人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

幻覚、幻聴、妄想

久しぶりに幻覚を体験した。今回は軽かったが、起き出すと子供のようにひどい寝汗をかいていた。この文章は一種の悪魔祓いだ。

昨日はメンタル・クリニックと薬局、買い物の1時間の外出だけで疲れきった。数日間何も食べていない。買い物にすら出られない。主治医は躁鬱混合状態とアルコールの離脱症状を指摘した。最後に飲酒した時から48時間と72時間が目安なのだ。
処方を替えるから一切飲酒しないように厳命され、薬局で受け取り、帰り道のスーパーで海苔巻き、おにぎりを買う。自分で袋詰めする握力もなく、レジの店員にやってもらう。異様なものを見る目をされる。
帰宅して弁護士事務所に電話。ぼくは一昨年の躁でカード破産して、まだ申し立ての準備中なのだ。
30分ほどの通話を終えて一服した。自分や他人のブログを読んだ。ぼくはいつの間にかドビュッシーの「月の光」が流れているのに気づいた。近所で鳴らしているのかな。この部屋は遮音性は高い。換気扇を回しているからか?止めてみたが、まだ聞こえてくる。
ぼくはトイレに入った。疲れていから小用でも座る。ふと床を見ると、細かい文字が薄く見える。なんだろう?床を熱蒸着でもした時印刷物でも敷いた跡?
いや、幻覚だとキッチンに戻って気づいた。リノリウムの床にも壁にも文字が見える。しかもスクロールしている。これはブログのページを幻覚が再現しているのだ。ドビュッシーも幻聴だ。
幻聴だ、と気づくと「月の光」は聞こえなくなった。だが携帯画面の幻覚は消えない。脳が幻覚を送り出しているのだ。これは睡眠しかない。ぼくは横になった。
これまでも幻覚は何度も経験している。離婚してしばらくは寝床で娘が隣にいる幻覚をよく見た。体温や体の重み、寝息や体臭まで。ああ、これは幻覚だな、と娘の寝姿を見ていると、少しずつ薄くなって消えた。部屋の中に誰かがいる、ドアの外に立っている…拘置所暮らしから間もないんだから当然だ。
最悪の幻覚経験は去年の秋で、ぼくはCDプレーヤーから流れてくる音楽が薄い膜に包まれて膨張したり収縮するのを感じた。空気に拡散しないのだ。触って見ると感触まであるのだ。部屋の中の空気の密度が二人の人間分濃くなって人の形をしている。透明人間。
ぼくにはこれらが幻覚ではなくすべて現実の出来事として感じられたのだ。