『決闘コマンチ砦』Comanche Station (ラナウン・ピクチャーズ=コロンビア'60.Mar.1)*73min, Eastmancolor, Widescreen : 日本公開昭和37年('62年)10月6日 : https://youtu.be/AbfeshoB9mw (Trailer)
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より)「イエローストン砦」のバート・ケネディの原作を「最後の酋長」の監督バット・ボーティカーが脚色し監督した西部劇。撮影は「恋愛専科」のチャールズ・ロートン・ジュニア、音楽はミッシャ・バカライニコフ。出演者は「昼下りの決斗」のランドルフ・スコット、「早射ち2連銃」のスキップ・ホメイヤー、「ブラック・ゴールド」のクロード・エイキンズ、ナンシー・ゲイツなど。
○あらすじ(同上) 10年前に妻をコマンチ族に奪われたコディー(ランドルフ・スコット)は、コマンチ集落で白人の女が交換所に出ていると聞くと、妻を求めてどこへでも出かけて行った。あるコマンチ集落で彼は5ドルの品物と連発銃1機と交換に、白人の女ナンシー・ロウ(ナンシー・ゲイツ)を救けた。コディーは彼女をローズバーグの夫の許に送るため、一緒にローズバーグに向った。ここで2人は彼女を探している3人の男、首領格のベン・レーン(クロード・エイキンズ)、フランク(スキップ・ホメイヤー)、年少のドビー(リチャード・ラスト)に会った。ナンシーには、夫からその生死に拘らず連れ戻った者に5千ドルの賞金が懸けられていたからだ。ベンは残忍な男で、軍隊にいた頃、無意味にインディアンを殺してコディーから告発され、隊を追われたのでコディーを怨んでいた。あとの2人はベンに雇われたのだ。ベンはコディーを殺してナンシーを奪い、彼女が口を割るのを防ぐため、彼女も殺して5千ドルを手に入れるつもりだった。ローズバーグ迄は凶悪なコマンチ族が出没する危険な荒野で、3人の悪党とコマンチの襲撃から、ナンシーを守って無事送り届けるのは非常に困難な事だった。コディーはナンシーと出発したが、3人は彼らの命を狙い続けた。ナンシーは初めコディーが自分を助けたのは金のためだと思っていたが真意を知るにつれ、彼に好意を持つようになった。途中コマンチ族の待伏せでフランクは殺された。コディーに好意を感じ出したドビーはベンの計画をコディーに告げようとしてベンに殺された。ベンはコディーに殺された。ナンシーを夫(ダイク・ジョンソン)の許に送り届け、喜ぶ2人を見て、彼は再び妻を探すために去って行くのだった。
――本作はカリフォルニアのローンパイン近くの、ホイットニー山脈の麓からそれほど遠くない、中央カリフォルニアのシエラ地域東部でロケされました。『七人の無頼漢』『反撃の銃弾』では全面的な舞台だった、アラバマ・ヒルズとして知られる岩山地帯は、オープニングとクロージング・シーンの背景になっています。冒頭から包みを連れた騾馬に乗せたスコットが馬から下りると周囲の岩山をモヒカン刈りのコマンチ族に囲まれる。スコットは包みを広げて反物を並べてジェスチャーし、スコットが立ち上がると集団のリーダーの投げた槍が広げた反物の中央に刺さります。コマンチ族部落に連れて行かれたスコットは族長と交渉し、ライフルを一挺置いて交渉は成立します。コマンチ族は白人の女(ナンシー・ゲイツ)をひとりスコットに引き渡し、スコットは無言で女を騾馬に乗せ部族から去ります。スコットとゲイツは名乗りあい、ゲイツは夫から頼まれたのかコマンチ族に女を買いに来たのか訊きますが、スコットはどちらでもないと答え、ゲイツにローズバーグの家族のもとまで送り届けると約束しますが、ゲイツは疑心暗鬼です。すぐに2人はスコットが軍人だった頃無意味なインディアン殺しで追放した無法者のクロード・エイキンズと、エイキンズに雇われたカウボーイのスキップ・ホメイヤー、リチャード・ラストの3人と出会い、ゲイツはエイキンズが賞金稼ぎでゲイツの夫がコマンチ族にさらわれた妻の捜索に「生死を問わず」5,000ドルの懸賞金をかけていると知るので、あんたも賞金稼ぎだったのねとスコットを見るようになる。コマンチ族の襲撃を退けてローズバーグまで到着するには俺たちの協力が必要だろうとエイキンズたち3人も同行することになりますが、実はエイキンズはもともと怨恨を抱いているスコットを殺害して賞金を独占し「生死問わず」だからゲイツも殺害して遺体か遺品だけ持ち帰る気でいる。ホメイヤーとまだ少年のラストはエイキンズの目論見に躊躇しています。コマンチ族の襲撃は断続的に続き、ある朝ゲイツが池で顔を洗っていると矢で殺されたホメイヤーの死体が漂ってくる。ラストは池に踏みこみ兄貴分の死に愕然としますが、すぐ出発しようと遺体を池に置き去りに急かされ、夜間すらおちおちしていられない。夜番に構えていたラストにゲイツが話しかけ、スコットの素性を尋ねます。ラストはスコットと会ったのは初めてだがコマンチ族に奥さんをさらわれて供物を持ってはコマンチ族に幽閉された白人女性たちを捜してくる、もうずっと長いことそうしているが奥さんにはめぐり合えないのでスコットの妻は死んでるんじゃないかと噂されているがスコットはコマンチ族との交渉を止めない、エイキンズには雇われているがスコットは好きだ、とゲイツに話し、ゲイツはスコットへの疑念を恥じます。またラストはエイキンズの目論見をゲイツに話したので、翌日ゲイツはスコットに謝罪しますが妻の誘拐は10年前のことだ、と話し、エイキンズとラストを追放する。なおも逆転を狙うエイキンズにラストはエイキンズにもうあんたの手下は止めた、と去ろうとし、エイキンズにお前スコットたちに裏切ったな、と背後からラストを射殺します。銃声を聞いて立ち止まったスコットとゲイツは暴れ馬に引きずられるラストの遺骸を確認し、ゲイツの援護とともにエイキンズと対決して倒します(このエイキンズ追放から対決が冒頭のコマンチ族の包囲とともにアラバマ・ヒルズが舞台です)。ローズバーグの町につき、ママ、とゲイツの幼い息子が家から飛び出してくる。ゲイツが息子を抱きしめると、ナンシーか、と杖をつき盲目のゲイツの夫(ダイク・ジョンソン)が足を引きずりながら戸口から出てくる。夫の手をとったゲイツがスコットを振り向くと、スコットは無言で何も言うな、という仕草をします。このジェスチャーの意味がわかならい観客はいないでしょう。そして再びコマンチ砦へ向かう荒野に去っていくスコットの後ろ姿の騎馬姿のロングのショットがラスト・ショットで、エンド・マークが重なります。懸賞金すらスコットは受け取る気はないので、この爽やかで哀切なエンディングはどうでしょう。スコット以外ノン・スター、オール・ロケの西部の荒野の道中記映画ながらゲイツのヒロイン像、スコットの孤独で絶望的な捜索者像(しかもエイキンズたちの登場で巻きこまれ型のシチュエーションにもなります)は鮮烈で、一度観たら忘れられないシーン、ショットがいくつもあります。連作の累積の上にたどり着いた到達点ですから本作は先立つ連作を数作観てからこそなお真の感動が味わえると思えるのでファースト・チョイスには向きませんが、おそらく連作7作すべてご覧の方には本作こそ最高傑作という讃辞にご同意いただけるのではないでしょうか。
●5月31日(金)
『今は死ぬ時だ』A Time for Dying (FIPCO'69)*67min, Eastmancolor, Standard : 日本劇場未公開 : https://youtu.be/scbj-TereaA (Full Movie) : https://youtu.be/AiSJhmnsQjk (Trailer)
○解説(英語版ウィキペディアより) 製作オーディ・マーフィ、監督・脚本バッド・ベティカー、撮影ルシアン・バラード、音楽ハリー・ベッツ、編集ハリー・ナップ、製作会社 : FIPCOによる本作はベティカーの最後の映画になりました。オーディ・マーフィの活動は本作製作当時不調で、1968年には出演映画はありませんでした。『シマロン・キッド』でマーフィを監督したベティカーも、経済的な窮迫状態に陥っていました。二人は映画を作るために共同の製作プロダクション、FIPCO(First International Planning Company)を設立し、本作はその最初の作品で、以降も映画製作が行われる予定でした。『今は死ぬ時だ(A Time for Dying=死ぬまでの時間)』は、もともとピーター・フォンダ主演に企画されました。撮影は1969年4月と5月にツーソン近郊のアパッチランド映画牧場で行われました。資金は極端な低予算で、撮影完了までに映画は脚本よりも数分短くなりました。マーフィは1年半をかけて完成とポストプロダクションのために追加資金を集めることを試みました。マーフィーの2人の息子が映画の中で小さな役割で登場し、マーフィーの長年のエージェント、ウィラード・ウィリンガムはフランク・ジェームズを演じました。しかし本作は契約上の問題により、ニューヨークでは1982年まで上映されませんでした。
○あらすじ(同上) 農場で働く少年、キャス・バニング(リチャード・ラップ)は射撃が特技でしたが、野原で射撃練習中に通りかかった無法者ビリー・ピンプル(ボブ・ランダム)たちの噂で聞いて訪れた売春宿で、ウェイトレスの仕事と斡旋されて馬車で西部にやってきたばかりの、東部からの素朴な女性ネリー(アン・ランドール)と出会います。キャスは即座にネリーを連れて脱走しますが、2人は逮捕されロイ・ビーン判事(ヴィクター・ジョリー)によって結婚を強いられます。キャスは賞金稼ぎになろうと決めます。キャスは、平原で練習中にキャスの射撃の腕前に目をつけたジェシー・ジェームズ(オーディ・マーフィ)と知り合い強盗団に誘われますが、キャスは賞金稼ぎの仕事を始めます。しかしキャスは先制攻撃を仕掛けてきたお尋ね者のピンプルに銃撃戦で殺され、夫の死に心神喪失したネリーは売春宿のおかみ(エイミー・アンダーソン)に店の宿舎に迎えられます。
――映画はヒロインが「農場へ戻って……彼のお父さんに知らせなきゃ……」とつぶやきながら眠りに落ち、店の前ではまた馬車で着いた新しい女性が売春宿の扉に入っていく路上の場面で、ヒロインが売春宿から抜け出せることは決してないのを暗示して終わります。主人公がウェイトレスと騙されて新人の女の子が次々雇われてくんだぜ、と冒頭で聞くのも「何で蛇は撃つのにウサギは撃たないんだ?」と通りかかった無法者のピンプルたちに正義漢気取りか?とからかわれたついでですし、主人公は本当にそうか売春宿のバーに確かめに行って馬車で着いたヒロインを躊躇なく助け出して農場近くの平原で事情を話し、明日には東部に帰れよとヒロインとホテルに泊まります。翌朝真っ先に保安官一行が部屋に乗りこんできて二人(主人公は床の上で寝ていましたが)はロイ・ビーン判事に裁判にかけられるので、先に判決が済んだ件を待って判事は二人をその場で結婚させて釈放する。二人が裁判所を出ようとするとすぐ前に判決を受けた男が裁判所の前の平原で絞首刑にされている、といった具合で、平原で寝泊まりし農場に連れて行くうちに主人公とヒロインの間に愛が芽生えます。この辺は青春映画として美しい自然描写とともに非常に可憐で、描かれる西部もまだ緑の豊かな農村地帯です。主人公は本腰を入れて結婚生活に入るには射撃の腕前を生かせる仕事はないかと平原で射撃訓練に励み、ヒロインは危険な仕事は止めてと反対するも主人公は農場の仕事だけでは妻を養えない、と反論します。射撃練習中に3人組の男が通りかかり、オーディ・マーフィ演じる男がお前の腕前ならいつでも仕事をくれてやるよ、と主人公を誘う。あんたたちは誰何だ、と主人公が訊くとマーフィはあっちが兄のフランク、こっちが仲間のベン、俺はジェシーだ、と答えて去り、主人公はジェシー・ジェームズとの対面に唖然とします。無法者にはならない、賞金稼ぎになろうと決意を決めた主人公はヒロインと町に出かけ、ダンスホールでロイ・ビーン判事のパーティーに混じっているうちに無法者ピンプルの凶行と賞金手配の緊急告知を知ります。その時が来た、と夜の街路に出て乗馬しようとした主人公をいきなり現れたピンプルが狙撃し、主人公は二挺拳銃を抜きますが両手とも拳銃を取り落としてしまい一方的に撃たれる。主人公が蛇は撃つがウサギは撃たない性格なのが冒頭のピンプルとの出会いから暗示されているのは主人公が無法者のピンプルすら実は撃てない性格だったからで、このシーンは主人公、ピンプルともスローモーション映像で描かれています。ヒロインは倒れた夫に取りすがり、ダンスしていた客たちも出てきて取り巻きますが、なおも馬で突っ切ってきたピンプルが至近距離から主人公にライフルでとどめの一発を撃って去って行く。隣りの売春宿から出てきたおかみが茫然自失したヒロインにかわいそうに、おいでと肩を抱いて売春宿に招き入れ、ヒロインは「彼のお父さんに知らせなきゃ……農場へ帰らなきゃ……」とつぶやきますが、おかみはこれで良かったんだよ、何もかも元通りだよ、と宿の寝室に寝かされます。ベティカー自身のオリジナル単独脚本の本作はピーター・フォンダ主演が想定されていたため基本的には青春映画なのに結局フォンダ主演がかなわなかったためロイ・ビーン判事役のピート・ジョリー(とカメオ出演のマーフィ)くらいしか知名度のある俳優がいないノン・スター映画になり、またイタリア、フランス公開題から日本未公開ながら『今は死ぬ時だ』と邦題が定着していますが、原題の『A Time for Dying』は「今は死ぬ時だ」と「死ぬまでの時間」の両方のニュアンスがあるので、青春映画ならば主人公とヒロインとのあまりに短い蜜月を描いた映画とも言えます。西部劇にスローモーションを導入したのは、ジャン・ヴィゴの『新学期・操行ゼロ』'33のアメリカ公開にインスパイアされたアーサー・ペンの『左きゝの拳銃』'58という説がありますが、'60年代にはイタリア製西部劇から日活アクション映画まで常套手段になっています。本作の主人公はジェシー・ジェームズの強盗団どころか賞金稼ぎにもなれない青年なので、凶悪な童顔あばた面の無法者ピンプル(ピンプルはにきび、あばたですから通り名でしょう)に一方的に殺されてしまう。主人公らしい活躍は映画序盤のヒロイン救出だけだったとしか言えないので、クライマックスの対決とも言えない対決は製作事情からのシナリオ短縮が原因と思える性急さも感じられます。しかしこの67分という短さも本作ではあっという間に終わってしまった感慨をもたらすので、白鳥の歌らしい刹那感の印象につながっている。ベティカーの傑作は『七人の無頼漢』『反撃の銃弾』『決闘コマンチ砦』でしょうが、案外最初に観るベティカーが本作でもいいではないかと思えてくるのです。