人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

映画日記2019年6月10~12日/続『フランス映画パーフェクトコレクション』の30本(4)

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 コスミック出版の『フランス映画パーフェクトコレクション』はパブリック・ドメイン作品から選ばれた、フランス映画がサウンド・トーキー化された1930年から1953年(パブリック・ドメイン作品の年限)までの集成で、サイレント時代の作品は外されています。既刊10セット100作品あまりを観ても必ずしもフランス映画の全貌とは言えないのはこうした年限の括りがあるからで、フランス映画の古典として'50年代初頭までを対照にするにせよ、フランスは映画の先進国で1910年代半ばには長編映画が興隆しており、サイレント時代にも国際的な話題作を輩出していました。フェデー、デュヴィヴィエ、ルノワール、クレールら'30年代の巨匠たちはサイレント時代にもすでに代表作を発表していたので、映画のトーキー化に伴って第一線を退いたサイレント監督たちもいましたが(ルイ・デリュックのようにサイレント時代に夭逝した監督もいました)、サイレントとトーキーで完全に世代交代したとは言えないので、'20年代のフランス映画界を代表する監督だったアベル・ガンスやマルセル・レルビエらはトーキー以降も多くの監督作品を送り出しています。同じ映画先進国でもドイツ映画の方がサイレント時代が重視されるのは'18年(ワイマール共和国成立年)~'33年(ナチス政権成立年)までがドイツが民主主義国家だった時代で、第一次・第二次大戦間のドイツ映画の黄金時代がほぼサイレント時代と重なるからですが、フランスではサイレント時代の映画人(スタッフ、キャスト)の大半がそのままトーキー以降の映画の担い手になったので、これはアメリカやソヴィエト、イタリア、日本など他の映画製作国でも同様でした。フランスの古典映画という場合'10年代半ばの長編映画確立期から始めて'20年代末までのサイレント時代の作品を上げないと、前記の諸国の映画をサイレント時代抜きに語るのと同じ無理があるのですが、フランスに限らずサイレント時代の古典映画の数々は上映・映像ソフト化ともども観るのが難しいのは確かです。サウンド映画に慣れた観客にはサイレント映画というだけで先史時代の映画のように敬遠されてしまうので、なかなか商業上映や映像ソフト化が運ばないのが現状で、監督や俳優に一種のブランド化がないと観られる機会も少なくなっている。サイレント時代のフランス映画の重要作だけでも軽く30本以上は数えられるだけに現代の観客が容易に観られるのは'30年を境にしたトーキー化以降の作品に偏っているのは問題です。『フランス映画パーフェクトコレクション』既刊10セット中'30年代作品が26本を占めて、今回の年代順紹介では次回から'40年代作品になりますが、'30年代作品については'30年代の映画監督たちのキャリアはサイレント時代から始まっているのが前提なのを念頭に置いて観ると、これがサイレント映画として撮られたらどんな作品になっていたかを想像するのも映画の見方を広げてくれると思います。

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●6月10日(月)
とらんぷ譚』Le Roman d'un tricheur (Films Sonores Tobis'36.9.19)*78min, B/W : 日本公開昭和14年('39年)3月
◎監督:サッシャ・ギトリ(1885-1957)
◎主演:サッシャ・ギトリ、セルジュ・グラーヴ、ジャックリーヌ・ドゥリュバック
○とあるカフェで、一人の男が半生を回想し執筆しながら語りはじめる。幼い頃に大家族と死別した「僕」は、プロの詐欺師となり……。S・ギトリが自作の小説『詐欺師の物語』を、自ら映画化し主演した作品。

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 前書きで書いたこととまるで反対になりますが、本作の監督・原作・脚本・主演を勤めるサッシャ・ギトリアベル・ガンス(1889-1981)、マルセル・レルビエ(1890-1979)、ルイ・デリュック(1890-1924)、ジャン・エプスタン(1897-1953)らサイレント時代の代表的フランス監督よりも年長で、1916年監督デビューのジャック・フェデー(1885-1948)と同年生まれと本来ならフランス映画の長編化以降の第1世代でもおかしくなかったような人です。ギトリは1902年から演劇界で活動していた演出家・劇作家・俳優で、サイレント時代にギトリの舞台を撮影したドキュメント2本('15年、'22年)がありましたが、'34年に短編映画の習作に着手し'35年に初の長編映画パスツール』(伝記映画)と長編劇映画の第1作を発表し、翌'36年には4作もの劇映画を発表しました。日本に初紹介されたギトリの映画『とらんぷ譚』は'36年の2作目に当たる作品で、以降ギトリの映画の日本公開はほとんど行われなくなります。フランス本国ではやはり劇作家出身で日本公開作品のないマルセル・パニョル(1895-1974)と並ぶ国民的映画監督で、詩人・劇作家出身のジャン・コクトー(1889-1963)同様サイレント時代には映画は好きでも別の畑で活動していた人で、長編映画を撮り始めたのは50歳ですからそれまでおれが映画を作るとしたらとアイディアを貯めていたと思えます。森鴎外は明治時代にさまざまな西洋語の概念語を和製漢語に定着させましたが、鴎外発明の漢語で定着しなかったのに「技癢(ぎよう)」というのがあり、腕がむずむずするという意味なのですが、控えめなパニョルはともかくギトリやコクトーはまさに演劇界で活躍しながら映画に技癢を感じていたのではないでしょうか。コクトーの本格的な映画参入は第二次大戦後ですが、ギトリは自分が作・演出・主演を勤める劇団を主宰してギトリ自身がスター俳優であり、長編映画参入時のチャップリンほどの環境が整っていたと言えます。しかしギトリはチャップリンのようなパントマイム俳優ではなくて何より劇作家であり、サイレント映画ではギトリの求める表現は十分には実現できなかったと思われるのは一見ナレーションが流れるサイレント映画のような作りの本作でも感じられます。トランプをめくっていくとタイトルが現れるタイトル画面につづいて冒頭はサッシャ・ギトリ自身がスタジオでスタッフ、キャストを紹介していくのがそのままクレジット代わりになっていて、ドラマ部分は主人公の「私」(ギトリ自身が演じます)がカフェで回想録を書き進める形式で、登場人物の台詞も「私」のナレーションの中で語られるので、本作の戦前の日本初公開時はギトリのナレーションはサイレント映画活動弁士のスターの徳川夢声が吹き替え公開されたそうですが、戦前本作が日本であまり高く評価されなかったのはそのせいでサイレント映画くさくなってしまったからではないかとも考えられる。主人公がしばしば筆を休める現在形のカフェの場面では普通のトーキー映画と同じでウェイターや常連客と会話しますし、結末の老伯爵夫人とのカフェでの再会も現在形の会話だからこそ効いているサゲです。ギトリ原作・監督・脚本・主演とほかにチャップリンくらいしか有名どころで比較しようもない(イワン・モジューヒンの『火花する恋』'21、ルノワールの『ゲームの規則』'39や、ほかの俳優・監督にも単発的にはありますが)ワンマン映画で、普通こういうのはインディー映画の規模でしか作られません。もっとあとのフランス映画でもフランソワ・トリュフォーの『野生の少年』'69、ジャック・ドワイヨンの『泣きしずむ女』'78、また自作他作とも多くの出演作のあるゴダールのような監督もいますが、トリュフォーゴダール、ドワイヨンらはインディー映画が基盤の監督たちでしょう。フランス映画でもモジューヒン、ルノワールは独立プロ製作によるインディー映画製作者=俳優・監督でしたし、ギトリはワンマン劇団主宰者として映画まるごとのコントロール権を握って映画界に進出した稀有な人で、原作・脚本ともギトリの上に多くの作品はギトリ自身が主演しその当時のギトリ夫人(ギトリは生涯5回結婚しました)がヒロインを勤めています。スタッフ、俳優たちはギトリの劇場の身内となればいわば全員がギトリ劇団の従業員なので、王様が宮廷映画をせっせと作っているようなものでしょう。また専属スタッフ・俳優制時代の映画会社の劇団規模のものと言ってもよく、サイレント映画初期の小映画社と同等以上の人材・人員は十分そろっている上に、フランス演劇界で築いたギトリの地位と人気で映画界への進出は'35年に長編2作、'36年に5作と大歓迎されたので、'37年には3作、'38年には2作、'39年~'48年までは年1作と現象しますが、これは大戦中~敗戦後の混乱期だったためで、'49年から没年の'57年までは休んだ年、1作の年もありますがほぼ毎年2作を製作・公開しています。50歳で監督デビューして72歳の没年まで自作脚本を貫いて長編32作とは同時代の映画監督では無類の業績ながら、フランス国内でも何となく例外的映画監督のように見られ、フランス以外の欧米諸国でも'80年代以降からようやく知られるようになるもまだまだ再評価の途上にある大物の筆頭格でしょう。ギトリの正式な日本の劇場公開作は戦前にあと1作『夢を見ましょう』'36(本作の次々作)、戦後に『ナポレオン』'54があるだけで、文化会館類で稀に上映されるかDVD化されている少数の作品しか観る機会がありませんが、本作などよくまあナレーション吹き替えという異例な日本公開が戦前に実現したと思える異色作で、日本の戦前の外国映画批評はなるべく文献を探すようにしていますがギトリ作品は評価ばかりか言及すらされていない。短歌雑誌編集者出身の作家・中井英夫(1922-1993)に短編集『とらんぷ譚』'80があり、内容はともかくタイトルはギトリ作品の邦題が出典でしょうから中井英夫の読者の方にむしろ有名かもしれません。本作の日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) フランス劇壇の異彩で、今日では映画界にも独歩の地位を占めているサッシャ・ギトリーが自作の小説『詐欺師の物語』を自ら脚色・監督・主演したもので、彼の第二回のトーキーである。そして全篇彼のモノローグによって筋を運んでいる異色作品である。ギトリー以外の出演者は彼の夫人で彼と度々共演しているジャックリーヌ・ドゥリュバック「乙女の湖」「或る映画監督の一生」のロジーヌ・ドレアン、「巨人ゴーレム(1936)」「隊長ブーリバ」のロジェ・デュシェーヌ、「望郷(1937)」のフレール、新人ピエール・アッシィ、「コゼットの恋」のマルグリット・モレノ、「上から下まで」のポーリーヌ・カルトン、「最後の戦闘機」のセルジュ・グラーヴ少年、「夜の空を行く」のピエール・ラブリ、ガストン・デュプレー等である。音楽はアドルフ・ボルシャール、撮影はマルセル・リュシアン、装置はピエール・メネシエが担当している。なお日本版はギトリーに代わって徳川夢声がモノローグを受け持っている。
○あらすじ(同上)「世は逆ま」と人は云うが、この言葉を身を以て体験した男が僕(サッシャ・ギトリ)である。変転極まりなき四十年の生涯は、先ず僕が十三歳の時(セルジュ・グラーヴ)に始まった。僕の家は村の雑貨商だった。或日ビー玉を買いたい一心で八銭を盗んだところ、カンカンに怒った父は「盗人した奴には飯なんか食わさない」と怒鳴った。そして僕は其の時の御馳走であった茸を喰わして貰えなかったが、間もなく僕を除いた十一人の大家族が一朝にして死んでしまった。その茸たるや恐るべき毒茸だったのである。そこで僕は次の結論に達した。即ち「俺は盗みをしたから命が助かった」と。僕は貪慾な叔父夫婦の家に引き取られたが、或夜そこを逃げ出して先ずレストランのボーイ、次にホテルのボーイとなって初めて「金持ち」と称する人種を発見した。かくて僕は十七の時(ピエール・アッシィ)、憧れのパリへ行ってレストランに勤めたが、皿洗いの青年に惹きずられて、彼の恐るべき犯罪の計画に捲き込まれた。しかし彼等一味は犯行直前に一網打尽となったが、僕が密告した事にはよもや彼等も気付かなかったろう。その冬僕はモナコへ行ってホテルのエレヴェーター・ボーイとなった。その頃僕はつまりその人生の春を知った。相手はずっと年上の伯爵夫人(エルミール・ヴォーティエ→マルグリット・モレノ)で、僕に記念の金時計を呉れた。そうこうする中に徴兵適齢に達して三年間を兵営で送ったが、除隊すると再びモナコへ帰って、不正直では有り得ない職業、即ち賭博台取締になった。その為に僕はモナコ帰化したのだが、世界大戦が始まるとフランス政府は僕のモナコ帰化を認めず、僕は銃をとって戦線についた途端に負傷して後送された。其の時僕の命を救ってくれたシャルボニエ(ガストン・デュプレー)も間もなく重傷を負った。傷の全治する迄僕は色んな本を読んで世界の種々な相に接した。そして退院して伸びた髯を剃ってみたら、驚くべし僕は若さをすっかり失っていた。ブラリと立ち寄ったホテルで天使の如き女(ロジーヌ・ドレアン)と識り、暫くは彼女とのアヴァンチュールに陶酔したが、実は彼女は僕を利用して宝石泥棒を働いたのを知ったので、こっそりと彼女から逃げてモナコへ行き以前の職に戻った。僕の受け持ちのテーブルに席を取る一人の女(ジャックリーヌ・ドゥリュバック)が、じっと僕を見つめると、不思議に僕は必ず彼女の望む穴へ玉を入れる。僕は彼女一人に儲けさしておくのが惜しく、利益を分配するため彼女と形式的の結婚をしたが、すると今度は我々の儲けはおろか、僕は胴元を破産させて馘になり、二人は直ちに離婚した。かくて僕はイカサマ師たらん決心をした。本職のペテン師となって巨万の富を得た或日、例の女賊と別れた妻が一緒に居るのに会った。二人が僕だと気付かないままに、僕はかつて妻だった女の情夫となった。その後賭博台で大戦の時僕を救ったシャルボニエに逢った。彼と交際している内にイカサマでない賭博のファンとなり、僕の悪徳は消え去った代わりに、儲けた巨万の富は失ってしまった。その後、トランプの選別係という職も得たが、今は絶対に悪い事をなし得ない職業、即ち保安警察の役人となっているのである。
 ――本作はナレーションで名前が語られない登場人物も多いため宝石泥棒の女と偽装結婚する貴婦人のどちらが当時のギトリ夫人ジャックリーヌ・ドゥリュバックでどちらがロジーヌ・ドレアンかキネマ旬報のキャスト一覧ではわからず、映画サイトでも明確ではないのですが、英仏版ウィキペディアに依って偽装結婚する貴婦人の方をドゥリュバックとしました。実際印象に残る展開もドゥリュバックとのカジノのひと儲けのための偽装結婚の方が比重が高いので、本作のギトリはお仕置きのため晩ご飯抜きになったら大家族全員が毒キノコで中毒死して孤児になり、その後は基本的にはツキに恵まれているのにツキに乗じようとすると今度は運が向いてこない、せっせと詐欺師にいそしむと成功するがこれも大失敗と交互にやってくると軽佻浮薄を絵に描いたような男で、亡命ロシア人と友人になり皇帝暗殺テロに引き入れられると密告して難を逃れるという具合ですが、もっとも色と金と腹芸にまみれた人間ばかりがつどう劇場主宰者までのし上がった50男だけあって、生臭い世間は知り抜いているだけに人間観察や描写は的確で皮肉かつ辛辣で、何よりもっともうさんくさい人物である主人公をギトリ自身が演じているのに説得力と面白さがあります。あらゆる種類の富豪や貴族、役人に化けてきたと語るシーンではホテルの回転ドアをくぐって変装したギトリが出てきてその時々のキャラクターの決め顔でロビーの人々を睥睨すると出て行って回転ドアの向こうの下手に去る、するとジャンプ・カットで回転ドアの向こうの上手からまた別人に変装したギトリが現れて……というのが6回あまり披露されて「しかし詐欺をしない時は普段の姿だった」と普段の燕尾服で現れて普通にロビーの人々とあいさつを交わしシークエンスを締める、と実に洒脱な演出で、それが全編に渡ってくり広げられ、カフェで自叙伝が完成しボーイや常連客にできたよ、おめでとうと交わしていると入ってきた老伯爵夫人と再会する。老伯爵夫人はまた何か儲け話でもあるの、なければ私が口を利いて……と言うのをそういう仕事は引退したんですよ、とさえぎる。じゃあ今何をやってるの、と問われて、もっと自分に向いている仕事です。何?査察官ですよ、と映画はサゲを迎えます。「FIN」タイトルで映画はさっさと終わるので、製作事情上仕方ないとはいえエンドマークのあとで長々とクレジット・ロールを流さざるを得ない現代映画はこういう終わり方ができません。既刊の「フランス映画パーフェクトコレクション」収録のギトリの日本未公開作のミステリー風メロドラマ『あなたの目になりたい』'42、田舎町の犯罪ブラック・コメディの『毒薬』'51も傑作で、しかも本作とはまったく異なる趣向の作品なのを思えばギトリの大才は驚くほどで、劇場公開は無理としてもせめて32作中1/3か半数は映像ソフト化が待ち遠しいものです。

●6月11日(火)
『北ホテル』Hotel du Nord (Imperial Film-SEDIF Productions=Cocinor'38.11.10)*95min, B/W : 日本公開昭和24年('49年)8月20日
◎監督:マルセル・カルネ(1906-1996)
◎主演:ジャン=ピエール・オーモン、アナベラ、ルイ・ジューヴェ、アルレッティ
○運河沿いの安宿北ホテル。その一室で男女が心中をはかる。男は自首し、女は一命をとりとめ、行く当てのない女は北ホテルで働き始めるが……。M・カルネの演出がさえるフランスメロドラマの傑作!

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 原作小説『北ホテル』'29はフランス'20年代末~'30年代のポピュリズム(人民戦線思潮)を代表する作品で、作者ウージェーヌ・ダビ(1898-1936)逝去後の映画化作品が本作になります。現在までつづくポピュリズム文学賞の第1回受賞作もダビの『北ホテル』で、賞自体が1931年に同作を表彰するために設立されたようなものです。'30年代のフランスの知識人から民衆にいたるまでの左傾化は当時のドイツの極右化に対応したものでもあり、ルノワールの『ランジュ氏の犯罪』'36やデュヴィヴィエの『我等の仲間』'36でははっきりポピュリズム思潮が俎上に上がっている。『巴里の屋根の下』'30から『巴里祭』'34までのクレールは市井の哀歓を描いて映画版ポピュリズム作品を作っていたとも言えて、クレールが作風の転換を図った架空の大資本独裁国の崩壊コメディ『最後の億万長者』'36がフランス本国では致命的な失敗に終わったのもポピュリズム思潮の中では狙いが伝わらなかったからだと思われます。またその前年ジャック・フェデーはフランス帰国時の三部作最後の『女だけの都』'36を発表してイギリスに渡りますが、フェデーのサイレント時代最後のフランスでの大作『偽成金紳士たち』'29(このあとフェデーは三部作最初の『外人部隊』'33までハリウッドに渡ります)の助監督・撮影補で映画界入りしたのがマルセル・カルネで、カルネはフェデー帰国時の三部作のチーフ助監督を経て師の渡英を期にジャック・プレヴェール脚本の『ジェニーの家』'36で監督デビューしました。第2長編の『Drole de drame』'37(ルイ・ジューヴェ、フランソワーズ・ロゼー、ミシェル・シモン主演のコメディ)を経て'38年5月にはジャン・ギャバンミシェル・モルガン主演の名高い『霧の波止場』が公開され、11月には本作『北ホテル』、以降『陽は昇る』'39、『悪魔が夜来る』'42、『天井桟敷の人々』'45、戦後の『夜の門』'46までが(『北ホテル』を除いて)プレヴェール脚本で、『陽は昇る』以降の4作は映画オリジナル原案ですがそれまでは原作小説があり、共同脚本家と組んだ作品も『天井桟敷の人々』までは多いのですが、プレヴェール(1900-1977)は詩人・作詞家・小説家としても一家を成した人で、'30年代フランス映画の「詩的リアリズム」監督でもルノワールは別格としてフェデー、デュヴィヴィエ、クレールほどカルネ作品の評価が下がらなかったのはいちばん若い(フェデーより19歳年少)現役監督だったのもありますが、プレヴェールの脚本がものをいったとも言えます。シャルル・スパーク(1903-1975)も'30年代フランス映画の詩的リアリズム作品の代表的脚本家でフェデーの三部作のみならずジャン・グレミヨン、デュヴィヴィエ、ルノワールらにも準レギュラー格で共同脚本を手がけていましたが、スパーク脚本はフェデーの三部作やデュヴィヴィエの諸作を対象に戦後フランスの「心理的リアリズム」映画に連なる「フランス映画の悪しき伝統」とされたのはラテン文化圏特有の党派性の強さにもとづく偏見を感じます。もっともプレヴェール脚本の妙味は台詞の巧みさ、美しさとされるのでそうしたニュアンスはさっぱりわからないのですが、『夜の門』までのカルネ作品で唯一プレヴェールが脚本に関わらない『北ホテル』も立派な出来で、原作小説が著名作なので少なくとも当時は小説を先に読んだ観客がほとんどだったでしょうし、日本語訳の訳書も昭和40年代までは手頃に読めましたから昭和の文学少年ならば10代のうちに読んでいたような作品です。ダビの原作は大した傑作でもないですが日本の小説でいえばちょっと高見順あたりを思わせる瑞々しい下町人情メロドラマ小説で、フランス文学特有の気取りや高飛車な調子もなく、画期的な評判を呼んだのもなるほどな、と納得のいくものです。カルネの映画の方は原作小説の基本的には忠実な映画化ですが、だいぶ格調も高ければ行儀も良い印象を受けるので、それに触れる前に日本初公開時のキネマ旬報の紹介を引いておきましょう。
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より)「悪魔が夜来る」「ジェニイの家」のマルセル・カルネが、「霧の波止場」に次いで監督した一九三八年作品。ウージェーン・ダビ作の同名の小説にヒントを得て「海の牙」「フロウ氏の犯罪」のアンリ・ジャンソンが「乙女の星」「ラファルジュ事件」のジャン・オーランシュと協力してストーリーを書卸し、カルネがコンティニュイティを書いた。撮影は「幻想交響楽」「殺人河岸」のアルマン・ティラールがルイ・ネと協力し、音楽は「巴里祭」のモーリス・ジョーベールが作曲している。出演は「巴里祭」「スエズ」「素晴らしき接吻」のアナベラ、「乙女の湖」「みどりの園」のジャン・ピエール・オーモン、「旅路の果て」「殺人河岸」のルイ・ジューヴェ「あらし(1939)」「悪魔が夜来る」のアルレッティを始め「殺人河岸」「幻想交響楽」のベルナール・ブリエ「悲恋」のジャーヌ・マルカン、アンドレ・ブリュノ、シモーヌ、ベルジュロン、アンドレックス、ポーレット・デュボー等の面々である。なおセットは実景を模してトローネが設計装置した。
○あらすじ(同上) パリ。北停車場からほど遠からぬところ、サン・マルタン運河にそった石畳の町。運河には閘門があり、また山形に高くかけた橋がある。運河にそって細長い小公園もある。自動車もほとんど通らない。パリの市中とも思えないほど静かなこの界隈に北ホテルがある。ホテルのお客は小市民諸君である。その晩、北ホテルの食堂はにぎやかであった。小公園の番人マルタヴェルヌ(ルネ・ベルジュロン)の娘リュセットがその日初聖体を受けたので、そのお祝いのささやかな宴会である。そこへ若い男女が一夜の宿を乞うた。女中ジャンヌ(シモーヌ)が二階の一室へ案内する。若いピエール(ジャン・ピエール・オーモン)とルネ(アナベラ)は思いあまって心中を企てたのである。男は失業しているし、よるべない孤児のルネはピエールの外に頼る人もない。ピエールは最後の金でピストルを買ったのである。最後のキスを交して男は女を射った。あけに染ってベッドに倒れた恋人の姿を見ると、男はぼう然として銃口を己れの胸に擬するすべもない。銃声を聞いて隣の部屋の男が入って来た。四十がらみのその男は若い殺人者を取っておさえようともせず、目顔で逃げろと教える。つかれたようにピエールは表へ飛び出し、公園のしげみにピストルを捨てて走り出した。北停車場に近い陸橋の上から、走って来る貨物列車めがけて身を投げようとしたが、心おくしてそれも果さず、その未明、彼は自首した。併しルネは死んではいなかった。意外の軽傷で警官にひかれたピエールと共に検事が病院に訪ねて来た時、ルネは合意の心中であったと証言したピエールは未決監に入れられ、ルネはいくばくもなく全快した。ルネは北ホテルに来て主人夫妻に礼をのべ、行く処もないので、すすめられるままに女中として住み込んだ。泊り客、食堂の常連のたれ彼が美しいルネを口説いたり、からかったりする中で、そんな気振を見せないエドモン(ルイ・ジューヴェ)こそ実はルネに最も心引かれたまである。ピエールに射たれた時、ルネを病院に運んだ四十がらみの男が彼であった。ルネが女中に住み込むと、エドモンは情婦のレイモンド(アルレッティ)と手を切った。浮気な男殺しのレイモンドにいや気がさしたのであろう併し彼はルネを口説こうともしなかった。口説いたのはルネであった。刑務所に面会に行くと自分に対する恥と怒からピエールが別れるといったので、ルネはどこかへ行ってしまいたい気持になったのである。ルネはエドモンが昔の仲間につけ狙われていることを知った。それでエドモンにどこかへ逃げようと持ちかけたのである。二人は手を携えてマルセイユの港まで行った。併し未練のあったルネは男にだまって北ホテルへとって返した。そして再びピエールに会った。こん度は彼もルネの愛と心尽しを拒むことは出来なかった。彼は二人で更生の道を歩もうと約束した。折しも七月十四日、パリ全市は国際を祝って、音楽と花火の音にわき返った。北ホテルの前の通は踊る人々で埋まった。酒と菓子を運ぶのに忙しいルネに会いに来たのはエドモンであった。ピエールが明朝釈放されると聞くと彼はさようならといった。彼をねらっているナザレト(アンリ・ポスク)が待っている北ホテルの一室へエドモンは入った。銃声と花火と音楽に消えたとも知らず早朝迎えに来たピエールと手を取り合ってルネは北ホテルを去った。
 ――映画は街角で落ちあった恋人たちの姿をとらえて、カメラはトラックバックしてロングで街角全体を構図に決めて終わります。あっこれ絶対ロングになるな、と思うとその通りになるので、何も本作を観るのは数度目だからではなくてテレビや映画の映像文化になじんだ人なら誰でも予想がつきます。カルネの映画が映画人の教科書のように見られているのは入念かつ丹念に過不足なく適切丁寧端正に作られているからで、意欲作『悪魔が夜来る』、一世一代の大作『天井桟敷の人々』でもそれが作品の柄を一定の枠にとどめているようにも見える。戦後の世相を描こうとした『夜の門』や『港のマリィ』'50の失敗はカルネの柄に合わなかったとも言えるので、『港のマリィ』はともかく『夜の門』などはカルネの計算外の破綻がかえって面白く感じます。小説の映画化を原作小説と較べる野暮は承知ながら、本作の場合ダビの『北ホテル』を読んで浮かんでくるキャラクターとアナベラとジャン=ピエール・オーモンの恋人たち、ルイ・ジューヴェとアルレッティの中年ヤクザとその情婦はこんなに美男美女でも渋くかっこ良くも気っぷが良くもないので、もっと不器用で口下手で卑近な人物像です。下町の川岸の通りのビストロ兼安宿「北ホテル」の主人と大家族はちゃんとどこにでもいそうな庶民のムードが出ているので、カルネ映画の流儀が主要人物と背景人物の描き方に不調和を作っている。カルネ自身は不調和ではなくキャラクターの重要度に応じた遠近法で幅広くパリの下町を描こうとしたと思われ、原作の印象が強かったり映画初見時は若い二人と中年二人の二組のカップルの運命の行方に興味が引きつけられます。本作の真の主人公はルイ・ジューヴェでしょうが、これも群像劇的原作より役割が強くなっている。しかしアナベラとオーモンはとても貧窮の末に心中を図るようには見えず、身なりも貧窮の果ての質素には見えなければ美男美女というだけでも嫌々ながらでも接客業くらい簡単に見つかりそうです。現に心中未遂にしくじったアナベラはホテルのビストロの看板娘の女給になりますし、いっそオーモンが薄給従業員になってでもどうせ専業画家では食えないのだから半ばヒモに近くても心中よりはましと思える。この二人の心中未遂までが台詞劇によるラヴ・シーンとして描かれているのも心中未遂にまでいたる経緯を台詞に圧縮し、かつ思いつめた恋人たちの様子を観客に突きつけるためですが、小説というより舞台劇の映画化作品のように見える。原作小説では初老の商人夫婦が下町の古ビルを買い取って北ホテルを開業するところから始まり月日が経って店じまいまでが描かれるので、安宿を舞台にした群像劇であること自体に新鮮さがあったのですが、本作は主要エピソードに焦点を当てて一部の登場人物を主要人物に仕立て直した手法自体が映画としては真っ当でこそあれ、古典的なドラマ性とは違う発想が画期的だったダビの原作を一旦舞台劇的な集中した内容に構成したのが映画を隙のない完成度の高いものにもしていれば、切り取ったエピソード自体は原作に忠実なのに印象はずいぶん違う。ダビの小説が軽薄浅慮なだけに現実的に身近な群像劇の下町人情刃傷沙汰メロドラマとして古典的なフランス文学の型を破っていたのに対してそれさえも古典劇のように描くのがカルネの映画の流儀だったとも言えます。またクレール映画の大セットを担当していたラザール・メールスンの助手から映画のセット美術家になったアレクサンドル・トローネルの大セットが本作のパリ下町の街並みで、様式性や意図的な人工性を感じさせるクレール映画のメールスンのパリ下町よりトローネルのパリ下町はよりリアルなだけに河原の土手から舗道への継ぎ目など人工的な建築物と木々、土手などの組み合わせに違和感がある。数百人のエキストラを動員した街並みはクレール映画ではエキストラまで整然と動くのが意図的な人工性の強調でしたが、カルネはそうした背景はリアリズムで行こうとするのでエキストラの中に主要人物たちが混じるといかにもエキストラの中に映画俳優がいるぞ、という感じがしてくるのです。本作はカルネ作品の佳作で端正な味わいは十分行き届き、『ジェニーの家』や『霧の波止場』、『陽は昇る』『悪魔が夜来る』や『天井桟敷の人々』よりずっと感じの良い映画ですが、丹念さの塩梅が帯に短し襷に長しの観がなくもない。主要人物の青年・中年二組のカップルのうちではアルレッティのズベ公ババァぶりがなかなかのもので、アナベラやオーモン、ジューヴェは品が良すぎるか絵になりすぎていて、こうした下町人情メロドラマですら俳優の演技をもっと崩した感じにはできないのもフェデー門下出身の技巧家カルネの美意識なのでしょう。

●6月12日(水)
『旅路の果て』La fin du jour (Regina films'39.3.24)*100min, B/W : 日本公開昭和23年('48年)10月9日 : ヴェネツィア国際映画祭ビエンナーレ杯 : キネマ旬報ベストテン5位
◎監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ(1896-1967)
◎主演:ヴィクトル・フランサン、ミシェル・シモン、ルイ・ジューヴェ
○隠居した俳優たちが集う老人ホームが舞台。マルニーは、かつてサンクレールに愛する妻を寝取られことで自信をなくし、才能がありながらも大成できなかった。ある日、サンクレールが入居することになり……。

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 引退俳優専門の老人ホームが舞台の生ぐさい人間ドラマの本作は戦後の'47年に『パニック』で復帰するまでデュヴィヴィエの最後のフランス映画になったもので、デュヴィヴィエは基本的に自作脚本で監督作を作る人ですから本作はシャルル・スパークとの共同脚本で、前年にデュヴィヴィエはハリウッドに招かれワルツ王シュトラウス父子の伝記映画『グレート・ワルツ』'37を撮っており、一旦帰国したものの戦渦を避けてハリウッドへの移住を決めた上での作品が本作ですからフランス映画界との別れの思いがこめられた企画だったのでしょう。'30年代のフランス映画監督の中でも大家とされるフェデー、ルノワール、クレール、カルネらと較べて俗で臭くて古くさいイメージの強いデュヴィヴィエですが『白き処女地』『地の果てを行く』『我々の仲間』『望郷』などは臭みの方が鼻についても『モンパルナスの夜』『にんじん』『商船テナシチー』『舞踏会の手帖』や本作はやはり人間性の確かな把握でルノワールと友人だけある良さがあるのではないか。スタイリッシュなフェデー、クレール、カルネよりも俗で臭いデュヴィヴィエの方がやっぱり映画観たなあと満足感が高い、造り物以上の感銘を与えてくれるのではないかと思えてきます。引退俳優専門老人ホームなんてあるのか、という点は、スイスの映画監督ダニエル・シュミットにも'87年に引退音楽家(ほとんどオペラ音楽家)専門老人ホームを描いたドキュメンタリー映画トスカの接吻』があり、ヨーロッパ諸国は演劇・音楽国でもあり旅公演のつづく職業柄家庭を持たないまま老境を迎える演劇人・音楽家も多い。本作中でも閉院と公立施設への移住を迫られた入居者が訴える通り職業柄一般常識と違った生き方をしてきたので同業者としか話が通じない。'87年のスイスにあったのなら'38年のフランスにもこうした施設はあったのでしょう。先の『北ホテル』もそうですが日本は戦時体制のため'39年から映画統制が敷かれたので'38年度作品の『北ホテル』『旅路の果て』は戦時下の本邦公開は見送られ、日本初公開は戦後になりました。その公開時のキネマ旬報の紹介を引きましょう。
○解説(キネマ旬報近着外国映画紹介より) 一九三六年「幻の馬車」に先立ってジュリアン・デュヴィヴィエが監督制作した作品で、一九四二年に輸入され公開の予定であったが、戦時中のため未公開のまま今日にいたったものである。脚本はディヴィヴィエとジャック・フェーデの「女だけの都」をはじめ「地の果てを行く」「我等の仲間」などに彼と協力したシャルル・スパークの両名で、撮影には「格子なき牢獄」クリスチャン・マトラ、作曲には「パリ祭」のモーリス・ジョーベールが当っている。「戦いの前夜」「火の夜」「海のつわもの」のヴィクトル・フランサン、「女だけの都」「どん底」「フロウ氏の犯罪」のルイ・ジューヴェ、「上から下まで」「かりそめの幸福」「乙女の湖」のミシェル・シモン、「うたかたの恋」のガブリエル・ドルジア、「地の果てを行く」のガストン・モド、「モンパルナスの夜」のガストン・ジャッケらが顔をそろえている。
○あらすじ(同上) 南仏サン・ジャン・リヴィエルにある俳優養老院、そこではかつての日のはなやかな舞台をただ一つの誇りとして、いま多くの俳優たちが余生を送っている。カブリサード(ミシェル・シモン)は代役専門の役者だったが、主役のギトリーが健康だったため一度も舞台をふんだことがなかった。しかし、彼は自分の勝手に過去を創造しほらばかりふいている。マルニー(ヴィクトル・フランサン)は古典劇屈指の名優とうたわれていたが、愛人を同僚サンクレール(ルイ・ジューヴェ)に奪われて以来、俳優としての自信を失いここに隠退したのである。マルニーはその正直な性格の故にカブリサードを俳優として認めないために、両者の間に時折り小さな争いがあったが、ある日ここへ突然尾羽うち枯らしたサンクレールが現れるまでは、院内は平和な空気にみちていた。マルニーは恋人がサンクレールの許に走って間もなく変死したので、その死因を疑い、サンクレールにはげしい憎しみを抱いていた。サンクレールはいつも婦人の渇仰の的となっていると人から思われていたい性格の男で、養老院へきても早速近くのカフェーで働く娘ジャネット(マドレーヌ・オーズレー)に眼をつけた。以前から経営難であった養老院は、いまでは万策つきいよいよ解散する破目になった。このとき院主の尽力でパリの新聞社が義えん金をだし、現役の名優たちによる慈善興行を行いこれを救うことになった。ところが公演の当夜、主役俳優が不意に事故のため出場できなくなったので一同はマルニーに代役をたのむことにした。カブリサードは生がいの思い出に、最初にして最後の舞台を踏みたいと決心しマルニーにたのむが許されない。彼は暴力でマルニーを倒し舞台に出たがかなしいかな一言のせりふもしゃべれなかった。大切な一幕をめちゃめちゃにして自分の部屋へかえった彼はその場に倒れてしまった。その夜サンクレールは純情のジャネットを自殺させようとしたが最後にマルニーに気付かれ、ジャネットは死の一歩前で救われた。数日後カブリサードの葬儀には、遺言により生前彼自身が書いた弔辞をマルニーが読むことになったが、生真面目な彼にはカブリサードを一世の名優としてほめたたえた弔辞を読むことができず、いくたびかためらったのち、弔辞を捨てて自分の思うままを述べた。「彼は俳優としてはとるに足らぬ男だ。しかし友人としては実にいい男だった。友よ安らかにねむれ」と。
 ――本作は'30年代のデュヴィヴィエの映画でも最高の作品で、ゆったり着実なテンポで老人ホーム入居者の老引退俳優たちの多彩な人物像と人間関係を描き分け、フランスでの作品としては前作に当たる『舞踏会の手帖』'37でも光った一筆描きでその人物の過去まで含めた人物像と人間性を描く手腕はいよいよ冴えています。シャルル・スパークとの共同脚本もスパークがフェデーに提供した脚本だと詰め将棋のようになってしまうのに、ルノワールやグレミヨンの映画ではスパーク脚本も窮屈にならず、本作のようにデュヴィヴィエ原案・主導だとごく自然に展開します。フェデー~カルネの映画がスパーク脚本であれプレヴェール脚本であれいかにも伏線を張っては回収する作りなのに、デュヴィヴィエにはルノワールまでは行かずとも人物たちの自然な行動が絡まりあってドラマを形成している自由な感覚があり、あらすじでは割愛されていますが老夫婦として入居している夫婦が閉院告知で別々の公立施設に分かれることがわかり、実は35年間事実婚をしていて子供8人孫26人いるのに俳優という職業柄入籍していなかったので閉院前に老人ホームで挙式しよう(正式な夫婦であれば同じ公立施設に転院できるため)という話になり、バス3台で一族が集まり入居者ともども参列する。挙式を司る神父が「いつもは新郎新婦に産めよ増やせよ、と言うところですが、今日の新郎新婦はすでにそれは済まされておいでです」と祝福する。式の終わりにパリに出て戻ってきたホーム院長が新聞社組合の基金設立取り付けによるホームの存続と、その記念の慈善公演を告げるので、『舞踏会の手帖』にも最終エピソードでヒロインが初舞踏会に向かう少女との出会い、そしてかつて自分に求婚したあと音信不通だった最後のひとりの遺児との出会いがありますが、『旅路の果て』も結婚式のあと慈善公演に平行して色男俳優のルイ・ジューヴェがかつてヴィクトル・フランサンの妻を誘惑して自殺させたのと同じ手口でカフェの女給のマドレーヌ・オーズレーを自殺させようとするのがわかる。慈善公演でフランサンから役を奪って舞台に上がろうとするも通路で幼い頃から息子のように可愛がってきたボーイスカウト少年がパリに出て恋人と結婚すると別れを告げられ、舞台では棒立ちになったミシェル・シモン(「リュシアン・ギトリ」の専属代役俳優だったのにギトリが「馬のように頑丈で、肺炎にも肝臓病にも過労で倒れもしない」ため一度も舞台に立たないまま引退した老俳優役)が楽屋で卒倒死し、フランサンが役を済ませたあとカフェに向かうとジューヴェがいて女給のオーズレーはおらず階上の部屋から銃声が響く、彼女は私への愛のために死ぬんだ、お前の妻のようにと哄笑するジューヴェを張り倒してフランサンが階上に上がりオーズレーから拳銃を奪ってジューヴェに迫るがジューヴェは立ち尽くしたまま発狂している、という具合に本作のクライマックスのたたみかけは、構成や台詞にはスパークの助力があったにしてもデュヴィヴィエのアイディアが注ぎこまれた、実にたっぷりしたものです。映画はシモンの葬儀で終わりますが、実直なフランサンはシモンが生前書き残した自画自賛の弔辞を朗読しかけて読めず、俳優としての業績は何もなかったが良い友だった、と絶句するので、デュヴィヴィエの映画はちゃんと人間性への洞察と人物像から生まれてくるプロット、ストーリーに説得力がある。そこが古典劇のようにまずイデアがあって、それに合わせて人物、プロット、ストーリーが組まれる内容とは違うので、映画のリアリティは俳優の存在感から生まれるのがきちんと押さえてある。本作のジューヴェ、フランサン、シモンは当時40代前半~半ばで、実年齢より20歳あまり年長の人物を演じているのですが、デュヴィヴィエ同様実際の老俳優たちを身近に見知っているのもあるでしょうし、映画内の人物像をしっかり実在人物としてイメージした名演です。デュヴィヴィエがハリウッドで大した映画を撮れなかったのを思うとここで一旦キャリアに事実上のブランクが生じてしまうのは実に惜しいのですが、やはり翌年の『ゲームの規則』'39を最後にハリウッドに亡命するルノワール同様'30年代フランス映画の締めくくりに本作があるのは(ルノワールの場合は興行的大失敗からのやむを得ないハリウッド移住でしたが)意義深く、また映画ではあまり歓迎されない老いをテーマとした映画の先駆的達成なのも立派な業績と言えるものです。