人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

高橋新吉「中也像」昭和34年(1959年)

高橋新吉明治34年(1901年)1月28日生~昭和62年(1987年)6月5日没(享年86歳)
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中也像


スペインの宮廷画家ヴエラスケスに
中原中也像がある

中也は白痴では決してなかつたが
ヴエラスケスは
手の短い男が足を投げ出している無頼な姿を描いている

三百年以前にヴエラスケスは死んでいるが
中也は死んでからまだ二十年あまりだ

それなのにわが愛する詩人中也を
ヴエラスケスがモデルにしているのは不思議である
画家の才能の豊富さに驚嘆するのである

中也もまたのこのこと
スペインの王室へ乗り込んで
ヴエラスケスと馬を合せているのだから
彼の厚顔にも驚くが

ヴエラスケスの発音から淫猥の響きを削り
ロケツトに挑むドン・キホーテを魂に平安あれ

などと中也が毒舌をふるつて
ヴエラスケスにからんでいたろうと思うと愉快だ

中也の唯一の友であり思想であつた
金属性の山羊に
在りし日の彼の孤独な姿を歌わせたい

(「芸術新潮」昭和34年、『鯛』(思潮社・昭和37年=1962年11月1日刊収録)


 中原中也(1907-1937)は16歳の時に大正12年(1923年)2月刊行の高橋新吉(1901-1987)の第一詩集『ダダイスト新吉の詩』に憧れて以降詩人を目指すようになり、上京して高橋と交友を持つようになってからも生涯高橋新吉を敬愛し続けました。高橋もまた年少の中原を公私に渡って支え続け、おたがいの引っ越しを手伝う仲だったようです。中原中也は酒癖が悪いことで有名で酔うと誰彼なく絡んだそうですが、高橋は後年の回想で中原生前最後の面識は酒場で中原に絡まれぶん殴って出てきたのを悔やんでおり、幾度となく中原についての回想を発表しています。高橋の回想は小林秀雄を中心とした「文學界」グループによる中原の伝説化よりはるかに身近で率直であり、詩人同士の腹を割った親睦を伝えるものです。

 中原は浅黒い顔で出っ歯で意地の悪い、手足の短いずんぐりした小男であり、目つきも悪ければ酒癖も悪く面と向かって悪口や皮肉など人の嫌がることばかり言って絡む、いつも不機嫌で喧嘩っ早い醜男だったそうで、喧嘩の強い高橋には殴れば一撃で昏倒する可愛い奴だったようです。最後の喧嘩別れの原因を高橋は中原の酒癖の悪さと回想していますが、「文學界」同人仲間たちとの緊張した関係と違って、中原にとって高橋は自分を理解してくれている、甘えられる先輩だったのでしょう。この詩「中也像」は美術評論家でもあった高橋がヴェラスケス展を観て「芸術新潮」昭和34年(1959年)3月号に発表した美術論「ヴェラスケスによるピカソの官女」に続いて「芸術新潮」誌に発表された詩篇で、掲載月は不詳ですが高橋自身が「ヴェラスケスによる~」に続いて「芸術新潮」誌に書き下ろしたと自作自解しています。この詩は伝説化された中原中也のイメージとは正反対に親愛感に満ちた中原中也の実像を伝えて見事な作品で、感傷のつけいる隙がないだけにはるかに中原中也という人物像を飄々と伝えてくれます。最後の別れに酒席で中原に絡まれて殴り倒した高橋はこの詩では20年あまりを経て故人の中原の甘えを許して懐かしんでいます。真に知己の証言とはこういう淡々として人間的なユーモアに満ちたものでしょう。