人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ソニー・ロリンズ&カンパニー Sonny Rollins & Co. - 橋 The Bridge (RCA-Victor, 1962)

ソニー・ロリンズ&カンパニー - 橋 (RCA, 1962)

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ソニー・ロリンズ&カンパニー Sonny Rollins & Co. - 橋 The Bridge (RCA-Victor, 1962) Full Album : https://www.youtube.com/playlist?list=PL0q2VleZJVEljT52xpNPlT2zyXvMNrvSA
Recorded at RCA-Victor Studio B, New York City, January 30 (B2) and February 13 (A2, A3, B3), 14 (A1, B1), 1962
Released by RCA-Victor LPM-2527, early april 1962

(Side 1)

A1. Without a Song (Edward Eliscu, Billy Rose, Vincent Youmans) - 7:28
A2. Where Are You? (Harold Adamson, Jimmy McHugh) - 5:10
A3. John S. (Sonny Rollins) - 7:43

(Side 2)

B1. The Bridge (Rollins) - 6:00
B2. God Bless the Child (Arthur Herzog Jr., Billie Holiday) - 7:27
B3. You Do Something to Me (Cole Porter) - 6:48

[ Sonny Rollins & Co. ]

Sonny Rollins - tenor saxophone
Jim Hall - guitar
Bob Cranshaw - bass
Ben Riley - drums
Harry "H.T." Saunders - drums (replaces Riley on "God Bless the Child")

(Original RCA-Victor "The Bridge" LP Liner Cover & Side 1 Label)

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 ソニー・ロリンズ(テナーサックス・1930-)は説明不要の大物ジャズマンですが、ニューヨークのビ・バップ最高潮の時期に幼なじみで同年輩のジャッキー・マクリーン(アルトサックス)やケニー・ドリュー(ピアノ)、アート・テイラー(ドラムス)らと有望少年ジャズマンとしてデビューし、バド・パウエル『Amazing Bud Powell』1951やマイルス・デイヴィス『Dig』1951への参加で早くも新鋭テナーNo.1の声望を得た早熟の天才型プレイヤーでした。ですが大胆奔放なプレイの裏には相当ナイーヴな性格があり、1952年と1955年には短期間ずつ消息不明になっていて、ロリンズを常連メンバーにしていたマイルスは52年はマクリーン、55年にはジョン・コルトレーン(テナーサックス)をロリンズの代役に起用し、その代役抜擢もマクリーンやコルトレーンが一流プレイヤーへの足がかりをつかむきっかけになりました。1956年からのロリンズはマックス・ローチクインテットのレギュラー・メンバーを兼任する一方で自己名義でも驚異的名盤を連発し、押しも押されぬモダン・ジャズ現役No.1テナーの座につき、今日に至るまでジャズのテナーサックス奏者で一番偉い人の筆頭株に上げられています。唯一その座が揺らいだのは爆発的創造力を示したジョン・コルトレーンの晩年期(1959年~1967年)であり、コルトレーン没後はウェイン・ショーター(1933-)、ジョー・ヘンダーソン(1937-2001)がNo.2、No.3といったポジションでしたが、キャリアの長さ、多産さ、スター性、ポピュラリティでロリンズを上回るモダン・ジャズのテナーマンはデクスター・ゴードン(1923-1990)、スタン・ゲッツ(1927-1991)の歿後は長命な先輩奏者のユーゼフ・ラティーフ、ベニー・ゴルソンなど別格的なヴェテランだけになりました。20代後半には巨匠となっていたロリンズはさらに1959年春~1961年秋と1969年冬~1971年の2回、完全な音楽活動休止期間がありました。1969年冬~1971年の活動休止は休養が目的でしたが、1959年春~1961年秋は音楽的な模索が原因のトレーニングのための隠棲でした。隠棲期間はブルックリン橋の上で練習していたのが話題になっていたことから、ひさびさのカムバック・アルバムである本作は『橋(The Bridge)』とタイトルがつけられました。

 本作を愛聴してきた人には掲載した曲目データとリンクに引いた音源リストに違和感を感じる人もいるでしょう。現行の輸入CDもそうですが、オリジナル盤初回プレスLPからこのアルバムはアメリカ盤と国際規格では上記の通りの曲順で、日本盤の初回盤もアメリカ盤と同一でした。それがいつからか日本盤では以下のように曲順が変わり(日本独自の改変か、アメリカからのマスターが改変されたかはわかりません)、CDでも21世紀のリマスター盤でオリジナルの曲順に戻されるまで、日本盤ではLPでもCDでも1990年代のリリースまでは『橋』は長い間異なる曲順で発売され愛聴されてきました。全6曲の曲目は同じなのですが、このアルバムは曲順だけで相当印象が違ったものになります。旧来の日本盤はLPもCDも以下の通りの曲順でした。
(Side 1)
A1. ゴット・ブレス・ザ・チャイルド
A2. ジョン・S
A3. ユー・ドゥ・サムシング・トゥ・ミー
(Side 2)
B1. ホエア・アー・ユー
B2. ウィザウト・ア・ソング
B3. 橋

 改編された曲順ではビリー・ホリデイ作のバラードA1の印象が強いので、アイク・ケベック(テナーサックス・1918-1963)のやはりピアノレス・ギタートリオ作品『Blue & Sentimental』63.6(録音61年12月)を連想するようなムードです。このビリーの曲はジャズマンによるオリジナル曲がスタンダード化した楽曲として多くのカヴァー・ヴァージョンを生んでおり、楽曲そのものが素朴な感動を呼ぶ名曲ですからよほどのしくじりさえなければ聴きごたえはありますが、逆にビリーのオリジナル・ヴァージョンを超えるヴォーカル・ヴァージョンは難しく、エリック・ドルフィー無伴奏バス・クラリネット演奏(1961年7月)ほど強力な再解釈がされないと原曲を離れられない名曲ならではの弊もありました。本作のカルテットはアドリブを一切排してテナーサックス+ギタートリオだけでストレートなテーマ演奏に徹しており、それだけで十分にビリーのオリジナル・ヴァージョンとも、デフォルメの限界まで行ったドルフィー版とも拮抗する美しいヴァージョンを生み出しています。

 このアルバム『橋』のキーパーソンは素晴らしいギタリストのジム・ホール(1930-2013)でした。ロリンズとホールとの共演は本作と次作『ドント・ストップ・ザ・カーニバル(What's New?)』1962だけですが、ロサンゼルス出身の白人ギタリストのホールはそれまで在籍したチコ・ハミルトン・クインテットやハンプトン・ホウズ・カルテットで、人種混交都市ロサンゼルスならではの多人種混交バンドで多様なスタイルに対応する幅広いアプローチを体得していました。リズム・セクションのメンバーがいないジミー・ジュフリー・トリオ時代(1956年~1959年)で見せた驚異的なプレイ(「おかげで禿げちゃったよ」というのがホールの自虐ギャグでした)でトップ・ギタリストになったホールは、やはり白人ながら人種混交バンド経験者ピアニストのビル・エヴァンスと並ぶ1960年代初頭の最先端ジャズマンと評価されました。実際ホールとエヴァンスは共演も多く、デュオ・アルバムの名盤もあり、共演ミュージシャンの好みも共通しています。もっとも堅実な性格のホールに対してエヴァンスの私生活は滅茶苦茶で、家賃滞納でアパートを追い出され一文無しで路上で泣いていたエヴァンスをホールが居候させたという涙ぐましいエピソードもあります。

 ロリンズの『橋』への参加はホールの名声を決定的なものにし、以降ホールはアート・ファーマー(トランペット)、ポール・デスモント(アルトサックス)らのバンドを経てリーダー・ミュージシャンになりますが、エヴァンスを別にすればホールの参加作はピアノレスが前提で、しかもワンホーン・アルバムの企画がほとんどでした。ホールのギターは第2ホーンの役割とピアノの役割を同時に求められたことになり、ホーン奏者のバックアップではおそろしいほど耳が良く、ホーン奏者のアドリブに対して最適なシングル・ラインやコードを即座かつ最小限に提示するという小憎らしいほど達者なプレイを易々とやってのけていました。それは『橋』を聴いてもすぐわかります。ホールとの共演が次作までになったのはまさにホールが有能すぎたためで、本来ロリンズのアドリブはもっと行き当たりばったりに聴こえてくる(そして聴き終えると見事に構成されているのがわかる)のが普段の調子なのですが、ホールのサポートがあまりに達者なためにまったく破綻がなく、ロリンズとしてはアルバム2枚でホールとはやり尽くしてしまったのでしょう。たまにホールが予測してくり出したコードからロリンズが外れるとロリンズ側のミストーンに聴こえるのも面白いのですが、そんなところもアルバム2枚でロリンズには先が見えてしまったらしく、ホールとの次作『ドント・ストップ・ザ・カーニバル』も本作に勝るとも劣らないポップで楽しいジャズ・サンバ・アルバムの快作なのですが、ホールとの共演のあとロリンズはオーネット・コールマン・カルテットのドン・チェリー(トランペット)と組んだカルテットで一直線にフリー・ジャズに進むのです。

(旧稿を改題・手直ししました)