人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

小野十三郎「城」「小事件」「赤外線風景」(『詩集大阪』昭和14年=1939年より)

[ 小野十三郎(1903-1996)、40代前半頃。]
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小野十三郎著作集』全三巻
平成2年(1990年)9月・12月・平成3年2月・筑摩書房刊、第一巻所収
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小野十三郎第4詩集『詩集大阪』
昭和14年(1939年)4月16日発行 定価1円
四六判 87頁 角背フランス装 装幀・菊岡久利
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「城」

 小野十三郎

太陽は真上に照つてゐる。
煙霧や遮蔽物のために展望は利かない。
脚下の軍需品工場の煙突から濃い褐色の煙が濛々とたちのぼつてゐる。
鉄筋コンクリート構造の天守閣のひんやりとした堅穴の中を昇降機はのぼつてゆく。
どろんと濁つた眼、厚い唇、渋紙色の荒れた皮膚、傷痕のやうな深い皺、平うちのでかい金指輪を嵌めてゐる節くれだつた指、汗臭い、土臭い、肥料(こやし)臭い、むつとする百姓の土民の、体臭。

城がある。
かれらが登つてゐる。

「小事件」

 小野十三郎

はじめはほんの冗談かと思つた。
が、それは真剣なんだ。
原っぱのまん中で一人のみすぼらしい鮮人の老婆が血相を変へて叫んでゐる。
運動帽をかぶつたのや、バツトなどを持つた子供たちを相手に朝鮮語で気狂いのやうに叫んでゐる。
外れ球でも脚にあたつたらしい。
老婆は球を拾つたまゝいつかな返さうとはせぬ。
子供たちは老婆を遠巻きにして、どろぼう野郎とかぬすつとだとか口汚く罵りながら盛んに示威運動をこゝろみてゐる。
子供たちの態度には弱小民族に対する親ゆづりのどうにもならぬ侮蔑感が露骨にあらはれ
鮮人の老婆の憤怒には反対にどこか子供つぽい無邪気な執拗さが感じられる。
老婆の叫び声は益々高くなりもはや掴みかゝらんばかりの気勢だ。
子供たちはしだいに不安になり後に退つてバツが悪さうに互ひに顔を見合せてゐる。
自転車の男が笑ひながらもつとやれやれと子供たちをけしかけてゆく。
しかし何かしら場面はもう白けてしまつた。

老婆はよちよちと歩きだす。
子供たちはまた野球をはじめる。

古タイヤの山。
鉄屑の山。
襁褓(おしめ)の交叉。
共同水道。
ぼろぼろの
低い
屋根の下に
煤ぼけた
同じ城東の
空。

「赤外線風景」

 小野十三郎

何十町歩にわたつて干上がつてゐた。
ぼこぼこいたるところ穴だらけだ。
濁つた生臭い泥水がそのあとにたまつてゐる。
泥は青光りに光つて畑のやうに際限なく起伏してゐる。
股間に匍ひまはつてゐる蟹や舟虫や
散乱してゐる小石や海藻や蓋のあいた貝殻や食器のカケラや
脛と脛、臀と臀、顔と顔。
これはまたなんとしたところに俺はゐるのだ。
バケツをひつさげて餓鬼どもは走つてゆく。
裾も露はにかがみこんでゐるおかみさんがゐる。
頬かむりに猿又一枚で掘つくりかへしてゐる奴がゐる。
白い裳衣(チマ)の裾をからげてゐる鮮人の女もゐる。
もう帰るにも帰れない。
五月の日光は雲の切れ目からなゝめに降りそゝぎ
累々と重なりあつた大群集の背に
煙突や瓦斯タンクがくつきり浮び出てゐる。
多分そこが海だ。

(『詩集大阪』より3篇)


 前回ご紹介した「一日」「雨季」「動物園」に続く『詩集大阪』の巻頭から19~21篇目に当たるのが今回の3篇で、『詩集大阪』は全35篇を収録した詩集ですからここまででほぼ前半2/3に近づいたことになります。『詩集大阪』は巻頭に並ぶ代表作「早春」「葦の地方」「明日」から硬質で抒情を排した風景詩の詩集という印象が強いのですが、詩集の半数以上を今回の3篇のような戦前(大東亜戦争はすでに始まっていましたから、正しくは戦時下)の大阪の市井情景を描いた人間くさい詩篇も占めているのですから、詩集全体からは大都市といっても決して近代的とは言えない、猥雑な庶民階級の中に踏みこんでいる詩人の姿勢が見えます。そこでは小野十三郎は詩人としての芸術家的特権意識を捨てて庶民の中に入りこんでいるので、「城」では農夫たちに一体化し、「小事件」では朝鮮人の老婆と日本人の子供たちのどちらの心にも入りこみ、「赤外線風景」ではそういった庶民情景の中にいる自分を「もう帰るにも帰れない」と認めています。五月の空の下に彼方に開けたあたりを「多分そこが海だ」という地点からイメージによって描き出したのが『詩集大阪』巻頭に並ぶ海辺地帯の工業風景のイマジネーション詩です。それらの詩篇が巻頭に配置されているためこの詩集は非常に雄渾な印象を与えるものになっているのですが、実際は「葦の地方」や「明日」がどうした地点から生まれてきたかを詩集の中盤の庶民情景の詩篇はきめ細かに明かすものになっています。また「赤外線風景」には後年の名篇「蓮のうてな」(詩集『拒絶の木』1974年刊)の偏在的視点の手法の萌芽がすでに詩人の発想の中に出来上がりつつあったのがうかがえるのも見落とせないところです。