人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

修正版『偽ムーミン谷のレストラン』第三章

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 第三章。
 最初、人びとはスナフキンの存在に気がつきませんでした。あるいは、気がつかないふりをしていました。気づくとはすなわちその存在を認めることであり、認めてしまえばそれは間違いだ、認識の違いだと言い張ってもあとの祭りです。
 ですが認識の違いにも種類はあり、たとえばカップルの一方が関係に倦怠を感じて商売女、あるいはホストに入れ上げた場合、
・この浮気者(またはズベ公)!
 と責めるのと、
・本気じゃないからネッm*_m
 と詫びるのは同一事件をめぐる混乱ですが、
・解釈の相違!
 と追い打ちをかけるのはどちらにも可能で、ならば両者は修辞上意見の一致をみたはずです。でも実際はそれで治まる男女関係は現実ではごく稀で、針の穴からラクダを覗いて、
・針の穴からラクダが通るぞ!
 と主張するようなものですが、ムーミン谷には現在ラクダはいないのです。一応現在と断るのは、ムーミン谷はどうやら極度に高度な発達をとげた文明の跡地に拓けた谷らしく、過去の文明の痕跡もまた現代のムーミン谷に属するとすればラクダがいなかった、とは断言できない。ただし現在はラクダはいない、ラクダに類似したトロールもいないというわけです。
 いないものを例にあげていいのなら、クジラの場合はどうなるでしょう?ラクダを覗くにも六畳一間の対角線くらいの距離はとらねばなりませんが、この際だからモビー・ディックくらいはでかいクジラを想定したいと思います。白鯨というくらいですからシロナガスクジラを指すとして、シロナガスクジラは絶滅種の恐竜などを含めても、地球上最大の体長を誇る生物として知られています。観測された最大の個体は34メートルの体長に及んだそうですから、確かに陸地で生きるには不向きでしょう。
 ラクダを覗いた要領でクジラ、それもシロナガスクジラを針の穴から覗くとなると、普通に両眼の視野に収めるにも相当の距離をとらなければなりません。ですがムーミン谷とはどれほどの面積を持つ地勢なのか、これまで多くの試みが素人によってなされましたが、全長ボート大から長野県大までさまざま、まちまちでした。市民プール大ではシロナガスクジラ自体が入らず、ムーミン谷以外の場所で試みてもそれはムーミン谷の真実にはならないのです。
 そこで測量技師が呼ばれました。名前はスナフキン、ですがムーミン谷には測量の必要など本来ありもせず、スナフキンが着いた頃には依頼は忘れられていたのです。


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 ムーミン谷経済学講座。
 インフラ(英語: infrastructure)とは「下から支える」「下部構造」を指す観念語で、国民福祉の向上と国民経済の発展に必要な公共施設を指します。公共福祉施設であり、民間事業として成立しにくいために中央政府や公共機関が確保建設・管理を行う経済成長のための基盤となります。主に公共事業で整備され、社会資本としての経済、生活環境の基間設備を指します。また、情報化社会の情報網整備や新規分野の法律整備などの意味でも使用されます。
 インフラに該当する公共施設とは学校・病院・道路・港湾・工業用地・公営住宅・橋梁・鉄道路線・バス路線・上下水道・電気・ガス・電話などを指し、社会的経済基盤と社会的生産基盤とを形成するものの総称です。建造物からケーブルやパイプ類、また通信機器(サーバー等のメディア)なども該当します。
 通常インフラとは道路・河川・橋梁・鉄道から水道・ガス・電話など社会生活基盤と社会経済産業基盤とを形成するものの総称ですが、学校や病院などの公益施設も含まれ、都市計画では公園・ごみ処理施設・し尿処理施設なども社会基盤施設とします。
 メリットとしては、インフラの整備は社会資本として経済供給力に多大な好影響を及ぼします。例えば都市間高速道路の整備により交通コストが低下し、工場立地が容易になり、商圏の拡大から経済活動が活性化します。また灌漑施設を作ることで農地の生産性は飛躍的に高まります。これらの活性化の結果、当初の建設・整備コストが主に税収により回収され、公共投資として成立します。また堤防やダム建設などは災害対策の側面もあります。
 デメリットとしては、インフラは多大な維持コストがかかります。経済成長が著しければコストはその後の成長率により補われますが、経済や人口の停滞が発生するとインフラ予算の割合に占める維持コストが増大し、新設が困難になります。さらに既存のインフラを維持放棄する結果になります。
 維持コストは国家財政にとり重い固定支出のためインフラの放漫整備は財政危機を招きやすく、またインフラ整備関連産業の固定化から予算削減が困難な場合が多くあります。インフラ整備の合理性と地域が利益相反する事例(例えば、都市間を最短距離で結ぶ道路や鉄道は通過点の住民には利益がない)が多発すると住民の利害対立が起こり、インフラへの否定的世論が高まることもあります。


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 ……だとさ、とジャコウネズミ博士は哄笑しました。どこがおかしいかね、と、ヘムレンさん。言うまでもなかろう、いったいムーミン谷とそれがどう関係あるのかね?それはつまり、と博士、私たちは自分の体長すら知らないのだ。夜寝る時にどれほどの身長があるのに朝起きたらどうなっているかも、外に出ればどうなって、帰宅した時にはどうなるのかも実はよくわかっていない。ひょっとしたら私ひとりの体長ですらムーミン谷の長さを超えているのではないかと思える場合すらあるのだ。測量とは基準に基づくものであれば、こんな時、基準に何の意味があろうか。
 私もいろんな旅をしてきたが(いや、私たちだな、と冒険家ロッドユールは夫人のソースユールに会釈しました)、結局ここムーミン谷に勝る秘境はないのではなかろうか。旅とはある場所から別の場所に移り続けることでもあり、移動には時間の経過がつきものであるはずだ。だが私たちはいつも出発した時と同じ年齢で帰ってくるように思える。私たちの息子スニフも留守番中に少しも歳をとらないことからもそれがわかる。それともフレドリクソンが私たちに持たせてくれた羅針盤が私たちを欺いているのだろうか。あの発明家がそんなことをするはずはあるまい。……誰だレストランでボールを投げている行儀の悪い子どもは!?
 そんなことをするのはやんちゃ小僧のホムサたちかミムラ姉さんが長女・ちびのミイが末子のミムラ姉弟35名のうちの誰か(ただし長姉ミムラと、ボールより小さいミイを除く)に決まっていました。しかし彼らに行儀を良くしていろというのは、行儀の定義を変えでもしないかぎり無理なことです。
 そんなことより注文を決めちゃいましょ、と気の良いフィリフヨンカが言いました。さすがの彼女も気弱なトゥーティッキ、いるだけで威圧感を放つモランとの相席では困っていましたが、後から来た叔母のエンマと女友だちのガフサが隣合わせのテーブルに着くと心強くなってきたのです。もっとも隣のテーブルにはトゥーティッキどころではない気の弱さのために誰にも姿の見えなくなってしまった少女ニンニも着席していましたが、見えないのでその存在には誰も気づきません。
 せめてメシの時くらいは外してくれませんかね、とスティンキーは右の手首にかかった手錠を眺めてボヤきました。手錠はヘムル署長の左手首に結ばれています。手錠で料理の味は変わるまい?
 大違いですよ。


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 レストランの中に見える顔ぶれは(もっともまだ食事は開始されておらず、何のためにこの建物に集まっているのかは--もちろん食事のためだとしても、まだ料理が出されておらず、従ってレストランだと確証できないうちはスナフキンにはわかりませんでしたが)、
 ムーミンパパ、ムーミンママ、ムーミン/スノーク、フローレン/ジャコウネズミ博士、ヘムレンさん/ヘムル署長、スティンキー/ミムラ、ミイ、ミムラ族35兄弟姉妹/ミムラ族とスナフキンの母ミムラ夫人/スナフキンの父ヨクサル/発明家フレドリクソン/3人の魔女トロール・トゥーティッキ、モラン、フィリフヨンカ/フィリフヨンカの叔母エンマ、女友だちガフサ/小言じじいグリムラルンさん/双子夫婦トフスランとビフスラン/谷のガキどもホムサたち/見えない少女ニンニ/迷い這い虫ティーティウー/群棲担子菌類ニョロニョロ/ご先祖様(暖炉の裏に住む老ムーミン)
 といった多彩な、または似たりよったりの住民たちで、彼らの姿を認めてスナフキンは追放された者の悲哀を感じました。正式にはスナフキンは彼らの仲間になったこともありませんから、追放されてもいないことになりますが、事情は大して違いありません。スナフキンは歓迎されざる招待客だったのを痛感せずにはいられませんでした。自分を招いたのはこの谷の人びとだったはずなのに、なぜ彼らはスナフキンを歓迎しないのでしょうか?
 ひょっとするとおれより先に手頃な測量士を見つけて用を済ましたのかもしれないぞ。こんなへんぴな途中の出張依頼を受ける測量士が他にいればの話だが。だとしたらおれだってキャンセルに見合った損料を請求する権利がある。確かにおれは遅れて着いたからそれが理由で依頼をドタキャンされたのかもしれないが、山を越え霧の野原を越えてここまでたどり着くのは大変な苦労をしたのだ。もちろん鉄道もバス路線もないのでほとんど歩いてきた……もちろん途中までは放置自転車を見つけては乗り潰し、見つけては乗り潰してきたのだが、しまいには放置自転車すら見当たらない田舎どころではない田舎になり、やがて道らしい道すらなく、おれが測量士でもなかったら(まさか自分の進路を測量しながら出張することになるとは!)やって来ることすら不可能だったろう。しかしこれでは報酬どころか(それは仕事がまだだから仕方ないが)キャンセル料どころか、足代すら出ないのではないか?


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 確かにムーミン谷にはレストランはない、とムーミンパパは言いました。ただし昔は存在したのだ。正確にはレストランを模したものが存在した、と言うべきかな。
 どういうこと?と偽ムーミンが訊きました。いちいち注記しませんが、偽ムーミンムーミンの意に反して(または支配して)タイミング良く入れ替わることができるのです。ただし今回はタイミングを間違えたと後悔したのは、ムーミンパパがまたもやとうとうと自慢話を述べようとしていたことでした。
 あれは私とムーミンママの結婚式の時だった、とムーミンパパ。結婚以来足を洗ったが、私はかつてムーミン谷きっての冒険家としてユール夫妻、といっても彼らもまだ未婚だったのだが、フレデリクソン氏に開発のお世話をかけた冒険家セットを携えて何度となく登山や航海に出ていたのだ。
 知っての通り、とムーミンパパはどや顔で、ムーミン谷は東と北はおさびし山脈、西は岸壁でわずかばかりの海岸から大洋に面しているという地形だ。つまり登山か航海以外の手段では谷の外に探検に出られない。
 南は?と偽ムーミン
 南か?南は前人未踏の荒野が果てしなく続いているという言い伝えがある。だから勘定には入れないことになっている。
 それをやるのが冒険家なんじゃないの、と偽ムーミンは喉もとまで出かかりましたが、めんどうな質問は止めました。冒険家セットってどんな装備なの?
 洗面器、手ぬぐい、石鹸、軽石が基本だな。長い冒険ならハサミと歯ブラシと練りハミガキも持って行く。ハサミは武器にも使えるし、自殺する時も使えるからな。
 それでレストランて?と偽ムーミンは話を戻しました。うむ、それにはまずムーミンママとの馴れ初めを語らねばならないが、転覆した遊覧船から溺死寸前のムーミンママ、当時はスノーク族の先代フローレンだった彼女を救出したのがこの私だった。ムーミン族は代々スノーク族と結婚するルールがある。そこでユール夫妻とわれわれが合同結婚式を挙げることになったのだ。そして挙式をどうしようかということになり、フィリフヨンカさんらの助けを借りて住民会館を式場にレストランの模擬店をやろうということになった。
 でも、と偽ムーミン、知りもしないレストランをどうやって作ったの?
 冒険家だからさ、とムーミンパパ、滅びた古代民族の遺跡でそれらしきものは見てきた。そして私たちはムーミン谷最初の、レストランもどきを作ったのだ。


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 この豚小屋は何よ、と先代フローレン、つまり現在のムーミンママは吐き捨てました。豚小屋じゃなければ強制収容所、いえ豚小屋だって収容所だってここよりはずっと衛生的だし、見栄えだっていいわ。
 ほほう、と先代ムーミン、つまり現在のムーミンパパはせせら笑いました。お前さんに豚小屋、ないし強制収容所の何がわかるというのだ?しょせんはお嬢さま育ちの想像力でしか空想できまい。冒険家であらばこそ私は豚小屋だって強制収容所だって経験してきた。対角線に横たわるのが精一杯の狭い正方形の独房に監禁された時もあれば、ひどい時は両足をコンクリートに固められて汚い港に沈められもしたのだ。私がムーミンでなければ命を落としていた。あれこそ危機一髪だな。
 あの時はひどかった。猫は首周りにカラーをしただけで身動きできなくなるが、それは顔周りのヒゲの感覚で自分の自由に動ける範囲を感知するからだ。猫にとっては首周りのカラーだけで全身拘束に等しい効果がある。同様に二足歩行が規範のため両手の感覚が自由の基準になる種族の場合、手錠をかけただけでも全身拘束に等しい効果を発揮する。手錠をされても腕ごとのブロウがまたは足が、また体当たりや頭突き、噛みつきがあるではないかと理解はできるとしても、普段から訓練、しかも拘束された状態からの反撃を経験則としていなければ手錠されただけでほぼ無抵抗になる。二足歩行の種族は二足歩行によって前肢の自由と手指による創意工夫を得た代償に、両手なしには日常生活にも不自由なほど依存の傾向を高めた。そして後肢には前肢の負担まで体重を負わせ、併せて歩行に特化した機能の制限を負わせた。手錠をされた状態では外敵に対して圧倒的に不利という防衛本能が働くようになり、この本能は先天的なものだから頭では理解しても容易には打ち消せないものだ。
 確かに私の発明も手作業なしにはできんよ、とフレドリクソンさん。だがそれを言えば、手作業なしにやってのけている作業も世の中にありはしないかね。
 例えばどんなことですか?とロッドユールが訊きました。ロッドユールは花嫁のソースユールと同じくフレドリクソンの甥(姪)なのです。つまり二人は従兄妹なのでフレドリクソン伯父とは生まれた時からのつきあいですが、二人が赤ん坊から大人になるまで伯父さんはまるで歳をとらない人のようでした。
 うーん、とフレドリクソンさん。そうだな、セックスとか。


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 いくら何でもそれはないでしょう!と鼻持ちならない気取り屋のスノークが割って入りました。セックスだって手を使います。動物ならともかく、われわれが手を使わないでセックスをすれば文字通り手抜きと言われても仕方ない。そうではないですか?
 きみは独身者だな、とフレドリクソンさん。ええまぁとスノーク。私も独身者だ、とフレドリクソンさん、しかもきみの父親ほどの年齢になっても独身を貫いてきた。これがどういうことかわかるかね?
 私だってたまたま関係した女への執着で狂態を晒したこともあった。恋わずらいから神秘体験に陥ったといえば聞こえはいいが、医学的には急性の精神錯乱状態だな。より症状を限定すれば、躁鬱混交状態によって妄想を伴う意識昏迷が数日間続いた。
 私はCDをかけるとスピーカーから出てくる音が物理的に空間を振動させるのがわかった。手づかみすると確かにそれには質量があった。私はミルクパンでカフェオレを沸かしていた。部屋の窓ぎわに人の形に空間の歪みが立っているのに気づいた。誰だ、と誰何したが透明人間は無言でうずくまっただけだった。私は携帯電話で着信拒否されている女へのメールを打ち続けていたのだ。次々思うがままに打つメールがすべて同じ行数に収まる偶然に天啓のようなものを感じていた。
 昏迷下では微細な感覚すら肥大、または無感覚になる。唾液の嚥下に混じる微量な気泡が腹部の膨満感を招いて不快になり、唾液は呑まずに洗面台に吐いた。それでも不快で着衣のまま水を張ったままの浴槽に浸かった。水圧で腹部は少し楽になった。着衣のままの水浴には何の疑問もなかった。
 むしろ私は浴槽の排水口に釘づけになった。水は下水道を流れてあらゆる下水につながる。実際にはそんな大規模な下水網はないが、その時はそう思った。私は風呂の水を抜きながら、直径3cmの排水口に頭から吸い込まれようと無駄な努力をした。ずぶ濡れの衣服を空の浴槽に脱ぎ捨て浴室を出ると異臭がした。ミルクパンは焦げつき柄まで焼け、噴きこぼれた牛乳でガスの火は消えていた。
 私の侵入は失敗したが、下水道の仕組みは理解した。排水口に頭を押しつけた時、あちこちのポイント地点に待合というか、一種のラブホが設置されているのもわかった。なぜなら下水道を使って会わざるを得ない者は表を歩けないので、夢が私にそれを告げた。
 そして私は今なお自分の狂気を冷静に記憶すらしているのだ。


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 もとよりレストランがどういうものかなど私もロッドユールもフレドリクソンさんも知るものか、とムーミンパパ(当時ムーミン)は開き直りました。披露宴ならレストランねと言い出したのは花嫁たちではないか。ムーミン谷にはレストランなどないから私とロッドユールは慌ててフレドリクソンさんにお願いしたのだ。フレドリクソンさんは発明家だからこれはフレドリクソンさん仕様のレストランということでいいではないか。
 ゴキブリがいるわ、とムーミンママ(当時フローレン)はソースユールと花嫁どうし手をつないだまま床を凝視しました。
 当然だ、ここはレストランなんだから、とムーミンパパは素足でゴキブリを踏みつぶすと(ムーミン族は特別な場合しか靴を履かないのです)、私とロッドユールは歴戦の冒険家だということを忘れてはいまいな。われわれが食い逃げしてきた店への踏み倒し金額だけでもムーミン谷の年度予算の何年分になるだろうか。フレドリクソンさんは発明家ではあってもレストランとは何かを知らないので、私とロッドユールは大体自分たちの経験からレストランとおぼしき施設をフレドリクソンさんに伝えて作っていただいたのだ。
 でも、と花嫁たちはブーブー文句を垂れました、こんなのがレストランだというの?本当に見てきたことは確かなの?
 ロッドユールがムーミンパパと目を合わせて肩をすくめました。言ってるじゃないか、冒険家だって。われわれが冒険する時それがどういう冒険か知って冒険するのではない。冒険して初めてそれがどんな冒険か知るのだ。すでにあるものを作るのが発明ではなく、発明家が作ったものが発明になるのと原理は同じことだな。フレドリクソンさんはレストランをご存知なかったが、それは遺憾なことではなく知らなかったからこそ発明できたのだ。
 なんならムーミン谷で決をとってもいいぞ、とムーミンパパはムキになって言い張りました、たとえ豚小屋や公衆便所のようであろうと、ゴキブリがいようと、これがレストランだと認めてしまえばレストランなのだ。いや認める認めないということすら関係ないと言える。なぜならこれがレストランか否かをゴネ始めた時点でそれは少なくともレストランである可能性を俎上に乗せているのであり、疑わしきは罰せずの論理であれば誰も本物のレストランとは何かを知らないわれわれに何を断じることができるだろうか?
 ふん!あんたたちが無能ってことよ。


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 ロッキー・マウンテン・オイスターとは、主に雄牛の睾丸を食材とする料理です。豚や羊の睾丸を使った料理もこの名で呼ばれることがあります。睾丸の皮を剥いて、小麦粉と塩胡椒をまぶして油で揚げるのが代表的な調理法です。揚げる前に叩いて伸ばす調理方法もあります。珍味とされ、前菜としてカクテルソースにつけて食べるのが一般的です。アメリカ合衆国西部とカナダ西部のうち、牧畜が盛んで牛の去勢が多く行われている地域の伝統料理であり、その話題性から広く知られています。カナダではプレーリー・オイスターと呼ばれ、デミグラスソースをつけて食べるのが一般的です。またオクラホマやテキサス最北部では特に仔牛の睾丸から作られたものをカーフ・フライ(仔牛のフライ)と呼ぶことがあります。
 またロッキー・マウンテン・オイスターは、仔羊の睾丸を用いたラム・フライ(仔羊のフライ)と混同されることもあります。この他にもカウボーイ・キャビア、モンタナ・テンダーロイン、ブル・フライ(雄牛のフライ)、スウィンギング・ビーフ(ぶらぶらする牛肉)など数多くの別名が知られています。
 ロッキー・マウンテン・オイスターは元来カウボーイ文化の一部だったとされています。伝統的には、牛の放牧期間の終わりに行われるラウンドアップ(駆り集め)で大規模な去勢が行われ、大量に集められた睾丸が労働後のパーティで食べられていました。当時は手のこんだ調理はされず、睾丸を皮つきのまま焼印用の炉で焼き、皮が弾けたところを「新鮮なイチジクのように」食べることが多かったといいます。現在では、この料理を看板とする料理店やバーのほか、フェスティヴァルや牧畜を営む家庭で主に食べられています。軽食のバラエティの一つとしてロッキー・マウンテン・オイスターを販売するチェーン店のように、有名なイベント会場でこの料理を手軽に提供する業者もあるほどです。アイダホ州イーグルでは「ワールズ・ラージェスト・ロッキー・マウンテン・オイスター・フィード」という催しが開催され、毎年数千人の参加者を集めています。
 本来、家畜の睾丸を切除する第一の目的は食用ではありません。畜産では、去勢には繁殖を制限するためや骨格筋の肉質を改善するため、また気性を和らげるためなどさまざまなな目的から広く行われています。ロッキー・マウンテン・オイスターは大量牧畜の副産物として生まれた食文化と言えるでしょう。


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 だがこれは喰えるものなら家畜の睾丸すら無駄にしない、というより土着的な生殖信仰のようなものが背景にあると思えるのだ、とムーミンパパはしたり顔で言いました。生殖力は生殖器それ自体に宿る、という素朴な着目だな。これは洋の東西問わず、おそらく人類の歴史と同じくらい古い。しかも強壮剤には動物のオスの性器の干物が霊験あらたかとされている。その効用はオスのヒトに対してであり、女性はあまり強壮剤服用の効果はないと考えられる。まあ催淫剤というのがあるが、あれは生殖自体への薬効というよりも性欲の昂進に関わる本草学的処方だろう。
 話を戻せば、とムーミンパパは勝手に続けました、動物の生殖器に薬効があるのならヒトの生殖器でもいいわけだ。ところがその実例はあまりない。死者の性器を売買するのは倫理的問題はあろうし正当な理由がなければ遺体損壊とされる。去勢する男性の数は少ないし仮に去勢した生殖器を本人が合法的に売買できるとしても、数少ない需要よりもさらに少ないのだから大変な闇値がつくだろうと想像できる。だが入手が難しいこと以上に、ヒトの生殖器は端的に言って魅力に欠けるのだ。神秘性に欠ける、と言い換えてもよい。
 強壮剤として薬効が高いと信頼され、好んで服用されるのは動物のオスの性器。それも睾丸というよりも(睾丸つきの干物ならなお良いが)陰茎の長い爬虫類が好まれる。陰茎など単なる器官でしかないから生殖力とは直接関係があるわけない。だがそれが神秘なのだ。爬虫類で薬効が高いとされるのはワニ、次いでカメとされる。確かにカメは薬効はともかく栄養価は高いと思われる。
 ワニならば言うまでもなく、カメについても平凡なカメではいけない、とムーミンパパは力説しました。強いカメ、凶暴なカメであるほど良い。同じ発想が陸上動物の生殖器でも働いていて、とにかく強くて凶暴で捕獲または去勢に手こずる、基本的には野生の動物のオスの生殖器ほど霊験あらたかな薬効が得られると信じられている。平均的なヒトよりガタイが良い動物でなければならない。
 ヒトがヒトの生殖器を強壮剤にしないのもリスクやコストに対して薬効が低いと考えるからかもしれない。獅子、トラ、豹などはいかにも絶倫そうだし、カンガルーや(陸棲ではないが)イルカやクジラなどもタフなイメージがあり、家畜化できるがウシ、ウマ、ヒツジなどもヒトより巨大な陰茎を備えるのだから。
 第三章完。


(五部作『偽ムーミン谷のレストラン』第一部改作版・既出2016年6月~2017年7月、全八章・80回完結予定=未完)
(お借りした画像と本文は全然関係ありません)