまりアリスの時代の西洋人には日本人やアフリカ人のようなものです。これは当時のフランス詩人のボードレールも「日本人は猿だそうだ」と書いているくらいですから、相手の水準の知的レヴェルで発想せずには打つ手は拓けないでしょう。ででで、これって窮鼠猫を噛むみたいなものかしら、もう一度アリスは言ってみました。
 女体盛りよ、わかんないの?
 アリスのだめ押しは小人たちを激しく震撼させました。声に出した反応こそありませんが、これがいわゆるドン引きというやつなのね、と世知にうといアリスですら感知できるほど凍りついたような困惑が、たちまち小人たちをひきつらせ、二の句を継げない状態に追いこんだと思われました。
 ……わかって言ってるのか?と小人たちのうち、ネゴシエーション・リーダーらしき役割のひとりが震える声でつぶやきました。アリスは強気に、あんた私に訊いてるの、それとも仲間に言ってるの?と追い討ちをかけました。小人は早口で何か言いましたが、おそらくそれは小人仲間たちにだけ通じる周波数帯の言語だったのが思わず出てきてしまったのでしょう。そんなのアリスにはやたらと早口すぎて聞き取りようがありません。
 ……女体盛りの意味がわかっているのか?と小人がびくびく声で言いました、それをおれたちがやれと?


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 それじゃどうして地面に張りつけにしたのよ、とアリスは喉まで出かかりましたが、考えるまでもなく小人は小人の本能でアリスの自由を封じただけで、たぶんそれは自衛本能か何かなのでしょう。
 それでいいんですかドジソン先生?はい、おおむね間違ってはいません。ですが小人の多くはワイセツで淫らであることを忘れてはいけませんよ。
 人間は体長に対して性○器の比率が大きい哺乳動物ですが、小人たるや人間の腰ほどの体長なのに性○器だけ見れば人間並みの大きさのち○ぽことお○んこを備えているのです。ですから奴隷市場では特別に小人市場があり、調教済みの小人は紳士や貴婦人には高く取り引きされているほどで、青少年にも将来の夢はミュージシャンかゲーム作家か小説家か小人調教師か、というほどの人気なのです。何しろ小人を調教し放題の職業ですからね。
 とにかく相手がたかだか小人で人間でないことを忘れてはいけません。皇族や貴族の寵屓する小人でもない限り、死なせてしまっても弁償すれば済みます。
 弁償はいくらくらいかかりますか?
 内臓、筋肉に腑分けして、相当の重量分の畜肉に置き換えてください。肉質では豚ともっとも近いことから同等体重の子豚の相場が最高になります。後は曲芸ができるとか性的玩具としての性能が高いとかいろいろ付加価値を賠償額に上乗せ要求するのが上告側の言い分になりますが、それは個人的な嗜好の反映なので、資産価値よりは損害による精神的苦痛の目安程度であり、つまり実際は大して考慮しないのが公正な判決とされています。
 さらに使役された小人はかなりの程度育っているので、その点は子豚より畜肉価値は落ちます。つまり鶏肉並みで、小人と同等の体長の鳥は稀少種でイメージしづらいですが、単純に重量を鶏肉を置き換えたもの、と思っていただれば実際の賠償額には相当します。
 小人を畜肉にする例はあるのですか?
 自然死、事故死、傷害死、病死した畜肉の商用販売はできませんが、個人が所有する小人を食用にする、または他人の所有物でも示談が成立する場合には小人を食用にすることに法的な禁止力はありません。そもそも豚肉は畜肉ではもっとも人間に近いのですが、豚肉に近い小人の肉質はさらにほとんど人間と同質ですから、消化吸収栄養価のどれを取っても優れたものなのです。
 また医療用としても歩く内臓バンクと言えるもので、これについては章を改めて。
 第五章完。


(五部作『偽ムーミン谷のレストラン』第五部・初出2016年1月~6月、全八章・80回完結)
(お借りした画像と本文は全然関係ありません)