(鮎川信夫<大正9年=1920年生~昭和61年=1986年没>)
繋船ホテルの朝の歌
鮎川信夫
ひどく降りはじめた雨のなかを
おまえはただ遠くへ行こうとしていた
死のガードをもとめて
悲しみの街から遠ざかろうとしていた
おまえの濡れた肩を抱きしめたとき
なまぐさい夜風の街が
おれには港のように思えたのだ
船室の灯のひとつひとつを
可憐な魂のノスタルジアにともして
巨大な黒い影が波止場にうずくまっている
おれはずぶ濡れの悔恨をすてて
とおい航海に出よう
背負い袋のようにおまえをひっかついで
航海に出ようとおもった
電線のかすかな唸りが
海を飛んでゆく耳鳴りのようにおもえた
おれたちの夜明けには
疾走する鋼鉄の船が
青い海のなかに二人の運命をうかべているはずであった
ところがおれたちは
何処へも行きはしなかった
安ホテルの窓から
おれは明けがたの街にむかって唾をはいた
疲れた重たい瞼が
灰色の壁のように垂れてきて
おれとおまえのはかない希望と夢を
ガラスの花瓶に閉じこめてしまったのだ
折れた埠頭のさきは
花瓶の腐った水のなかで溶けている
なんだか眠りたりないものが
厭な匂いの薬のように澱んでいるばかりであった
だが昨日の雨は
いつまでもおれたちのひき裂かれた心と
ほてった肉体のあいだの
空虚なメランコリイの谷間にふりつづいている
おれたちはおれたちの神を
おれたちのベッドのなかで締め殺してしまったのだろうか
おまえはおれの責任について
おれはおまえの責任について考えている
おれは慢性胃腸病患者のだらしないネクタイをしめ
おまえは禿鷹風に化粧した小さな顔を
猫背のうえに乗せて
朝の食卓につく
ひびわれた卵のなかの
なかば熟しかけた未来にむかって
おまえは愚劣な謎をふくんだ微笑を浮かべてみせる
おれは憎悪のフォークを突き刺し
ブルジョア的な姦通事件の
あぶらぎった一皿を平らげたような顔をする
窓の風景は
額縁のなかに嵌めこまれている
ああ おれは雨と街路と夜がほしい
夜にならなければ
この倦怠の街の全景を
うまく抱擁することができないのだ
西と東の二つの大戦のあいだに生れて
恋にも革命にも失敗し
急転直下堕落していったあの
イデオロジストの顰め面を窓からつきだしてみる
街は死んでいる
さわやかな朝の風が
頸輪ずれしたおれの咽喉につめたい剃刀をあてる
おれには堀割のそばに立っている人影が
胸をえぐられ
永遠に吠えることのない狼に見えてくる
(『荒地詩集』昭和24年=1949年10月発表、『鮎川信夫詩集』昭和30年=1955年11月刊収録)
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戦後日本の現代詩屈指の一篇をご紹介します。鮎川信夫(大正9年=1920年生~昭和61年=1986年没)は東京に生まれ育ち、戦前から詩作を始め、戦時中は兵役に就き、除隊後に詩誌「荒地」の中心となりました。作風はエリオット、オーデンら20世紀のイギリス詩人の影響が強く、戦前にはモダニズムの詩を指向していましたが、イギリスとモダニズム詩人同様世界大戦に直面した経験から手法的には理知的なモダニズム詩、作品の指向は非常に批評的な思想詩に向かうことになります。このブログでは明治20年代から平成初頭までさまざまな作風の詩人をご紹介してきましたが、現実の理想化でも逃避でもなく、真正面から現実を高度な修辞で作品化し、廃船の繋船ホテルでの陳腐な情事を敗戦日本の荒廃そのものとして描き出したこの一見するとリアリズムの詩が達成したのは明治以降の日本の現代詩人たちがさまざまな手法で試みて、鮎川信夫によって初めて成功したと言ってもいいほどのもので、以降の日本の現代詩は第二次世界大戦前の多くの日本の優れた詩よりも鮎川信夫を中心とした思想的文明批評詩を水準とすることになります。
文語詩から口語自由詩までの現代詩の言語水準の進展の上で大きく明治20年代以降現在までの150年間近い現代詩史をとらえれば、鮎川信夫は現代詩の分水嶺として萩原朔太郎や中原中也以上の存在です。発表当時即現代詩の古典と認知されたこの「繋船ホテルの朝の歌」がすでに72年前に書かれた詩であること、これが題材こそ敗戦後の世俗ですが文体・語彙とも最新の詩として通用するだけの鮮度と訴求力を備えていることが驚異なので、72年後、2092年にも通用する詩が現在どれだけ書かれ得るかを考えると鮎川の詩のおそるべき射程の長さがわかります。また日本の詩が乱世の時代にこそ痛烈なエピックたる詩を生み出してきた歴史を思うと、こういう詩はまたとないからこそ時代の里程標となったとも言えるかもしれません。そうした意味でも、この「繋船ホテルの朝の歌」は何度でも立ち返って読まれるだけの意義を持った詩です。ちなみに詩誌「荒地」の詩人は女性にモテる人ばかりだったようですが、「繋船ホテル~」当時の鮎川信夫は女性に冷たくすればするほどウンコにハエがたかるようにモテるタイプの色男だったようです。しかも死線を潜ってきた元軍人で都会人の大卒エリートです。掲載した30代の鮎川信夫の写真を見ると何だかわかるような気がします。
(旧稿を改題・手直ししました)