人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

創作童話『夜ノアンパンマン』より冒頭5話

f:id:hawkrose:20200121132302j:plain
  (1)

 第一章。
 あんパンが初めて製菓店舗の店頭に並んだのは1874年とされており、翌1875年(明治8年)4月4日には花見のために向島水戸藩下屋敷行幸した明治天皇山岡鉄舟が献上し、お気に召された天皇によりあんパンは宮内省御用達となりました。以降、4月4日は「あんぱんの日」となりました。
 創世当時のあんパンはホップを用いたパン酵母の代わりに、酒まんじゅうの製法にならって日本酒酵母を含む酒種(酒母、こうじに酵母を繁殖させたもの)を使っていました。中心のくぼみは桜の花の塩漬けで飾られます。パンでありながらも和菓子に近い製法を取り入れ、パンに馴染みのなかった当時の日本人にも親しみやすいように工夫して作られていたのが成功につながり、1897年(明治30年)前後には全国的に大ブレークして、製菓店の本店では1日10万個以上売れ、長蛇の列で30分以上待たさせることもあったといいます。
 現代では中の餡はつぶあんこしあんの小豆餡が一般的です。いんげんまめを使った白あんパンや、イモあんパン、栗あんパンなどの豆以外の餡を使ったもの、桜あんやうぐいすあんを使った季節のあんパンもあります。
 典型的な形状、つまり顔に当たる部分は平たい円盤で、ケシの実(ケシの種)、塩漬けの桜の花(ヤエザクラ)、ゴマの実が飾りに乗せられます。ただし必ずしもそれがあんパンの必須条件とは限りません。
 いつ彼が人格を持ち、人びとを飢えから救うのを自分の使命とするようになったかは、本当のところよくわかっていません。バットマンがジョーカーを必要とするように、ばいきんまんが現れるまでは彼はパッとしない絵本のヒーローでした。取り柄といえば空腹な人に、あんパンでできた頭をちぎって差し出すだけ。ちぎられた頭は完全になくなっても替えの頭を乗せればいいだけのようですが、ではアンパンマンの魂のありかとはいったいどこにあるのでしょうか?というのは、人間に限らず哺乳動物の身体構造からすればアンパンマンにとってあんパンには目鼻がついた頭部をなしているように見えますし、頭部が欠損して餡が露出すると脳漿以外の何物にも見えず、そのような状態で生命に支障がないとは擬似ヒューマノイドとしか考えられないからです。
 今夜はそんな謎に包まれたアンパンマンの、あまり面白くもない真相に肉迫してみたいと思います。ではばいきんまんさんからお話をうかがってみましょう。


  (2)

 窓辺に小鳥がさえずる鳴き声でアンパンマンは目を醒ましました。今日もいつもの平和な朝です。アンパンマンはうーん、と伸びをすると、パジャマを脱いでいつもの姿になり、マントをはおりました。マントとブーツ以外は、アンパンマンはいつでも同じ姿なのです。就寝する時はマントとブーツを脱いでパジャマをはおる、というだけです。今日もがんばるぞ、とアンパンマンは習慣的に意味もなく思うと、ジャムおじさんに朝いちばんの焼きたてあんパンと頭を取り替えてもらいに行きました。アンパンマンの朝いちばんの仕事はしょくぱんまんカレーパンマンと分担しているパトロールなので、毎朝新鮮な焼きたてパンに頭を取り替えてもらわなければならないのです。
 ジャムおじさんパン工場で、誰よりも早く起きて働いていました。助手は居候のバタコさん、見張りは(まだアンパンマンたちは起きてこない時間なので)めいけんチーズです。チーズはなかなか賢く人の言葉を解して知能も小学生並みにありますが、畜生の悲しさか人間の言葉は話せません。しかしこの世界で起きることで、チーズのうなり声とジェスチャーで伝達できないことなどめったにありませんでしたから、むしろ人権など顧慮しないでかまわない分チーズは便利な万能犬でした。
 やっぱりひと晩たつと皮も堅くなるなあ、とアンパンマンは思いながら、鏡に向かって自分の顔を乾拭きしました。朝起きて顔を洗うのは人間の習慣ですが、アンパンマンたちがそれをするとパン生地が水を吸って無惨なことになるのです。アンパンマンなんかまだいいよ、とカレーパンマンは言いました、しょくぱんまんなんかもっとガサガサでひび割れている時まであるってさ。もちろんおいらもコロモがボロボロ、そうでなければベタベタで、まくらカバーのかわりに新聞紙を敷かなきゃならないよ。
 だからぼくがリーダーなのかな、とアンパンマンは思うのでした。食パン頭とカレーパン頭、あんパン頭では、比較的標準的ヒューマノイドに近いのは形状・構造的にあんパンマンになるでしょう。ジャムおじさんの直営ファミリーには後から妹分のメロンパンナちゃんも加わりましたし、末っ子キャラのクリームパンダちゃんも比較的新顔でしたが、彼らはせいぜいアンパンマンたちをおびき寄せるためにばいきんまんの罠にかかるのが主な役割です。
 そう、ばいきんまん!その頃ばいきんまんは、今日も秘策を練っていました。


  (3)

 今日もこれから降りかかってくるばいきんまんの策略などいざ知らず、アンパンマンジャムおじさんのパン焼き場に入っていきました。ジャムおじさんおはようございます、やあアンパンマンおはよう。おはようアンパンマン、とバタコさん、わんわわおーん、とチーズ。パン焼き場はいつも通りあらゆる種類のパンの焼きたての入りまじった薫りでむせかえるようでした。この薫りの中で一日中働き、くつろいですらいられるジャムおじさんとバタコさんにはアルコールを含めた酵母に常人を超えた耐性があり、それを言えば人間の数万倍の嗅覚を持つはずのチーズは犬としてツァラトゥスータラタッタの域に達していると言っても過褒ではないでしょう。アンパンマンの正義の背後にはこうした超人集団(犬も含む)がついているのです。アンパンマンは焼きたてパンの盛り合わせをちらりと見ると、それではお願いします、と自分の頭を外しました。
 大人が言葉を失い、幼児には何の疑問もないのがアンパンマンのこの特性です。頭が欠けたと言っては頭を取り替え、頭が濡れたと言っては頭を取り替え、頭が汚れた、カビた(ばいきんまんの手下のかびるんるんにたかられるとすぐカビます)と言っては頭を新しいあんパンに替えてもらわないと必殺技のアンパンチを繰り出すパワーが出ないどころか、全身の力が抜けてヘナヘナになってしまうのですが、とすれば全身の力そのものが頭のあんパンをエネルギー源にしているらしい。古くなったり味が落ちたりしただけでもパワーは低下するらしい。とすると、アンパンマンにとって真のアイディンティティは頭と身体のどちらにあるのか。そもそも簡単に交換可能なものを頭と呼べるものなのだろうか。
 そうした疑問もやはりスルーして、アンパンマンジャムおじさんの「はい、新しい顔だよ」を待ちました。いつもならこのやり取りはあうんの呼吸で進みます。ところがアンパンマンの肩は頭の重みを感じず、いったいどうしたのかな、と一旦外した頭を小脇に抱えると、ジャムおじさんがエプロンの端をねじりながら何か言おうとしているのに気づきました。どうしたんですか、とアンパンマン。ふと見ると、バタコさんも何だか硬い表情です。チーズはといえばしょせん犬畜生ですから、いつものニヤニヤ笑いのままです。
 アンパンマンや、とジャムおじさん、今日は新作をつけてみないかね。何ですかこれは?見ての通りさ、乳頭じゃよ。


  (4)

 アンパンマンは一瞬言葉を失いましたが、つとめて平静に、でもぼくはこれまであんパン以外のパンを頭にしたことはいちどもありませんよ、と主張しました。アンパンマンや、乳頭はパンではないよ、とジャムおじさん。でもジャムおじさんが焼いたんですよね。
 私だけじゃないよ、バタコも焼いたんだよ。アンパンマンは同じ乳頭ならバタコさんのほうがいいな、とちらりと思いましたが、そういうことではないのに気づくのに時間はかかりませんでした。ジャムおじさんはパンを焼く人でしょう?私はケーキやパイも焼くよ。蒲焼きやサンマも焼きますよね、とバタコさん。うむ、バーベキューも焼きとうもろこしも焼くし、もちろん焼き芋だって焼く。
 だから乳頭も焼いてみたんですか、と喉もとまで言葉にしそうになりながら、アンパンマンはいけない、ぼくはジャムおじさんに逆らっちゃいけないんだ、と自戒しました。ジャムおじさん以外にも世の中にはパン屋さんはいますが、アンパンマンの頭になるあんパンを焼けるのはジャムおじさんだけなのです。
 ジャムおじさんアンパンマンの創造主ということではありませんが(ジャムおじさんもまた想像主によって生まれてきたのですから、しかし)、ジャムおじさんなくしてアンパンマンがないのは事実で、一方アンパンマンがいなくてもジャムおじさんは開業しているパン屋さんですから、パン屋さんの仕事はいつでもあります。もしジャムおじさんアンパンマンを毎日あたらしい頭に交換してくれなくなったら、アンパンマンは遭難したり迷子になったり、びんぼう暮らししている人たちを飢えから助けに行けなくなってしまいます。
 パトロールから帰るたび、アンパンマンしょくぱんまんカレーパンマンの頭は四分の一か、すさまじい時には頭をまるごと失っていました。飢えている人たちに分け与えてきたからです。しょくぱんまんはいいよな、とカレーパンマンがこぼすこともありました、ぼくカレー嫌い、って断られたりもするんだぜ。そういえばあんパンなんかじゃなくてもっと食べごたえのあるもの、中華まんのほうがいいなあ、と言われたことはあるよ。いや、ぼくだって苦労はしてるんだ、としょくぱんまん、食パンだけ?と言われる気分がきみたちにわかるかい?
 だからジャムおじさんは乳頭を焼いたのかもしれない、とアンパンマンは思いました、哺乳類はすべて乳頭によって育つ、そういうことだろうか。


  (5)

 それにじゃ、とジャムおじさんは湿気を帯びて癖のついたひげをととのえながら言いました、乳頭ならば今日みたいな雨の日でも面倒な支度もいらないばかりか、吸ってもらえばいいだけなのだからどうしても食べてもらう時には濡れてしまうパンに較べて便利ではないかね?はあ、とアンパンマンは歯切れの悪いあいずちを打ちました。なるほど言われてみれば、今朝は小鳥も鳴かない雨降りで、アンパンマンたち正義のトリオはそんな朝でもパトロールは欠かしませんが、頭を透明なヴィニール袋に包んで町や野山を巡回するのです。以前はプラスチックやガラスのヘルメットを試したこともありましたが、重い上に最大頭位まで収納口が開いているため雨水がすきまから入りこんで濡れてしまいやすく、アンパンマンたちは頭が濡れると頭をちぎって人にパンをわけてあげるどころか、からだに力が入らなくなるのです。これは濡れたパンしかあげられない、というヒーローにあるまじき無力感から来る心因性の症状かもしれません。だいたい原因不明の身体症状は心因性か加齢ということになるのです。閑話休題
 だからいちばん濡れない、しかも簡単で軽い方法というと頭をヴィニール袋で包むことなのですが、教育上の配慮から止めてほしい、と町の人たちから遠まわしに苦情が寄せられて、それじゃどうしたらいいんだろう、とアンパンマンたちは頭を悩ませていました。どのように教育上望ましくないというと、頭をヴィニール袋で包むのは自殺や殺人の手段にはもっとも労を要せず簡単で、証拠も隠滅しやすいからです。殺人の手段ならあらかじめ拘束して自由を奪う面倒もありますが、この方法なら数分で窒素死は確実で、しかも絞殺や溺死のように明確な殺害方法が特定できません。
 アンパンマンたちはヒーローですから、子どもたちがヴィニール袋をかぶって遊ぶ危険がある。ばいきんまん役の子が水鉄砲で攻撃すると(実際にばいきんまんがよくやる手です)アンパンマン役の子はすかさずヴィニール袋をかぶる、もちろん数分もたたず死んでしまう。さすがに子どもたちが真似ると危険だから止めてほしいと言われると、アンパンマンたちも納得せざるを得ません。そんなことになっては逆に正義の味方失格です。だからといって雨降りだからパトロール中止とはいかない。かえって遭難している人も多いかもしれない。
 だが乳頭とは?それではアンパンマンではなく、別物にならないか?


(初出2015年/全80回より抜粋・お借りした画像は本編と関係ありません)