人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

創作童話『荒野のチャーリー・ブラウン』より抜粋5話

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 スヌーピーチャーリー・ブラウンの世話焼きを日ごろ干渉過剰に感じていました。飼い犬が手を噛むというのを実際にやってみたらどうなるんだろうな。酷たらしい殺人現場、むくろとなって横たわるチャーリー・ブラウン。その頃サングラスで顔を隠した一匹の犬がソフト帽を深くかぶり、トレンチ・コートの襟を立てて国境を越えようとする。二足歩行をマスターしてから、スヌーピーは自分から明かさない限りは、その場限りでは人間で通るのです。国境は東西に長く長く延び、西には太陽が暮れて東には太陽がのぼるところでした。
 国境警備員はスヌーピーの偽造パスポートをスキャナーで確認し、指紋と声紋を照合しました。指紋は偽装用手袋で、声紋はジューズ・ハープでこなすのがスヌーピーの手口で、偽造指紋という19世紀からあるトリックが未だに通用するのは呆れるばかりですが、あまりに原始的で古典的な手口のためかえって最新の検査法では網にかからないのかもしれません。
 ジューズ・ハープの方は、もし彼がプロの演奏家の道を選べば世界的なトップ・プレイヤーと目され、世界中の作曲家が彼のためにジューズ・ハープのための協奏曲を書き、あらゆるオーケストラから競演の声がかかり、映画音楽に採用されれば大ヒットして商店街の有線放送でも流れ(もっとも彼はディズニー映画だけはお断りでしたが)、甲子園ではブラバン応援曲にアレンジされて盛り上がり、紅白歌合戦にもゲストで呼ばれるので無理難題を出演条件にしたりして、それもけっこう楽しい生き方だったかもしれません……パインクレストのアイドル犬に甘んじるよりは。
 ですが今スヌーピー中南米への遁走の途上にありました。ブラジルかアルゼンチンか。彼は旧友の故ザル・ヤノフスキーを思い出しました。ザルは好人物で才気溢れる男でしたが、密売品を購入したために逮捕され、密売人の連絡先を自白させられたので仲間から密告者の汚名を着せられて爪弾きになり、しばらく消息を絶った後に届いた絵葉書が「アルゼンチンで元気です」というものでした。
 それもいいが、とスヌーピーは思いました。おれが去ったパインクレストはもうおれのいたパインクレストではないだろう。ならばパインクレストを去ったおれは、パインクレストにいた時の力を徐々に失っていくに違いない。そして一介の、ただの野良犬になっていくのだ。


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 かつてスヌーピーが望んだのは、ランプの人工的な光に照らされることでよりいっそう映えるような色彩でした。昼間の光には味気なく見えても構いません。彼が小屋にこもりきりになるのは夜でしたから……誰もが自分だけの部屋で孤独にいる時こそ快適であり、精神は夜の闇に包まれている時こそ真に活性化する、というのがスヌーピーの持論でした。パインクレストの町が夜の闇に寝静まる時、ひとり小屋の地下室でランプの下に起きているのはスヌーピーだけの悦楽でした。この悦楽は職人が他人を締め出して念入りな仕事にこもるような、一種の虚栄心にも通じるものでした。
 スヌーピーは入念に、あらゆる色を検分しました。青はロウソクの光で見ると不自然な緑色にくすみます。空色や藍色のような青ではほとんど黒くなり、明るい青でもロウソクの光では灰色に変わります。トルマリンのように暖かく柔らかでも艶を失い、冷たい色になるのです。ですから、補助色のように配合して用いる以外にシアン系の色彩は部屋の基本色には不向きなのは明らかでした。
 一方、茶色はランプの光で見ると、濁って鈍く見えました。真珠色は透明な青味が失せて、汚いだけの白になります。灰色は眠たげで冷たくなり、深緑はといえば濃紺と同様に黒の中に沈んでしまいます。
 そうして青は駄目、緑は濃いほど駄目となると、青味を極力含まない緑、つまり淡い黄緑や浅黄色に行きつくしかありませんが、それらもランプの光の下では不自然な色調になり、やはりどんより濁ってしまうのでした。
 サーモン・ピンクもコーン・イエローも、昔ながらの薔薇色もさらに問題外でした。薔薇色は女性的で、孤独の思想には矛盾しています。とはいえ紫色は寒々しく、これも駄目。赤色だけが夕方の光の中でぐっと映えてくるのですが、ひと口に赤と言ってもその種類たるや!べたべたした赤や、赤ワインの搾りかすのような赤ではどうしようもありません。こうした色は安定感がなく、たとえば彼は気管支炎の鎮静用シロップを服用していますがふとした光の加減で嫌な紫色に見える時がある。そんなふうに部屋の内装がちょっとした加減で変色して見えるのではたまりません。
 そうして除外していくと、三つの色だけが残りました。それが赤と、オレンジと、黄色でした。


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 オルトレキシアとは、不健康だと考える食品を避けることで生じる極端、もしくは過度な先入観によって引き起こされる摂食障害精神障害を指します。1997年にスティーブン・ブラットマン博士が神経性無食欲症といった他の摂食障害と並行する形で使用し始めました。オルトレキシアは、幅広く使われている精神障害の診断と統計マニュアルには記載されていませんが、ブラットマンが命名した病名であり、まれな症例であるものの重度の栄養失調や死につながるほどの極端な病的執着になり得る点が主張されています。
 やせ衰えたスナフキンは、虹の果てから引き返しながらふと、ムーミンの声が聞こえたような気がしました。気のせいか、と立ち止まり、やはりムーミンの苦しげな息づかいが聞こえるので、そんな声が風がうねるこの荒野まで届くわけはないとすると、考えられるのはひとつ、ムーミンスナフキンの頭の中に直線話しかけているのでした。
 オルトレキシアは、体に悪いと考える食品を避けることで生じる強迫観念という特徴があります。また、さまざまなな理由で特定のダイエットを選ぶ健康的な人と、体に悪い状態やライフスタイルにつながる強迫観念的な行動をとってしまう人を区別することが重要です。健康的な食事が摂れることを約束できる均衡の手がかりは何かを求めるあまり、食品選びで極端な制限や強迫観念を課してしまうのがオルトレキシアとされ、毎日の行動において自分を見つけることが困難になります。また他人の食品や健康観に耐えられず距離をおくようになります。健康的な食品への強迫観念は、家庭習慣、社会トレンド、経済問題、最近の病気、宗教的信条、超越的思想に起因することがあり、また食品の種類に関する否定的な情報を聞いただけでも発生してしまい、最終的に自身の食事からそのような食品を排除させることになります。この症状は女性より男性、また受けた教育水準が低い場合に多く見られるといわれます。また年齢的な偏差も考えられますが、いずれも決定的な原因と見做すべきではないでしょう。
 チャーリーは突然空腹を意識しました。今ようやく放浪の果ての問題が二つ、同時に解決したことが理解できたのです。その一、チャーリーはもう愛犬を連れて逃げ回る必要はない。その二、逃亡のすえ差し迫っていた食糧問題もなんとかなる。チャーリーは血溜まりに落ちているナイフを拾い上げると、思い切って目の前の


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 支度は終わったよライナス、と、リランが振り返ると、ベッドに腰かけていたはずの兄の姿はありませんでした。隠れているのだろうか、それとも待ちくたびれて出ていってしまったのか。どちらにしても、もしそうだったら、気配くらい感じてもおかしくないはずなのに、その気配もない。それともぼくが鈍かっただけなのだろうか。ボーッとしていてそのことに気づかなかっただけなのだろうか。
 外では風がうなり声をあげ、ガラス窓ごしでも気圧の変化が鼓膜に圧力をかけてくるようでした。やあねえ、とみさえは取り込んだ洗濯物をたたみ終えると、より分けてたんすにしまいながら、夫と息子に傘を持たせておいて良かった、と自分を安心させました。息子は幼稚園バスが家の前まで送ってくれますが、まれには工事中や通行止めで住宅街の通りの角になることもあるのです。ですから……
 心配なのはきみだけじゃない、とヘムレンさんはスノークムーミンパパに言いました。えっ、と二人は驚き、それから顔を見合わせましたが、この場合の「きみ」は二人称単数ではなく複数形の「きみ」だと了解するには、おたがいのまぬけ面に気がつくだけで十分でした。ヘムレンさんの言う通りだ、とムーミンパパとスノークは思いました。だがいったい私たちは、何が心配だと言うのだろう。
 領域主権とは、国家は独立を確保するために他国の介入を排除して、領土・領海・領空などの自国領域に関し各種の国家作用を行うことができるとする、主権の一部をなす権利を指します。国家とその領域をどのように関連付けるかについて、大きく分けて二つの学説が対立します。そのうちのひとつが「客体説」であり、これによると領域主権は領域に対する使用・処分といった行為のための対物的権利とされます。これに対し「空間説」は領域主権を統治の権利として捉える考え方です。
 チャーリー・ブラウンはまたひとりぼっちになった自分を感じました。空っぽになった水筒はただ重いだけでした。これから来た道を引き返さなければならないことを思うと、遠くまで来てしまったことが悔やまれてなりませんでした。地上には一滴の水もないのに、空には大きな虹がかかっていました。ここはもうチャーリーが住んでいたのとは別の国の国土かもしれませんが、たぶん虹はいくつもの国境を越えて空をまたいでいました。そして空にはダイヤモンドを光らせたルーシーが飛んでいました。


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 嵐の吹く暗い夜でした。私たちは暖炉の前で遅い夕食の後のお茶を飲みながら、とりとめのない談義で就寝までの時間を潰していました。会話には飽きていましたが、嵐の夜では他にすることもありません。もともとその日は、地域の集会のために空けてあった夜でした。集会そのものは義務でしかないものですが、中止ならともかく突然の悪天候で日延べになったのでは面倒が先送りになっただけです。そんなわけで私たちは、今夜の議題について準備した意見も次には無駄になっているかもしれず、これなら何も急いで帰宅しなくてもよかったな、と持て余し気味になっていたのです。
 お茶も飽きたな、ウィスキーにしようか、と私たちはグラスの準備と氷の準備を分担しました。アイスピックで氷を割る鋭い音が、安普請ながら一応は煉瓦造りの壁に反響しました。始めから小さなブロックに分かれた製氷皿を使えば便利なのですが、あれは凍るのが早すぎて水道水の中の次亜塩素酸カルシウム(カルキ)まで閉じ込めてしまう。なるべく純度の高い天然水を大きな容器でゆっくり凍らせた方が良質な氷が出来るのです。清涼飲料水ならまだブロック製氷皿の氷でも気になりませんが、オン・ザ・ロックとなるとてきめんに氷の質で味が変わってくる。それにアイスピックで氷を割るのは注意は必要ながら面白い作業で、氷にも密度の差があるのでしょう。上手く亀裂がはいると面白いように細かく砕けるのです。
 ただし目測が外れると、どんなに力んで刺しても表面しか削れません。その晩の氷がそうでした。グラスとウィスキーがテーブルに揃っても、まだ氷はかけらほども砕けていません。苦戦してるみたいだな、そんな時ってあるよ。うん、上手く刺さらないんだ、刺す面がいけないのかな。氷の側面を上に置き直して、しっかり垂直にアイスピックを振り下ろしますが、やはり表面だけで止まってしまう。これでやるか、と私たちはハンマーを持ってきました。ひとりがアイスピックを氷に突き立てて固定し、もうひとりがハンマーで叩く、という共同作業です。これなら上手くいくぞ、と私たちは期待しましたが、そうは問屋が卸しませんでした。ハンマーの打撃はアイスピックが受け止めただけで、私たちは振り下ろしたハンマーを持つ手も、アイスピックを固定した手も無駄に痺れさせてしまいました。こうなったらこれで行くか、と私たちがスパナを握った時、あの子がやって来たのです。


(初出2014年/全80回より抜粋・お借りした画像は本編と関係ありません)