人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

レニー・トリスターノ Lennie Tristano - 鬼才トリスターノ Tristano (Atlantic, 1956)

レニー・トリスターノ - 鬼才トリスターノ (Atlantic, 1955)

f:id:hawkrose:20200421232024j:plain
レニー・トリスターノ Lennie Tristano - 鬼才トリスターノ Tristano (Atlantic, 1956) full album : https://youtu.be/t6PkO4gWEf8
Recorded at Lennie Tristano's home studio, New York, 1954-1955 (A1-A4) & Live at The Sing-Song Room, Confucius Restaurant, New York, June 11, 1955 (A5, B1-B4)
Released by Atlantic Records 1224, February 1956
All songs composed by Lennie Tristano, unless otherwise noted.

(Side A)

A1. Line Up - 3:34
A2. Requiem - 4:53
A3. Turkish Mambo 3:41
A4. East Thirty-Second - 4:33
A5. These Foolish Things (Harry Link, Holt Marvell, Jack Strachey) - 5:46

(Side B)

B1. You Go to My Head (J. Fred Coots, Haven Gillespie) - 5:20
B2. If I Had You (Jimmy Campbell, Reginald Connelly, Ted Shapiro) - 6:29
B3. I Don't Stand a Ghost of a Chance With You (Bing Crosby, Ned Washington, Victor Young) - 6:07
B4. All the Things You Are (Oscar Hammerstein II, Jerome Kern) - 6:11

[ Personnel ]

(A1-A4)
Lennie Tristano - piano
Peter Ind - bass (tracks 1, 4)
Jeff Morton - drums (tracks 1, 4)
(A5, B1-B4)
Lennie Tristano - piano
Lee Konitz - alto saxophone
Gene Ramey - bass
Art Taylor - drums

(Original Atlantic "Lennie Tristano" LP Liner Cover & Side A Label)

f:id:hawkrose:20200421232104j:plain
f:id:hawkrose:20200421232124j:plain
 本作の原題はタイトルがないので『Lennie Tristano』または『Tristano』と呼ばれています。邦題は発売当初の昔から『鬼才トリスターノ』で、12インチLPが開発されて真っ先にアトランティック・レーベルから発売されました。レニー・トリスターノ(1919-1978)にとって初のフルアルバムであり、やはりアトランティックからの次作『The New Tristano』は1962年で、新作の録音が発表されたのは生前はそれが最後になりました。レコード・デビューの1946年~本作以前の、初期~中期のシングルや10インチLP音源は、本作以降にさまざまなかたちで12インチLP化されることになります。全盲のトリスターノは'50年代からはクラブ出演も縮小し、1968年を最後にライヴ活動もなくなりました。音楽教室運営に専念していたトリスターノに1976年、新作制作を持ちかけたのが日本の東芝傘下の新興ジャズ・レーベル「East Wind」で、担当者がトリスターノを訪ねて契約を交わし、やがて届いたマスターテープが1951年~1966年の未発表録音を集めた『メエルストルムの渦(Descent into the Maelstrom)』1977でした。ジャズ・ピアニストとしてはバド・パウエルセロニアス・モンクと並ぶ伝説のジャズマン15年ぶりのアルバム(ただし内容は未発表の旧録音)と同作は「スウィング・ジャーナル」企画賞を受賞し、逆輸入でアメリカ盤も発売が決定する好評を得たので、イースト・ウィンドは次作は新録音をと期待しましたが、トリスターノは翌年に逝去し(享年59歳)、本格的なカムバック作品は制作されずに終わりました。つまりトリスターノ自身によってまとめられ、生前のうちに発表されたフルアルバムは本作『Tristano』と『The New Tristano』『Descent into the Maelstrom』の3枚しかなく、全編ソロ・ピアノの『The New Tristano』、未発表録音集『Descent into the Maelstrom』よりも代表作に上げられることが多いのがこの『鬼才トリスターノ』です。しかし本作は本国ですらジャズ史上の"controversial"として知られてきた作品で、1997年にようやくトリスターノのアトランティック・レコーズでの未発表音源を含む全録音集が発売された時にニューヨーク・タイムズ紙のアルバム評で「Masterpiece」とされるまで、40年に渡って"controversial"(賛否両論、問題作)とされていたアルバムでした。

 レニー・トリスターノをジャズ・ピアノの巨匠とするジャズのアルバム・ガイドなどで『鬼才トリスターノ』にたどり着いた人は、ほぼ例外なくこれのどこが良いんだろう、買うんじゃなかったなと思うことになります。本作は真価がわかるまで時間がかかる作品で、だからこそコントラヴァーシャルなのですが、まず風呂場か洞窟の中で録音したような音質で曲の途中からいきなりフェイド・インしてきてフェイド・アウトしていくピアノ・トリオのA1に始まり、クラシック曲風のイントロから物々しく始まりますがスローテンポのブルースになるソロ・ピアノ曲A2が続き、次いでソロ・ピアノ曲ですがどうも何度も多重録音しているらしい実験的な、タイトルからして「Turkish Mambo」(トルコ風マンボ!)のA3になり、A4は再びA1のようなつかみどころのないピアノ・トリオ曲になります。LPのA面ではA5だけ突然ライヴ録音らしいアルトサックスのワンホーン・カルテットになるので何でこんな変な構成にしたか戸惑いますが、A5はようやくジャズらしいジャズが聴けてほっとします。ところがA5と同じ編成で全曲ライヴ録音が続くB面になると、A5同様にレスター・ヤングチャーリー・パーカーでお馴染みの曲が並びますが、アルトサックスが不調なのに気づかないではいられません。B1から2、3、4と曲が進むにつれてアドリブ・ソロのアイディアが枯渇していくのです。それに気づいてA面を聴き返してみると、変態曲ばかり4曲聴かされてA5にはホッとさせられたものの、実はA5もかなり悲惨な演奏で、B面からは聴きどころを探すのすら難しいのがわかって愕然とします。つまりこのアルバムの作者、レニー・トリスターノはわざと何を考えてこんなアルバムを作ったのかわからないような作りにしているので、本作がリスナーの多数を困惑させるのもトリスターノの意図になっています。トリスターノがバド・パウエルセロニアス・モンク以上のビバップ時代の前衛的ピアニストとされてきたのは音楽がパウエルやモンクよりもわかりづらいからですが、本作もトリスターノの音楽性のわかりづらさがリスナーを遠ざけてきたアルバムです。ではこのよくわからないアルバムが現在、マスターピースとして再評価されているのはなぜでしょうか。

 このアルバムの後半5曲が録音されたレストラン出演のライヴ収録は完全版では18曲・21テイクが残されており、トリスターノ没後の1981年に2枚組LP『The Lennie Tristano Quartet』として発売されました。1997年の『The Complete Atlantic Recordings of Lennie Tristano, Lee Konitz & Warne Marsh』(Mosaic Records)に集成された別テイクを含め、演奏順に並び直すと、セットリストはこうなります。*をつけた5曲が『鬼才トリスターノ』に収録されたテイクです。
1. April (Lennie Tristano) (Alt. Take) - 7:05
2. Sweet And Lovely (Gus Arnheim, Harry Tobias, Jules Lemare) - 5:16
3. Background Music (Warne Marsh) - 5:52
*4. If I Had You (Jimmy Campbell, Reginald Connelly, Ted Shapiro) - 6:21
5. Donna Lee (Charlie Parker) (Alt. Take) - 5:24
6. 317 E. 32nd (Lennie Tristano) - 6:53
*7. These Foolish Things (Harry Link, Holt Marvell, Jack Strachey) - 5:37
8. 'S Wonderful (George & Ira Gershwin) - 4:53
*9. You Go To My Head (J. Fred Coots, Haven Gillespie) - 5:20
*10. All The Things You Are (Oscar Hammerstein II, Jerome Kern) - 6:05
11.Lennie-Bird (Lennie Tristano) - 5:59
2. My Melancholy Baby (George A.Norton, Ernie Burnett) - 8:00
13. April (Lennie Tristano) - 8:00
14. Pennies In Minor (Lennie Tristano) - 6:06
15. Mean To Me (Roy Turk, Fred E.Ahlert) - 7:34
16. Confucius Blues (Lennie Tristano) - 6:35
*17. A Ghost Of A Chance (Bing Crosby, Ned Washington, Victor Young) - 5:58
18. Whispering (Richard Coburn, John Schonberger, Vincent Rose) - 4:07
19. Background Music (Warne Marsh) (Alt. Take) - 6:22
20. There Will Never Be Another You (Mack Gordon, Harry Warren) - 7:24
21. Donna Lee (Charlie Parker) - 6:24

 このセットリストの選曲を見ると、トリスターノのスタンダードの好みはトリスターノが敬愛していたレスター・ヤングビリー・ホリデイチャーリー・パーカーのみならず、トリスターノが絶讃を惜しまなかったバド・パウエルとも、生涯憎悪し敵視していたセロニアス・モンクとも共通していたのがよくわかります。弟子のウォーン・マーシュの1曲を含めオリジナル曲が18曲中6曲入っていますが、「April」はスタンダード曲「I'll Remember April」、「Background Music」は「Indiana」、「317 E. 32nd」は「Out of Nowhere」、「Lennie-Bird」はバップ・ピアニストで作曲の才に長けたバンド・リーダー、タッド・ダメロンのオリジナル曲「Love Bird」、「Pennies In Minor」は再びスタンダード曲「Pennies From Heaven」、「Confucius Blues」はブルースで、ブルース曲はともかくとして他は既成曲のコード進行にオリジナル・テーマを乗せたものになります。これはビ・バップが主流にした手法で、チャーリー・パーカーの「Donna Lee」も「Indiana」のコード進行にオリジナル・テーマを乗せたものでした。この手法は同じ「Indiana」から「Donna Lee」も「Background Music」も出来ているように、本作のA1「Line Up」も「Indiana」のコード進行による曲で、また「Pennies In Minor」同様に本作A4の「East Thirty-Second」も「Pennies From Heaven」のコード進行を短調に置き換えたものです。かと思えばカルテット録音の「317 E. 32nd」は別のスタンダード曲「Out of Nowhere」だったりするので、トリスターノの生涯の全録音はせいぜい20曲前後のスタンダード曲のコード進行のヴァリエーションから成り立つものでした。これはトリスターノより1歳年少で、1955年に34歳で早逝したパーカーのレパートリーの3分の1程度、5歳年少のバド・パウエル(享年41歳)のレパートリーの4分の1程度で、2歳年長で勤労年数はほぼ同年のセロニアス・モンクのやはり3分の1程度の少なさです。このレパートリーの少なさは、スタンダード曲の選曲では共通しても、黒人ジャズマンのレパートリーの嗜好比率とトリスターノのレパートリーでは異なることに由来すると思われます。黒人ジャズマンの場合は、レパートリーはブルースと循環コード(AA'BA'形式のI→IV→V→I進行)、スタンダード曲(またはスタンダード曲のコード進行を拝借したオリジナル・テーマ)で3分の1ずつなのがモダン・ジャズでは一般的ですが、白人ジャズマンでは循環コードは黒人ジャズマンより少なくなり、ブルースは1ステージ、またはアルバム1枚では1曲程度しか演奏されません。トリスターノにいたってはブルースと循環コードとも演奏例がめったになく、スタンダード曲かその改作にレパートリーを限定しています。パーカーのオリジナル曲同様トリスターノのオリジナル曲もスタンダード曲のコード進行を踏襲したものでしたが、パーカーはブルースと循環コードによるオリジナル曲も多く、モンクとパウエルはブルース、循環コード、スタンダード曲によるオリジナル曲のみならずオリジナルなコード進行での作曲も多いジャズマンでした。トリスターノはスタンダード曲もごく少数に限定し、オリジナル曲も限定したスタンダード曲からしか採らないか、さもなければ極端な完全即興に走るという食えないジャズマンでした。スタンダード曲を限定していたのは、トリスターノにはビ・バップに対するアンチテーゼという意識がいつもあり、わざわざ自分から楽曲を限定する不自由を選んでいたように思われます。

 アルバム『鬼才トリスターノ』の時期にはトリスターノはライヴ活動を1952年までの最盛期から縮小して音楽教室運営に活動を移しており、この最初のフル・アルバムはライヴ活動引退宣言の意味合いもあったでしょう。完全な引退ではなく門下生のリー・コニッツ、ウォーン・マーシュ、ビリー・バウアーらとのクラブ出演は1966年まで続きますがごく散発的になり、ジャズ・フェスティヴァルへの招聘ではソロ・ピアノで出演することが増えていきます。その布石となったのが本作のA1~A4であり、ここではライヴでは再現不可能な録音を試みていますが、次作の完全ソロ・ピアノ作品『The New Tristano』では音楽性はそのままにライヴ可能な演奏になりました。『The New Tristano』についてはまた場所を改めますが、本作『鬼才トリスターノ』の問題のピアノ曲A1~A4はピアノ・トリオのA1、A4とピアノのみ(多重録音のため必ずしもソロ・ピアノとは言えません)のA2、A3に分けられます。A1、A4はどちらもフェイド・インから入りフェイド・アウトしていく、インプロヴィゼーションを抜粋した作りになっています。また、全体が風呂場や洞窟の中で録音したような異常な音響効果です。これはA1はスタンダード曲「Indiana」、A4は「Pennies From Heaven」(の短調版)のコード進行をあらかじめベースとドラムスだけ録音し、テープ回転を遅らせたり速めたりしたものにピアノのアドリブをオーヴァーダビングした手法が使われており、この録音手法を正常なキーで再生すると通常のピアノとはまったく異なる倍音・残響成分になります。トリスターノがスタジオ作業中に着想し、この手法を試みたのは1951年の自主制作シングル「Ju-Ju」で、発売から1年半後にインタビューで明かすまで気づいた批評家はいなかったそうです。この鋼のような音色で奏でられる、休符なしで一気に16小節から32小節にもおよぶ長いフレーズのアドリブこそがトリスターノ以前にはなかった徹底的なクール・スタイルで、パウエルやモンクに匹敵するジャズの実験でした。ビル・エヴァンスセシル・テイラーはこのトリスターノのアプローチをバド・パウエルセロニアス・モンクのバップ・ピアノに折衷してポスト・バップのピアノ・スタイルを築き上げたのです。また、A2のソロ・ピアノは'55年に急逝したチャーリー・パーカーへのレクイエムですが、トリスターノは最後までパーカーの数少ない白人の友人だった人で、共演録音もCD1枚分(LP2枚分相当)あり、パーカーの葬儀では棺を運ぶ係を勤めました。トリスターノのブルース演奏は数も少なく、不得意なのであえて避けていたようですが、このパーカー追悼のソロ・ピアノのブルースは絶品です。やはりテープの回転数操作でピアノとは思えない異常な音色を生み出しており、この音色あってこそ成立した演奏という感じもします。それはA3の「Turkish Mambo」ではいよいよ全開になり、この曲は多重録音ソロ・ピアノですが正確には一人四重奏になっていて、ベース・パートを6/8拍子、7/8拍子、8/8拍子の3通りの拍子で録音し(拍子の頭は最小公倍数で一致します)、その錯綜する3本のベース・ラインをくぐり抜けるようにアドリブ・ラインを多重録音しています。このアルバムが長年に渡って賛否両論の的になっていたのはもっぱらこれらA1~A4の録音回転数操作と多重録音に向けられたものですが、むしろ本作への評価を不安定にしていた問題はA5~B面全面のカルテットのライヴ録音とA1~A4を1枚のアルバムに組んだトリスターノの意図にあると思われます。トリスターノ門下から出たスター・アルトサックス奏者だったリー・コニッツの起用はレーベル側の要望だった可能性が大きいのですが、当時トリスターノとコニッツにはコニッツ側から師弟関係を返上する確執があり、ライヴ録音全テイクが発表された現在聴きあわせると、この選曲はわざわざコニッツのやる気のない演奏を選んでいる節があります。以後トリスターノはそれまでに輪をかけて、レコード制作やライヴ活動を商業主義と見なして極端に拒絶するジャズマンになっていきます。A1~A4の絶好調の実験的ピアノ録音とやる気のないカルテットでのライヴ録音を1枚のアルバムに同居させたのがトリスターノ流のジャズ界への決別だったとすると、アルバム全体としてはライヴ録音がかえってA面の実験的録音を際だたせている鮮やかな名盤と言えるだけに、ここでダシに使われたコニッツがトリスターノから離反したがっていたのも無理はないような気がします。

(旧稿を改題・手直ししました)